アクセル・ワールド・Another――灰狼の咆哮―― 作:刹っちゃん
さて…………。
まるで食虫植物のフェロモンに誘い込まれた蝿の様にまんまと術中に嵌った僕は、向かいの席で見知らぬ中学生ぐらいの女性と同席している。
どうしてこうなったのだろうか……。
「ぼん、なんにするー?」
女性の方は特に何を気にするという様子もなく、自然体で僕に注文を促す。
そうか、何故ここまで緊張するのか分かったような気がする。もちろん女性と二人ということもあるけれど、それにも増して、普段入りもしないような小洒落た店に入っているということがますますその度合いを高めているのだろう。
(普通の人にとってはなんということはないかもしれない。僕にとっての話だ)
「え、えっと、じゃあアイスティーで」
カウンターに棒立ちのまま、緊張で動けず、とっさに一番手前にあった今月のオススメらしいものが視聴覚画面上にポップアップする。
その誘導に促されるまま、そのメニューをタッチする。
「クリーミーアイスティーでよろしいですか?」
あ、なるほど、確認は口頭でするんだ……。
「は……はい!」
「サイズはいかがされますか?」
サ、サイズ……うわ、聞いたことのない名前の大きさが4種類ある……。
額に汗をためながら、無難そうなものを選ぶ。
「じゃあ、真ん中ので……」
店員さんの確認をスルーした紫髪の女性はやや割り込み気味に、自分のオーダーを言った。
「決まったなー、んじゃーウチ、キャラメルエスプレッソの冷たい方で、サイズはあの一番おっきーヤツ」
「ベンティサイズでよろしかったですか?」
「あーそれそれ、なんやあの名前、鼻について嫌いなんやわー」
「では、ただいま御作りしますので、少々お待ちください」
「あ、これウチの奢りやから気にせんといて」
向かい合ったテーブルで、よっと。と声を出しながらソファーに勢いよく座った彼女は、どさくさにまぎれてとんでもない事を言い放った。
「これ、つけとって」
「え……」
そう言って渡されたのはXSBケーブルだった。
長さは二メートルほどで、彼女の髪の色に合わせた紫を貴重としたコーティングされた両端に、小さなプラグが付いている。
特に何を気にするという風もなく、まとまった後ろ髪のうなじの下に自分用のプラグを差し込むと。
「ん!」
と、声にあわせて僕の《ニューロリンカー》にそれを刺せと促す。
この人、正気か……?
これが《有線直結接続》だと分かっていてやっているのだろうか?
ニューロリンカーは通常、無線とその場のネットワークサーバーを通じてのみ相互通信を行う為、何重ものセキュリティが介在しているのだが、
有線接続で直接ケーブルを接続した。いわゆる《直結》と呼ばれる形で接続した場合、それらのセキュリティーウォールの約九割は無力化してしまう。
その為、こうしたプライベートな行為を行うのは、通常最も信頼する相手――家族、あるいは恋人などに限られる。
それをこのような公共の場で行うということは……付き合っていると自ら言っているに等しい。
自らの名前すら明かさない僕よりも少し年長者である女子中学生がやってきた大胆不敵なこの行動。
何が目的なんだろう。
「なんや~、そんなに可憐なる女子中学生と直結すんのがいややん? 別に変なもん混ざってたりせんて~」
「い、いや、そういう訳じゃなくて、いきなり見ず知らずのひとと」
「それっ!」
ぐいっと伸ばした右手が、僕の首筋を射抜いた。 カチッっという磁力を纏ったハブの心地よい接合音と共に、会話経路はニューロリンカー上の思考内へ移行した。
『まぁまぁ、口頭で話すんもアレやし、な?』
『一体、僕になんの用ですか?』
『おぉ? ぼん、あれやね。随分生体発声の方が饒舌やん! あはは、やっぱウチの目に狂いはなかったわ』
『さて、いきなり直結なんて頼んだんは、ウチがぼんのこと、気に入っとるんとは別にな? ちょっと事情があるねん』
『…………』
声に出ないよう、気持ちをひそめて僕は考えた。
「あー、そやった。なんで直結したかやって話な? まってなー、こーゆー理屈っぽい話、得意じゃないんよ」
紫の前髪を揺らして
『これからぼんにインストールしよう。っちゅープログラムはな、あんた自身のこれからの生き方を圧倒的に変えられる可能性を持った。プログラムや』
『生き方を変える……』
背筋にゾワっと寒いものが流れた。
【BB2039.exe を実行しますか? YES/NO】というホロ・ダイアログが表示された。
生き方……これまで幾度となく繰り返され続け、虐げられ続けられた日々の非情さのルーチンワークが、走馬灯のように受け入れられる。
でも、それに慣れ初めてしまっている自分が同時に恐ろしくもあった。
彼女の呟いた一言に対して無意識のうちに悪寒を走らせてしまった自分がいるというのが、その証左だろう。
このままでよいのだろうか……でも、何をすればこれを変えられるのか、今自分が囚われている状況を変えられるのか……それが解らないのだ。
負の循環に関わって来る連中のことは勿論嫌いだが、それにもまして、その状況を変えられない自分がもっと厭なのだ。
『安心してや、ウィルスとかその類は入ってへんよ?』
『それは、判ってます。インストール画面が表示されていますが』
僕は大人顔負けだと思うほどウィルスセキュリティーをニューロリンカー上に走らせているので、それが仮想体ファイルであれ、アプリケーションのツールであれ、大概のものは入り込む前に検出される。
直結することも想定して、自分でプログラムの調整なども行っているぐらいだ。
『お願いします。僕も自分を変えたい……!』
『お、もっと色々説得の言葉用意してたんやけど、ま、詳しいことは挿れてから話すで』
僕の視界いっぱいに、巨大な焔が吹き上がった。
張り詰めた緊張の中で、荒れ狂った火焔の流れは、やがて体の前に結集し、ひとつのタイトルロゴを作り出した。
デザインがやや劇画風の大文字英語ゴシックで、まるでアメコミのようなエキゾチックな雰囲気を想起させる。
現れた文字は――《BRAIN BURST》。
『インストールできたー?』
『は、はい』
『まぁこんだけ色々やってりゃーな。 あ、これうちの好きなVRアプリのロストランカーやん! うげっ! Iさんってあんたやったんかー……ちょっと凹むわー』
『ちょ、人のフォルダ覗かないでくださいよ!』
この台詞の後も、彼女は人のフォルダを無神経に調べ漁り、そのたびに散見する戦績のトロフィーなどに歓声を上げていた。
もうそろそろ良いですか、という言葉を5回ぐらい告げてから、ようやく悪びれもせず、閲覧を中断して
『まーまー、ちょっと事情があってなー、このプログラムには適性が必要なんよ』
なんでもこのアプリは高い脳神経反応速度を持つ者でなければインストールできないらしく、彼女はというと、僕にインストールを勧める説得を続ける傍ら、人のフォルダを見て適性の部分を見ていたのだという。
『それがウチんとこの会長の話なんやけど、ざっくり言っちゃうと生まれつきニューロリンカーを装着してるようなモンが容れられるアプリっちゅーことね』
『なるほど……』
わかったような、分からなかったような……。
『さっそくやけど、お約束ごとー! 今日のところは二つだけや、じゃあ一つめ」
『ウチがいいって言うまで、ニューロリンカーのグローバル接続を切ること』
グローバル接続を切る……? 何故そんなことを……。
『ええか? 多分しばらくの間、それを守ってもらうつもりや、何も何年間もグローバル接続を遮断しろなんて、ゆーてる訳やないから、どっかの誰かさんみたいにな』
『どっかの誰かさん?』
『あー、あー! 違う違う、こっちの話、忘れといてー! ウチってば、すぐ口が滑ってもうてん』
笑いながらごまかして、目の前の奇女は怪しい細眼を輝かせながら続ける。
『そうやね。ぐたいてきに期間をいっとくで、だいたい2週間から一ヶ月』
一ヶ月程度なら、耐えられないという話でもない。
そもそも、僕にはグローバルネット上で一緒に楽しめるような友達も交流もないのだ。
その程度のこと、今の苦悶の生活から抜け出せることから考えれば、とても秤にかけられないような重みだ。
『大丈夫です! でも、間があるというのは?』
『それはあんた次第っちゅー部分と、同じくこっちの事情や」
何かしら能力や都合といった兼ね合いによって期間がまちまちになってしまうことは、VRMMOアプリなどでも日常茶飯事的なものだ。
『分かりました』
『よっしゃ、じゃー二つめ、今日は眠る時はニューロリンカーを外さないことや!』
『二つ目は随分あっさりですね』
思いに留めておくつもりの思考発声がつい漏れてしまう。
『そうや、単純なことやろ? まあ、そんな単純なことすらできんヤツもたんまり世の中にはおるけど』
『では、さっそくこのアプリの物理的使い方を紹介するで~』
えっへん。っと声に出しながら自信ありげに胸を突き出した。
『なんか、きな臭いぃ~思ってなさそ~なんが、逆に怖いけど、まあ証明したるわ――……ウチらの《加速能力》をな』
その声の後、思考発声に慣れきっていた耳元に向かって、第三者肉声が飛び込んで来た。
「お待たせいたしましたー。トールサイズのアイスティーとベンティサイズのキャラメルエスプレッソラテのお客様でよろしかったですか?」