あなたを見捨てるための物語   作:茶蕎麦

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第一話 あんころよもぎ餅

 

 僕は、悪だったと思う。これまで間違っていたことだけは、信じている。

 だが、先日偶然によってそんな悪い自分との接続がズレた。どうしても以前と今の僕が一致しない。悪かっただけの、以前と違ってしまったのだ。

 もう、悪には戻れない。故に、これから正しくならなければいけないものと今は理解している。

 

「考えようによっては、良い契機なんだ」

 

 そう思い、僕は笑んだ。それはきっとぎこちないものであったと思う。だが、それだって最早悪くはないものなのだ。

 今日は吉日。良く晴れた空には不格好でも精一杯の笑顔が似合うものだろう。

 周囲の評価からは比較的作りの良いとされていた、しかし今は他人のような顔を、ガラスを鏡にして見つめながら、僕は更にひとりごちた。

 

「田舎への転校、っていうのも良いじゃないか」

 

 空の下が、グレーから緑ばかりになっていることに気づいたのはどれくらい前のことか。

 これまで電車の窓辺から臨んでいたのは都会から田舎への光景の変遷。

 海辺の便利から山辺の不便へと乗り継ぐこと三回。どんどんと短くなっていく電車は今や二両。そんな狭い最中に、しかし人気はほとんどなかった。

 

「もう、少しかな」

 

 それこそ、僕がこうして呟いても誰も拾ってくれないくらいの空隙がある。

 見渡しても、車両には端に遠慮がちに座っている女子と、反対側にて禿頭を眠気に揺らしているお爺さんが一人だけ。

 今は何時だろうと新調した携帯電話を覗くと、15時と26分と表示されていた。履歴一つ知らせないそれの光沢をしばらく眺めて満足してから僕は大きく伸びをする。

 

「ふぁ……かれこれ2時間か……」

 

 都内から、県をまたいでしばらく。見覚えのない地名も見飽きた。そろそろ、緑はダイナミックさを増し、水の流れも白く険しくなっている。

 駅に着いた際の扉の開閉の合間にまた誰も入ってこなかったのを見て、僕はどうしてこんな山々の合間にまで路線を伸ばしたのか不思議に思うのだった。

 勿論、ここらの土地が昔炭鉱掘り等で賑わっていたというのは、知識としては知っている。

 この度身を寄せる予定の家主である父方の爺さんからは、当時の賑わいを語られた覚えだってあった。

 

「でも、僕が通う予定の高校だって、数年で廃校になる予定って話だし……こういうの、諸行無常っていうのかなあ」

 

 僕が卒業するまでは保つらしいけれども、最大で千人は通っていたという広い学舎が今や百人に足らない程度しか通っていないというのだから驚きだ。

 そして、そんな限界学校もそのうちに失くなり、消えていく。その最期を看取ることさえなかったのは、幸か不幸かどちらだろうか。

 

「……終わりよければ、っていう言葉もあるね。嘆くばかりの最期ではないか」

 

 まあ、断絶も決して無駄ではないのは、僕が体験として知っている。変わらざるを得ないなら、せめて良い方へ。

 そして笑って終わることが出来れば、善し。それだけは、僕も思うのだった。

 

 しばらく自然を望んで、僕は少し思考を休ませる。

 多少の揺れはリズムとなって心を和ませ、眠気をすら誘ってきた。

 それを耐える理由もない。でも、僕はあえて目を凝らして晴れきった空を見上げていた。

 

 青は、嫌いだった。だから、変わった今はとても好きである。正しく、僕は稀でない空を愛したいから。

 新天地にて、今度こそ過ちたくはないとは思いつつ、ただぼうと空を見上げていると、そのうちに電車が停まった。

 

 それは、僕が降りる予定の川園という駅の一つ前。今回も誰も乗らないのだろうなと考えていたところ、ドアが閉まるギリギリにびゅんと走ってきた影があった。

 あわや、その一つ尾っぽが扉に挟まる寸前にて全身を車両に入れられた彼女は、荒れる息を正すのにしばらく必死になってから、急に顔を上げてこう言う。

 

「スーパー、ギリギリセーフっ! ふぅ……この最中(もなか)ちゃんの速さには時ですら追いつけないってもんだぜぃ……って、ん?」

 

 やがて、戯けていた彼女は稚さすら覚えるほどの大ぶりの瞳二つを持って僕を見つけた。

 綺羅綺羅も宵闇もよく映してくれそうなそのまん丸に映った笑みはやはりぎこちないまま、挨拶をする。

 

「どうも」

「どもども。最中ちゃん、しゅーたいを見せちゃってごめんねだけど……えと、君見ない顔だねー? 若そうだけどぼっちで観光にでもきたの?」

「うんと……まあ、そんなところかな」

 

 何故か初対面というのにぐいぐい来るパーカー女子に対して、僕は曖昧に答えた。

 彼女にとっては、見知らぬ他人も近しいものなのかもしれないが、僕にとっては見知らぬ他人は心通わすには遠すぎる。

 だから、嘘のような返事を返したというのに、大粒瞳で更に光をさらったおそらくモナカという美味しそうな名をしている彼女は汗だくのまま僕へと一歩寄った。

 興味を爛々と光らせ、最中ちゃんは話を続ける。

 

「へえー! 最中ちゃんは川園の方を根城にしてるのだけどさ。炭鉱跡とかちょっとしたもんだよー! もう、ダンジョンみたいでさ!」

「そうなんだ。僕は川園で降りるつもりだけれど……うん。面白そうだから、機会があったら行ってみようかな」

「おー、異世界的なダンジョンがあなたを待ってますぜー! 折角ですから、この女賢者さんを仲間に入れる気はありませんかな?」

「ごめんね。僕ソロ専なんだ」

「勇者さんは経験値独り占めがお望みだったかー……まあ、あそこも奥まで行かなきゃ安全だし、けっこー坑道でっかいし!」

「そっか、ありがとう」

「どいたしましてー」

 

 冗談のような会話の終わりに彼女がしたのは八重歯を見せつけるかのような、上等な笑顔。

 合わせた僕の笑みすら自然と磨かれそうな、そんな綺麗を見せつけてきた最中ちゃんは、そのまま短いスカートひらり。

 移動することもぶらりぶらりと揺れるつり革を掴むこともなく近寄って、僕の隣にお尻をどすんと乗せるのだった。

 

「よっこいせ」

 

 父の口癖と同じような文句を僕に聞かせた最中ちゃんは、汗臭さの合間に甘いものを漂わせつつ、そっと僕を横から流し見てくる。

 喜色だらけのこの子が、実は隠しているものがあると薄々察した僕は、彼女に問ったのだった。

 

「どうして、隣に?」

「ふふー。実は最中ちゃんは君の隠した目的とか全体まるっとお見通しだったりするんだなー」

「いや、特に隠している訳じゃないけれど……」

「ならどして観光ってことにしちゃったのかなー? 転校生の、海山宗二(うみやまそうじ)くん?」

 

 ぶらぶらとシングルテールを揺らして、彼女は過つこともなく僕のフルネームを諳んじる。

 にんまりとしたチェシャ猫の笑みに、僕は両手を上げて、最中という少女の役者ぶりを称えるのだった。

 

「……君、知ってたんだ」

「そー。とーきょーから転校生が来るってのは川園高校2年1組の辺りでは有名ですぜ? タイミングドンピシャだし、間違いないだろうなって。なー、鹿子(かこ)?」

「……そう、だけど……わ、わたしに話を振らないでよ、もなかちゃん……」

 

 端っこから、蚊の鳴くような声が、静止のために響く。

 ベースから大きめなのだろう最中ちゃんのものとそれは大違い。大差で負けているその声の主を改めて見つめると、その長い髪で隠すように鹿子ちゃんとやらは慌てている。

 実のところずっとちらちら彼女がこちらを見つめていたことは知っていたが、それがまさか僕のことを将来の同級生と理解して見ていたとは思わなかった。

 今更ながら田舎の流動性のなさを舐めていたことに気づいてしてやられた気になった僕を前にばっと手を広げて――その際左手を窓にぶつけてアウチと叫んでから――最中ちゃんは言う。

 

「ということで、この堂々たる私こそが山田最中! あっちでもじもじしているのは鶴見鹿子! 宗二くんのクラスメートになる女子さん達さ!」

「そっか。僕は君らの知っている通り、海山宗二。よろしく、山田さん、鶴見さん」

「んー? 気安さがそーじくんには足りてないですなぁ。最中ちゃんのことは、最中さんでも、あんころよもぎ餅さんとでも好きに呼んで構わないのですぜー?」

「分かったよ。あんころよもぎ餅さん」

「おう、そっちを採っちゃったかー! 都会のイケメンさんはノリがよろしくてしょーがねーや!」

 

 僕の隣であははと腹を抱えて笑うあんころよもぎ餅さんこと山田さん。足をバタバタして、スカートが揺れちらちらと白いものが見えている気がするが、まあそれはどうでもいい。

 ただ、僕は彼女に気安くバンバンと叩かれる肩の痛みこそが耐え難かった。愛らしい見た目と違い凄まじい膂力である。

 もはや暴力に近い程のボディタッチに空恐ろしいものを感じながら、僕は彼女の喜色を抑えるためにも話を逸らす。エネルギーの塊のような少女に向けて、僕は疑問を呈した。

 

「……それで、山田さん。一つ聞いていいかな?」

「おー、また他人行儀に戻っちゃった? まあ、好感度は後々高めていくとして……なんですかい?」

「あのさ」

「んー?」

 

 そのために傾いだ山田さんの首は、ぶらんとポニーテールを揺らす。心なしか、鶴見さんも身を乗り出して聞いているようで。

 ガタンゴトンのバックグラウンドミュージックの中、間近の少女のてっぺん近くにあるシュシュの紅さを気にしながら、僕は続けた。

 

「君は空が綺麗に見える?」

「んー? 哲学的な問いですかな? まー、最中ちゃん的にはお空の青は、さみしー感じでもありながら、悪くはないとも思える感じで……うむむ」

「そっか。鶴見さんも、空は青くて綺麗に見えるかな?」

「え……う、うん。そうだけど?」

 

 僕の唐突な問いには、頷きばかりが返ってくる。そう、彼女らにとっても、いや他の誰にとっても空は青く澄み渡って遠くて永い綺麗なものだ。

 幸せな未来をそこに投影だって出来るくらいにそれは素晴らしいものである。

 

「うん。それなら、良いんだ」

 

 なら、僕だけが見ているひび割れた空の、終わりの赤こそ嘘であれ。

 

「へんなのー」

「そうだね」

 

 彼女らの笑顔を他所に僕は、改めて正しくそう結論づけるのだった。

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