中学3年生になって数ヶ月……暑さに倦怠感を嫌でも感じる季節を迎え、部活に励んでいた学生も殆どが引退した。どのクラスでもより一層学業一色に染まり、浮ついた話題も鳴りを潜めたようにもなった。
そのおかげで被害を受けていた俺たちも前よりかは周りの視線からは外れるようになり、落ち着いてトレーニングに勤しむことが出来る環境が整った──────────
──────────と言ってもこっちも日常の主体は切り替わっている。
「3年なって宿題こんな増えるとはな……。仕方ないとはいえこれじゃあルームにすら入れない日の方が多くなりそうだな」
「ホントね。絮吏儕の運命ってとこかしら……、数学のここ教えてくれない?」
「大問2のとこか?これはABDを三角形としてまず考えてから、辺ABに垂直になるように点Dから垂線を引いて………」
今日もまた俺の家に来て受験勉強だ。
ここ最近は授業が終わればそのまま一緒に家に来て、瑞銀の親が心配しない時間まで勉強を教え合うのが週の大半を占めている。何だかんだ女子を自室に呼ぶのは気が引ける部分もあったが……もう流石に慣れた。
『個性』に関してはこちら側が教える立場と言うことになっているが勉強においては別に大差はない。俺も文系と呼ばれる範囲はそこまで得意ではないし、瑞銀は数学周りが苦手だそうだ。
“個性練”だけでは雄英に行けないのだから学業でも互いに高められるなら願ったりかなったりだ。
「…途中ですまん、夏休み予定空いてたら学校に申請出してIEルーム使わないか?無理そうだったら大丈夫だけど」
「断るわけないでしょ?大事な予定なんだから私にとっては最優先事項なの。それに…天蟲くんの家族みたいに家庭の予定で埋まるほど大の仲良し家族ってわけじゃあないの。」
「仲良し家族、か………、そんなにか?」
「“そんなに”でしょ。証人なら多分そろそろ……「お兄ちゃん璃亞さん!入っていいー?てゆーか今手が空いてないから開けてー!」…ほらね?開けるわよー」
扉の向こうから聞き慣れた声と話し文句が聞こえてくる。
瑞銀がそれに答えて掌から生み出した金属製の“手”が扉を開けると、菟希がここ最近自分で淹れるようになったコーヒーをトレイに乗せて入ってきた。この勉強会が始まって以来から毎回の如く突撃しているが、初対面の時から変わらず明朗快活に関われるところは妹の社交性が為す長所だろう。
「今日のは上手く淹れられたと思うんだよね!どうぞどうぞ飲んでみてね!」
「あら、じゃあ早速…………ん、確かにいつもより美味しいわ」
「ホント!?良かった~、お兄ちゃんは?」
「ああ…もう俺のよりかは上手くなってるんじゃないか?……ふっ、最初の頃とは段違いだな。初めて飲んだ時瑞銀なんてどうフォローしよ「やめてよその話ぃ!?恥ずかしいんだから~………」
「…ふふっ、私の言った通りじゃない」
口に感じる味わいが違う深みを感じてつい最初のコーヒーを思い出してしまった。
暇があれば母さんや家政婦さんに料理を教わっている菟希だが、本人自身がそこまで好んで飲むことが無かったコーヒーにも挑戦するようになった。出来上がったモノを俺が、3年生になってからは瑞銀も試すのが恒例になってきたが、全部が完璧のようには当たり前にはいかないわけで───────────
『頂きます───────っ!……ん、んー…とっても苦…いや渋くて深い味ね』
『変にフォローしなくていいって。菟希、めっちゃ苦いぞこれ』
『うぇ!?教わった通りに………にっが~!?』
…菟希にとっては文字通り苦い思い出もある。
でも回数重ねるごとに成長しているのだからそこは努力の賜物だろう。
俺も稀にコーヒーを淹れるがこれぐらい洗練されたモノではない。少なくとも見知らぬ人に俺と菟希の二つを飲み比べさせたら前者の方を褒めると思う。
「こんな良い妹だったら私が欲しいぐらいよ、ねえ?菟希ちゃん」
「え!?私だってこんな優しくて綺麗な人がお姉ちゃんだったらなぁ~……って思ってるもん!」
「何でそこで張り合うんだよ。…もう姉妹みたいに仲良いんだから十分だろ」
「1歳早かったら同じ中学校通えてたのになー………うーん、でも絮吏儕受けなきゃいけないのか…」
「菟希ちゃんは絮吏儕受けないの?」
「興味が無いって訳じゃないんだけど勉強苦手なんだよ~…よくこんな難しいの解けるねー」
恨み節を呟きながらテーブルの上に開かれている教材の1ページを見つめている。高校受験に備えることを目的としたこの課題、内容も偏差値70を超えた進学校らしく意地悪に高い。小6の菟希が見ても内容把握の気力も起きないだろう。
…これに偏差値余裕で75オーバーの雄英対策も含めるのだから、物好きでもない限り興味すら湧かさせない質量だ。
「今日はいつまでやるの?…あ!もし泊っていくなら客室じゃなくて私の部屋で一緒に寝てほしいな!!」
「ふふっ楽しそうね……でも残念。今日はそろそろ帰らないといけないの」
「えー…お泊り会したかったのに」
「じゃお開きってことで。片づけるか………菟希は母さんに瑞銀送ってくるって伝えてきてくれないか?」
「分かった、今日は私も一緒に行ってもいい?」
「夜は物騒なんだから駄目だ。すぐ帰ってくるから我慢してろって」
「いっつもそうじゃん!ズルいよ~」
これも何度繰り返したかと分からない問答をしながら部屋を出ていった。
いくらヒーロー飽和社会と言えど日が落ちれば危険なのは変わらない。特に世間的に言えば高級住宅街に当たるこの辺りでは、誘拐目的や謂れの無い恨みによって襲撃されたことでニュースに挙がるのも珍しくはない。
…それに過去のトラウマだってある。菟希に申し訳ない部分もあるが今更危ない橋を渡る必要もないだろう。
「準備できたから帰りましょうか。……菟希ちゃんには悪いけど今日は二人の方が都合が良いかもね」
「ん?何か用があるのか?」
「それは歩きながら話すわ。多分…早く済むとは思うの」
普段であれば帰り道の途中まで送っていくだけだが今日は違うらしい。
買い物でもするなら俺は必要ないだろうし、『個性』についてだとしてもこの家の庭で見せればいいし……………
…理由を勘繰りながら扉を開けた。
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「え、瑞銀の家に今から行くのか?」
「そう。お母さんからの直々の指名よ」
帰路の道すがら聞こえてきたのは今までなかった誘いであった。
そもそも、瑞銀の口から家族の話題が出ること自体殆ど無かった。家族との距離感なんて人それぞれなのだからそこに違和感を感じるも変だが、会ってから半年以上経つのに家族についての話になるのはいつも俺だけではあった。
「今まで『友達と勉強してる』って誤魔化したりしてたけど先週志望校とかの話になった時にカミングアウトしたの、“友達の男子に『個性』と勉強を教わってる”って」
「…何となく話が見えてきたな。わざわざ誤魔化す必要もなかったんじゃないか?別に事実通りではあるだろ」
「仰る通りね、でも友達とお出かけなんてガラじゃない娘が急に異性の同級生と仲良くなってるなんて知ったら面倒ごとになると思わない?」
「否定はせんけど……でもバラしたんだろ?」
「私がヒーロー志望ってことはお母さんも薄々気付いてたけど、雄英の名前を出したら流石にその心境の変化の理由を教えろってなってね。包み隠さず話したら今日少し話させてと頼まれたの」
話を聞いていつもの別れ道を過ぎても二人でいる理由が分かった。
悪いことしたわけじゃないが呼び出しを食らうとはな。疚しい事なんて一切ないとはいえ子供の進路に大きく影響を与えた点でいえば、一度対面しなければならないのは予測出来ていた。
これから会うのは問題無いが今の内に話しておきたい情報もある………今まで敢えて触れないでおいた事も。
「…急な話でゴメンね。でもお母さんが空いてるのがこの時間ぐらいで、言うタイミングもずっと逃してしまったの」
「いや俺にも責任がある話だ。ここでちゃんと話した方が瑞銀の母親にも真剣さが伝わる筈」
「まるで結婚の許しをもらいに行く婚約者みたいになってるけどそこまで気負わなくていいわよ」
「変に例えなくていいって!学校みたく要らぬ勘違いを生むかもしれないんだから……目的は親に俺が害の無い存在だと示すってことだろ?」
「そうよ。………一応言っておくけど家に居るのはお母さんだけだから」
暈かしながらワードを挙げてみたが、彼女も気付いたのか注釈を入れる感じでこれから行く家の内情を小さく口から零した。
本来なら驚くか気が引けてしまうような話、それこそ菟希が居れば更に重苦しい雰囲気になる可能性もあったが…事前に知っていた以上そこまで心は揺らがなかった。
半年前ぐらいにネットサーフィンがてら“瑞銀美麗”について調べたことがある。ヒーロー以外のメディア関係に疎い自分がその有名女優に詳しい訳もなく、世間で認知されているようなモノも勿論、ゴシップに近い話も初めてその時知った。
『大人気女優瑞銀美麗離婚!原因は多忙によるすれ違い』………
…嫌な見出しだが記憶に残るのは確かだ。元夫は同業者である俳優、この記事が事実なら瑞銀美麗側の仕事量との格差にすれ違いが生まれた、との事だった。
知った当初は事実確認をしてみたい気持ちもあった。
しかし、その時点で僅かに感じていた空気感が俺のデリカシーのない思考を押し留めてくれた。
…邪魔な思考を置いておいて、本人も知られるの覚悟で言ったのだからこっちが気まずい感じを出すのははた迷惑なだけだ。
「何か手土産でも持っておけば良かったな、何処かで買ってこようかな?」
「要らないわよ。玄関で会うだけなんだから…さっさと用事を済ませましょ──────────────ほら、着いたわよ」
「ここか」
話している内に目の前に見えてきたのは2階建ての一軒家。煉瓦造りと洋館染みた外観が特徴的な戸建てで、ここに親子二人で住んでいる思うと逆に住みづらいようにも思える広さだ。
俺の家も同じくらいの大きさだが、家政婦さんを含めた家で過ごす人数の多さと襲撃対策の安全性を考慮した部分が多い。
如何にも芸能人の家だと分かるのに実情を知ってしまうと何処か侘しさも感じさせてしまうのは俺が穿った考えのせいだろうか。
瑞銀の方を見てみるとインターホンの前に立って呼び鈴を鳴らしていた。間髪入れずに話が進んでいくのに気付いて急いで身構える。
「…いきなりだな。心の準備ぐらいさせてくれよ」
「蒸し暑いのにここで立ってるだけなのは嫌でしょ。……そろそろ来る筈よ」
『ガチャ』
「おかえり璃亞。そして───────────初めまして、天蟲飛威炉くん」
「初めまして…瑞銀のお母さん、夜分遅くにすみません」
出てきたのは当然、瑞銀美麗。
映像越しで知っていたが芸能生活20年近いのに変わらず美しいスタイル、瑞銀が誰に似たのか分かる髪色や涼しげな目元………、既視感だって覚えてしまう。
何を話すかは予測がついている以上、尋ねられた質問に誠実に答える覚悟ぐらいは出来ている。
「美麗でいいわよ。…この子の事は“璃亞”と呼んでないのね」
「家族以外では名前呼びはいないですね。あと多分ですが…美麗さんが思っているような仲では全くありませんよ」
「あら、そうなのね?璃亞の口からも同じように言ってたけど一匹狼のこの子に出来た友達にしては…“大物”だからね」
「友達なのは本当だって。……夜遅いんだから本題に入ってあげて」
俺の印象で話が盛り上がっているところを瑞銀が話を戻した。
彼女の言う通りだからその意向に乗るけれど……何処となくぎこちない表情で親と話しているのが気になってしまう。
…まあ直感的でしかないが、“仲が良い”とは一目見て思える程の空気感ではない。
「分かったわ。───────────
………璃亞が雄英高校、それもヒーロー科に行くのを決めたのはあなたが原因なのは確かよね?」
「…多分そうでしょうけど、決心したのは瑞銀ですし俺は入学できるように一緒に特訓しているだけの同級生です。別に俺はキッカケでしかありませんよ」
素直に肯定していればいいものの俺のプライドが許さなかった。
俺に特訓をつけてもらう際に彼女自身が目標を高くすると言ってはいたが、あのまま一人で『個性練』してたとしても努力次第で挑戦できていたポテンシャルがあるのは確かだ。
今ほど伸びるかは置いておいて、“俺が居たから雄英を目指した”なんて言うのは瑞銀に失礼だ。
「ふーん……まあ良いわ。じゃあもう一つ聞かせて?──────────
………璃亞は“ヒーロー”になれるの?」
「!……絶対になれます。いずれNo.1ヒーローになる俺が保証しますよ」
「へえ…言うじゃない。」
こういう状況で親が言うのは『危険だから止めなさい!』だと思っていたがそうではなかった。
瑞銀の為を想うならここで弱気な回答は不安を煽るだけだ。
“No.1ヒーローになる”──────────序列がどうとか気にしないようにしている自分自身の口から言うのは乗り気はしなかったが、信頼を得られるのなら拘りなんて捨ててやる。
俺の虚勢を聞いてどう反応するか窺ってみるが…悪い方向には捉えられてなさそうだ。
「だったら………………私から言える事は無いわ。これからも璃亞と仲良くしてあげてね、飛威炉くん。
それと璃亞も飛威炉くんの家に迷惑かけないようにしなさいよ?」
「…分かってるわ」
「じゃあこの話は終わりね。飛威炉くん、今日はごめんなさいね?今日みたいに遅くに呼ぶってことは無いようにするわ」
「この時間帯であれば問題無いですよ。…ではここで失礼させていただきます、またな瑞銀」
「うん、またね。──────────────今日はありがと」
別れ際の感謝を耳に残しながら玄関前を後にした。
揉めるのも覚悟の上で臨んだが、こんなにあっさり話が決着するとは思わなくて肩透かしを食らった心情だ。
これで親の反対を無いモノとしてこれからの約半年を集中できるなら有意義な話し合いになっただろう。
…だと言うのに、問題ごとを解消したとは思えない瑞銀のあの表情が、家に帰っても尚腑に落ちなかった。