埒外の獣が異世界より追い出されたようですよ? 作:恐っろしい畜生
目が覚める。身を起こす。膝を抱える。飢えに耐える。気を失う。
少年の一日のルーティンだった。
苦しい。ただその一言で埋め尽くされる一日は、しかし彼にはどうしようもない事でもある。
誰が悪いのか、と問われればその根底にあるのは人の業というものだろう。
立ち位置としては、彼は被害者である。しかしその一方で加害者でもあった。
飢餓は、本能に繋がっている。
「はっ…………はっ…………!ぐぅぅぅ……」
唇を噛んで体を丸めて横になる。体を両手で抱きしめる様に締め上げて、自分の内側に宿った“獣性”を無理矢理にでも押さえ込む。
そうしなければ、
死にたい。そう思う。だが、同時に死が近づけば近づくほどに、少年の内側からその皮膚を突き破りかねない程の勢いをもって怪物が吠えるのだ。
いっその事、殺してもらえたら。そう考えた事も一度や二度ではない。
だが、今少年が居るのは人里離れた廃墟の一角だ。
敢えて、ここに居た。人の中で暮らす事など、出来なかったから。
かといって、高所からの飛び降り自殺などは出来ない。というか、一度試して失敗していた。
詳細は省くが、少年が身を投げた教会は瓦礫の山へと変わった、とだけ。
(血が……血が、欲し……ッ!違う!違う、ボクは……!)
見開かれた瞳が蕩け、瞳孔が縦に裂ける。
震える両腕、一回り大きくなって血管が浮かぶ。同時に、紫電が走り始めた。
呼吸が荒れて、影が不自然に騒めく。
そして、
「――――Oooooooooooo!!!!!」
恐ろしい獣が、月下に咆える。
青みがかった様な紺色の様な、夜空の様な豊かな体毛に覆われた発達した上半身に、獣と人の中間の様な顔。そして、その体毛に纏うは激しい雷光は、一般的な生物のソレを大きく逸脱している。
体長は三メートル程だろうか。常に飢餓感を覚えるほどのやせっぽっちな少年からは想像もできない程のマッシブな体格だ。
獣は、生存本能に従って動く。
飢えを、空腹を、飢餓感を、とにかく自身の命を苛む対象に対して解消を最優先に、血を、肉を求めて荒れ狂う。
もう一つ補足をすると、獣は獲物を選ばない。
自身の糧になるのなら自分よりもはるかに大きな相手だろうと喰らい尽くす。
ソレが例え、血に乾いた獣だろうと。多腕多眼の上位者だろうと。雷光を纏う黒い獣だろうと。蒼い使者であろうとも。街を行く民衆だろうと。実体を持たない筈の影だろうと。同族であろうとも。
等しく、等しく、獣は喰らい、血を嘗め、己の糧とする。
そして獣は気付かない。既にある一定の境界線を大きく逸脱している、という事に。
そもそも、獣に理性は存在しない。血を、肉を求めて徘徊し、獲物と見れば誰彼構わず襲い掛かるのだから。
しかし、この恐ろしい獣は違う。
「Haaaaa……Haaaaa…………ぅぅ…………」
獲物を食らって飢えと渇きが満たされた獣に、理性の声が戻ってくる。
大きな左手が頭を抱え、その瞳に宿るのは理性の色。
荒く息を吐きながら、血腥い周囲を見渡して、そして頭を振るう。
肉と血、だけではない。骨も皮も体毛も。口に含めるものは、毒だろうが何だろうが全て喰らってしまう獣だが、それでも食べ残し、というのは少なからずある。
飛び散った血痕や、食い荒らした肉片、舞った骨粉などがその一例。
獣の姿のまま、彼は一つ息を吐き出す。
コレだから、自分は嫌なんだ、と自己嫌悪に苛まれながらとりあえず、自身の住処へと帰る。
そう決めて踵を返して、
「ッ!?」
本能が、その巨体をその場から勢いよく跳ねさせる。
その直後に彼がのがれた地点を何かが勢いよく通過していった。
振り返れば、そこに居たのは獣にとっての大敵。
(狩人……)
返り血によって赤黒く汚れた狩装束に、その手に握る未だに僅かな血の滴るノコギリ鉈と硝煙の上がる短銃を握った一人の男。
狩人の仕事は、獣を狩る事にある。
人里離れた場所で暮らす彼だが、時折こうして狩人はやってくる。
最初は期待していた。自分を殺してくれるかもしれない、と。
だが、侮るなかれ炸裂する生存本能は多くの獣を狩った狩人すらも、逆に狩ってしまう程だった。
唐突に始まった
彼の戦闘スタイルは、基本的に専守防衛だ。自分から仕掛ける事はしない。
では、どうやって外敵を追い返すのか。
一つは、相手が諦めるまで耐える事。幸いと言うべきか、彼の体は並大抵の事では傷一つ負う事はない。数多の命を貪ってきたからか、既に人でも獣でもない様な領域へと放り込まれているからだ。
どうやっても仕留めきれずに疲弊するばかりならば、相手は諦める。余程でない限り。
もう一つは、命の危機に反応する本能の反撃だ。こちらは、ほぼ確実に相手を殺す。加減が利かない暴力は、文字通り一撃必殺だった。
(この人は……)
水銀弾を体毛で弾き、振るわれるノコギリ鉈をいなしながら彼は内心で既視感に首を傾げた。
基本的に狩人であろうとも、早々にはやってこない場所だが、しかし時たま居るのだ。迷い込む、或いは噂を聞き及んで討伐に来る愚か者が。
過去に一度だけ、その狩人はここへとやって来たことがあった。
その頃は、駆け出しから少し経ったぐらいで狩人としてのノウハウや、血腥いこの世界の生き残り方を学んでいた頃の話。
一方的に、叩き潰された。当時の装備は全く通じず、一切洗練されていなかった動きでは到底追いつく事も出来ない。
同時に、
いつか、あの強靭な獣を狩ってみたい。そう考えた。
宛ら、初めて恋をした生娘の様に、寝ても覚めても、会話をしても、それこそ狩りの場であっても頭の片隅に、夜の様な深い色合いに雷光を纏った毛並みが過る。
記憶の獣と比べれば、何れの獲物も魅力に一歩劣る。
いや、同族と思しき獣を狩った事もあった。だが、違う、違うのだ。
記憶の中の
果たして、再開した獣は記憶の通り、いや
人間の記憶というのは、美化されるものだ。或いは神聖視。観測者が自分しかいないのだから、自分に都合の良いように再認される事で、記憶は元の状態から変容していくことになる。
だが、狩人の相対した
あの時以上に豊かで、そして色の深みが増した毛並み。まるで周囲を昼間の様に照らす、雷光。記憶よりも二回りは大きくなった体格。記憶以上のパワー、スピード。
大量の
理外の何か。獣としての体裁は保っていても、
故に、
「Ga……!?」
気付けば、
暗い光波を宿した剣身は、今の今まで如何なる攻撃も阻んでいた毛並みと毛皮、肉と骨を容易く貫き、どす黒い血を啜っている。
グラリ、と巨体が揺れて仰向けに倒れる。
口の端から血が零れ、視界が揺らぐ。
「…………Ha……」
息が零れ、巨体は徐々に小さくなり、やがてそこに現れるのは仰向けに倒れ、その胴に月光の聖剣を突き立てられた少年の姿だった。
(やっと…………)
餞別。狩人が武器を手放すなど愚の骨頂ではあるが、この聖剣はこの獣を狩るために強化していた節がある。であるのなら、くれてやっても良いだろう。
狩人の一礼と共に、少年の体は塵となって消えていく。
この日、一匹の獣が夜の世界から
*
「…………ん?」
しかして魂は巡り、輪廻より外れようとも、捨てる神あれば拾う神あり。
「…………なんで?」
森の中で、少年の疑問の声が流れる。