カーリア騎士、オラリオに召喚される。 作:ラニ様大好き丸
──走る、走る、走る。
背後から迫り来るこれまで経験したことがない濃密な空気──殺気。荒い鼻息に腹の底に響いてくる重低音の恐ろしい獣声。
足を止めれば……止めてしまえば殺される。なりふり構っては居られなかった。
──必死に成長期真っ只中な細い腕を振り、細い脚を動かし迫り来る脅威から逃走をしている処女雪のような白髪の少年。
彼の名はベル・クラネル。まだダンジョンに潜り出して半月しか経ってない駆け出しの冒険者であり【ヘスティア・ファミリア】に所属しているたった一人の
ベルは幼い頃から童話を読み漁るのが好きだった。中でも冒険譚、英雄譚など彼が愛読していた数ある逸話でも特に共通していた点がある。それは、「冒険には必ず危険が伴う」こと。
そう。彼は幼い頃から知っていた筈だった。冒険をする冒険者となったからには危険が常に付き纏う。
──たとえダンジョンの上層であろうと油断してはならない。
ギルドでいつもサポートしてくれるハーフエルフの受付嬢に口酸っぱく言われていることで、ベルもベルでそこにはある程度意識して安全にダンジョンに潜っているつもりだった。
しかし、
そう、たとえ上層であろうと「中層からミノタウロスが上がってきて、非力で経験のない初級冒険者たちの命を脅かす」可能性が無いわけではないのだ。
彼は知っていたはずだった。ダンジョンはいつか
だが、それでも彼は理解できなかった。まさか中層でも猛威を振るうミノタウロスにばったりと遭遇するなんて思いもしなかったのだ。
「……っ!」
余りの恐怖で声が出なかった。目元には自然と涙が浮かび、鼻水も出てくる。鼓動は今までにないほど早くなり、相対することさえも出来ず、ただ逃げることしかできない自分の非力さを嘲笑うかのようにミノタウロスは雄叫びを上げながらどんどんと距離を縮めてきた。
ベル・クラネルは運がなかったのだ。
もしも、今日はダンジョンに潜らずに気ままに街中を歩いていたら、今頃ダンジョンでミノタウロスに追われずに『
もしも、今朝体調を崩していたら、今頃ダンジョンでミノタウロスに追われずにあの廃協会で敬愛する主神に優しく看病されていただろう。
命の危機に瀕しているのに、そんなもしものことが頭に過る。そして次に思い浮かぶのはどこかに行ってしまった父がオラリオには美女たちがいてハーレムを作れるバカみたいな夢があると笑って話してくれた……英雄譚を読み聞かせてくれた日々だった。
そこまで思い出しながら、彼が走る先に見えたのは袋小路。ついに命運は尽きてしまったと察するが、もはや突き当たりまで行くしか彼の選択肢は残されていなかった。少しでも生きるために……少しでも多く、日々を彩ってきた記憶を思い出せるように。
「──ブッオオォオオ……」
「っ……ひッ……」
圧倒的な体躯。圧倒的な力。圧倒的な存在感。自分の全てを圧倒するミノタウロスを前に、最後まで、情けなく掠れた声を発して死を待つことしかできない自分の非力さに絶望するしかなかった。
『
だから別段、ベル・クラネルがここでミノタウロスに殺されたとしても多くの人がその事実を認識することさえない。冒険者がダンジョンで行方不明になったり、死んだりすることも『迷宮都市』ではよくあることだ。彼の死を嘆くのは所属しているファミリアの主神や担当アドバイザーをしてくれているハーフエルフ受付嬢くらいだ。
彼は運が悪かった。結局は何かの拍子に上層にミノタウロスが上がってきてしまい遭遇してしまったから、それに尽きる話だった。
「ブゥオオォオォ!!」
逃げていた白兎を袋小路に追い詰めた猛獣。発達した太い剛腕を振り上げたミノタウロス。振り下ろす先には年端も行かない駆け出しの冒険者。恐らく数秒後には人体が潰される生々しい音と同時に壁には多量な血糊が飛び散り、ベル・クラネルは誰にも知られることなく死ぬことになる。
英雄に憧れて、『迷宮都市』に夢を思い描いて冒険者となった。しかし、彼が紡いできた物語の最後は余りにも呆気なく終わる。
あの有名な英雄譚である『アルゴノゥト』も今の自分と同じように自分の力に見合わないほどの大敵をなし崩し的になんとか倒し、囚われた姫を救い、国を救った後に呆気なく他の魔物に殺されるという最後を遂げている。語り継がれている通りに……
「……っ!!」
僕はまだ、何も果たしてもない……それなのにこんなにも、呆気なく殺されるのかよ!!
半ば恐怖で諦めかけていた気持ちが今頃強い反逆心によって上向いたとしても、剛腕が振り下ろされる事実には変わりなかった。時間は止まってくれない。
「──ブゥオォ!?」
しかし、彼の命運は尽きてはいなかった。
突然、目の前のミノタウロスが悲痛な雄叫びを上げた。殺される筈だったベルは、目の前の猛獣が動きを止めたのを見て困惑していたが次の瞬間に理解することになる。
彼と同じように何が起こったのか分からない様子で即座にミノタウロスはベルの方から身体を逸らし、背後に振り向く。するとその体毛に包まれた大きな背中には剣が突き刺さっていた。
青を基調とした宝石で造り上げられた柄から伸びるのは鍛え上げれた白銀の刃。それはそれは美しい剣であった。
ベルはこの状況だというのに、一瞬その美しい剣に見惚れていた。そして、ミノタウロスが振り向いた方向を見れば、また思わず見とれてしまう。
そこにいたのは騎士だった。紛うことなき騎士であった。英雄譚に出てくるような、囚われた姫を救う騎士そのものであった。
機能性と金や宝石といった装飾といった見栄えを兼ね備えた銀色のフルフェイスのヘルム。魔法騎士然と金と暗い青を基調とするローブのようなマントを背中に垂らした白銀の甲冑。
左腕には造詣深い渦状の装飾が彫られた中盾を装備している。
背後からだから見えないが、ミノタウロスに対して決して動じず仁王立ちで相対している名も知らない騎士に、ベルは助けてくれた礼も忘れて、ただただ見とれていた。恋ではない。ただ英雄を目にした時の、一種の憧れと尊敬の念を抱かざるを得なかった。
「ブッ! ブゥオオォオォオオォオオッ!!」
獲物を前にして邪魔されたことに怒り狂ったのか反響して壁が揺れるほどの雄叫びを上げた後、堂々と立っている騎士の方へ突貫する。
その巨躯に似合わず、ベルからしてみれば物凄い速さで加速して、気づけば名も知らない騎士に肉薄していた。
「あ、あぶない!!」
思わず、ベルも声を上げるが騎士はただ突っ込んでくるミノタウロスの脇を抜けるように右斜めに一回転がっただけで、容易く回避してしまった。
「ブッ!?」
こんな狭い通路で、しかもあんな一回の前回りだけで……!
恐ろしく早い動体視力……寧ろ、ミノタウロスが突貫して肉薄するタイミングまで待って余裕を持って回避したかのように見えた。早く転がり過ぎても進路を変えられて衝突する。かと言って遅すぎても回避が間に合わない。彼は引き付けるだけ引きつけて、その間に出来た一瞬の隙を縫って回避したのだ。
「すごい……」
ベルは尚更、こちらに今軽やかに転がり、立ち上がって守るように背にしてくれている名も知らない騎士に尊敬の念を抱き、あのようになりたいと思った。
「……」
冷静なのか、無口なのか。騎士はベルを背にした後も一言も発さない。ただひたすらに、白銀のヘルムの隙間から覗く目はミノタウロスを映していた。
猛々しく突貫して避けられるとは思わなかったミノタウロスが慌てながらも15メートルほどで止まってすぐさま方向転換してくる。
避けられてまたもや驚いた様子だったが、方向転換して突貫してくるミノタウロスは前の二人に嘲るように笑った。
そう。騎士はもうミノタウロス先程のように避けられない。何故なら後ろにはベル・クラネルがいるからだった。先ほどのように避けれるのはミノタウロスが突貫してきても通路に人一人分の隙間が辛うじてあったからだ。だから、騎士がベルを抱えて回避しようにもスペースがなかった。
現状、剣を持っていない騎士がベルを守るためには、人間の身体の2倍ほど体躯で優っているミノタウロスの突貫を左腕に装備している盾で受けて耐えるしかない。
「後ろにいて、絶対に動くな!」
「……! は、はい!」
騎士は意を決して、後ろに大声で呼びかける。それに対してベルも目の前の騎士に命を預けるように張り上げた声で返事をした。
その声に押されるように、騎士は力を入れて左腕の盾と左足を前に出して、右足を後ろに置いてなるべく前傾姿勢を取った。
「──ブゥオオオォオオオォオオオオオオオォオッ!!」
ミノタウロスは決める気だった。決めれると思っていた。
所詮は非力な人間だ。中層で会ってしまったあの
防ぎ切れる筈がないと、そう思っていた。
しかし、ミノタウロスは知らなかった。知り得もしなかった。
突然、狩場に乱入してきた騎士の人間離れした力を。
『
盾と、ミノタウロスが激突する。
ベルは目の前の光景が信じられなかった。自分より数センチしか身長が違い、同じ人間であるはずなのに、人間を超えるその圧倒的な巨躯で突進してきたミノタウロスの自慢の角を見事に防ぎ切っていた。
盾と牛角が競り合い、辺りに火花が飛び散る。
「ブゥオオォオォ!!」
「くっ……!」
正に、物語の一頁を見ているようだった。
そんな中、騎士は盾で猛牛の突進に耐え忍びながら、自分達以外の気配を察知する。まるで弾丸のような速度でミノタウロスの背後に迫る気配。
するとその気配が人だと気づくと同時に、ミノタウロスの身体が突然二つに裂けて、巨躯から血が噴き出した。
「──……あの」
血飛沫の先には、黄金色の綺麗な金髪に黄金色の儚げな瞳。
「大丈夫、ですか?」
こちらに小首を傾げて遠慮がちに聞いてくる金髪金眼の女剣士。
『
騎士とベルが認識する前に切り刻んでしまったミノタウロスの力を更に圧倒するような技量。
騎士は思わず、息を呑む。
そしてベルはというと違う意味で息を呑んでいた。
運命的とでも言っていい。それほどまでに、ベルの胸中は目の前の美少女にかき乱されていた。
その剣技に、その美貌に、その仕草に。全てがベルの心を瞬く間に突き刺した。
ベル・クラネルは『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインに一目惚れした。
「ほわぁあああたあああああああああああああああぁぁっれ!!!」
ベルは奇声を発しながら、ミノタウロスに追われている時以上の速さで手を差し伸べていたアイズの脇を通り抜けて、ダンジョンを駆け抜けていった。
「……え」
「……」
そして、その場に手を差し伸べたままのアイズとそれを見て固まっていた騎士だけが残されたのだった。