東方単車迷走   作:地衣 卑人

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十・九 願と鉄

 

 

 輝夜と別れて、数十年程経った今、俺は、藪の中から人里を眺めている。

 重そうな荷物を背負って二本足で歩く男。誰かに呼ばれ、振り返る女。駆ける少年。飛び跳ねる少女。人里で暮らす人々の様子を、暗い藪の中から伺い続ける。

 

「蛇の気分……スネーキング? いや、スニーキングだったっけ?」

 

 今更、調べることも叶わず。少しばかり、調べ物があれば即座に調べられた遥昔が懐かしい。今は只、出すことも出来ない息を潜め、覗き続けるだけである。

 

 端から見れば人を襲おうとしている妖怪か、藪に捨てられた不法投棄物のように見えるだろう。しかし、俺は人を取って喰おうとしているわけでも、誰かに投げ込まれたわけでもない。

 只、人というものが急に懐かしく思えて仕方が無くなったのだ。その、二本の足と、二本の腕。丸い頭と、脆い胴体。

 本当、不格好な生き物である。鹿のような美しさも無ければ、熊のような逞しさも無い。小賢しく強者から逃げ回り、その癖我が物顔で地上を支配した気でいる。そんな、人間。

 なのに。

 

「なんでかなぁ……好きなんだよなぁ、やっぱり」

 

 俺が、元々人間であることもあるのだろう。俺が、他でも無い人間を乗せるための乗り物であるという事もあるのだろう。だが、しかし、そういったことを除いてもなお、人間というものは何故か、俺の心を惹きつける。

 近付けば恐れられ、追われることは分かっているのに。

 

「……そろそろ、いくかね」

 

 気付かれぬままに、此処を去ろう。要らぬ恐怖も、人との争いも必要ない。

 慎重に、慎重に。俺は、藪の中をバックしていき……

 

「……あら?」

 

 何かに、ぶつかる。硬く冷たい、板のような何かに……

 

「そこまでだ、妖怪め」

 

 ミラーを見れば、刀を持った男が一人。退治屋というものだろうか。何とも物騒な世の中である。ここまで近付かれて気付かない俺も俺だが。

 とりあえず……

 

「太郎や、この顔を忘れたかえ。ほら、おばあちゃんだよ」

「私は太郎ではない。それに……私の祖母は、貴様のように不格好ではない!」

 

 俺の巫山戯た言葉と、血気盛んに斬りかかる男の刃。アクセルを駆け、俺は全力で藪から躍り出る。結局騒ぎを起こしてしまい、少しばかり気持ちが沈む。

 驚く人々の顔を追い越して俺は、里から飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 人と出会えば、逃げ出され。里に出向けば、刀を向けられ。

 何とも、妖怪らしくなったものである。人間だった頃の感覚は薄れ、新たに心を埋めるのは、妖怪としての心情。

 

「まあ、仕方ないことなんだろうけどなぁ」

 

 崖の上から、人里を見下ろす。明かりの灯った家々。小さな明かりを片手に歩く人。窓から登る煙。

 そんな何でもない光景が何故か無性に懐かしく感じて、ついつい見入ってしまう。

 

「人の世界が、そんなに面白いのかしら?」

 

 不意に、声が聞こえた。一体……

 

「一体、誰なのか、と、思ったろう」

 

 ミラー越しに声の主を探すも、映るのは空と、木々の暗い緑のみ。相手の正体が分からぬまま、決して弱くない妖気が辺りに満ち、俺は早々に逃げ道を無くす。

 

「逃げ場を無くした、と、思ったろう」

「……逃げる必要など、無いでしょう」

「嘘。逃げようとしたわ……崖から駆け下りようと考えたわね? そっちは人里よ」

 

 心が読まれている? そんな芸当の出来る妖怪は……

 

 覚、か。

 

「種族はね。貴方は?」

 

 俺は、単車。鉄の乗り物。

 

「乗り物? 付喪神かしら」

 

 分からない。似たようなものなのかもしれないが、俺は妖怪となった経路が若干特殊なのである。

 

「本当に分からないのね。元、人間さん」

 

 姿を見せぬまま……声から判断するに、彼女は、そう言う。本当、面倒な妖怪に捕まったものである。

 覚。心を読むことで有名な妖怪である。飛騨の方で語られる妖怪だった筈だが……此処は飛騨に近いとは言え、大分距離がある。まさか、こんな所にまで現れるとは。余程暇なのだろか。

 

「暇じゃないわよ。ただ、彷徨いてるだけ」

 

 十分、暇そうである。何も、妖怪が他の地域へ出張することもあるまいに。

 

「大体、こんな所から人間を見物してる貴方の方が暇そうじゃない。高見の見物。道具の癖にいい御身分ね」

 

 愉快そうに、おかしそうに。覚の声が暗闇に転がる。笑っているのか、嗤っているのか。嘲りを含んだその声は、俺なんかよりもずっと妖怪らしい。

 

「当ててみせようか? 貴方が人の里を見ていた理由」

「理由などありはしませぬ。私はただ、暇を潰していただけ。それ以外に理由など、無い」

「また嘘。人間に未練が有るんでしょう? だから、ずっと人間を見ていた。二本の足が、二本の腕が、顔が、体が羨ましくて」

「……私は単車。二つの車輪で十分……」

「嘘」

 

 暗闇に、三つの目が浮かぶ。緑色の、人間のそれによく似た二つの目。そして、少し離れた所に浮かぶ大きな、一つ眼。一つ眼は、心を読むための眼なのか。暗闇に三つの目玉の浮かぶ様は、成るほど、如何にも妖怪らしい。

 

「嘘など。私は、既に人間を辞めた身。今更、人の腕も足も要りはしませぬ」

「言葉に用は無いわ。ほら、心を。私の眼を見て……貴方は、まだ、人間に未練がある……そうでしょ?」

 

 そんな筈がない。今更、そんな筈が……

 

「それは、上辺だけの思い。貴方の心の奥深く。貴方は、何を思う?貴方は……」

 

 俺は……

 

「……人と……」

 

 そう、人と……

 

 

「『共に生きたい』と、思ったろう」

 

 

 覚が言う。そうだ、俺は、人と共に生きたいと。そう、願っていたのだ。

 他の誰でもない、この俺ですら気付かなかった思い。この覚は、読み取っていたと言うのか。

 

「……しかし、私は……」

「妖怪じゃ、人とは暮らせないと、おもったろう」

 

 そう。俺は妖怪で、相手は人。妖怪は人を襲い、人は、妖怪を討ち払う。この関係は、崩れることはない。

 俺が妖怪である限り、人と共に生きることは出来ない。それは、この身体になってすぐに理解した筈だった。

 

「それは、頭で理解しただけ。貴方の本心は、ずっとその理解という地殻の下に眠っていたの。小石のように蔑ろにされて、ね」

「……でも、やっぱり、無理ですよ。妖怪と人は、共には暮らせない。妖怪と人との間に打ち込まれた楔は、そう簡単に引き抜くことは出来ない」

「引き抜けないなら、いっそ埋めてしまえばいいじゃない。地下深くにでも」

 

 覚が、俺の上に座る。これだけ近付いてもなお、俺に見えるのは緑色の目と、一つ離れた大きな眼だけ。何か、術でも使っているのかもしれない。

 

「……貴方は、人と共に生きれると御思いですか」

「さあ? 私は、人の心なんてもう、読みたくないし。読んでも、嫌な気持ちになるだけ。共感しても、一緒に傷付くだけ。それなら、私は一人の方がいいかなって」

 

 何処か諦めたようにそう言い、また、ケラケラと笑いだす。

 

「それに大体、貴方が人間と共に生きようがどうしようが関係ないもの。私は、暇潰しに話しかけただけなのだし」

 

 随分と勝手な言い分である。いきなり話し掛けてきた挙句、眠っていた願望を呼び起こすだけ呼び起こして、解決する前に放置。妖怪は総じて自分勝手なので、仕方がないのかもしれないが。

 

「そう、仕方ない仕方ない、と……あ、そういえば」

 

 覚の重みが俺から離れ、地面に降り立ったらしい足音が響く。背は、そう高くはないようだ。

 そんな、どうでもいい事を思う内に振り向いた緑色の瞳が、笑いながら俺に語りかける。

 

「覚はね、一部の人間とは共生してたの。山仕事をする人達とね。だから」

 

 案外、なんとかなるんじゃない? と。

 それだけ残して覚の妖気は、気配は、眼は、俺の前から消え去った。

 

 

「……本当、勝手な」

 

 最後の最後に、希望を生むような事を宣って逃げ去るなど。心に巣食う妖怪は、これだから性が悪い。

 だが。

 

 折角生まれた希望である。細やかな願い事の一つや二つくらい、思い描いても良いのだろう。

 妖怪から見ても、人から見ても。何処の誰から見ても、おかしな願い。しかし、それを捨てるにはまだ、早すぎるのではないか。

 

「……行くかね」

 

 降り注ぐ無数の星。まるで先の覚の視線のように俺を取り囲むその光を受けて俺は、森の中へと走り出した。

 

 小さな願い事を新たに、この身に宿して。

 




 十話目と十一話目の間。
 えらく中途半端なナンバリングとなりましたが、初出の回をば。

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