京の外れ。物に溢れた小屋の中、ボロ布を纏った鉄の塊が一つ。
俺である。
輝夜と別れて、二百年程。随分と時の流れが早いものだと、心の中で一人ごちる。
彼方此方を走り回った末に、この荒れ果てた小屋で暮らし始め……もう、十数年は経ったか。乗り物と言えど、雨風に吹きっ晒しというのはやはり、勘弁願いたいのである。
「暇、だなぁ……」
今日は雨。こんな日にまで走りに出たくはない。窓も無く、床も、人一人が横になれる程度にしか残っていないボロ小屋の中。一人、ぼぅっと、特に面白くもない天井を眺める。
暇である。
が。その退屈な時間も、もうじき終わる。来客の気配だ。
「三、二、一……零!」
カウントダウンに合わせ、扉に視線を向ける。一秒、二秒、三秒……何の変化も、無い。
誰かがいる気配はあるのだが。
「……ああ」
気配の正体に思い当たる。こう言う事は、今までにも何度かあった。
「いい加減学習しろ、小傘」
前輪を使って引戸を開けると、其処には屋根に引っかかった茄子色の傘。ウィリーの要領で前輪を持ち上げ、傘を下から押し上げて、屋根から外してやる。
『はぁ~、助かった』
「だからなぁ、もうちょい屋根から離れて着地しろって」
『難しいのよ、風に邪魔されて』
彼女の名前は、小傘。
物の妖怪繋がりでよく遊びに来る、化け傘の娘である。
妖怪に変化してからまだ数年と日が浅く、未だに妖怪じみた姿は取れていない。ごく平凡な普通の傘、である。
唯、喋る事を除いて。
「で……今日はどうしたん」
剥き出しの地面に置いた卓袱台。それを挟んで、小傘と向かい合う。単車と傘が会話する食卓。奇妙な絵面である。
『んー……特に急ぎ、て訳じゃ無いんだけど』
小傘がふわりと浮かび上がる。そしてその足に引っかかった、ランプの様な物体。一体、何処で手に入れた物なのだか。
「なんだ。盗みでもしたのか」
『落ちてたのよ』
小傘が机の上にそれを置き、また元いた場所に座り直す。傘がどうやって座るのかは甚だ疑問であるが。
『貴方、妖怪やって長いでしょ? これ、何か分からない?』
「長い、つっても四百年程度だしなぁ……」
四百年生きれど、大した成長はせず。出せる火は未だに小さな灯火程度で。
これでは不味いと努力を重ねるも、使えるようになったのは、たいして面白くもない術ばかり……例えば、マフラーから出す煙の色を変える、等。会得した当初は喜びのあまり酷く興奮した覚えがあるが、使いどころも無い上に、後々考えてみれば、心から下らないと思ってしまうような術で。本当、ままならない。
閑話休題。
改めて、机の上の物品を見る。
淡く光るランプの様な見た目に、何処か妖怪を退けるような力を感じる。坊さんが使う力に似ているので、多分仏教系の道具なのだろう。が、詳しくは分からない。
「分からん。なんかお寺な雰囲気だ」
『何よそれ』
「お寺な雰囲気だ」
呆れたように小傘が言い、また答えになっていない答えを返す。わからないものは仕方ない。
「とりあえず、家に保管して置くぞ」
『任せたわー』
「そこの棚に置いといてくれ」
小傘がふわふわとまた浮かび、器用に先の物品を足に引っ掛けた。空を飛べる、というのは本当に羨ましい。
『……あれ、雨上がってる?』
そういえば、雨音が聞こえない。戸を開けると、いつの間にか日が差していた。見上げれば、うっすらと虹もかかっている。開いた戸から流れ込むのは、雨上がりの土の匂い。もう、これ以上は降りやしまい。
『雨上がったなら、今の内に出ようかな』
「お前、傘だろうに」
『傘だって濡れたくはないわー』
傘らしからぬ言葉を宣いつつ、小傘が戸口を潜る。今度は、屋根に引っかかることもない。
『じゃ、またねー』
「おーう、何処其処に引っかかんなよー」
くるくると回りながら、小傘が遠ざかっていく。
小傘の姿が背の高い木々の向こうへ消えるまで見送り、俺は、戸を閉めた。
小傘が訪れてから数日後。
風が容赦無く小屋を揺らし、雨が屋根壁に叩き付けられる。
台風である。そこそこに強い。
小傘をはじめとする我が家に入り浸る憑喪神達は、此処にやって来ない所を見ると皆、思い思いの場所に避難しているらしい。風に飛ばされ真っ二つにぽっきり、もといぽっくりなんて洒落にならない。
それはさて置き、暇である。輝夜といた頃は、こういう日も退屈ではなかったのだが……
「ん?」
何かの気配。獣臭い。が、獣とは違う力も感じる。この力、何処かで……
段々足音も聞こえ始める。どうやら、この小屋に向かっているらしい。
「三、二、い……」
「あっ……!?」
ばしゃん、と。
俺の小声でのカウントダウンを遮るように、水飛沫の上がる音が扉越しに響き渡る。そしてその、数秒後。ゆっくりと開けられた扉の向こうから、頭から泥水を被った何者かが顔を覗かせる。
「……誰もいないな」
少女である。頭には、丸い二つの耳。手に持った二本の棒と、尻尾に引っ掛けた籠が印象的である。
そのどれもが、泥水に汚れていたが。
「はあ……とんだ災難だよ、全く」
鼠の妖獣、らしい。あ、籠から鼠出て来た。
「……宝塔を探すついでに、雨宿りさせて貰おうかな。齧っちゃ駄目だよ」
鼠達は頷き、籠から出た後も家を荒らさず、集まって丸くなっている。躾のなった鼠である。
しかし、ホウトウとはなんの事か。
「この家から感じたんだがね、宝塔の気配を」
宝刀なんて代物、こんなボロ小屋にはおいていない。砲塔なんぞ、言わずもがな。宝塔だって、あんな大きなもの……
いや。もしかすると。
棚の方をチラリと見る。小傘の持ち込んだ、あのランプもどき。大きさは小さいが、確かに宝塔の形である。感じた力も、彼女の纏うそれと同質のもの。あれが宝塔と見て間違いあるまい。
「……妖怪がいたのか? 妖気を感じる……」
俺のことか。妖気はなるべく抑えているのだが、やはりここまで近付かれると分かるらしい。
「……くしゅっ」
鼠少女が、くしゃみを一つ。濡れた体、顔に張り付いた髪。妖怪と言えど、どうやら寒さには強く無いらしい。
「……流石に、誰も来ないだろうね」
俺の隣を抜け、申し訳程度の面積しかない床に上がる。そして、自身の着ている服の裾に手を掛け……
「……露出狂?」
「っ……!?」
鼠少女が、今まさに脱がんとしていた服を戻して振り向く。その顔に浮かぶのは、驚愕と羞恥。そして、警戒。
鋭い目つきで俺を睨み付け、一歩後ずさる。
「誰だ」
「……勝手に入ってきて、誰だはないでしょうに」
「む……だが、入った時は何も言わなかったじゃないか」
「そりゃ、まあ」
本当は、何も言うつもりは無かったのだ。宝塔を見つけて、雨宿りしていくくらいならば、何も問題無い。しかし。
「まさか、人の家で服を脱ぎ出すとは思わなかったもので」
「っ……! そ、それは! 誰もいないと!」
途端に顔を赤くする鼠少女。楽しい。
「いやまぁ、脱ぎたいなら別に構いませんけど」
「脱ぎたいわけがあるか!」
ふいっと、そっぽを向かれる。ちょっと遊びすぎたか。
「……くしゅんっ」
……もう少し友好的に話しかけるべきだったか。話し難い。
「……着替えの服は一番右の棚。屏風や几帳は、同じ棚の一番下」
ぴくりと、彼女の耳が動く。
「こんなところで風邪を引かれても困ります故。此処にある道具は、御自由に」
「……恩に切るよ」
床の上に屏風が広げられ、その向こうから衣擦れの音が聞こえ始める。
しかし機械の体。こんな状況でも、何も感じない。生殖能力なんてものを持ち合わせていないので、当然と言えば当然か。
「……着替えたら、何かに掛けておいて下さいませ。火くらいなら起こせます故」
「分かった」
屏風が畳まれ、少しだけ大きめの着物を着た少女が現れる。手に持っていた二本の棒に着ていた服が掛けられ、彼女がその棒を棚と棚の間に器用に渡した所で、俺はその下に妖術の火を放った。
「……君は、妖怪なのか?」
「人間に見えますでしょうか」
「私には、見えないかな。人間のつもりなのかい? その姿で」
「いえいえ、そんな。妖怪ですよ。怖い、怖ぁい妖怪でさぁ」
「……君が親切な奴なのか、おかしな奴なのか分からなくなってきたよ」
「おかしくて親切なものでござい」
「……そうか」
若干疲れた顔をして、鼠少女が横になる。実際、雨に打たれての疲れもあるのだろう。無論、精神面の疲れもあるのだろうが。
「貴女、御名前は」
「私は、ナズーリン。しがない物探しさ」
「ナズーリン……?」
「ああ、異国の名前だよ。漢字は当てられない」
異国の妖怪、なのだろうか。しかし彼女の雰囲気は妖怪というより……
「ナズーリン殿」
「……殿?」
「ああ、ノリで付けているだけで御座いまする故、お気になさらず」
「大分失礼なことを言うね、君は」
輝夜にもよくどつかれた。曰く、慇懃無礼にも程がある、と。
しかし、今はそんなことどうでもいい。彼女には、聞いておきたいことがある。
「毘沙門天、という名に憶えは」
「ん……どうして」
少しだけ驚いた顔をするナズーリン。当たりと見ていいようだ。
「宝塔と鼠から連想しまして。あとは、雰囲気がお寺っぽかったので、もしかしたら、と」
毘沙門天は手に宝塔を持った姿で表されるし、鼠はその使いである。そして、ナズーリンから感じる気配は、余りに獣らしく無かったのだ。神の使い……白狐とか白蛇とかに似た雰囲気。ならば、と。
「……よく、これだけの手掛かりで分かったね……確かに、私は毘沙門天様の使いさ。ご主人様の失くした宝塔を探しにやって来て、ごらんの有様だ」
ナズーリンが溜息混じりに、びしょ濡れになった服を見る。
「台風が来る前に見つけ出したかったのだがね……反応は、この辺りからしたのだが」
「ああ、それなら……先の棚の、一番上に」
ナズーリンが棚を漁る。思いきり背伸びして、棚の上にあるそれを掴む。
「これだよ……君が拾ってくれてたのか。助かった」
「何、友人が持ってきたんでさ」
小傘の手柄、である。俺は、預かっただけ。
それにしても、傘、宝塔、鼠、と。小傘は偶然とは言え、いや、偶然だからこそ。
毘沙門天に関係のある単語が三つ。本当に、偶然と言えるのか。これはもはや、毘沙門天の思し召しではないか。毘沙門天が俺を
半ば妄想と思い込みであるが。
「時に、ナズーリン殿」
「なんだい?」
宝塔を傍らに、俺の出した火に手をかざして暖をとっているナズーリンに話しかける。宝塔を見つけたこともあって機嫌が良い。
「私も、毘沙門天様に参拝させて頂きたいのです」
「……これまた、どうして」
少しばかし訝しげな顔をするナズーリン。まあ、妖怪が参拝、なんていう時点でおかしな話ではあるのだが。
「私は、実を言えば乗り物の妖怪。日本中を走り回り、色々なものを見聞きして生きてまいりました。しかし、やはり妖怪の身。神仏に近づく機会は、中々無いので御座います」
「……ふむ」
「参拝をしようとしても、突き返されるなんてことも多々。それ故、この機会に、と」
ナズーリンが考え込み、俺を見る。
「まあ、構わないんじゃないかな。家の寺は、大分特殊だし」
「ありがとう御座います」
「ああ」
そこまで言って、ナズーリンが壁に寄り掛かる。非常に、眠たそうに。何処か、安心したように。
「すこし、眠らせてもらうよ……疲れた」
「どうぞ……おやすみなさいませ」
おやすみ、と、小さく返事をしたのを最後にナズーリンが眠りに着く。
風は、依然として強い。しかし、明日には台風も過ぎ去ることだろう。
まだ見ぬ毘沙門天を思い浮かべながら、俺は、小さな妖火を夜通し焚き続けた。