十五 覚と鉄
穏やかな風が、荒れ果てた寺の草木を揺らす。妖怪と人が共に生きる世界を目指した僧侶。その僧侶が修業をしていたという寺である。最後は、彼女の元に集まった妖怪達共々封印されたとか。
夢追い人の末路と笑う者もいれば、自分の発したその言葉の裏で密かに涙を流す者もいる。そんな穏やかな世界を望む妖怪の数が決して少なくはないということを、心を読む妖怪たる古明地さとりは知っていた。
だからこそ、こうしてこの寺へとやって来たのである。封印された者達の世界、地底へと潜るその前に。
「……なんにも、ありませんね」
「まぁ、廃墟みたいなものだしねぇ」
さとりの隣にいるのは、鬼。赤い一本角に金の髪、語られる怪力乱神と名高い鬼の四天王が一、星熊勇儀である。地底への移住前に此処を訪れたいと申し出たさとりの連れであり、実質的な護衛でもある。怨霊の管理を引き受けたさとりに何かあってはならないから、と言うのは建前で、本当の理由は地上の景色の見納めである。あと、地上の酒の飲み納め。さとりの目には、まだ見ぬ酒を視る鬼の心が映し出されていた。
「廃墟、ですか」
「ああ。私達の新天地も、似たようなものだけどね」
さとり達が移住する、旧地獄。成る程、そこの別名は廃獄。こんな荒れ寺に惹かれて来たのも、廃れた地獄を新天地と呼び、求めてきた者の性なのかもしれない。
「……廃墟でも、思わぬ宝物が出て来ることがあります。隠された、魅力も」
鬼の心に、熱を失った地獄の様相が思い浮かぶ。さとりの目に映る、鬼の心像風景。人を信じ切れなくなった悲しさ、寂しさ。陰鬱とした地下に思い描く、忌み嫌われた妖怪の楽園。
その忌み嫌われた妖怪の筆頭が覚であることくらい、さとりも理解している。そして、地下へと逃げる事がどれだけ、悲観的な選択肢であるのかということも。頭では分かっていても、心が地上に残る事を拒む。
心を読む妖怪の癖に、自分の心さえ制御出来ないのか、と。独り、心の中で自嘲する。
「お……何かあるね」
さとりよりも頭一つ、二つは背の高い勇儀が、草むらの向こうを見て言う。さとりが目を向けると、確かに揺れる草の向こう、日の光を受けて輝く光沢。何だろうか。
「見てみましょうか」
「あいよ」
鬼が先陣を切り、生え放題伸び放題の雑草を踏みつけ、道を作っていく。鬼の作った道を、覚が後から着いていく。
鉄?
「鉄?」
さとりの第三の目が、勇儀の心を映し出すのとさほど変わらないタイミングで、心の声の主はさとりの読み取った通りの言葉を発する。
「鉄……ですか」
溶かしたら何か、良い物でるかな。
「溶かしたら何か、良い物出て来るかな」
殆ど、心に思い浮かべた事をそのまま口に出す。鬼という生き物は、裏表が無くて良い。さとりにとって精神面で疲れる事の無い、貴重な話し相手である。
鬼たちとなら、多少は上手くやっていけそうだ、と。思わず口元が綻ぶ。
「……なにニヤけてるのさ、気持ち悪い」
「……なんでもありません」
思った事をそのまま口に出すのは、些か問題でもあるのだが。
と、隣人の事を頭から引き剥がし、目の前の物体を観察する。
ボロボロになった、鉄の塊。どうやらカラクリの類らしいが、何のための仕掛けなのかは全く分からない。河童の道具かとも思ったが、彼等は鉄を嫌うのでその線は薄い。
唯、分かるのは。
「触らない方が賢明でしょうね」
思わぬ動作を始めたりでもしたならば、またもや痛い目に遭うかもしれない。意識の無い、無意識の内の行動こそが最も恐ろしいものであると、さとりは己の経験から学んでいる。
そう、この第三の目に映らない事象は……
「……え?」
思わず、声を上げる。
今、何か、第三の目に……
「どうしたんだい? あんたが驚くなんて、珍しい」
「……これ。いえ、この子、意思があります」
「はぁ?」
「この子の心が、一瞬映し出されました。もしかすると、この子は……」
その言葉を聞いた勇儀が、鉄の塊を注意深く調べる。表面に付いた汚れの一部を落とすと、そこには。
「……封印の札だね。こいつも、同胞か」
「この寺で封印となると……」
「まあ、あの話の妖怪の一体だろうね」
あの話。妖怪と人の共存を願う僧侶の夢物語。その時、封印された妖怪の一体だとするのなら。
「解せないね。私ら鬼は兎も角、こいつは……」
人間と、共に歩みたかっただけで。それだけで、壊され、封印されたのか。
勇儀が噛み殺した言葉が第三の目を通してさとりに伝わる。そして、勇儀が埋まる鉄の塊に手をかけたのを確認するが早いか、さとりは一歩二歩と距離を置く。もはや、さとりが何を言っても聞きはしまい。心が読めたところで、それを防ぎきるだけの力が無いのなら、それに何の意味も無い。再びの自嘲と共に、回避のために身構える。
「ッ、は、ああッ!」
掛け声と共に、埋まっていた鉄の塊の隠れていた部分が、力強く地上へと引っ張り出される。まるで雑草か何かを引き抜いたときのように、勢い良く日の下へと躍り出た鉄の塊。そして、さとりが予想していたよりも一回りは大きかったそれは、その勢いを殺し切る事もなく低空を飛ぶ。
何故か、さとり目掛けて一直線に。
「っ……!」
流石にここまでは予想していなかったであろうさとりの動きが、意表を突かれて一瞬止まる。巨大な弾丸と化した鉄塊がさとりのもとへ届くには、その一瞬があれば十分であった。
避けることも出来ず、唯反射的に目を閉じ、手で頭を守る。無意識の為す行為は覚の弱点と言えど、何度同じような手に引っかかるのか。
飛んで来ない鉄の塊と、笑う鬼の心像に気付いたさとりが頭まで掲げた腕を降ろすのに、そう時間はかからなかった。
「……」
「心の中で笑わないで下さい。顔にも出ています」
「……ぷっ、クク……」
さとりの目の前で宙に浮く鉄塊。別に、妖術魔法の類の力で浮かんでいるのではなく、唯単に鬼の馬鹿げた腕力で浮かび上がっているだけである。
元々、さとり目掛けて鉄が飛ぶかも等と、鬼が意識するはずが無かったのだ。手さえ離さなければ、飛んでいく事なんて有り得ないのだから。
「……なんですか」
「いやぁ? 別になんでも無いけど」
にやにやと嫌な笑みを浮かべながら、木刀か何かを担ぐような軽快さで鉄塊を肩に掛ける。確かに鬼は裏表が無いが、その性格は基本的に悪い。心を読む上では疲れはしないが、会話するとなるとどっと疲れる。
「……鬼なんて嫌いです」
「いいね。正直者は好きだよ。でも、心を読まれるのは御免だね」
結局の所、地底に落ちるものは皆嫌われ者なのだけれども。忌み嫌われるはお互い様、それ故の地底への移住。
覚と鬼は、地底へ続く洞穴を目指し歩き始めた。
灼熱地獄跡の真上。
そこに、一件の洋館が建っている。地霊殿と名付けられたその場所は、旧地獄に眠る怨霊たちを縛り付けるために建設された、言わば牢獄の監視塔である。
静かな洋館。日の届かぬ地下深くに建つくせに、ステンドグラスがやけに多い不思議な構造。
さとりは、そこで物言わぬ鉄の塊と暮らしていた。
「……」
静寂に包まれた広間。さとりは一人で使うには大き過ぎるテーブルに向かい、呆としていた。
退屈な日常。せめて話し相手でも居ればと、物言わぬ隣人を見やる。
鉄の体は、鬼が掘り出した後も傷が塞がっていっており、この分なら、そう遠くない内に意識を取り戻すかもしれない。
しかし、人との共存を願った妖怪とは言え、その平穏な世界を望んだ心も憎しみに染まっているかもしれない。もし、さとりに危害を加えるような妖怪だったなら。
いつでも、すぐに殺せるようにしておかねばならない。鉄塊が広間に置かれている理由の一つは、それであった。
もう一つの理由は、せめてもの暇潰しになれば、という期待に他ならないのだが。
「……はあ」
しかし、動かぬカラクリなんて面白いわけも無く。唯一の肉親たる妹は今日も何処かを放浪しているらしく、家に顔すら出さない。
机に項垂れ、目を閉じる。昼も夜も無い地底、これが昼寝に当たるのか、なんて、どうでもいい事を考えながら。
段々と強くなる睡魔に身を委ねようとした、そのとき。
「……?」
一瞬、何かの気配を感じ、辺りを見回す。何の変わりも無い、目を瞑る前のままの部屋である。妹が帰って来たのかとも思ったが、そもそも彼女の場合は気配なんてもの自体が無いに等しい。
姿は見えず。しかし、やはり何かの気配は感じる。そして、自分のものでは無い幽かな妖気も。
「……誰か、いるのですか」
さとりは立ち上がり、姿の見えない何者かへと問い掛ける。第三の目に映るのは、限りなく無意識に近い意識。何も考えていないのか、妹のような能力を持っているのか。何れにせよ、面倒な相手である事に変わりはない。
もう一度目を閉じ、第三の目に意識を集中させる。相手の思考を読む事は諦め、せめて、相手の位置だけでも掴もうと。
目に映る意識の気配と妖気の流出源を辿り、その濃度が一番密な位置を探る。
「……ああ。貴方なのね」
気配の正体。それは。
さとりの言葉が引き金となったのか、壊れて動かなかったカラクリが、無機質な音を響かせ始める。
ギュルギュルと、何かが回るような音。長くは続かず、回っては止まり、回っては止まり。産まれたばかりの獣が転びながらも自力で立とうとするように、何度も何度も繰り返す。さとりは、この鉄の塊が、その本来の機能を取り戻すのを静かに待った。
ギュルルルル、ギュルルルル、ギュルルルル。
ブオン。
一際大きな音が響いたのを皮切りに、夥しい程の妖気がその体から溢れ出し、音も、先程までとは明らかに違うものに切替わる。正面と思しき部分には明かりも灯り、薄暗い部屋に光の筋が浮かび上がった。
心臓の鼓動にも似た、その音。そして、その心像にも色が見え始める。
「……おはよう、鉄のカラクリさん」
心臓は鼓動を始めても、彼の体は未だに歪に圧し折られたまま。車輪を使って動くのであろうが、流石に体が曲がったままでは動けないだろうと、さとりは鉄塊の前に立つ。
『此処――――誰――――何故――――』
鉄の塊に意識が戻り、その思考がさとりの目に映し出される。覚醒してすぐだからか、その思考は断片的で、混乱も見受けられた。
動けないとはいえ、内包する妖気の量は無視できるものではない。さとりは、なるべく刺激しないように話しかける。
「此処は、地底。封印された妖怪の住まう場所です。貴方は、勝手ながら地上で封印されている間に連れて来ました。封印された身である貴方は、私達と似通うものがある、と」
『貴方は―――』
「私は、覚の古明地さとり。心を読む、忌み嫌われた妖怪です」
『覚?』
彼の心に、覚に関する情報が溢れ出す。心を読む妖怪、人をからかう妖怪、考えを読んで人を食う妖怪……
成る程、彼から溢れ出す情報にはろくなものが無い。これなら、覚という種が忌み嫌われるのも分かる。分かり切った事ではあったが、再確認するとなると、やはり気が滅入った。
が、何も悪い情報ばかりではなく、覚が人を助けた話や、人と共生していた話、等。人間から見て好感を得るであろう情報が混じっているのは、予想外ではあったが素直に嬉しいものであった。
妖怪が人から好かれても、仕方がないのではあるが。
「私について、知ってるのね。なら、次は、貴方のことを教えてくれるかしら」
鉄の塊がまたブオンと唸り、その思考をさとりが読み取っていく。
彼は単車という乗り物で、憑喪神に近い妖怪であること。天狗と張り合うくらいに速いこと。最後は寺で聖の下、妖怪と人が共存出来る世界を目指して働いていた事。ある日雇われの巫女に封印されたこと。
やはり、あの夢物語の妖怪の一体だったらしい。
彼の鼓動が段々と弱まっていく。眠い、のだそうだ。
彼が眠る前に、さとりは問う。
「封印されて、貴方は人に何を思う?」
鉄の塊は、その質問への答えを思い浮かべたのを最後に、ついにその鼓動が止まる。
意識は無くなれど、今度は唯眠っているだけ。それを確認して、さとりはまた椅子に腰掛けた。
たった十数分の、会話とも呼べないような一時。思えば、彼方の心を読んでばかりで、さとりは殆ど何も話していなかった。少しだけ後悔して、彼が最後に思い浮かべた事を思い出す。
彼が自分を封印した人間に対して思うのは、『またいつか乗せて走りたい』と、それだけだった。何の怒りも失望もなく、唯、それだけの思い。
さとりは椅子に深く座り、目を閉じる。人に嫌われ地下に逃げた妖怪と、人を愛して封じられ、それでもなお人を愛する妖怪。自分等よりも余程前向きで、希望ある思考に触れ、またいつか人に会ってみたい、なんて考えしまう自分を、逃げた癖にと自嘲しながら。
古明地さとりは、眠りについた。