夢の中で動物や、赤の他人になるというのは、よくある話である。空想上の生き物が現れるというのも、ごく普通の、ありふれた夢。
しかし、夢の中で、それが夢だと自覚出来ることは少ない。夢だと自覚できた夢を明晰夢といい、その状態ならば、夢を自由にコントロールする事も出来るのである。つまり、夢の中だと気付けたならば何でも出来るのだ。
「トランスフォーム!」
「……何をしてるの」
「……どうやら夢じゃないようだ」
「はぁ……」
夢ならば、自分の好きな様に操れるのである。しかし、今の俺の状況は操るどころか、天狗に白い目で見られる始末。少し恥ずかしい。
「やっぱ、夢じゃないのかぁ……」
天狗に案内された池で、もう一度、よくよくと自分の姿を確認する。
やはり、バイクである。ちなみに、赤いアメリカン。中型。
俺の愛車、そのままの姿である。これは、俺がバイクになったというより、俺がバイクに取り込まれたといったところなのか。
身体にあった違和感は、自分がバイクになってしまったことに気付いてからはとんと無くなった。さも昔から、自分はバイクであったかのように。
「とりあえず、上には無害で、変化したての迷い妖怪って報告しておいたから。監視はするけど」
「ありがとうございます……」
「ほらほら、落ち込まないの。妖怪もいいものよ? 人間よりずっと」
それには同意する。もし、妖怪が実在するならば、俺も妖怪になって気儘な人外ライフを送りたいと常々思っていた。が。
「でも、この姿って……手の一本もないなんて……」
一番の問題は、そう、手である。人間が人間たる象徴。物を持つことさえ出来ないと言うのは、不便そうで仕方が無い。バイクなんで、物を掴む必要なんてないかも知れないが。
「まあ、慣れるわよ。そのうち」
「うぅ……」
「それより、これからどうするのよ。流石に、この山には居られないわよ?」
そう言えば、この天狗と話していてもう一つ分かったことがある。
時代が違うのである。具体的に言うと、千何百年かに渡るタイムスリップ。歴史はとんと駄目だが、それでも少ない知識を騒動員し、なんとか今が、元いた時代から千数百年程前であるということが分かったのであった。
そんな時代にバイクて。いいのだろうか。いいか。
「とりあえず、朝になったら出て行きますので……それまでは此処において下さるとありがたいです」
「それは構わないけど……暇だしね。どうせだし、家に来ない? 寒いでしょう?」
「よろしいんで?」
「いいわよ、一晩くらい。それより、ね……」
少し恥ずかしそうに、俺を見る。俺、というよりシート部分を、か。
何だろうか。そんなにまじまじと見つめられるとこっちが恥ずかしくなるのだが。
「貴方、乗り物だって言ってたわね」
ああ、話が見えた。それくらいなら、お安い御用である。
続くであろう言葉を先取りし、彼女に一つ提案する。
「乗ってみます?」
その言葉に、彼女の顔がぱっと輝く。やっぱり、乗りたかったのか。
「いいの?」
「ええ、早くこの身体にも慣れたいですし、誰かを乗せて走る練習にもなりますし」
「なら、遠慮なく」
第一、彼女は恩人である。天狗に目をつけられようなら、今頃スクラップになっていてもおかしくは無かった。そこを、上の天狗に掛け合って俺の滞在を許可してくれたのだ。それに加え、今晩泊まる場所を提供してくれるなんて。天使だろうか。天狗か。
「馬と同じ様に跨って、横の出っ張りに足をかけて下さい」
「こ、こう?」
天狗様が俺のシートの上に乗る。あ、柔らけ……
「……変なこと考えてない?」
「いや、無生物ですし」
「それもそうね」
悲しきかな、感覚こそあるもののそういう邪念は本当に湧かない。バイクだからか。精神的に老けた気がする。
「あ、一応ヘルメット被って下さいね」
「へるめっと?」
「その、後ろに掛かってる丸いのです。安全のための兜……みたいなものですので」
何故か、俺のシーシーバー……バイクの背もたれに引っかかっていたヘルメット。赤いフルフェイス。
「ん、分かった……ちょっと息苦しいかな」
「慣れますよ、すぐに。さて……」
運転は、俺が勝手に動くので問題ない。
唯、彼女がアクセルを回したり、ブレーキを掛けたりすると非常に危ないので、そこだけは注意しておく。
「次は、前にある二本の棒の先……握りやすくなってる部分を握ってください。でも、絶対に回しちゃ駄目ですよ。あくまで、軽く。それは、舵みたいなものなので」
「ん」
「股に力を込めて。身体を支えるのは、基本的に足、太ももの部分で挟む力で」
「こう?」
「そうそう、振り落とされないように……では、行きますよ」
エンジンを掛け、ギアをローに。クラッチはまだ、繋げない。
「道案内、頼みますね」
「まずは、右。とりあえず、そのまま真っ直ぐ」
了解、と言う言葉の代わりにアクセルを一度勢い良く掛け、俺は彼女を乗せて夜の山路へと駆け出した。
「いいじゃない、これ! 速い速い! 気持ち良い!」
彼女が楽しそうに言う。天狗の飛行速度は途轍も無く速いと聞いていたが、楽しんでもらえているようである。
それに、俺自身も楽しくてならない。人を乗せるのが、こんなにも楽しいなんて。
「あの別れ道、右!」
「了解!」
少しばかり危なっかしく、右の道へハンドルを切る。舗装されて無い道でもこれだけ走れるのは、バイクと一体化したからか。とても動きやすい。
「ここから、ずっと真っ直ぐ! まだ速くなる?」
「速くはなりますけど、ちと怖いです!」
「分かった! 頑張って!」
はて、頑張ってとは一体、い!?
「ちょ、天狗様!?」
「舵は任せた!」
突然上がったスピード。エンジンが唸りを上げ、ギアを挙げろと騒ぎ始める。
彼女の手には、強く握られたハンドル。アクセルを掛けたのだ。どうやら、アクセルと速度の関係に気付いたらしい。
「あ、危ないですって!」
「大丈夫! 速く! 速く!」
しまった、スピード狂だったか。
どうやら、止めても聞く気はない様だ。
「ああ、もう。怪我しても知りませんからね!」
ギアを上げる。嫌な音を立てていたエンジンが一旦静かになり、またその鼓動を早めていく。
過ぎ去る景色を楽しむ暇も無く、置き去りにした景色を思う余裕さえ無く。
夜の山路を轟々と駆け抜ける。
「あと、どのくらいですか!」
「もうすぐ! ……見えた!」
「天狗様! 右手、戻して!」
強く握られていたアクセルが戻され、スピードが落ち始める。
「止まれる!?」
「なんとか!」
前輪後輪のブレーキを、徐々に、それでも速やかにかける。クラッチは、繋げたまま。
タイヤが地面を抉り、砂埃が車体にまとわり付く。ああ、風呂入りたい……違う、洗車したい。
速度が落ちる。落ちる。車体が若干前につんのめり、天狗が倒れまいと足に力を込め、タンクごしにその感覚が伝わる。やっぱり柔っこい。
ズザザ、と砂を撒き散らしながら、地面に車輪の跡を引き、俺は一軒の家の前で止まった。やってて良かった急制動。ありがとう教官。
「到着、ですかね?」
「ええ……ああ、楽しかった」
ヘルメットを俺に掛け、彼女が俺から降りる。
「天狗様なら、飛べば俺よか速いでしょう」
「飛ぶのと走るのは全然違うわよ。いいわね、あの疾走感。家に置いておきたいくらい」
俺に背を向け、引き戸を開く。
「あと、天狗様なんて呼ばないでよ、気恥ずかしいし」
「でも、名前……」
「あ、教えてなかったっけ」
彼女が、俺に向き直り、その名を告げる。誇らしげに、凛と胸を張って。
「私の名前は射命丸文。清く正しい鴉天狗よ」
単車のことは、某モトラドさんを思い浮かべて頂ければ……