東方単車迷走   作:地衣 卑人

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十九 鵺と錨と鉄

 

 雲山に一輪への伝言を頼んで、私は鵺に連れられ彼女の家に来ていた。入り口に作られた小さな坂には、車輪の跡。どうやら、彼女の手作りらしい。

 

「何にも無いけど、上がってよ。お茶くらいなら出せるから」

「お、お邪魔しまー……す」

 

 腰が引けながらも、家の中に入る。彼女の妖気が染み付いた部屋。得体の知れないと言う表現がぴったりな、怪しく、禍々しい気質。正直、入るのはかなり怖い。

 

「……そんなにおどおどしないでよ。何もしやしないから」

「う……うん」

 

 部屋の中、畳まれた布団の横、かつて私の相棒だった彼の妖気が染み付いた場所に腰を下ろす。おどろおどろしい妖気の中、唯一、私の知っている懐かしい気配。

 彼について、私は、これから彼女と話をせねばならない。

 

「よっ……と。ちょっと待ってて」

 

 卓袱台を私の前に置き、お茶をいれ始めるぬえ。妖怪としての格は彼女の方がずっと上のはずなのに、此方を見下す素振りも見せない。

 

「はい、お茶。安いのだけど」

「ありがとう」

 

 彼女から湯飲みを受け取り、口に付ける。やたら熱い。やっぱり、種族が違うと味覚や感覚も違……

 

「あっつ」

 

 わないらしい。

 冷まし冷まし、ちびちびとお茶を飲むぬえを眺めていると、何だか親近感が湧いてくる。彼方が、私をどう思っているのかは分からないけど。

 

 

 お茶を啜る音だけが部屋に響く。話す事は、決まっている。でも、話し出せずにいる。

 恐怖は薄れた。あるのは、緊張感のみ。

 

「……あの」

「……なに」

「えと、あの……彼、乗り心地は如何ですか!」

 

 ……何を聞いてるんだろ、私。顔が熱い。

 

「……えっと、そこから切り出すの?」

「ご、ごめんなさい、ちょっと気が動転してて」

「私程度に怯えてるんじゃ、ここじゃやっていけないわよ。酔っ払いの鬼たちが絡んでくるっていうのに」

「鬼? いるの?」

「むしろ、鬼ばっかよ……あいつら、ずっと酒飲んでるんだから。酒臭いったらありゃしないわ……て、何の話だったっけ」

 

 そう言って、頬杖をつく。私が言うのも何だけど、だらしない。崩れた体勢の彼女に倣い、私も正座していた足を崩した。少しだけ、足がピリピリする。

 

「えっと、彼の」

「ああ、そうそう。で、乗り心地だっけ?」

 

 にやにやしながら、私の顔を見る。顔の火照りがぶり返すのが分かる。あと、彼女の性格が悪い事も。

 

「良いわよ。とっても。畳何かよりも柔らかくて、それでいて布団よりも固くて。ちょうどいいわ」

「運転は、なさらないんですか」

「敬語使わなくていいわよ。同年代でしょ?多分。封印されてた間除けば」

 

 何時の間にか空になった湯飲みを転がしながら、彼女が言う。とても、同年代とは思えない妖気。でも、確かに打ち解けやすい雰囲気もある。天賦の才、というやつだろうか。

 

「じゃあ、改めて……運転とかは、しないの?」

「あんまりしない。めんどい。て言うか乗ってる時間も少ない」

「えー……なら、なんで彼を貰ったの」

「……都合があるのよ。都合が」

 

 特別、彼と走るのが好きな訳ではないらしい。なら、一体何に惹かれたのか。

 ぬえが口を閉ざした以上、そのことについて追求する勇気も無いので話題を切り替える。

 言いたくない事の一つや二つはあるもの。そういうものを抉り出すのはいけないと、聖も言ってたし。

 

「そういえば、地底ってどんな暮らしなの? 思ったより悪くなさそうだけど……」

「私らにとってはね。でも、あんたらは別に悪い事してた訳じゃないんでしょ?」

「まあ……」

 

 聖と共にしていたことは、悪事などでは無い。そういえば、私達には封印される様な理由は無いのだ。

 

「鬼や、悪事を働いた妖怪、怨霊、獄卒。ここは、封印された者達の監獄であって、自主的に引きこもった楽園でもある……彼の受け売りだけどね」

「……結構、治安とか悪かったりするの?」

「まあ、喧嘩ばっかやってるけど。でも」

 

 ぬえが此方に向き直る。地底に封印されたにしては、明る過ぎる笑顔で。

 

「行き場のない私たちにとっては、文字通り楽園よ。それに、私がここに落ちた時、助けてくれたのが彼だったから。だから、私もあなた達を受け入れなきゃね」

「……ありがと」

 

 だから、彼を貰い受けたのか。ならば、彼女にとっての彼は、只の道具なんて物じゃなくて……

 

「あーあ。にしても暇ね。あいつも何処か行っちゃったし」

 

 ぬえがその場に寝転び、天井を見上げる。暇なのは、私も変わらず。やっぱり彼女に倣って横になった。

 

 沈黙。

 遠くで、喧騒が聞こえる。彼女の言っていた鬼の街だろうか。天井は、私達がいた寺のそれよりも随分と低い。

 二人共喋らないけど、それでも、不思議と気まずさは感じなかった。まるで、何年も前から友達だったかのように。

 

 ぬえは、何を考えているのだろうか。私と、同じ事を考えてたらいいな、なんて。

 

「ねぇ」

「なに?」

「今日、さ」

「うん」

 

 一旦、間を置いて。

 

「家に、泊まってかない?」

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 夜。と、いっても感覚的に、だけども。唯、街の灯りが昼間よりも暗くなるのが唯一の目印で。やっぱり、昼夜の折り合いは付けないと問題があるらしい。主に、店の店主側にとって。

 

 近くの居酒屋で夕食をとり、今はもう寝支度を済ませた後。

 二つ並んだ布団。一組、余分に持っておいて良かった。流石に同性とはいえ、初対面で一つの布団で寝るなんて提案が出来るほどに図太い神経は持ち合わせていない。

 

「あいつ、何処にいったんだろ」

「走ってるんじゃない? 走るの好きだったし」

「そっか」

 

 天井を見上げたまま、隣にいる村紗と話す。

 そういえば、彼以外の人と寝るのは初めて……と、いうと誤解が生じそうだけど。

 

「前から気になってたんだけど」

「うん」

「彼って、強いの?」

 

 あの、船を引き上げた時の妖気の量は尋常じゃなかった。下手をすれば、そこいらの鬼なんかよりもずっと……

 

「……うーん……巫女と戦った時は、ぐしゃぐしゃにされちゃってたけど」

「……えー……」

「でも、相手が相手だったしなぁ……全員でかかったのにボロボロにされちゃったし」

「……地上って怖いのね」

 

 あの妖気を封じ込めること自体、無理な話だと思ったのだけど。そんな彼を容易く倒せる人間がいるなんて。

 

「……私からも、質問いい?」

「どうぞ」

 

 村紗の言葉が止まる。暗くてよく分からないけど、躊躇しているかの様な雰囲気。

 

「私が聞くのも何だけど……彼の名前、なんていうの?」

 

 名前。そういえば、さっき名前も知らない云々言ってた気がする。

 しかし、名前。知らない方が不自然な気がするけども、やっぱり思い出せない。元から記憶に無い。

 

「ごめん、私も知らない」

「え?」

「あいつ、考えて見たら名乗った事無いのよ。鉄の乗り物だとか、憑喪神だとか、そういうのは名乗るくせに」

「貴方にも名乗ってないの? 持ち主でしょ?」

「あいつは、あなたのことを前の持ち主って言ってたわよ。それに、地底に来てからもずっとあなた達を探してたし……むしろ、あなたが知らない方が不思議だけど」

 

 かけ布団を押しのけ、座る。村紗も私と同じように、敷布団の上に座り直した。

 

「なんで、名前を言わないのかしら」

「信頼されてない?」

「いや、信頼してない相手の為に命は掛けない」

「……なら、なんで教えないのかしら」

「……聞かなかったから、とか言いそうよね」

「言うわね。絶対」

 

 暗闇で笑い合いながら、また布団に横になる。夜目が効く妖怪同士、暗い部屋の中でも相手の表情くらいは分かる。

 

「……私、持ち主辞めよっかな」

「え?」

 

 村紗がまた跳ね起きる。面白い。

 

「あなた、言ってたじゃない。仲間、だとか友達、だとか。そんな関係の方が、楽なのかなって」

 

 私にとっても、彼にとっても。そう、心の中で独りごちて。

 

「……なら、私とも友達だね」

「嫌かしら?」

「全然」

 

 座ったままの村紗が、私に向かって右の手を伸ばしてくる。何のつもりだろうか。

 

「ほら」

「……えと、何のつもり?」

「握手」

 

 上半身だけ起き上がり、しばし目線を合わす。握手、なんて。生まれてこの方、した事が無い。

 

「ちょっと、なんで左手だすのよ。右手右手」

「あ、ごめん、ほら、暗いから」

 

 知識としての握手は、分かっている。手と手を握る、友好の証。でも、やったことなんて。

 こんな行為一つでおどおどするのも滑稽な話だけど。そんな事を考えている私の、出し直した右手を彼女が力強く握る。

 

「これから、よろしくね」

 

 冷たい。彼女はどうやら、幽霊等の類らしい。思ったよりもずっと冷たい手の平を握るのを一瞬躊躇し、それでも強く握り返した。

 彼をどうするか、は、まだ決まっていない。けれど。

 こんな関係も、悪くはない。

 

「こちらこそ、よろしく」

 

 暗闇に浮かぶ彼女の笑顔を見ながら、そう思った。

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

「じゃあ、これで決定ね」

「問題無いわ」

 

 ぬえの家には二日泊まり、三日目の昼。もうじき、彼も戻ってくるだろう。

 私達は、一枚の紙を前に座り込んで居た。それは、彼に対する「取り決め」の紙。彼のいない場で決めるのも何だかおかしい気がするけど、彼も話し合えとかなんとか言ってたので気にしない。

 

「一つ。私、封獣ぬえは彼の持ち主を辞め、友人としての関係を築くことを此処に誓います」

 

 これは、私としては実は無くても良かった取り決め。唯、ぬえが彼との関係を見直したいと言って聞かなかったので取り入れたのだ。

 

「一つ。彼は今後もこの家に……勿論、彼が許すなら、だけど」

 

 これは、彼とぬえとの関係が友人となったからと言って、彼を追い出す訳にはいかない……というより、居て欲しいという理由から。

 

「一つ。私村紗水蜜は一輪、雲山に封獣ぬえを紹介し、聖輦船をこの家の裏に着陸させる事を誓います」

 

 これは、私の我儘。一輪達には、なんとか説得する……なんとか。

 

「最後……上記の取り決めは、彼の承諾を持って受理することとします。以上!」

 

 つまり、全ては彼次第。彼が受け入れなければ、上記の取り決めは見直すか、取りやめか。

 ぬえが持ち主でなくなる以上、彼が何処かに行ってしまう可能性もあるわけで。それは、ぬえも分かって言っている。

 でも。彼がそれを望んだならば、私たちは喜んで受け入れたい。

 

 懐かしいエンジン音が近付く。乗っている時に効く音よりも、少し高い音。それが、家の前で止まる。

 

「ただいま、戻りました」

「入っていいわよ」

「失礼します」

 

 車輪が、坂を上がり、床の上へ。熱を持ったエンジンを、ファンで冷やしながら近づいてくる。全部、彼に教えてもらったことだけど。

 

「どうでしょう。仲良くしてました?」

「まあ、仲良くはしてたけど……なんで子供扱いなの」

「若々しいという意味です」

 

 一言多いところも変わらず、昔と同じ彼。そんな彼の前に、一枚の紙を突きつける。

 

「これが、私ととぬえが話し合った結果。どう?貴方は、了承してくれる?」

「私の意見はいりませんよ? 私はあくまで……」

「道具、なんて言わせないわよ」

 

 ぬえが、突きつけた紙の最初の項目を指差す。彼女の禍々しい妖気と、強気な態度が頼もしい。

 

「……友人、ですか」

「そう。友人」

「私は、まだ貴方方と一緒に居たかったのですけど」

「最後まで読んでよ」

 

 彼が黙り込み、ライトに幽かな灯りが灯る。読んでいる、と見て良いのかな。

 

「……なるほど。理解しました」

「どう? 了解、してくれる」

「私の了解なんて、聞かなくても」

「だから、道……」

「こちらこそ」

 

 彼が、ぬえの言葉を遮る。彼にしては珍しく、少し、強い口調。

 しかしそれも、ぬえの言葉を遮り終わると、また、いつもの口調に戻って。

 

「こちらこそ、その内容でお願いいたします」

 

 嬉しそうな、彼の声。一瞬、泣いてるのかと思ったほどに。涙なんて、流れるはずも無いのだけど。

 握手しようと手を伸ばしたが、握り返せる腕なんてそこには無く。宙を描いた手のひらをとりあえず彼のハンドルに置いた。

 ぬえも、私の様に逆側のハンドルへ。最後に、私とぬえも手をつなぐ。

 握手とも呼べない、三人の繋がったおかしな円が出来上がる。霊と、妖怪と、物。今までは、持ち主と物として。これからは、友達として。

 

「改めて……これからも、よろしく」

 

 表情は分からない。けど、確かに彼は笑っている。

 こうして、ぬえと私と、そして、彼の、新しい関係は始まったのであった。

 

 


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