東方単車迷走   作:地衣 卑人

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二十一 地と鉄

 

 見慣れた洞窟。

 淡い光に満たされた、まるで井戸の底のような空間。剥き出しの岩肌や、流れる水、そして、進む毎に増してゆく外の空気。

 地底と地上を繋ぐ、洞窟。地獄と地上というならば、この洞窟こそがかの黄泉比良坂だと言えよう。抜けた先にいるのは、醜女の類などではなく、親愛なる友人達ではあるのだけれども。

 そんな事を考えながら、岩を避け、坂を登り、地上へ繋がる洞窟を駆ける。

 

「……寒」

 

 と、言うほどに気温は低くはない。唯、何故か。酷く、寒く感じるのだ。

 俺に生物としての体があれば、きっと震えていることだろう。それ程に、体が冷え切ったかのような感覚に包まれていた。

 俺は、物。体温など存在しない、冷たい無機質。そんな俺が、寒さを感じるなど。これが、寂しさと言うものなのか。

 

 本当、笑ってしまう。

 

「鉄の!」

 

 空気を揺らす……否、洞窟を揺らす程の大声と共に、ライトの照らす暗闇の中に一人の妖の姿が浮かび上がる。大岩の上に仁王立ちをして待ち構えるそれは、鬼。その岩までの距離は、あまり残されていない。

 あまりスピードを出してはいなかったとは言え、急な停止は中々に堪える。前輪と後輪のブレーキをじわりと、しかし速やかに掛けてスピードを落とす。

 停止する体。見慣れたその姿を見た為か、少しだけ寒さが和らぐ。

 

「星熊童子殿」

「だから、その名前は古いっての。勇儀と呼びな、鉄の」

 

 星熊勇儀。怪力乱神と名高い彼女。いつも旧都で酒を煽っている彼女が、何故、こんなところにいるのか。

 

「ははっ、やっぱり辛気臭い面してるね。そんなに地底を離れたくないかい?」

「……顔に出ていましたか?文字通りの鉄仮面ですよ」

「なに、分かるもんさ。理屈じゃなくてね」

 

 成る程、彼女は怪力乱神。対する俺は、自我を持つ道具。理屈などは大した問題ではないのだろう。

 

「で。さぞや寂しいんだろうなぁ、鉄の」

 

 鬼は、嗤う。

 

「何を申しますか。私は、鉄の妖。只の道具。一時の感情に流されて任務さえ遂行出来ないような、不良品では御座いませぬ」

「して、その本心は」

「寂しさ半端無い。私、一人で地上、行きたくない」

 

 俺の言葉を聞いた鬼が笑う。仕方が無いのだ、それが本心なのだから。鬼に嘘を吐くなど、無理な話なのだ。

 

「まあ、可愛らしい連れが二人に、面倒見の良い美人さんがいりゃぁねぇ。離れたくないに決まってるか」

「そりゃ、まあ……他にも、未練はありますがね」

 

 水蜜にぬえに、一輪。彼女達と過ごした期間は、あまりにも長い。もはや、家族同然の親友達。

 それに加え、さとりやこいし、雲山に、憑喪神達、そして、地底の鬼達。目の前にいる勇儀も含め、皆、大切な仲間である。

 陰鬱な癖に華やかで、碌でもない連中ばかりの癖に皆仲が良くて。本当、挙げれば切りが無い未練の数々が、俺の後ろ髪を強く握りしめている。

 最後に一輪と話した時は、心配させたくなかったので大見得をきって出発したが……

 道具の癖に未練たらしいなんて、聞いて呆れる。

 

「私は別に引き止めに来たんじゃないよ。喝を入れに来たのさ。人の心を持った鉄の塊に」

「鉄の心を持って生まれて来たつもりですが……」

「そんな弱気な姿勢でかい。笑わせるなコオロギもどき」

 

 蔑み、口元を斜め上に歪めながら俺を見下ろす勇儀。返す言葉も無い。コオロギにもちょっと似てる気がするし。

 

「ま……地底は、私たちにとっちゃ楽園だからね。お前がそう思うのも仕方ないのかも知れないし、そう思えるくらいの場所を作れたのは嬉しいよ。でも」

 

 勇儀が杯を仰ぎ、酒気の混じった吐息と共に続く言葉を吐き出した。

 

「あんたはそれに依存し過ぎた。こうして此処まで走ってきたあたり、頭では分かってるみたいだけどね」

 

 頭では、分かってる。だが、心は、拒み続けている。これは、やはり自分の甘さ故なのか。

 

「もっと、気楽にいきなよ。道具なんていう括りに縛られずにさ。お前はお前、自分のやりたいようにやれば良いんだよ。戻りたくなったら、何時でも戻ってきて良いんだしさ。ちょっとそこまで、ってな感じで」

 

 そこまで言って、二通の封筒を取り出す勇儀。

 

「手紙の返事だよ。これで、気が楽になるはずだってさ」

 

 フェムトファイバーで手紙を受け取り、その差出人を見る。一通は、一輪から。もう一通は、村紗とぬえから。

 

「……読みますね」

「音読はしなくていいよ」

「しませんよ」

 

 まず、一輪からの手紙の封を切る。

 俺の字とは、比べ物にならないくらいに綺麗な字が等間隔にそこには並び、あまりに彼女らしくて笑みが零れた。

 

『急ぎの返事で、雑な字面となってしまってごめんなさい』

 

 本当に、彼女らしい。何処まで真面目なのだろうか。

 

『まずは、ごめんなさい。貴方一人に大役を押し付けた挙句、心配までさせてしまって。本当は辛かったのだろうと思うと、本当にこれで良かったのかと、少し、後悔しています。頼んだ手前、こんなことを言うのも気が引けますが、本当に、ごめんなさい。そして、引き受けてくれてありがとう。辛い時はいつでも、戻ってきてくれて構いません。戻りたくなくなったのなら、そのまま地上で暮らしても構いません。貴方の自由に。私はあくまで友達で、貴方の行動を束縛することは出来ないし、そんなことは望んでもいないから。だから、自由に生きて下さい。一輪』

 

 一輪からの手紙を読み終え、一つ、溜息を吐く。此処まで見抜かれているとは、思ってもみなかった。それに、ここまで一輪が思い悩んでいるとも。

 そして、もう一通。村紗とぬえから着た手紙。

 

『見送らせてくれたっていいじゃないの。何、そんなに私たちに顔合わせるのが嫌なの?ぶっ飛ばすわよ』

 

「うぐぅっ」

「どうした」

「いや、直球すぎる内容だったもので……」

 

 あまり丁寧とは言えない筆跡。多分、ぬえの字なのだろう。

 

『ぬえはこう言ってるけど、あんまり心配しないでいいからね。聖を助けるのが最優先だし、聖が復活するのなら私も嬉しいから』

 

 此方は村紗か。丁寧に書かれた字は、ぬえとは真逆の印象を受ける。本当、彼女たちらしい文面。

 

『あ、でもね。最後に顔合わせてくれなかったのは怒ってるからね。次に会ったら錨で殴るからね』

『からね』

 

 村紗の文に続き、ぬえの言葉が短く入る。どうやら、ぬえの方はこの辺りで手紙を書くのに飽きたらしい。

 紙の隅に、蛇やら虎やらの落書きが描かれているのも、そのせいか。

 

『あ、あと。地上でも、新しい持ち主を見つけて構わないから。私たちは友達だし、その辺は貴方の自由だからね。でも、持ち主が見つかっても友達ではいてね。絶対にだよ』

 

 絶対。それは、当然。

 彼女らと縁を切ることなど、あり得ない。

 また、筆跡が代わる。

 

『私達も、地上に出れないか方法を探して見るからさ。だから』

 

『また、いつか会いましょう』

『絶対に、ね』

 

「村紗水蜜、封獣ぬえ、より」

 

 手紙を出来る限り丁寧に折りたたみ、俺の車体の収納スペースに収める。

 遠く離れようと、彼女達とは繋がっている。いつかまた、必ず会える。だから。

 今は、前に進もう。他でも無い、彼女達との約束を果たす為に。

 

「どうだい?気は晴れたかい」

「ええ。次にあったら殴られるそうですけども」

「そうかそうか。そりゃあ良かった」

 

 杯を仰ぎ、からからと笑う鬼。そういえば、地底に来る時には勇儀に運んで貰ったのだったか。

 

「勇儀殿」

「なんだい。畏まって」

「いつでも畏まっているつもりでありまするが……」

「やっぱり、一言多いね。あんたは」

 

 村紗や一輪達と再開出来たのも、ぬえと出会えたのも。此処に運んだ勇戯という存在があってこそのもの。彼女に受けた恩は、測りし得ない。

 

「今まで本当に、ありがとうございました!」

「おぉっと、鬼が人に礼を言われるとは」

「人じゃなくて、鉄ですがね」

 

 からからと鬼は笑い、釣られて俺も、動きもしない鉄の面に精一杯の笑みを作る。彼女ならきっと、分かってくれるだろうと。

 

「……さっ、て。そろそろ、私ゃ行くよ」

「本当に、ありがとうございました」

「はは。そうだ、どうせだから……お前の地上旅行に少しばかり、手を貸してやろう」

 

 にやりと。悪戯でも思いついたかのように笑い、勇儀は俺の後ろに回り、荷台を掴む。

 

「な……何をする気で?」

「なぁに、ちょっと空を飛ぶ気分でも味合わせてやろうとなぁ」

 

 嫌な予感がする。

 

「いや、結構です。走ります、走りますから!」

「遠慮するなって!」

 

 此方が困っていることを理解し、それでもなお続けようとする。

 やはり、彼女は鬼。性格は、悪い。逃げなければ、痛い思いをするのは自分である。

 俺はエンジンを駆け、ギアを落としアクセルを回す。この鬼の魔の手から脱出せねば、地上どころか天国まで昇る羽目になる。

 

「はっ!鬼に力で勝てると思ってるのか!」

「負けでいいから、離して下さい!」

 

 微動だにしない勇儀の体。只管、大地を削りながら車輪を回す俺。自慢の馬力も、鬼からしてみれば犬の散歩程度の引力にしかなり得ないらしい。

 

「さあ!覚悟を決めな、鉄の狗!お前の前にいるのは鬼の四天王が一、星熊勇儀!無事地上へと送り届けようぞ!」

「い、要りませぬ!助けて!離して!」

 

 車輪が浮かぶ。タイヤは虚しく空を切り、鉄の体は重さを無くしたかのように軽々と持ち上げられる。

 そして始まる、回転。何をしようとしてるのかは、理解した。

 

「勇儀殿!ちょっと待って!待て!おい!」

「一!」

 

 一周。勇儀は俺の木刀でも振り回すかのように軽々と、俺の体を回転させる。

 

「二!」

 

 二回転。鬼の手は未だ身体から離れず、巫山戯た速度で車体が舞う。鬼の馬鹿げた筋力は、凄まじいとしか言いようのない加速度を以って俺を、回す。

 次で、別れなのだろう。俺は、今更ながら覚悟を決め、エンジンを切った。

 

「三!」

 

 手が、離れる。

 

「達者でな!鉄の!また会おう!」

 

 勇儀の声が途方もない速度で遠ざかる。返事をする余裕は、無い。

 勇儀の手を離れた俺は、撃ち出された弾丸の如く空を切り。纏わり付く風を引き剥がし、その音を鉄の体の中に反響させながら、飛ぶ、飛ぶ。

 

「土蜘蛛殿!巣!破ります!」

 

 地底の最上に位置する、土蜘蛛の巣。いつもなら、此処まで来て休憩して、旧都に戻るのがお約束のルートであった。

 土蜘蛛の驚く顔を追い越し、その言葉も聞けぬまま俺は、巣を引きちぎりながら飛行する。

 彼女に別れを告げられなかったのは残念だが、すれ違う彼女の顔に確かに、笑みが浮かんでいた。また会ったときに、平謝りしよう。

 

「……さようなら、地底」

 

 差し込む光が、俺に近付く。まさか本当に、此処まで投げられるとは思っても見なかった。鬼の怪力に苦笑しながら、眩し過ぎる外の世界へと踊り出る。

 

 俺は慣れ親しんだ、暗く湿った洞窟を、地底を、飛び出した。

 

 


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