紅い天井。
私が自分で選んで購入したベッド。人間が作った製品であるそのベッドに寝転がり、只々紅い天井を見上げる。
他の部屋は、全て黒い壁。この部屋だけは、私の私室ということで真っ赤に染め上げてある。他の吸血鬼達は入れない、夜王の寝室。自分のことながら、子供っぽいと思う色のチョイス。
それでも、私はこの色が好きなのだから仕方がない。人間に流れる、あの液体と同じ色。外の世界に私が創り上げた秘密の館……その屋敷も、全て紅い色で染め上げられたものになっている。
人と共にしか生きれない吸血鬼。
この幻想郷が人とヨウカイの楽園だと聞いた時は、私の屋敷を移転させるのにぴったりの世界に巡り会えたと喜んだものだが、それも束の間。配下の吸血鬼達……私と比べれば、貧弱すぎるほどに弱いあいつらは、ここを自分等の楽園にしようと戦争を仕掛けてしまった。
集団心理、とか言ったか。友人の魔女に聞いた言葉だが、奴等は私の命令さえ無視して独断で暴れ出した。
思い出しただけで、腑が煮えくり返る。
「紅茶……自分で入れるしかないわね」
「私がいれましょうか?不器用ではありますけど」
「入れれるのかしら。頼んだわ」
紅い乗り物……単車というらしい。
私がこの幻想郷に来て、始めに出会った魔物。本当に奇妙な見た目だけど、その色と、彼が辿る運命に魅力を感じて所有物としたのだ。
不器用な手つきで紐を使い、紅茶を淹れようとする彼。その内、彼にも名前を付けてあげよう。
「どうぞ、夜王様」
「レミリアでいいわ」
「では、レミリア様」
「……あくまで、様付けなのね……」
「なら、レミリアちゃ」
「捨てるわよ」
「ごめんなさい」
彼のライトに爪を立てながら紅茶を受け取り、ティーカップの淵に口を付ける。
意外と美味しい。しかし、また調子に乗るので褒めはしない。
「いかがでしょうか」
「血が入ってないわ」
「オイルで良ければ……」
「いらない」
何処か恍けた感じが、咲夜に似ていて。早くこの問題を解決して、あの館ごと彼女を連れてきたい。
私が求めた楽園へ。
気高い吸血鬼のいる、幻想郷へ。
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紫の空間。
紅色が暗闇の中うっすらと浮かび上がり、不思議な色合いとなって俺の視界を埋める。
暗い、日の届かない部屋。何処も彼処も紅く彩られた、しかし、何故か落ち着いた雰囲気の空間。
其処に、一台の単車と一体の吸血鬼がいた。
「弱いわねぇ、妖怪。あんな雑魚達にやられていくなんて」
「どうやら、人を襲う事が出来なくなった所為で弱体化がすすんでいるようで。ですが、じきに力有る妖怪が動くでしょう」
「ふうん……面倒な場所ね。此処って」
幻想郷は博麗大結界と呼ばれる結界に囲まれ、外の世界と自由に行き来が出来なくなった。それで、数少ない人間の数を減らすわけにはいかない状況に陥り、妖怪達が弱体化し始めた……全て、辺りにいた憑喪神達からの情報である。
「……でも、私たちだって人の血がいるしねぇ」
「その辺は、どうにかしなければなりませんね。貴方の場合、襲うことも必要ですけれど……」
「血。それが飲めなければ、吸血鬼じゃない」
妖怪は、精神に依存する。鬼であれば、人を浚う。妖怪ならば、人を襲う。吸血鬼ならば、人を襲い、さらに、血を啜る。
アイデンティティ。それが、精神に依存する者にとって一番大事なものなのだ。
因みに俺の場合、誰かを乗せて走ることが彼女達のそれにあたる。
「吸血鬼と妖怪の戦争、と認知されているようですので、和平条約でも結ぶしか無いでしょうね。血の供給については」
「うーん……養殖物かぁ」
レミリアがベッドに、なかば飛び込むように寝転がる。
「一応、私がトップだしなぁ。やっぱり、私が出るべきかしら」
「いえ……レミリア様、貴女は今回、表に出ない方が良い」
レミリアが起き上がり、不思議そうな顔をする。
「なんで」
「貴女が……吸血鬼のトップが出れば、必ず彼方は貴女を殺そうとするでしょう」
「私がやられると?」
「やり返せば、戦争は続きますよ」
「あー……成る程」
そう言って、また考え込むレミリア。若干考え方は幼いものの、頭の回転は速いようだ。
「……私の代理を立てるにも、そんな信用出来る奴はいない。それは、相手からしても、ね」
俺の方を見ながら、レミリアが呟く。何となく、言わんとすることの想像はつく。
「私に、代理に立て、と?」
「そのつもりで言い出したんでしょ?」
にっ、と。小さな口から八重歯を覗かせながら、彼女が笑う。
今回の主は、一緒に居て楽しくて仕方がない。緊迫した状況でも、まるで、只の遊びのように感じてしまう。
「……御意。仰せのままに、レミリア様」
俺は苦笑しながら、その命を受けたのであった。
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青い空。
幻想郷を多い尽くした、黒い霧の上空からスキマに腰掛けて下界を見下ろす。
時々上がる閃光は、巫女が吸血鬼に加担した妖怪を退治しているからであろう。
吸血鬼。西洋から境界を越えてやってきた、強大な種族。
彼等が、ここまで好戦的な種族だとは思わなかった。人に近く、人と恋に落ちることだってある知的な種族。そんな幻想は、この幻想郷には流れつかなかったらしい。
流れ着いたのは、ホラー映画にでも出てくるような、元々の、恐怖の象徴としての吸血鬼。外の人間は、吸血鬼に対する畏怖を忘れたらしい。
「……戦いは、あまり得意ではないのですけれど」
「何言ってるんですか、私を打ち負かしておいて」
隣にいた私の式、藍がそうぼやく。
「ああ、貴女がいたわね。どうかしら、九尾の狐の鼠退治」
「空を飛ぶ鼠なんて、嫌ですよ」
あら残念、なんて、適当に返事をしつつ、頭の中では別の事を考える。
吸血鬼は、服従させるなり殲滅するなりすれば良い。問題は、この妖怪の弱体化。
吸血鬼の侵入は、妖怪にも人間にも危機感を持たせただろうけれど、妖怪が人を襲えないのには変わりない。このままでは、次にこんな事が起こった時に対処出来る筈が無い。
己の張った結界。策。それ等が生み出した、不具合。過去の自分を恨みながら、対処策を探す。
何か、人と妖が安全に戦えるようにするためのルールがあれば。それを、制定することができれば……
「ゲーム感覚の決闘、ね。彼なら、何か思いついたかも知れないけど……」
「彼?」
「ええ。古い古い、未来の友達ですわ」
「はぁ……?」
彼女は知らない。彼……あの単車が未来から来たことを。
ゲームとなれば、女の私よりも男である彼の方が詳しそうだったのだけど。
彼は、結界が張られる前に眠りについてしまった。
「まあ、其方についてはゆっくりと考えるとして」
まずは、目の前にある障害を打ち破る。
私の、愛しい幻想郷の為に。
「ちょっと出かけて来るわぁ」
「お供しましょうか」
「蝙蝠退治くらい、一人で出来ますわ」
スキマを開き、体を滑り込ませる。吸血鬼の支配下に置かれた、幻想郷の奪還。
偶には、こんな陣取りゲームも楽しいかもね、なんて。
私は、黒い霧に包まれた地に飛び込んだ。
吸血鬼の根城、黒い屋敷の門前。
呼び鈴を鳴らす必要もなく、彼等は私を歓迎してくれた。
襲いくる剣尖。突き出される槍。振り下ろされる斧。
無粋で、つまらない余興に呆れながらも彼等のもてなしに付き合っている。
切る、穿つ、断つ。全てが、私にとっては無意味な行動。スキマを開いて、相手の頭上に、背後に、その軌道を無理矢理移動させる。
面倒なのは、それで吸血鬼達が死なないこと。放っておけば、すぐに再生して武器を握り、届きもしない攻撃をしかけてくる。
「いい加減に、飽きてくるわ」
埒があかない。私はスキマを使うのをやめ、その攻撃を傘で受け流す。攻撃が外れ、態勢を崩した吸血鬼の頭に手を当て。
「これなら、どうかしら」
思考と肉体の境界を弄り、吸血鬼の意識を断ち切る。思考は続けど、それが身体に伝えられないのならば、動ける筈がない。
金縛りの原理と同じ。思惑通り、吸血鬼は倒れて動かなくなる。
「さ、この調子でいくわよ。蝙蝠退治」
降り注ぐ武器の雨をかわしながら、そう、呟いた。
此処も、すぐに片付く。そうして、巫女が辿り着くより先に。
私は、黒く彩られた屋敷の門を打ち破った。