東方単車迷走   作:地衣 卑人

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二十七[番外]水の林、岩と花

 

 

 その日は、風が強かった。

 

 

 

 

 だから、倒れても仕方がなかったのだ。と、自分に言い訳をしながら、何とか起き上がろうと前輪を動かす。

 俺は単車。腕もなければ、足も無い。起き上がらせるときはテコをつかって、なんて、俺には関係の無い話である。

 

「誰かー、誰かいませんかー」

 

 風が強い。雲は暗く、閃光をちらつかせながら迫ってくる。もうじき、雨が降るだろう。辺りに生い茂る木々も、俺を雨から守ってくれそうには無い。

 

「誰かー、誰か助けてくださいー」

 

 今一緊張感に欠ける、俺の声。どうも、敬語を使うと何処か惚けたような、胡散臭い調子になってしまう。輝夜には慇懃無礼だのなんだのと怒られてばかりだった。

 そんな輝夜と、別れたばかりだと言うのに。彼女なら、坂の上ででもこけない限りは俺を起こす事ができた。

 それは、さておき。

 

「……妖怪を助ける人もいないか」

 

 妖怪を助ける妖怪も、あまりいないが。

 風は強くなる一方。もうそろそろ雨が降り始めるかと思っていた時であった。

 一羽の兎が、俺の前に現れたのは。

 

「そこの兎さんよ」

 

 茂みから現れた、白兎に声をかける。無論、兎と意思疎通ができるわけもない。只の気休め、である。

 

「誰か助けを呼んでくださいな。一人じゃ起き上がれなくてね」

 

 兎はその長い耳をぴくりと動かして茂みに向かって飛び込んだ。

 すわ言葉が通じたか。若しくは、俺の声に警戒して逃げたか。十中八九、後者であろう、が……?

 

「ん……?これは、妖気……?」

 

 何かの気配が近付く。妖気と、獣の匂い。妖獣は基本的に血の気が多い。この気配の主が妖獣ならば、この状態で出会すのは、出来れば避けたい。

 

「何方でしょうか。人語を解すことは、出来ますか」

「日本人だからね。日本兔?どっちでもいいけど」

 

 茂みから、まず素足が飛び出し、そして、その全身が躍り出る。

 頭に兎の耳が付いた、兔。妖獣にしては珍しく、人間よりの容姿。

 

「助けを呼んでる変なのって、あなたのこと?」

「助けは呼びましたが、変なのではありません」

「ふぅん。ま、いいけどね。元から助けるつもりは無いしー」

 

 この兔。中々にへその曲がった兔である。雷様に取られるが良い。

 

「ま、私に会えたんだから大丈夫でしょ。じゃねー」

「て、ちょ……」

 

 言うが早いか、また茂みへと飛び込む兔少女。一体何をしに来たのだろう。

 また、一人になる。咳をしても、心配してくれる人もいない。いつものことなのに、今日は何故だか寂しく感じる。

 

 必要も無いくしゃみを一つした、その頃。

 俺のタンクに、一滴の水が落ちた。

 

 

 

 

 

 

 雨が降る。

 土砂降りの雨が、視界をぼやかす。世界を曇らせる。

 纏ったボロ布も、水を吸ったせいで車体に張り付いている。その車体は、変わらず地面に張り付いている。

 雨の匂い。土の匂い。

 雨の音。土の湿る音。

 

 俺は、雨に打たれながら、静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨の音と、湿り切った泥の跳ねる音に、何か、別の音が混じる。

 一定のテンポで近付くそれが足音だと気付き、あたりをミラーで見渡した。

 音は近付く。ちいさな水飛沫をあげながら。

 

 先の兔と同じように、一人の少女が飛び出した。

 

「……なに、これ」

 

 俺の姿を見て、目を丸くする少女。否、少女の姿をした、何か。

 

「こんにちは。お嬢さん」

「……喋るんだ」

「喋ることには驚かないのですね」

「十分驚いたつもりだけど」

 

 少女が言う。短めの黒髪、裾の短いぼろぼろの着物。

 少し、淀んだ目。

 

「貴女は、人間でしょうか?」

「貴方は、人間じゃないのね」

「私は妖怪。乗り物の妖怪」

「私は、人間。不死の人間」

 

 不死。輝夜と同じ、不死。しかし、彼女からは月の民のような匂いは感じない。感じるのは、この、地上の匂いだけ。

 

「それより、こんなところで何してるの?」

「転んでしまい、立てないのです。手をかしてはくれませんか」

「構わないけど……結構、重いね」

 

 そう言いつつ、俺を難なく起こす彼女。人なのか、何なのか。

 

「ありがとうございます。助かりました」

「どういたしまして。それじゃ、私はこれで」

「お待ちくださいな」

 

 振り向く彼女を止め、次の言葉を続ける。

 

「すぐそこに洞窟があります。私は、そこに向かおうとしていました。雨が上がるまで、雨宿りでも如何でしょうか」

「……構わない、けど」

「なら、どうぞ、こちらへ」

 

 エンジンを駆けずに、自力で進み始める。その横を少女が歩く。

 

「そういえば、お名前は」

「藤原妹紅。貴方は?」

「私の名前は……何でしたっけねぇ。もう、憶えていないのです」

「へぇ……貴方も、長生きなのね」

「永遠に生きるわけではありませんがね」

 

 泥にタイヤを沈ませながら、獣道を進む。

 

「乗りますか?」

「いや、いい。歩く」

「さいですか」

 

 歩く。俺には、もう、縁の無い言葉である。

 名前も忘れた、元人間。もう、人間らしさは欠片も無くなってしまったけれど。

 

 岩肌が見えてくる。じきに、洞窟に着く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 

 

 

 濡れた身体から、水が落ちる。乾いた岩肌を濡らし、湿らせ、また落ちる。

 ゴツゴツとした、洞窟。

 座った途端、隠れていた疲れがどっと溢れ出す。少しだけ、眠い。

 

 目の前にいるのは、見たこともない乗り物。鉄の妖怪。しかし、此方を襲うつもりは無いらしい。

 彼が起こした火に手をかざしながら、濡れた身体を乾かしていく。

 

 外は、変わらずに雨が降っていた。

 

「お疲れのようですけど」

「ちょっと、ね」

 

 火の暖かさ、水の冷たさ。今更ながら、背中が冷たい。

 そういえば、あの時も。

 私が薬を奪った、あの時も。

 こうして、岩笠と……

 

「藤原殿」

 

 彼の声に驚き、少し身体が跳ねる。

 

「貴方の過去は知りませんが、そんなに自分を責めないでくださいな」

 

 どうやら、見透かされていたらしい。

 

「でも、私は……最早、人間でもない。罪を犯したまま、永遠に生きなければならない。償うことも出来ずに」

「私だって、遥か昔に人間を辞めた身。元人間。罪を後悔するのは構いませんけど、後悔したって何も始まらない事くらいは知っています 」

 

 元人間。この、鉄の身体をした彼が、人間だったと言うのか。

 

「人間だったって、本当?」

「ええ。身体は、何処かに置いて来てしまいましたけどね。心だけ、この鉄に乗り移って」

 

 少し、淋しそうに言う。表情は変わらないけど、多分、本当に淋しいのだと思う。

 

「割り切らないと生きてはいけません。後ろを見ても、何も変わらない」

「……それでも」

 

 それでも。

 

「私は、やっぱり、後悔してる。あの日、不老不死の薬を飲んだ事。その為に、彼を、岩笠を殺したこと」

「……不死ならば、いつか、心を切り替えることが出来るのかも知れませんね。自殺も出来ない、貴方なら」

「嫌味かしら」

「そんな。二割程度ですよ」

 

 少しだけ笑って、彼の背に腰掛ける。

 

「背中、借りていい?」

「どうぞ」

 

 岩肌より柔らかい。鉄の癖に、なんて、背中を借りておきながら少しだけ恩知らずなことを考えながら。

 彼の起こした火に、身体を温めながら横たわる。

 

 岩の冷たさ、鉄の暖かさ。

 永遠の岩と、咲いて散る鉄火。

 私は岩を突き放し、今は火にこの身を預けている。しかし、それでもかの神話のように寿命が縮まる訳でもなく。

 富士の火口にこの身を投げれば、私の一生も終わるのだろうか。焼けて煙となってもなお、身体は生まれ変わるのか。それならば、空に浮かぶあの月まで。岩も、花もない、輝く夜へと届けばいいな、なんて、あり得ないことを願いながら。

 

 私の意識は、遠く、遠退いていった。

 

 

 

 

 

 

 

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 今日も、風が強かった。

 だからだろう、こんなに昔のことを思い出していたのは。

 

 

 

 あの日、黒い髪の少女は、朝、目が覚めた頃にはいなくなっていた。彼女も輝夜と同じ、永遠を生きる者。

 ならば、いつかまた、この幻想郷で会えるかもしれない。

 不老不死なんて、外の世界では幻想の物となってしまっていることだから、もしかしたらもう、幻想郷にいるのかもしれない。この異変の中、彼女達を探す余裕なんて無いのだが。

 

 月には、変わらず暗い雲がかかっている。

 紅く、輝く夜と合見えるのは、まだ先になりそうだと、一つ、必要のない溜息を吐いて。

 

 

 雨が振り出す前に、俺はまた走り出した。

 今度は、転びなんてしないように。

 





 ちょっとした、小話を。

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