東方単車迷走   作:地衣 卑人

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三 和と鉄

 

 

 ミラーに映る天狗の山が、どんどん小さくなっていく。俺は射命丸さんと約束した通り、日が昇ると共に山を降りた。今は、影の伸びる方向を目指してひたすら走っている。

 

 折角妖怪となったのだ。楽しまないと損である。

 そんな訳で、俺は旅に出ることにした。なんたって、ごく普通に妖怪のいる御時世である。妖怪やら物怪やら、そんな不可思議な連中が跋扈する時代。誰もが憧れるファンタジーの世界。そんなジャパニーズサーガを、満喫しない手は無い。

 

 下手すると即スクラップだが。

 

 

 

 とりあえず、今向かっているのは飛鳥。この時代の都である。

 歴史はとんと駄目な俺であるが、それでも、かの聖人の名前くらいは知っている。

 そう、俺の目的は厩戸皇子……聖徳太子である。

 射命丸さん曰く、都に、十人の言葉を同時に聞き分け、的確な答えを返してしまう人間がいるとのこと。

 どう考えても、聖徳太子その人である。これは会わぬ手は無い、と、射命丸さんに都の方角を聞き出発した次第である。

 方角さえ間違えなければ、半日もあれば着くらしい。間違わなければ。

 

「にしても、やっぱり走りにくいのう……」

 

 山道、泥道、獣道。走りにくいわ汚れるわで堪ったものではない。

 実は、人間が使う交通路もあるにはあるのだ。が、俺はやはり妖怪、しかもこの時代に相応しく無い容姿である以上、そう人間に見つかりたくは無い。

 結果、今の悪路走行に至る。ああ、洗車したい。

 

「てか、結構走ったつもりなんだがな……」

 

 彼此走りはじめて数時間。日も、少しずつ傾き始めている。しかし、都はおろか人里さえ見えてこない。

 これはあれか、道に迷ったか。

 一旦停車し、エンジンを切る。

 

「方角もわかんねぇや……詰んだか」

 

 とりあえず、辺りを見渡せる高い山等は無いかと、見回そうとした。

 その時であった。

 やけに澄んでいて、何処と無く儚げな声が聞こえたのは。

 

「そこの者、動くでない」

 

 声は、後ろから。ミラーで確認すると、紫色の服の少女が一人、此方を見据えて立っていた。

 

「……妖怪か、獣か、物か。生き物か、死に物か」

 

 少女が俺の前まで移動する。

 俺は何も喋らず、ただの『物』の振りをする。口は災いの元。

 

「……喋れることは分かっています。さっき、独り言を言ってたでしょう」

 

 ばれてら。

 

「……怪しいものじゃありません。唯の道具、乗り物にござい」

 

 見た所、相手は人間。服装からして、貴族とみて間違いないだろう。

 こんな山の中に、貴族が一人と言うのは引っかかるが。

 

「道具……そう、貴方は永い時を経て、意思を持つようになったのですね」

「えっ、別にそういう訳じゃ」

「ご謙遜なさらずに。永きを生きて仙人となるのは決して人だけではありません。かの孫行者も猿で有りながら、最後は仏に迎え入れられました。貴方もそう、自覚は無いのかも知れませんが永き時を過ごし、仙人へと近付いたのでしょう。ならば、同じく仙を志す者として敬意を払うのは当たり前で御座います」

「……はぁ」

 

 よくもまあ、これだけ一気に喋れるものだと感心しながらも、俺は投げかけられた言葉の大半を受け流していた。

 彼女も最後まで人の話を聞かないのだから、お相子である。

 

「ところで、都へはどう行けばよろしいのでしょうかね」

 

 唯、勘違いであれ敬意を持ってくれているらしいので、乗じて都への道は聞いておくことにする。

 

「都? 何か、御用でも?」

「いや、用って程でも無いのですけどね。何でも、十人の話を同時に聞き取れる程の方がいらっしゃると聞きまして。一度お目にかかれたらな、と」

「一度に十の……ふふっ」

 

 急に笑い出す少女。何かおかしな事を言っただろうか。

 

「いえ、すみません。都はこのまま真っ直ぐですよ……そう言えば、まだ名乗っていませんでしたね」

 

 

 

 

「私は、豊聡耳神子。十人の話を聞き取れる者とは、私のことで御座いましょう」

 

 

 

 

 あれ?

 

「今、なんと?」

「ですから、私が豊聡耳皇子なのです。噂ほど立派ではありませんが……」

 

 何と。聖徳太子は女だった!

 歴史が変わる音がきこえる。気がする。

 

「まあ、虚構説もあるし、いいんかね……」

「何のことです?」

「うにゃ、こっちの話です」

 

 百聞は一見に如かず、とはよく言うものだと痛感する。過去の世界を生きていけば、こういった歴史とのズレと直面する機会が、幾度もあるのだろう。

 あまり常識に縛られない方が、悩まなくて済むのかもしれない。

 

「そんなことより、貴女が太子であられましたか。この度はお目に掛かれて光栄で御座いまする」

「止してください、気恥ずかしい」

 

 さて、聖徳太子に会うという目的は果たしてしまった訳だが。

 一つ、疑問が湧く。

 

「太子様は、何故、こんな所にお一人で?」

 

 聖徳太子ほどの人物が、護衛も無しに山歩き。無防備にも程があるなんていう話では無く、実際、その様な外出など認められる筈がない。

 と、なれば。

 太子は人には言えぬ理由を持っているはずである。

 

「……丹を、取りに行っていました」

「丹?」

 

 丹とは、辰砂、つまり硫化水銀のことである。水銀と言えば、不老不死の薬の材料として用いられてきたことで有名だが、それを、どうして聖徳太子が欲しがるのか。

 そんな疑問を読み取ったように、話を続ける。

 

「私は、実は道教を信じ、不老不死を目指して研究をしているのです。しかし……」

「民衆には仏教を広めている」

「その通りです。なので、誰にも知られる訳にはいかないのですよ」

 

 確かに、道教より仏教の方が、国を纏めるのには向いているだろう。道教の目的は仙人になること。努力すれば超人に成れる、なんて広まってしまったら、政治には邪魔である。

 

「私に話してよかったんで?」

「ええ。それに、永きを経て意思を持った貴方の意見も聴きたいですし」

 

 勘違い続行中。しかし、今更訂正するわけにもいかず。

 

「貴方は、ぁっ……?」

「太子様!?」

 

 小さな悲鳴とともに、太子の体が崩れ落ち、小さな土煙りが太子の衣を汚す。倒れた太子は咳込み、華奢な体が震えている。

 その太子が持っていた袋から、赤い塊がころがっていた。

 

「……太子様。貴女は」

 

 太子は答えず、唯咳込むのみ。よくよく見るとその体は病的にやせ細っていた。いや、事実病気なのだろう。

 太子の持つ辰砂……水銀が、それを物語っている。

 

「す、いま、せ…」

「喋らないで。呼吸が落ち着いてからでいい」

 

 こくりと小さく頷く太子。背中を摩る事さえ出来ないのが歯痒くて仕方が無い。何一つ、助けになれないのが申し訳無い。

 せめて、何か出来ないのか。考えたところで、腕の一本さえ無い俺には、何も出来ることなどない。只々、苦しむ彼女の姿を見つめることしか。

 太子の震える体を、俺は、見守り続けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 もうじき、夜が降りてくる。森は赤く、空は紫色に。緑と赤、青と赤。やがて、全てが黒に塗りつぶされることだろう。

 俺は太子をシートに乗せ、振り落とさないようにゆっくりと走る。太子は疲れたらしく、俺の上で眠っていた。

 都はまだか。早く、太子を安静にしたい。

 

「……私は」

 

 太子の声。さっきよりもより儚げな、弱々しい声。

 

「私は、もうじき死にます」

 

 呟くように、そう零す。ミラーで太子を確認するも、表情までは読み取れなかった。

 

「しかし、私は死ぬわけにはいかない。一度死に、尸解し、人々が聖人を求めた時に、再び蘇る。不老不死の為政者となるために」

「為政者、ですか」

「傲慢でしょうか」

「そんなこと、無いですよ」

 

 暗くなりつつある森を走る。ゆっくり、ゆっくりと。

 

「和を以て貴しとせよ。派閥も党派も、位も宗教も関係無く、相手の意見や思考を認め合い、取り入れることが、最も貴きことだと私は思っています。宗教戦争なんてものも無く、他人の思想や、欲さえも受け入れていけるような、そんな世界にしていきたい。全てを受け入れる、そんな世界」

 

 太子が苦笑する。

 

「夢の見過ぎですかね」

 

 夢の見過ぎ。その通りだと思う。結局、他人は他人だし、宗教毎の価値観も大きく異なる。数ある思想の、全てを平等に受け入れるなど、実現出来やしないだろう。

 でも。

 

「永い時間を費やせば、いつか出来るんじゃないですかね。そんな理想郷」

 

 推測では無く、希望。

 でも、不老不死の為政者なら。それが、かの聖人ならば、或いは。

 

「待ちましょう、そんな世界が出来るのを。だから」

 

 だから。どうか。

 

「どうか、必ず復活なさりますように」

 

 ええ、と答えたまま、太子がまた眠りに着く。寝息は、さっきよりもずっと穏やかだ。

 

「太子様ー! 何処におられますかー!」

 

 向こうから、太子を探す少女の声が聞こえてくる。どうやら、ちょうど迎えが来たようだ。

 

 

 

 

 陰陽師風の服装の少女に太子を預けた後、俺は都を離れ、天狗の山の近辺を中心に走り回っていた。手が無いのだから、走るくらいしかやる事がないのである。日が昇れば走り出し、日が沈めば薮に眠る。まるで獣のような生活を続けている。

 

 そんな中、偶々出会した妖怪から聖徳太子が死んだと聞かされたのは、太子に会ってから数週間後のことであった。

 

 

 

 

 


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