東方単車迷走   作:地衣 卑人

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二十九・五 久と鉄

 人里の外れ。

 そこから見える景色の中には、民家などは既に無く。あるのは、青々と色付いては揺れる木々と、喧しい蝉の声だけ。

 村紗に貰った錨に水を汲んだ桶を吊るし、纏めて放り込んだ束子やら雑巾やらが、水面に合わせて揺れている。

 人のいない道。乾いた土に落ちた影を踏みしめながら、目的の地を目指して進む。

 

「暑い……」

 

 暑い暑いと項垂れど、汗の一滴さえも流れはせず。全力で回すファンが、体に溜まった熱気を逃がしてくれるのが唯一の救いと言ったところで。

 

 徐々に見え始めた、木々の切れ目。背の低い柵に囲まれた、御影石の並ぶ広場。

 此処は、人里の共同墓地。眠りに着く前は、何度もここへ訪れたものである。

 

「さて……と。頭領達の墓は……」

 

 俺が参る墓は、俺を使ってきた退治屋達……全員を参るには時間が掛かり過ぎるので、歴代の頭領達の墓だけ、こうして墓参りに来ているのだ。

 頭領の座は、基本的には親から子へと受け継がれていく。偶に例外もありはしたが、それでも墓の数に大した変化は無い。一つ、二つと増えるだけだ。

 

 一つ。二つ。墓石の数は、数える程。眠る御霊は、数え切れない程。主人達の眠る土の上、俺は、未だに車輪を転がし続けている。

 

「……頭領……」

 

 一人一人。その顔を思い浮かべながら、腕代わりの組紐を合わせて、冥福を祈る。

 そうして拝むのも、ものの数十秒のこと。人間の真似事は、物には似合わない。俺は持って来た桶を地面に置き、その組紐に束子を握る。

 

「さて、始めるかね」

 

 そう、呟いて。

 照りつける日差しの中、俺は、日に焼かれた墓石を、水で濡らした。

 

 

 

 

 

 

 一つの墓を磨き終えれば、また、次の墓石へと体を滑らせる。退治屋という職業は、昔と比べれば随分と廃れたものであるが、里を守る為に、副業にも似た形で続いているらしい。自警団と言った方が、近いかもしれない。

 兎角、退治屋という職は廃れても、退治屋の家系が途絶えた訳でも無く。殆どの墓は、その家系の者によって既に掃除された後であるため、汚れも簡単に落ちていく。

 束子を擦り付けては、僅かな泡が其処に残り。そしてまた、すぐに弾けて消える。まるで人の一生のように儚く……なんて宣う程、俺はロマンチストではない。唯、妖怪からしてみれば人の一生は、余りにも短いということを痛感して。

 そんな思いを忘れようと、さらに束子に力を込める。御影石に映る曇りを拭い去ろうと、躍起になって。

 

「……妖怪がおる」

 

 必死に墓石を磨く俺の背後で、不意に声が響く。

 否、響くという程に力強い声ではない。寧ろ、それは済んだ鈴の音にも似て。転がる、と言った方が良いのかもしれない。

 

「……お久しぶりで御座いまする、阿礼乙女」

「お久しぶりです、単車さん。と、言っても、あまり多くは覚えていないのですけどね」

 

 声のする方へ向き直れば、薄い紫がかった髪を揺らし、小さく礼をする少女が一人。

 阿礼乙女。彼女もまた、この現代に生を受けていたのだ。

 

「それと、今の私は九代目阿礼乙女、稗田阿求です。出来れば、名前で読んでくださいね」

「御意に、阿求殿」

 

 そう言ってまた、墓石へと向き直る。この墓は、もう良いだろう。

 次の墓へと移動しながら、俺は彼女に語りかける。

 

「今日はお一人で? この暑い中を」

「ええ。散歩がてら、ですけどね」

 

 彼女の手にあるのは、線香。何処か、来る途中にでも買ったのだろう。まだ封も切っておらず、真新しいままである。

 そうして彼女が向かうのは、稗田家の墓。綺麗に掃除されている所を見ると、多分もう、家の者と共に何度か訪れているのだろう。

 

「ところでどうです。編纂は」

「ぼちぼち、と言っておきましょうか。今回は少しばかり、趣を変えてみようと思っているので……」

 

 線香を立て、手を合わせる様をミラー越しに眺めながら、黙って目の前の作業を片付けていく。人が手を合わせている時に話しかける程、俺は無粋ではないつもりである。

 

 墓場に聞こえるのは、束子を擦り付ける湿った音と、蝉の声。時折風が吹いては木々を揺らし、線香から上がる煙を攫ってはまた、静けさを取り戻して。

 何十秒、いや、何分経っただろうか。そうした静寂の中にまた、先の声が転がった。

 

「前回」

 

 墓石と向かい合ったまま、阿求は告げる。

 

「私は、人と妖の関係が変わっていくのを感じました。妖怪と人との新しい関係……今の幻想郷に必要なのは、人が妖怪に打ち勝つ為の知識ではなく、人が妖怪に歩み寄る為の知識。今回の幻想郷縁起は、そういったことを念頭に置いて、書き進めているのですよ」

 

 貴方みたいなのもいますしね、と付け加えて阿求は、別の墓石へとその身を移す。

 幻想郷縁起。その在り方が変わるということは、それだけこの幻想郷にも変化が現れたということ。かつて俺たちが目指した楽園は、確かに、その形を成していっているらしい。

 この分ならば、聖がこの地に降り立った時も胸を張って出迎えれそうである。少しばかり嬉しくなって、墓石を擦る速度も上がる。

 

「……それにしても、随分と汚れてますね」

 

 感慨に耽る俺の傍ら、彼女はその墓石を見て言う。

 その墓石は、俺が眠りに着くその時まで仕えていた頭領……口数の少なく、その癖隙あらば阿礼乙女と桃色な空間を作り出していた、あの頭領の家の墓である。昨年も掃除したというのに、たったの一年で草だらけの埃塗れ。流石に苔までは生えていないものの、このまま放置すればそれも危うい。

 

 結局彼は、最後まで阿礼乙女以外の妻を娶らなかった。家は彼の代で断絶し、今では参る人もいない……あまりに真面目で、一途で。その結果残ったのは、参る人のいない汚れた墓石。

 

 まあ、それでも。

 こうして、誰か一人でも、彼のことを覚えているものがいるのならば、その汚れを取り除くことも出来よう。そう、胸の中で独りごちて俺は、その墓の前へと移動した。

 

「さ、ちょっと束子貸して下さい、ぴっかぴかにしてやります」

「あ、私が磨いておくんで阿求殿は……」

「二人でやった方が早く終わるでしょう。それに」

 

 振り向き様、いつか見た花を模した髪飾りが、揺れる。

 

「思い人のお墓くらい、自分で綺麗にしたいじゃないですか」

 

 僅かに赤らめた笑顔。花の髪飾りは、あの時と変わらずに、其処にあって。頭領の愛した彼女は、今も其処にいて。

 人と妖怪の関係を再現したかのような恋愛談は、今も、こうして続いている。

 

「……御意に、阿求殿」

 

 小さな吐息と共に、言葉を紡ぐ。吐き出した息は、安堵か、はてまた喜びか。多分、何方も、なのだろう。

 

 かつての面影を其処に視ながら、俺は彼女に、その束子を手渡した。

 

 

 




 盆には間に合いませんでしたが、一つ。
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