紅い館には、不夜城という言葉がよく似合う。
いつでも騒がしく、吸血鬼の主が遊び疲れるまでその瞳を紅く輝かせ、明け方になって眠りに着くまで宴は終わらず。館に灯された燈は夜の湖に反射して、その煌めきを
しかし。
紅魔の宴は、月の下。太陽の下で開かれることはない。如何に吸血鬼が強力な力を持つと言えど、日に焼かれれば、その体は灰となって消えゆく。
吸血鬼の天下は、夜の間だけ。それを憂いだ吸血鬼は、一つの答えを導き出した。
日の光が邪魔ならば、いっそこの地からその光を奪ってしまえば良い、と。
幼い吸血鬼は、その細く白い腕を掲げて宣言する。
新たな、異変の始まりを。
紅魔館の裏手に設けられたガレージの中、俺は、覚め切らぬ思考の中、
ガレージといっても、物置を改造しただけの簡易的なものである。館の裏庭から直接入ることが出来る上に館の内部にも通じているので、レミリアに頼んでこの物置を貰ったのだ。
それにしても。
外からは蝉の声が聞こえ乾いた空気が入り込み。窓の無いこの部屋からでも、外には青い夏空が広がっていることが予想出来る。きっと、外に出ればその爽やかな空気が俺を出迎え、包み込んでくれることだろう。
しかし、対する俺は未だに半分夢の中。働かぬ頭と、気怠い体。夏休みに入った学徒のように、俺は薄暗い部屋の中で惰眠を貪り続ける。
今頃、レミリアもその夢の中で翼を広げ飛び回っていることだろう。主が眠っている日中……特に午前中は、館に仕える人妖の休憩時間である。メイド長や、妖精メイド達、図書館の主や、小悪魔……門番たる美鈴以外の全員が、今は眠っているはずである。
「……俺も、寝るかなぁ……」
明け方に眠り、時計が正午を指す前に起き。そしてまた、眠りにつこうとしている。
二度寝である。その言葉、その響きはまるで、魔法のように魅力的な……
「おやすみ……」
「起きなさい」
不意に、声がかかる。この声は……
「メイド、長……?」
「そう。ほら、お嬢様がお呼びよ」
「でも、二度寝が……」
「巫山戯たことを言わない。ほら、行くわよ」
咲夜が俺のハンドルを握り、押し始める。俺の体が進むにつれ、俺の二度寝は遠退いていく。
「って、お呼び……? レミリア様、起きてらっしゃるのですか……あ、自分で歩きます」
「ええ。今日は、随分と早起きで……」
咲夜の手を離れて、自身の力で車輪を回す。速度は、隣を歩く咲夜に合わせて。
それにしても。
「何の御用なのでしょうかね」
「さあ……私にもさっぱり。パチュリー様や美鈴も呼ばれているみたいだし……」
本当に、何なのだろうか。パーティーを開く程度なら、態々皆を呼ぶ必要はない。咲夜に伝えて、それで事が済む。しかし、今回は主要人物を全員……門番たる美鈴まで……呼んでいる辺り、緊急の事態か、何か大きな事件が起ころうとしているらしい。
「……何なんだかなぁ……」
紅い絨毯の敷かれた階段を登りながら、独りごちたのであった。
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咲夜。パチェ。美鈴。
そして、名も無き私の単車。皆大事な、私の仲間達。皆にはこれから、一仕事してもらわなければならない。
悪魔の館と呼ばれる紅魔館、その館を動かす人妖達が、私の元へと集まる。咲夜は、いつも通りの立ち振る舞いで。パチェは、本を読んだまま。美鈴は額に大粒の汗を乗せて。単車は、心無しか眠た気に。
普段通りの皆の姿を見て、何となく笑みが零れる。
「……レミィ、そろそろ用件を」
「ん……そうね」
皆を集めたのは、これから私が起こす異変の為。幻想郷を紅い霧で覆い、日の光を奪う……自分でも、我儘なものだと思ってしまうほどに、身勝手な異変。
しかし、これは。
この、幻想郷に必要な異変なのだ。
「皆、よく聞きなさい」
途端、美鈴が背筋を伸ばす。パチェは本から顔を上げず、咲夜は元から姿勢が良い。単車は……よく分からないからいいや。
「私は、常々思っていたの。何で私が、日の光などに泣き目を見なければならないのか、と。あの光さえ無ければ、昼間でも自由に出歩けるのではないか、と」
芝居掛かった動作で、私は言う。
「どうすれば、私は日の光に苛まれることなく外の世界に踏み出せるのかしら。どうすれば、あの恨めしいことこの上ない日光から、妨げられることなく昼間の空を飛び回れるのかしら……だから、私は考えたの。一つの、計画を」
翼を開き、皆を見る。今は、この、心強い仲間達のトップとして。『気高い』吸血鬼として。
続く言葉を、強く、強く紡ぐ。
「幻想郷を、紅い霧で覆い尽くすわ。日の光の届かぬ紅色の世界を作り上げる……異変を、起こすわ」
咲夜の目が一瞬、紅く輝く。
パチェは本から顔を上げ、美鈴が纏う気が張り詰めたものに変わり。
単車のライトが、淡く揺らめく。
「異変である以上、きっと、ミコが動くわ。どんな奴かは知らないけど……間違いなく、戦闘が起きる。だから、貴方達は……」
この異変で、最も重要な事を、告げる。
「貴方達は、『スペルカードルール』を用いて迎撃に当たること。そして、死者を一人も出さないこと。あとは、自由でいいわ」
「スペルカードルール?」
彼が私に問う。そういえば、彼は男だったか。知らないのも無理はない。
「女の子の間で流行ってる遊びよ。弾幕を張って、その美しさで勝敗を決めるの」
「……美しさ、ですか」
「そう……あくまで、美しく。この地を、紅く染めるわ。皆、いいわね?」
答えはもう、分かり切っているのだけど。それでも、彼女達のその言葉が聞きたくて。
「了解ですわ、お嬢様」
「嫌と言ってもやる癖に。了解」
「全力で、守らせて頂きます!」
三様の返事を聞き、最後に、彼を見る。今回の異変、女子の遊びの決め事を用いる以上、男の彼は退屈してしまうかもしれない。
少し申し訳ないけれど、今回は、このルールを浸透させる事こそが最大の目的なのだ。故に、彼に回るのはつまらない仕事。しかし、少しの間我慢して貰わなければならない。
彼は、そのライトの中に微かに、灯りを灯しながら、返事を返す。
「……御意。仰せのままに、レミリア様」
その声は、あの時の苦笑に似て。それでも、何処か愉快そうに。きっと、彼も楽しんでくれるに違いない。
我が紅魔館の面々を見て、私は唯、目を細めた。
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「咲夜、パチェ、美鈴」
紅魔館の地下図書館に、レミリアの声が響き渡る。幼く、それでいて凛とした声。名を呼ばれた三名と同じように、俺もその声に耳を澄ます。
レミリアを含めた彼女達四名は、今回の異変にて『スペルカードルール』と呼ばれる方式での決闘を繰り広げる。一方男子の俺は、その遊びには混ざれやしない。否、混ざれはするのだが、やはり気恥ずかしい。
それに、俺には他にやる事があるのだ。
「やるからには本気で行くわよ。巫女だろうがなんだろうが、追い返してやりなさい」
「分かりましたわ」
「それなりに頑張るわ」
「全力でいきます!」
三者の返事を聞き、また、満足そうに目を細めるレミリア。そのまま俺に合図をし、俺は、頼まれていた物を四人の前に運ぶ。
「あら」
驚いた咲夜の声。
俺の背に乗った盆、その上で湯気を立てる、四杯の紅茶。
「乾杯よ。本当はワインが良かったけど……」
「流石に、開戦前からお酒を飲むわけにはいかないでしょう」
「そう言うこと、って……」
レミリアが、俺の上の紅茶を見て、不満そうな顔をする。
なんだろう。一応、前に紅茶を淹れた時は合格だったのだが。小悪魔と一緒に淹れたから、味は更に良くなっている筈……
「何で、四杯なのかしら」
「へ? レミリア様、メイド長、パチュリー様、守衛殿……」
「貴方達を加えて、六杯いるでしょう? 小悪魔!」
「はいぃ!?」
「貴方も出てくる。今回は図書館も舞台なんだから」
俺は兎も角、小悪魔の分は完全に忘れていた。そういえば、彼女も弾幕ごっこには参加するのだ。
「自分達の分を忘れるなんて、人が良いと言うかなんというか……咲夜」
「ええ、もう、準備しましたわ」
俺の上に乗った盆。その上には、四杯のティーカップに囲まれるように、二杯の紅茶が置かれていた。
「これで、良しと……なら、手にとって」
レミリア、咲夜、パチュリー、美鈴が手にカップを取り、残されたカップの内一杯を小悪魔が取る。
俺も彼女等に倣い、フェムトファイバーでカップを取った。
「我等が紅魔館に、乾杯!」
「乾杯!」
重なるその声と共に、俺は、燃料の投入口に熱い紅茶を流し込んだ。
紅魔館の面々と乾杯を交わした数分後。レミリアは、その細い指から霧を放ち始めた。
数刻の時間が過ぎても、未だ霧は広がり続けている。
紅い霧。俺のライトですら、その中では屈折し、否応無しに紅い光となってしまう。きっと、この霧は細かい宝石のようなものが集まって出来ているのだろう。
そんな、紅い霧の中を走る。
俺の背には、誰も乗っていない。乗せる面子は決闘に備え、各自持ち場についているからである。
俺がレミリアから命じられたのは、侵入者の排除。彼女達の弾幕ごっこを邪魔する者を屋敷に近付けないこと。
男は、男らしく。スペルカードルールの浸透していない男性には、力尽くでの戦闘でお出迎えしなければならない。
「ぐっ……」
「ほらほら、この程度ですか? レミリア様は更に強いですよ?」
退治屋……俺が仕えていた、頭領とは比べ物にならないほど弱い……を、適当にあしらう。迫り来る紅霧に里の危険を感じ、その手に矛を持ったのだろう。戦い慣れていない上に、無茶苦茶な太刀筋で挑む男を座席に縛り付け、里へと走り出す。
レミリア達が、心から遊びに興じる為。本来の使い方では無いものの、それでも構わない。
彼女達の遊びが終わるまで、全力で。俺は防衛を繰り返す。
紅い霧の中を、俺は走り続けた。
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霧の放出を始めてから数刻後。私は、未だに霧を放ち続けている。
指の先から放たれる霧は枯れることなど無い。私の魔力は、この程度で尽きはしない。
かつて幻想郷を覆った、黒い霧。幻想郷が、黒い霧に包まれたという歴史を塗りつぶすように、紅い霧で染め上げる。
黒なんて辛気臭い色ではなく、人を引きつける色、紅で。幻想郷の吸血鬼の歴史を塗り替える。
「レミィ」
「ん」
「もうそろそろ、霧の放出を止めて良いわ。後は勝手に拡散してくれるから」
「分かったわ。この霧、何か人間に影響は?」
「咲夜が人里で調査済み。結果から言うと一応、有害」
「なに……」
此処まで薄めた魔力の結晶でも、人に害を為すと言うのか。
あまりに浅はかだった自分の予想を恨みながら、パチェの話の続きを聞く。
「と、言っても吸い過ぎると気分が悪くなる程度だけどね。ただ、日の光が十分に届かなくて、農作物には影響があるわね。数日以内に終われば、まあ影響は少なくて済む……かな?」
「なんで最後が曖昧なのよ」
「私は、農業関係者じゃないから」
最もな意見を宣いながら、また、持っていた本に視線を落とす。
彼女が本を読み始めたと言うことは、もう話す内容は無いと言うこと。
私は、彼女から目を離し暗くなりゆく幻想郷を眺める。窓の外には、段々と浮かび上がっていく紅い月。
「紅い月は」
パチェが口を開く。
私は背を向けたまま、その話を聞く。
「空気中の水分や、塵や埃。それ等を通して見るから、紅く見えるのだそうよ。レミィの霧と同じ原理ね。だから、高く上がってしまえば紅くは見えないの。でも」
「私は、その月さえ紅く染めるわ。塵や埃と同じようにね」
「レミィ」
「分かってるわ。私は、運命を操れる。決して、人に害を為す……貴方の天敵である、塵芥ではないって、そう言いたいんでしょ?」
「そう。寧ろ、レミィは水分。人間に必要不可欠であり、時には害を為す」
「その水分たる私は、流れ水を渡れないのよねぇ」
「ふふ……そうね」
空に浮かぶ月は、その高度を上げていく。しかし、その色は未だ、紅いまま。
霧が、空気中の水分の役目を果たして紅く染め上げているから。そして、この霧は、私の思うが侭に消すことも、出すことも出来る。
「早く来ると良いなぁ、巫女」
「来るんでしょ? 貴女が望めば」
「来るわよ。ただ、待ち遠しいだけ」
乾いた音と共に、親友が本を閉じる。彼女も、ここから見える光景を眺めることにしたらしい。
テラスから一望出来る、今の幻想郷。紅く染まった幻想郷。遂に、此処まで来たのだ。
私たちはただ、紅色の幻想郷を眺め続けた。