東方単車迷走   作:地衣 卑人

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三十一 音と鉄

 

 

 

 幻想郷を霧で覆って、数日の時が過ぎた今。紅い視界の中を、紅白の巫女と黒白の魔女が飛び回っていた。

 冷たい湖上、霧を切り裂くように輝く、虹色の閃光。日の光を失った天を貫く、眩い光線。そして、鳴り響く爆発音。あれが、異変を解決する少女達の弾幕なのだろう。私の振り撒いた紅の中、その深い霧の中に呑み込まれることなく存在を誇示する、強い輝き。その光を見て私は、思わず口元を歪める。

 なんて、愉快なのだろう。人と妖怪が、対等に戦える時が来るなんて。昔の私には、想像すら出来なかった、今。運命を操る私にも、この沸き立つ感情までは見通せなかった。

 

「……咲夜」

「此処に」

 

 呼ぶが早いか、彼女は、私の後ろに。足音の一つも無ければ、着衣の乱れも無く。その佇まいは、完璧という言葉がよく似合う。本当、出来たメイドである。

 

「彼を呼び戻せるかしら?折角の遊び、彼だけ除け者なのは良くないわ」

「大丈夫ですわ。彼のヘルメットを此方で預かっているので……ほら」

 

 途端、彼女の手の上に現れる一つのヘルメット。手品のような気軽さでその手に乗せて、私の前へと差し出す。

 

「聞こえているかしら」

『全然聞こえてないです』

「へぇ、で、今から戻って来てほしいのだけど」

 

 彼の戯言は聞き流し、手短に用件だけを伝える。忠実ではあるのだが、如何せん性格に癖があり過ぎて……彼との会話は、真面目に取り合うと非常に面倒臭いのだ。

 

『戻れはしますけど……何故でしょう』

「もうそろそろ、警備は必要無いでしょう? それに、もうじきクライマックスよ」

『了解です、なるべく急いで戻ります』

 

 これで良し、と。

 あとは、異変解決に乗り出したあの二人組を待つだけである。咲夜に手振りでヘルメットを下げるように命じ、私はまたテラスから騒がしい湖上を眺める。

 

「咲夜」

「何でしょう、お嬢様」

 

 私の背後に立ち続ける彼女。その手に先のヘルメットはもう、無い。

 

「貴女は、彼女達に勝てそうかしら?」

 

 視線は、紅い霧に沈む世界に向けたまま。悪魔の傍に控える人間に、問う。

 

「……お嬢様は、どちらをお望みで?」

「貴女は、どっちがいい?」

 

 勝利か、敗北か。正義か、悪か。そんなことは、些細な問題。本当に大事なのは……

 

「……実力で言うならば、私の勝ちでしょう。時を操る私には、止まった世界で首を掻くのは容易いこと。でも」

 

 咲夜は、続ける。

 

「それでは、楽しくありませんので。今回は、私も遊びに興じたく思います」

 

 微かな笑みを、しかし、確かに浮かべ彼女は言う。彼女の思う、本心からの言葉。人間という短い生が作り上げた一つの、かけがえの無い思考。その、答え。

 それが聞けただけで、私は満足で。

 

「そう……なら、行きなさい。貴女の、好きなように」

「はい。では……」

 

 声は、彼方に。

 彼女のその華奢な体は、霧の紅に溶け込むようにその気配を消し、残るのは、日の光を失った世界と、一体の悪魔。そして。

 

「……見ているかしら、フラン?」

 

 呟きは、誰も居ない室内に広がり。壁に当たって反響し、音の波は空中に、不可視の波紋を作りだす。

 こうやって彼女も……貴女も、一人で遊び続けていたのかしら、なんて。

 感傷に浸るなど、悪魔らしくない。そう、自嘲しながら私は、大きく開かれたテラスから、飛び立つ。じきに、人間が私の元までやってくる。ならば私は、それに相応しい舞台の上で待つべきなのだろう。

 

 体型と比べて酷く大きな翼をはためかせ、館の外壁沿いにこの、幼い体を滑らせて。紅い吸血鬼は、霧中を飛ぶ。

 

 

 幻想郷を一望出来る、その部屋。開いた扉は、開け放たれたまま。吹き込む風は扉にぶつかり、ゆっくりと、収まるべき場所へとその重みを押し込む。

 扉の閉まる音は、その響きを微かに、遥か地下深くへと沈ませて。

 

 そして、誰もいなくなった。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 炸裂する光弾。見覚えのある札が空を埋め、虹色の雨が降り注ぐ門前。円を描いたかと思えば爆ぜ、その色取り取りの妖力弾を四方八方へと散らし、不可思議な幾何学模様を描いてはまた、新たな華を空に咲かせる……これが彼女達の間で流行っている遊び、弾幕ごっこというものらしい。一見避ける隙間など無いように見えて、中々どうして当たらない。きっと、必ず逃げ道の出来るように弾を射出しているのだろう。

 本気の中に見え隠れする、余裕。成る程、何とも幻想郷らしい決闘である。本気の殺し合いではなく、擬似的な、それでいて熱中してしまう魅力のあるルール……妖怪の賢者も、考えたものである。

 

「いやぁ、あいつの弾幕も綺麗なもんだぜ」

「……そうですねぇ」

「虹なんだか雨なんだかな。ところであいつって中国産なのか?」

「さあ、名前は中国読みですけどね……で」

 

  俺のシートの上。飛んでくる流れ弾を箒で打ち返しながら、巫女と美鈴の戦いの観戦に徹している少女へと、問う。

 

「何故、貴女は此方にいるので?黒白の魔女殿」

「誰が時代遅れだ」

「早い早い。まだそこまで言っていません」

 

 なんとも、愉快な人間である。冗談を飛ばしつつも巫女達の戦いからは目を逸らさず、その一挙一動を注意深く観察している様を見るに、案外努力家なのやもしれない。

 しかし、彼女のその在り方は……何処かで、見覚えがある。

 

「今はあいつが頑張っているからな。私はその分楽が出来るんだ。だから、ここであいつが落ちる様を見届けやろうとな」

「はぁ……ところで、魔女殿。お名前は」

「人に名前を聞くときは先に名乗るもんだぜ、付喪神よ」

 

 魔女はそう言って、立ち上がる。その手には、一つの魔導具。

 

「それは?」

「ん? ああ、これは八卦炉。家事から火事までこれ一つで事足りる、私の商売道具だ」

「……大事に使われてますね。若干、乱暴ですが……良い主人だと言っていますよ」

「なんだ、物と会話出来るのか、お前は。付喪神ってのは、皆そうなのか?」

「いえいえ、多分、私だけで」

 

 ほうほう等と適当な相槌を打ち彼女は、笑う。楽しいという感情を隠すことなくその表情を作ったまま、手にした八卦炉を高く掲げて。

 

「まぁ、私は自分の名前さえ教えないケチでもなければ、自分に自身の持てないペシミストでもないんでな。教えてやるから忘れないことだ」

 

 炉は輝きを灯すや否や、その内に秘めた魔力を燃やし。漏れ出した魔力は、まさに虹のそれで。

 

「私の名は霧雨魔理沙。普通の魔法使いだぜ!恋符『マスタースパーク』!」

 

 言うが早いか。炉が抱いた輝きは、空を舞う二人へと向けて弾け、紅い霧の中に虹色の柱を映し出す。美しくも凶悪な、一本の光線……これが、彼女のスペルカードか。

 それにしても。

 

「……霧雨、か」

 

 ミラー越しに、すっかり汚れてしまったサイドバッグを見やる。妖怪たる俺の一部となったことで、このカバンも傷つけども再生はする……が、洗うことが少ないせいで泥だらけである。

 かの道具屋の名前も、もう確認することさえ出来ない。少しばかり昔のことを思い出して、寂しくなる……が。

 彼の面影は、彼女の中にある。もう、感傷などに浸る必要もない。

 

 光の柱に呑み込まれた巫女と美鈴、そして、霧雨の魔女をのこして俺は、館へと向けて走りだしたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 遠い地上から、物の壊れる音が響く。

 何かが地上を駆ける音や、誰かの話し声。何かがぶつかる音、誰かの足音。

 扉の閉まる音。

 沢山の、波紋。音の波は反響し、この暗い地下へと落ちてくる。

 

 

 495年前。

 この階段を登った先。地上には、クランベリーの木があった。

 あの果実は、もう実っただろうか。収穫は、もう始まったのだろうか。なんて。

 随分と永い間、閉じこもっていたものだと自分を嘲る。自分への嘲笑が終わったならば、次は世界を嘲る。

 私を恐れて閉じ込めた吸血鬼達。破壊を恐れておきながら、この鳴り響く爆音は、一体何のつもりなのか。

 

「んっ……」

 

 吸血鬼達、と、言う言葉の中に、何か、引っかかるものがあった。

 誰か、一人。そう、一人だけ。いなかっただろうか、私の手を取り、引っ張り出そうとした存在が。

 

「……まあ、いいや。誰か、来たみたいだし」

 

 迫り来る、轟音。無機質な、それでいて熱い鼓動。この音が聞こえるようになったのは、つい最近の事。何か、私の知らないものが館に入り浸っているらしい。

 吸血鬼ではない。生き物ですらない。その正体が分からない内に、その何かは私へと……館へと接近する。

 

「レーヴァテイン」

 

 手に持った杖に炎を纏わせ、歪な形の翼を羽ばたかせる。羽ばたかせる必要なんて無いのだけど、朧げにしか思い出せない、私を連れ出そうとした誰かは、こうして翼を羽ばたかせていた気がするから。

 

 窓のない地下。延々と続く、螺旋を描く階段。まるで、そびえ立つ塔のように地上と地下を繋ぐ、階段。

 

 

 

 日の届かない、黒一色の地下に、私は居た。

 

 

 

 

 

 


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