東方単車迷走   作:地衣 卑人

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三十四 白と鉄

 

 雪の降る山路。

 舞い落ちる雪の結晶は、エンジンの熱に溶かされては雫となって、鈍い金属光沢の上を伝い落ち。雪の中に車輪を頃がしては、踏みしめる音に耳を済ませて。

 マフラー越しに吐く息は、白く。凍った地面に滑らぬよう、なるべく雪の積もった場所を、ゆっくり、ゆっくりと走り続ける。

 

 紅い霧に覆われた郷は、白銀の世界に変わりゆき。辺境は、冬の寒気に包まれたのであった。

 

「おお、寒い、寒い」

 

 金属の比熱は小さく、エンジンから離れた部位は、その熱をそうそうと奪われたきり。単車である俺は手袋も付けれなければ、帽子さえ無く。あるのは、高温を発し煙を吐くマフラーのみ。冷たい風を受けたライトが、垂れる雫に温度を攫われ、寒いことこの上ない。

 が。その、寒ささえ気にならない程、今の俺は気分が良い。

 辺りを見渡せば、雪の積もった木々と、白銀の大地。ミラー越しの視界には車輪の跡が線を引く様子が映り込み、しんと静まり返った世界には、単車のエンジン音だけが響く……

 弩の付く田舎の冬景色。

 この景色を見るのは、初めてではない。この幻想郷なる地に来てから……そして、それ以前も。遥か過去へと飛び、この無機質な人生を歩み始める前にも。

 この景色は、何度も眺めた。

 

「懐かしいなぁ……」

 

 思うのは、俺が人間だった頃の、祖父母の家。人も疎らな山奥の、田舎の景色。

 休みに入れば、よく泊まりに行ったものである。今となってはもう、会うことも無かろうが。

 

 しかし、それでも構いはしない。俺には、今の生活が……人を乗せて走る、単車としての生活があるのである。あの、鉄筋の森の中で生きる日々よりも、ずっと、満ち足りた日々。

 紅魔館の一員として、主たるレミリアの元で走る日々……いや、今の主は、彼女の方だったか。何れにせよ、あまり変わりはないので良しとする。

 兎角、俺は。主達の眠る昼間の間に、気分だけでも里帰りをと、冬の雪山へ訪れたのである。

 

 過ぎ去る視界に目をやっては、車輪を滑らせ体を揺らし。体勢を立て直してはまた、同じ事を繰り返して。

 成長しない自分に苦笑しつつ、また、繰り返す。そうやって、雪の中を進んで行く。

 目的地などは無い。満足するまで走って、帰路に着くだけである。幸い、帰り道は車輪の跡が教えてくれる。雪が強く降り出せば埋まってしまうが、それまでに帰れば良かろう、なんて。

 自分の浅はかさを後悔しつつ……あの時に似た過ちを、繰り返すのであった。

 

 

 

 

 

 

「……寒い」

 

 辺りは何処も、雪、雪、雪。地上は疎か、天を仰げどそこには、猛烈な勢いで降り続ける、雪の弾幕があるばかり。避ける術の無い弾幕というのは、実に美しくないものである、と。

 どうでも良いことを考えながら、真っ白な世界を、いつも以上に低い視線を以て見つめる。

 

 倒れた体は、雪に埋れ。後輪は浮き、辛うじて地に触れている前輪を自力で回せど、凍った地面の上で空回りを繰り返すのみ。文字通り頼みの綱たるフェムトファイバーも、辺りに掴むことの出来る支えが無ければ、体を起こすことは出来ない。

 

 もう、数刻はこうしているだろうか。転んだ拍子に急な斜面を滑り落ち、そのまま崖から転落……本当、よく出来たものである。

 きっと、冬の雪山で遭難しやすいのは、こういうことがあるからなのだろう。雪が積もっていたおかげで怪我は無いが、雪に埋れて動けない、この現状。千年以上生きた妖怪がこれとは、情けない。

 

「……白い、なぁ……」

 

 雪に体を沈めたまま、呟く。

 随分と余裕のある言葉であるが、実の所、危機感などは感じもせず。

 雪に体が埋まったなら、雪を溶かせば良いだけのこと。エンジンの熱や、妖火を使えば雪は溶け、この体は自由となる。態々そんなことをしなくとも、時間が経てば日が顔を覗かせて、纏わり付く雪を溶かしてくれるだろう。

 俺がこうして雪に伏せて空を見上げているのは、唯、何となくそうしていたかったからに過ぎない。

 

 何となく。そう、何となく、この遭難という行為が、実に人間らしいものに思えて。

 こうして、代わり映えのしない空を見つめていた。

 

 風は強く、空は暗く。あとは、全てが白く染まって。赤い体が場違いに思えるほどに完全な、白。

 そして、その白の中に浮かんだ、青い、二つの瞳。

 

「……物、かしら。それとも、妖怪?」

 

 青いスカートが吹雪に揺れるも、その体は風に揺れることもなく。一見華奢な体型ではあるが、その身に秘めた力と、白い肌は人外のそれで。

 吹雪の中に佇む、美しい妖。思い浮かぶ妖怪の名は……

 

「雪女、ですかね」

「あら……正解。私がこの吹雪の黒幕よ」

 

 こうして雪女に出会すのは、初めてである。大分ポピュラーな妖怪ではあるが、彼女に会えるのは、吹雪の中でだけ。吹雪の中を走ることの少ない俺は、彼女と相見えることもなかったのだ。

 

「それで、何をやっているの? 寒くないのかしら」

「少しばかり、遭難ごっこを。割と寒いです」

「人間の真似事?」

 

 彼女が、俺の横にしゃがみ込む……が。

 

「熱っ……」

「あぁ、申し訳ない」

 

 腰を降ろすや否や、俺から一歩、二歩と離れる彼女。エンジンの余熱は、未だ残ったまま。雪女たる彼女には、どうやら熱過ぎたらしい。

 

「……暖房器具?」

「いえ、乗り物です。走る時に、熱が出まして」

「……私は、乗りたくないわね」

 

 少しばかり恨めしげに呟き、今度こそふわりと、雪の上に腰を降ろす。

 それにしても、流石、雪の妖怪。降り積もった雪は、柔らかな寝具のように。降り続く雪は、まだ見ぬ桜の花吹雪のように。彼女の姿は、雪の中でよく映える。

 対する俺は、まるで不法投棄物のように埋れ、雪は場違いな赤を塗り潰さんと体にぶつかり。いっそ、完全に埋れて見るのも良いかもしれない。

 

「……で、何をしているの?」

「折角の雪景色なので、山に来ていたのですよ。崖から落ちて、この様ですが」

「本当に遭難じゃない。雪景色の良さが分かるのは、良いことだけど」

 

 一つ、溜息を吐いて俺を見下ろす。俺の姿を眺めるのに飽きればまた、雪女は、その瞳を何処か遠くに向けて。俺は、瞳は無いが彼女に倣う。

 

 

 どれくらいの間だっただろうか。

 たったの一言も喋ることなく、一人の妖怪と、一台の単車が、雪に体を沈ませながらそこに居たのは。

 雪の落ちる音は、微かに、けれども強くその波紋を広げ。少しずつ、少しずつ、世界の表面に層を作る。

 あまり雪の降らない都会から、田舎へと帰省した昔。降り続く雪の中で、幼い頃の俺はこうして、天を仰いだ。

 今も変わらず、それを繰り返している。姿は変われど、中身にはそう変化は無いらしい。

 

 

「……飽きないわねぇ」

「あまりに懐かしいもので」

「あら、貴方は……人間から妖怪になった口?」

「えぇ、まぁ。貴女は?」

「私は……どうだったかしらねぇ。姿形は、貴方よりは人間らしいと思うわ」

「全くで」

 

 雪女と単車では、何方が人間らしいかなど考えずともわかる事。元が、どうであれ。

 

 降り続く白は不規則に舞い、気まぐれに揺れ。無数の雪を乗せた風も、次第に、その力を弱めていく。

 

「……そろそろ、行くわ。一人で起きれるかしら」

「何とか……雪女殿」

 

 今にも振り向かんとする彼女に、声を掛ける。

 

「何かしら」

 

 肩に乗った雪が、はらりと落ちて俺の上に。何時の間にやら熱を失った鉄の体は、その結晶を溶かす事もない。

 

「お名前は、何と」

「あら……また、会うつもり?」

「ご迷惑でしたでしょうか」

「まあ、熱いしね」

 

 互いに苦笑するも、その裏にあるのは、手を伸ばすことへの諦めや絶望ではなく。

 

「レティ・ホワイトロックよ。貴方は?」

「私は……未だ、名無しでして。単車とでも、お呼び下さい」

「名無し、ね。真っ白じゃない」

 

 くすりと笑って、彼女は、背中を向ける。スカートに乗った雪は、そのはためきに合わせて散り。

 苦笑混じりの交友に、煌めきを添える。

 

「じゃあ、また」

「ええ、また」

 

 雪の妖、レティ・ホワイトロックは徐々に、その姿を雪の向こうへとかき消して。俺は、一人雪に埋れたまま。

 

 もうしばらくは、このままでいたい。飽きが来たら、また走り出せば良いのだから。

 平坦な世界にくしゃみを一つ響かせて、俺は、真っ新な雪の中に沈み続けた。

 





 避暑。

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