紅魔館から、暇を出された。
と、言うとまるで捨てられたようだが、実際は単純に休暇を貰っただけである。
三日置きに繰り返される、宴会。俺は乗り物なので、基本的にあまり飲む方では無く、更に、宴会は女子が大多数を占めるために何と無く居場所が無いのでそれならば、と、暇を出された次第である。
偶には、好きに走って来いとのレミリアの言葉通り、俺は今、人気の無い山道を疾走中である。
ある程度走れば、幻想郷を一望できる崖に出る。俺はどうしても、そこで確認したいことがあった。
「多分、当たっている筈。多分」
いくら幻想郷が呑兵衛揃いの楽園と言えど、この頻度の宴会は、流石におかしい。それに加えて、辺りに充満した、妖気。本当に薄っすらと漂うそれが、まるで意思があるかのように人妖にまとわりついている。
生い茂る木々の続く山道を抜け、視界の開けた崖に飛び出す。そして、眼下に広がる幻想郷を見れば……
「やっぱり。何時の間に、湧き出したのやら」
そこにあるのは、薄く、霧に包まれた幻想郷。バイクの癖に鼻が効く俺は、この霧の存在に気付くのにそう時間はかからなかった。そして、この霧の正体も、想像が付く。
この、薄っすらと酒臭い霧はおそらく、俺のよく知るあの鬼神。地底にいた頃は、力比べと称して何度も投げられたものである。
その鬼神が、何故地上に這い上がり、そして幻想郷を包んでいるのか。
大体予想はつくのだが。
どうせ、春が短かったために花見が出来なかった分、今、宴会をしようなどという魂胆に違いない。
「まあ、レミリア様も巫女もいるし。紫殿もいらっしゃいますしねぇ」
「お呼びかしら」
呼べば出る妖怪、八雲紫。こうして話すのは、久方ぶりである。
「いえ、何やら地底の同胞が遊びに来ているようなので。よろしいので?」
「同胞たる貴方も、地霊の一でしょうに。それに、宴会に人を萃めているだけですので。あの子も暇してるみたいですし」
「鬼が復活する、と、いうのは」
「それは、私が防ぎます。此処で鬼まで現れたら、管理が面倒臭いわ」
相手は鬼、最強の人攫いたる、酔っ払い集団である。人間は勿論、力有る酔っ払い達は、妖怪にさえ害を及ぼす可能性がある。
妖怪に対しても、人に対しても。鬼は、危険すぎるのだ。
「とりあえず、貴女が宴会に参加しているのなら安心です。賢者様」
「あら、私も、貴方が面倒を見てくれるのなら安心ですわ。あの、箱入り娘の」
箱入り娘と言うのは、彼女のことだろう。確かに、鬼と同じくらいに扱いは難しい。単車の扱いの方が、ずっと簡単だと思う程に。
「では。今日も、宴会がありますので」
「お忙しい所、ありがとうございました」
「いえいえ、貴方も暇なことに忙しそうね」
「ええ。中々手が空かなくて」
下らないやり取りをしながら、八雲紫はスキマに消える。崖の上に、単車が一台。確認したかったことは確認し終えたし、次は、何処に行こうか。
とりあえず、前に進もう。俺は、目の前の崖を、駆け下りた。
鳥居を潜り抜け、階段を駆け上がった先に、一社の神社が建っている。幻想郷でも指折りの桜の名所も、今は夏。冬は長引けど、春までが長引くなんてことは無く、飛ぶように過ぎ去った桜の見頃。今は、新緑の葉を付けた木々が並び蝉が鳴く、夏の様相を成している。
博麗神社。最後に訪れたのは、輝夜と別れた時だったか。
思えば、この神社とも長い付き合いになる。輝夜と別れたのも、この神社。かつて寺を襲撃したのも、此処の巫女。それに……
「懐かしい。本当に」
あの頃の俺には、手も、足もあった。今の俺にあるのは、二つの車輪と、誰かを乗せるための、シート。
「変わっちまったなぁ。随分」
「何、人の神社で黄昏てんのよ」
神社の裏手から現れた、紅白の巫女。箒を手に、些か不機嫌な様子で俺に声をかける。
「やや、出ましたな、怨敵よ」
「誰が悪役だ……大体、私からしてみれば、出たのはあんた。お昼寝を邪魔した怨敵もあんた」
前半は、最もである。後半は、職務怠慢ではないだろうか。
「いいんですか、お昼寝なんて」
「宴会宴会で、睡眠不足なのよ。疲れるし」
酔っ払いの起こした異変による、些細な弊害。この様子だと、やはり宴会は自由意志によるものではないらしい。
「お疲れ様です。では、私はこれで」
「待ちなさい。私を起こしておいて、タダで済むと思ってるの?」
「お金なんて持ってないですよ。大体憑喪神から賽銭を取ろうなんて、何を考えているのです」
「あー?付喪神だぁ?」
怪訝な顔をして、俺を見つめる巫女。確かに、元人間なので少しばかり違うのではあるが。勘が鋭い巫女にも、俺が人間だったなどということまでは分かるまい。
「憑喪神ねぇ。祀られてただけあって、神力は感じるけど」
感じても、特に有難がったりしないのがこの巫女である。本当に、神の器なのだろうか。
砕けた口調といい、あの時の巫女にそっくりで。懐かしさばかりがこみ上げてくる。痛かった思い出ばかりなのは、苦笑したくなるが。
「で、何しに来たのよ。あんたが此処にくるなんて……って、初対面だっけ?」
「ええ。始めまして。しがない単車の憑喪神でございます。以後、お見知りおきを」
単車の憑喪神。単車自体が無いに等しい幻想郷では、俺の存在はそこそこ有名である。紅魔館に所属し、幻想郷中を走り回っているのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
「知ってるわよ、聞かなくても。外の世界の乗り物が、憑喪神に……あれ?」
「なんです?」
「いや……単車、だっけ?憑喪神になるには、長い年月がかかる。それに、あんたは昔から幻想郷にいたらしいけど……単車って、そんなに昔からあったの?」
おもわず、答えに詰まる。そこを突っ込んだのは、この巫女が初。納得させるような答えなど、用意していない。時を越えたなどという事を、信じてくれるものなのか、否か。
「えー、と、話すと、長くなるので……」
「……怪しい」
「う……」
万事休す、とはこの事か。仕方ない。
俺は、この幻想郷に来るに至った理由を、語り始めたのであった――
「嘘でしょ」
「本当です。九割方」
俺も、千四百年も前の事まで正確には記憶していない。しかし、大体の流れは、伝えたつもりである。
外の世界のこの神社を参拝し、昼寝をしていた間に、タイムスリップ。人間であったことは隠し、それでも、嘘はつかない。話さないだけならば、嘘にはならない。
あの地霊が大気を覆う今の幻想郷で、嘘は危険である。
「……そんな簡単に、過去に行けるのかなぁ。月にでも行く方がまだ簡単に思えるわ」
そう言って、一本の針を中空へと投げる。針は、突如開いた紫の裂け目に吸い込まれ、消える。
そして、霊夢の背後。そこに、見慣れた裂け目が口を開いた。
「幻想郷には」
今日は、彼女とよく会う日である。紫の裂け目から這い出す、一人の妖怪が、言葉を続ける。
「過去の物や、未来の物も流れ着きますわ。それは、それは残酷な事に」
「紫」
幻想郷の管理者、八雲紫。本日、二度目の登場。先の件は俺が呼んだから来たのだが、今度は自分からの参上。案外、暇なのかもしれない。
「未来や過去?そんな事したら、おかしな事になるんじゃないの?」
「貴女はそんな事を考えなくていいのよ。そういうのは、当事者が考えること」
そういって、俺を見やる紫。
当事者が考えるとは、どういう事か。
「まあ、まだまだ先ね。貴方が悩まなければならないのは」
「なんか、釈然としないけど……いいわ。それより」
巫女が、面倒くさいと言わんばかりに思考を止め、話を切り替える。
「偶には、あんたも宴会に出ない?本当は、宴会への招待は魔理沙の仕事だけど……レミリアがあんたを自慢したいって煩いのよ」
「……自慢したい気持ちは分かりますが……」
宴会に参加しない間暇だから、と貰った自由時間である。その時間を、宴会に当てて良いものか。
「いいんじゃないかしら、偶には。古い友達にも会えるわよ?」
紫が、そう提案する。レミリアとも数日程会っていないことだし、それに。
酒臭い霧の主にも、聞きたいことがある。
「分かりました。参加しましょう」
「そうこなくっちゃね。次の宴会は、明後日よ」
お酒も用意してきてね、と。
したたかな巫女の声を聞きながら、俺は、かの地霊との再開を想った。