東方単車迷走   作:地衣 卑人

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三十八 輝と鉄

 

 月が、欠けている。

 

 宴会続きの夏は去りゆき、徐々に秋めく辺境。随分と涼しくなった夜の風が吹き抜け、冷たい鉄のタンクを冷やしてはまた、空へと帰り。

 暗い闇を妖しく照らす、我等が妖怪の力の元、太陰。古きから変わらず天蓋に映り、空を移る月の明かり。だが。

 今宵は、本来ならば満月。しかし、空に浮かぶのは……僅かに欠けた、不可思議な月。美しい筈の満月が、本の少しだけ欠けた月にすり替わっていた。否、すり替えられていた。

 

「フラン様」

「ん……何?」

 

 吸血鬼だと言うのに眠た気なフランドール。地下には、昼も夜も、日も月も無い。彼女の引きこもり癖も最近は解消されつつあるが、それでもまだ、この地下にいる時間の方が遥かに長い。少しずつで良いから、外の世界に慣れていって欲しいと願いつつ、告げる。

 

「月に、異変が起こりました」

 

 俺の言葉を聞き、その瞳にゆらりと、紅い光が揺れた。

 

「異変、ねぇ……だから、お姉様と咲夜がねぇ」

 

 クスクスと笑う彼女は、ベッドに転がるクッションを引き寄せ、抱く。

 

「レミリア様のメイド長は、異変の解決に向けて先ほどお出掛けになりましたよ。パチュリー殿は留守番だそうで」

「ふぅん。で、貴方はどうしたいの?」

 

 紅い光を映した瞳は俺の視線と交わり、その口元に浮かんだ笑みは、ゲームの行く末を期待するようにそこにあって。

 今までの俺ならば、ここで命令を受けなければ、誰かが異変を解決するまで待っていただろう。しかし、今宵の異変は、誰かに任せておいて良い規模の物ではない。

 人手は、多い方が良い。ならば。

 

「少し、出掛けて来たいと思います。よろしいでしょうか」

「……貴方は、私が引き止めたら留まるのかしら?」

 

 フランドールが、悪戯っぽく笑う。俺は物。主の命は絶対で、断るようなことは出来ないと知って。しかし、今日、今宵だけは。

 

「今日だけは、物ではなく、一人の妖怪として動きますよ。少し、お暇を頂きます、フラン様」

 

 俺の言葉に満足したように、ケラケラと笑うフランドール。こうして楽しませることが出来ただけでも、異変の解決に乗り出したのには意義がある。

 

「なら、帰ってくるまで待ってるわ。あと」

 

 フランドールが、俺の体を指でなぞる。何かを書き記したようだが、ミラーを使っても良く見えない。

 

「はい、これでいいわ。なら、いってらっしゃい」

 

 何をして貰ったのかは分からないが、彼女が俺の為にしてくれたことである。何か、悪いことが起きるようなことはないのだろう。俺は、エンジンを駆け、その言葉を紡ぐ。

 

「では、行って参ります」

 

 俺は隠された月の欠片を求めて、夜の幻想郷を走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 のでは、あるが。

 何分、大規模な異変である。紅い霧はその発生源を、奪われた春は舞い落ちる桜の花弁の先を、三日おきの百鬼夜行は、その宴を。今までの異変は、全てその手掛かりが、手の届く処にあった。しかし、今回の異変は月が欠けているだけ。それも、人間では気付かない程にほんの少し欠いただけなのである。犯人の意図も、目星もついたものではない。余程、邪魔されたくないのか。今回の異変は、お遊びのそれとは違うらしい。

 

「さて……とりあえず」

 

 こういう時は、異変の専門家の所へいくのが手っ取り早い。昔は、頭領と共に手当たり次第駆けずり回ったりもしたが、今の退治屋は何分頼りない。故に、今回当てにするのは。

 

「巫女の力を、妖怪が借りる事になるとは……」

 

 博麗神社の階段を、ゆっくりと上る。時刻は、十一時頃か。少しばかり古臭く言えば、子の刻。そういえば、昔、月の使者が輝夜を迎えに来たのも、この時刻だったか。何とは無しに、あの時の光景が思い浮かぶ。光輝く月の使者、墜落する牛車、流れゆく竹藪。満月の夜は、いつも二人で逃げ回ったものである。輝夜は、元気にしているだろうか。

 神社の階段を登り切り、境内に出る。俺は、年季の入った社へと声を張り上げた。

 

「巫女殿ー! おはようございますー!」

「ああ、もう五月蝿い! これだから昼夜逆転してるやつはー」

 

 俺が呼ぶと直ぐに、巫女が不機嫌そうに顔を出し、真夜中の訪問者に向かって愚痴を吐く。その後ろには、八雲紫。やはり、この異変は深刻なものなのだ。

 

「貴方も来たのね。嬉しいわ」

「レミリア様達も動き始めています。そして、魔法の森の魔女達や、数多の、名も無き妖怪達も。何処も彼処も、妖怪達が暴れ回っています」

「やっぱり、妖怪は気付くわよねぇ、何人か人間が混じってるようだけど」

「魔理沙殿は、暴れ出した妖怪達と交戦しているようです。蛍とか、夜雀とか」

「ほら、霊夢。先を越されたわ。貴方があんまり遅いから」

「あー、もう。なんだってのよ。これで空騒ぎだったら本当に怒るからね!」

 

 霊夢が、宙に浮く。重力を無視するかのように、何の動作も無く空を飛ぶ。その姿があの時、俺を封印した巫女と重なって。

 敵にすれば厄介だが、味方となれば、これ程頼りになる人間もそういない。あの時はスクラップ同然になるまで痛めつけられたが、今はこうして共に戦う事が出来ている……人と妖怪の関係はやはり、段々と近付いていっているらしい。

 

「霊夢。貴方の勘は、どっちに行けと告げているのかしら?」

「まずは、里ね。勘だけど」

「なら、里ね。間違い無く」

 

 紫が、霊夢に続いて宙に浮かび上がる。そして、俺の方に向き直り、扇を広げた。

 

「私たちは、空を飛び里を目指しますわ。貴方は、如何なさる?」

「地を走り、貴方達を追いましょう。地上の妖怪は、私が」

「そう。なら、空の妖怪は、霊夢が」

「あんたも働け」

 

 二人の人妖が、宙を舞う。俺は、その二人に続いて走り出す。

 人里も、妖怪の襲撃を受けていることだろう。物があまり壊れてなければいいな、なんて。

 場違いな思いと共に、俺は、二人の少女の後を追った。

 

 

 

 

 

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 妖精達が放つ弾幕を躱しながら、不吉な夜の空を飛ぶ。妖精の力がやけに強いのは、それだけ大きな異変が起きているからか。私達人間には、月が欠けていると言われても分かりはしない。しかし、妖怪や妖精、人外の騒ぎ様は異常と言う他なくて。眠い眼を擦りながら、紫と共に宙を漂う。

 視線を落とせば、私たちの遥か下を、一台のバイクが走っている。紅い体と、やけに明るいライトのおかげで、暗い夜空からでも見失うことはない。心臓の音に似た鼓動を打ちながら、その単車は私達の後を追う。

 

「本当についてきてるじゃない。なんで、私の周りには妖怪ばっかりよってくるかなぁ」

「妖怪にばっかりちょっかいをだすからでしょ」

 

 人にまで手を出し始めたら、それこそ妖怪だ。私は、人間として生きているつもりなのに。

 下を行く単車は、妖怪やら妖精やらを、その注連縄によく似た腕で薙ぎ倒しながら私たちに続く。乗り物ならば轢いてしまえば良いのに、態々死なないように気を使っているのは、それだけ優しいと言うべきか、甘いと言うべきか。妖精ならば死んだところで生き返るし、妖怪だって、そう簡単には死にやしないと言うのに。

 本当に、妖怪らしくない。かと言って、神様のようでも、まして鬼や吸血鬼のようでもない。強いて言うならば、人間。物のように、主に付き従う人間……って、あいつは物だったっけ。

 誰かの下に着く事が、そんなに楽しいとは思えないけど。私は、自分の好きな時にお茶をのみ、好きな時に掃除をし、やる気が出た時に修行をしたい。

 

「何を考えているのかしら。免許でも取る?」

「取らないわよ……ねえ、紫」

「何かしら、霊夢」

「あいつって、もしかして人間?」

 

 紫が、少し驚いた顔をする。それは多分、正解ということだろう。

 

「いや、物らしいなとは思うんだけどさ、なんて言うか、どっちかっていうと、物みたいな人間って感じじゃない? あいつ」

「……中正解ね。貴方は、あんな姿の人間がいると思う?」

「私の知り合いには、あんな姿なのは一人しかいないけど……中正解ってことは、昔は人間だったのね」

 

 どういう経緯で、彼が人間からバイクになったのか。別に、そんなことに興味はないし、詮索するような趣味もない。ただ。

 

「私は、あんな姿にはなりたくないなぁ。間違っても」

「ならないわよ、間違っても。薬でも飲んでああなるわけでもなし」

 

 そりゃそうだ、と納得して、暗い夜の幻想郷を見下ろす。月は満月に限りなく近いと言うのに、やけに暗く感じるのは、今が異変の最中だからか。私が鳥目になったのではないのだと思いたい。

 

「霊夢。彼が人間だと気付いたあなたの勘なら、もう気付いているわね。この夜が、こんなにも暗い訳に」

 

 今思っていたことを質問され、戸惑う。そんなことを、何故私が知っているというのだろうか。

 

「日が出ていないんだから、暗いに決まってるじゃない」

「まあ、夜ですし……ほら、ここには元々、何があった?」

「ここは……あ、里」

 

 そうだ、ここには、人間の里があったはず。それがどういう訳か、今はその形さえ認識出来ないでいる。

 そんな中、立ち塞がるかのように宙に浮き、此方を睨む銀髪の少女。

 

「異変ね! 懲らしめてやるわ」

「大丈夫、里はちゃんと存在してるわ。そんなことより私たちは、月の異変を追うわよ。ここは、他に回しましょう。例えば、人間の大好きなあの子とかにね」

 

 紫が軌道を変え、竹林へと向かって飛ぶ。置いていかれる訳にはいかないので、私もその後に続いた。

 紫の言った通り、あいつが近付いてきているみたいだし。

 

 

 

 

 

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 慧音の周りに妖気が集まる。他に類を見ない、博識なる神獣、白澤の半獣。その、人間時の姿のまま、迂回する霊夢達を見送る慧音。彼女は里を守る守護者。通り過ぎるだけの妖怪を追うこともなければ、近付きつつある悪魔の気配を見逃すこともない。彼女は戦闘に入る態勢を整え、深夜の襲撃に備えた。

 レミリアの気配が、慧音の気配とぶつかる。人の里は変わらず見えないままだが、レミリアに任せれば何とかなる筈だ。

 大方、慧音がこの異変から里を守ろうと歴史を隠したのだろう。レミリア達なら、慧音を殺してしまうこともあるまい。

 欠けた月と、暗い夜空。吸血鬼と半獣の下、俺のライトは里のあった空間を照らしては、闇に飲まれるばかりで。

 

「歴史ばっかり見ているお前には、運命は変えられないよ」

「お嬢様。時間を頂いてもいいのですね?」

「しょうがないわねぇ。ちょっとなら、私の時間も使っても良いわ」

 

 耳をすませば、レミリアと咲夜の声が聞こえる。里の歴史は慧音が保護しているので、弾幕も人間達を傷付ける事はあるまい。しかし、下にいる俺は、ここに居れば弾幕の雨に巻き込まれる事になる。

 巫女と妖怪は、もう随分先に行ってしまった。俺も、のんびり走っている場合ではない。ギアを上げ、アクセルを回し、更に速く、車輪を回す。

 

「あっちは……竹林かね」

 

 迷いの竹林。妖怪たる俺でも、あまり入ることのない自然の迷宮。成長の早い竹のお陰でその景色は毎日のように変化し、四方八方を同じような竹に囲まれ、どっちが出口なのかも分からずに人間は、延々と彷徨い続けてしまう。

 里から程近く、こうしている間にも、周りには深緑の檻が俺を囲い始めている。

 人間ならば、真っ直ぐ歩いているつもりで同じ所をぐるぐると回ったりなんてこともするが、俺は道具。人間の様に視覚に頼らず、真っ直ぐに進み続ける事が出来る。

 それにしても、この竹林には、不可思議な力が宿っている。おそらく、人間がこんなにも迷いやすいのはこの魔力のせいだ。竹は地下で一つに繋がっている植物だが、もしや、この竹林は既に妖怪と化しているのではなかろうか、なんて。

 考えている内に、巫女達に追いつく。そして、彼女達の前に立ち塞がる、一人の、魔女。

 白と黒のツートンカラーが印象的な、霧雨の魔法使いが、愛用の箒と共に空に浮かんでいる。様子を見るに、月の異変には気付いていないのか。

 アクセルを緩め、三者の会話に耳を傾けるが、果たして。

 

「魔理沙に何言っても無駄ね」

「あの歪な月は危険なのに……」

 

 巫女と妖怪は、諦めた様に溜息を吐く。どうやら、魔理沙は引く気はないらしい。

 

「あー? 何だか知らないけど。夜が終らない方が害だらけだぜ」

 

 夜が終わらない、とは、なんの事か。そういえば、今日はやけに月の動きが遅い。どうやら、異変の解決に乗り出した者たちの中には夜を止めているものがいるらしい。

 さて、魔理沙は終わらない夜が危険だと言うが、その訳は……

 

「妖怪は夜に人を喰う。夜が続けば、喰い過ぎで妖怪は自滅する」

 

 する訳が無い。

 俺の声が、紫の発した言葉と重なる。思わず発した言葉に気付いた紫が、俺の真横に隙間を開いた。

 

「行きなさい。あの月を目指して、真っ直ぐに」

「了解」

 

 隙間越しに囁く紫に短い返事をし、それと同時に俺は、また、アクセルを回す。

 目指すは、月。光輝く夜を目指して。

 

 

 

 

 

 

 

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「姫、お隠れ下さい。侵入者が現れました」

 

 イナバが私に、そう告げる。地上のイナバより一層紅いその瞳は、地上の者を狂わせる月の光。月と縁を切った私の元へと逃げ込んだ、月の兔。金烏玉兎は流れさる時、しかし、烏兎怱々と言うには此処には、太陽の光が足りない。此処の時は、未だに止まったままなのだ。

 

「……そうね。私の所まで、通さないように」

 

 本音とは逆の言の葉を、月の兔へと投げかける。畏まった返答は、私の背中にぶつかり、また、その足音と共に闇に消えた。

 

「貴方が見たら、どう思うかしらね。今の私の、この有り様を」

 

 かつて、この地上を共に駆け巡った友人を想い、私は、地上から奪い去った狂おしい珠を見つめる。

 

 彼と共に見つけ出した、この理想郷。多くの人妖の息衝く大地と、美しき穢れ。そして、進まない歴史。

 

 

 私もまた、幻想郷にいた。

 

 

 


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