東方単車迷走   作:地衣 卑人

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四十 姫と鉄

 

 竹林に立つ屋敷にて、一台(ひとり)、ぼんやりと月を眺める。

 永い永い廊下を抜けた先にあったのは、月の映る夜空。何らかの術が働いているのだろうが、俺にはそれがどういった物なのかは、さっぱり分からない。ただ。

 此処にある月は、暫く見る事の叶わなかった本物の満月。地上から盗み出されていた月が、そこに、静かに輝いていた。

 

「驚いた? ここに隠してたのよ、満月」

「……永琳殿は、思い切ったことをなさる」

 

 本当に月を掠め取るとは、壮大な異変である。一体、どんな原理が働いているのか。

 

「永琳殿は、何処に」

「んー、なんか、さっき忍び込んでた亡霊と遊んでるみたい。互いに死なないし、大丈夫じゃない?」

「一人は、半分人間なんですけどねぇ」

「ま、私とも一戦交えたから大丈夫。小さな幸せのおかげで、死ぬことはないわ」

 

 てゐの能力がどれ程のものかは分からないが、そう言われると心強い。妖夢も、無事に帰ることが出来るだろう。

 彼女達の心配は、無用。ならば今は、自分のすべきことを為すのが、先だろう。

 俺はてゐに、まだ見ぬ彼女のことを問い掛ける。

 

「……輝夜は、何処に」

 

 呼んで来ようか、と、てゐが訊ねる。目の前に床は無く、そこには暗く深い闇が続くのみ。

 永きを生きても、未だ空を飛ぶことは叶わず。いくら妖気を溜め込もうが、重い鉄の体を宙に浮かせることは出来ない。俺は、てゐの言葉に是と答えた。

 

「……輝夜……」

 

 去りゆく素兎を視線だけで追い、俺は、その名を呟く。

 輝夜。彼女と最後にあったのは、千年程前。その後てゐに見捨てられたり不死人に助けられたりと、色々あったが。彼女はきっと、あの時と全く変わらぬ姿で、この屋敷の中に隠れ住んでいたのだろう。

 輝夜と共に、幻想郷を探し回っていた頃。旅をしながらの生活だったのもあるが、輝夜には随分と苦労をかけてしまった。それに加えて、月が満ちれば使者が地上に降り立ち、その度に逃げ回る日々。せめて月が満ちなければと、何度そう思ったことか。

 今回の異変の動機は、もしや。

 その疑問を飲み込んで俺は、語り掛ける。

 

「……お久しぶりです。いや」

 

 近付く懐かしい気配。月明かりに照らされたのは、古き友人の、驚いた顔。

 

「久しぶり。輝夜」

 

 俺は、かの月の姫との再会を果たしたのであった。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 イナバが、私を呼ぶ。

 誰か、侵入者が現れたのか。それとも、この終わらぬ夜の犯人が分かったのか。どちらにせよ、私はこの場を離れることは出来ない。

 私は、姫。月の使者から逃れるために、私はこの誰も入れない密室の中で待っていなければならない。永琳の術と、私の力で作り出した、この密室に。

 

「って、なんで手を引くのかしら?」

「ほら、早く早く。お客を待たせるのはマナー違反よ、お姫さま」

 

 イナバ……突如として、この時の止まった屋敷に現れた地上の兎、てゐが、私の腕を引く。見た目よりも、ずっと強い力で。

 

「ち、ちょっと、私は出るわけには……」

「そんなことを言ってたら、幸せを逃すよ! さ、どんといってこーい!」

「わわっ!」

 

 てゐが、遠心力に任せて私を投げ飛ばす。空中では踏ん張ることも出来ないので、私の体は思っていたよりもずっと、遠くまで飛ばされてしまった。

 てゐは、お客だと言っていたけれど、こんな所に訪れるお客様がいるとは思えない。此処まで来るのは、私を狙う月の使者くらいのもの。しかし、使者が私を捕らえに来たにしては、あたりは随分と静かで。

 私は疑いながらも、永琳が作り出した廊下に、視線を落とした。

 

「……えっ……」

 

 何故。なんで、どうして。

 

「お久しぶりです、いや」

 

 彼が、此処にいるの?

 

「久しぶり、輝夜」

 

 その言葉を聞いたと同時に、私は、彼の元へと飛び出す。何か、言葉を掛けたい。でも、掛ける言葉が見つからない。

 言葉が体に追いつくよりも早く、私は彼の車体に抱きついた。

 

「なんで! どうして此処に来たの!」

 

 唯、ただ、嬉しさばかりが込み上げてくる。私の、唯一の友人がこうして訪れてくれるなんて。予想だにしなかった出来事に、思わず顔が綻ぶ。

 

「まさか、会えるとは思いませんで……いや、思わなかった、よ?」

 

 片言の常語。あの時、別れ際にした約束を、憶えていてくれたらしい。たったそれだけの事が、こんなにも嬉しく感じるなんて。

 

「よく、居場所が分かったわね! 私も、会えると思って無かったわ」

「本当に、久しぶり……元気に、していたか?」

「ええ。あなたこそ、元気だった?」

 

 シートに座り直した私に、勿論と答える彼。ぎこちない口調が、やけに心地よい。

 

「唯、会いに来た理由が……」

 

 急に彼が口籠る。何か、言い難いことがあるのか。

 

「実は、この月の異変を解決する為に、此処まで来たんです……だよ。ごめんなさい、敬語じゃ駄目?」

「だーめ。って、異変の解決?」

 

 月の異変……この、地上の密室の術のことかもしれない。永琳は、本の少し欠いた偽物の月と、此処にある本物の月を入れ替えたと言っていた。なら、彼はこの本物の満月を取り返しにきたのかもしれない。

 

「異変、ね。そんなに大それたことになっているのね」

「まあ、起きる時は起きるし、構いやしないと思うがね。解決さえすれば」

 

 彼の常語も、少しずつ自然に聞こえるようになってきた。きっと、普段から敬語ばかり使う生活をしているのだと思う。新しい持ち主は、どうやら見つかったらしい。

 

「それで、どうするのかしら。私を倒して月を取り返してみる?」

 

 ちょっとだけ月の力を開放し、彼を威圧してみる。彼と一緒だった頃は、助けられてばかりだったけれど、今は。

 彼を負かすことも出来る。そんな、私の今の力を彼に見せたくて。

 

「……強くなりましたね。輝夜……」

 

 彼が、そう呟く。敬語に戻っているけど、今だけは目を瞑っておく。

 

「私は、輝夜とは戦いません。しかし、人間と妖怪が此処へ向かっております。彼女達は、この幻想郷を管理するもの。満ちた月は、この幻想郷に必要なもの。だから……」

 

 後は、聞かずとも分かる。その、此処へやって来る人間と妖怪と、戦わなければならないのだろう。

 

「輝夜」

「何、かしら」

「逃げるおつもりは、ございませんか」

 

 逃げる。その言葉が、頭の中を駆け巡る。

 考えてみれば、ずっと。逃げて逃げて逃げて、隠れ潜み怯え。彼と別れてから千年余り、この竹薮の中で隠れ続けてきた。

 そして、あの時も。永琳だけに月の使者の相手をさせ、私は、最も辛い役目から逃げ出して。

 彼と会えた嬉しさから、また、暗い思考へと落ち込んでいく。

 

「……甘え過ぎたの、かな……」

 

 小さく、呟く。言葉は冷たい夜に呑まれ、消える。彼は、こんな私のことを友人と呼んでくれるのか。彼だけではない、永琳や、イナバ達も……

 

「甘えかどうかは、知らないけれど。それでも」

 

 彼の声。その言葉に籠る感情は、読み取れず。しかし。

 

「それでも、私は……俺は、輝夜の友人。いつまででも、何処まででも。輝夜が、どんな道を選ぼうと」

 

 その言葉に籠る感情は、決して冷たいものではない。優しく、それでいて、対等な言葉。

 私は、力強くこの手を、握り締めた。

 

「……なら、私も、友人として恥ずかしくないようにしないとね」

 

 この地の決闘のルールは、永琳に教わっている。後は、私がそのルールに従って、立ち向かうだけ。

 懐から取り出した、五枚の符。かつて私の出した、五つの難題。それらを以て、この終わらない不吉な夜に終止符を打つ。

 私は、近付きつつある人妖の気配に身構え、その虚空を見据えた――

 

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 

「求めるは、私と共に歩める命……『ライフスプリングインフィニティ』」

 

 輝夜が、四枚目のスペルを宣言する。俺の、遥か昔の記憶にある、かぐや姫が望んだ宝の、四つ目……これが、燕の子安貝らしい。

 まるで、車輪のようだと思ってしまうのは、俺の感性が乏しいからか。光輝く、無数の光線。それが描く、一つの輪。今対峙している巫女やスキマの妖怪ならば、このスペルが意味する物も正しく理解出来るのかも知れない。

 

「……いつまで隠れておられるのですか、因幡殿」

「あ、ばれてた?」

 

 廊下の裏側から、てゐが顔を出す。その表情は、愉快そうな笑み。先のやり取りも、全て聞いていたのだろう。

 

「……巫女達が此処まで進めたのは、貴女のせいですね?」

「なんでそう思うのかしら」

 

 素知らぬ顔で言いつつも、否定はしない。別段、ばれても問題は無いのだろう。結果として、良い方向へ向かうのだから。

 

「鈴仙殿は、私がこの廊下へ入った後すぐに、扉を封印しました。あの封印は、そう簡単に解けるものでは無い。誰かが、中から開けなければ」

「風でも吹いたんじゃないのー?」

 

 口笛混じりに、てゐは笑う。掴めない性格なのは、やはり彼女が、永きを生きた妖怪だからなのであろう。

 

「ありがとうございます。あの二人なら、輝夜を此処から連れ出せる」

「だから、風の仕業だってば。そんなことより、ほら、もう最後よ」

 

 少し恥ずかしげに、輝夜達の戦いを見入るてゐ。あまり、感謝されることには慣れていないのか、その顔にはうっすらと朱が混じっている。

 彼女に倣い、空中での戦いに目を向ければ、輝夜のスペルは既に五枚目。これは、蓬莱の玉の枝か。何色もの玉が軌道を描き、巫女達へと飛ぶ様は、確かに、玉の枝という表現が的確である。

 蓬莱の玉の枝。そういえば、あの時地上の人間に渡された蓬莱の薬は、ちゃんと、富士の火で焼かれたであろうか。輝夜が消えた後に残された、幾多の哀しみと共に富士の山へと運ばれた、あの薬は。

 七色の玉は、そんな哀しみを感じさせぬ程に美しく、夜空を埋め続ける。そんな艶やかな弾幕も、もうじき、終わりを迎える。

 スペルが激しくなるにつれ、霊夢と紫の撃ち込む弾も強くなっていき。輝夜が宣言した最後のスペルが、遂に、終わりを……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんて事!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう、夜を止めていたのは……貴方達だったのね」

 

 輝夜が纏う気配が変わる。彼女から溢れ出す、感じたことの無い力。月の力でも、地上の力でもなく、これは。

 これは、輝夜自身の力。

 

「貴方達が作った半端な永遠の夜なんて……」

 

 今までの弾幕を遥かに上回る密度のそれが、霊夢と紫を飲み込んでいく。そんな弾の嵐の中でなお、彼女達は避け続けているのか。

 

「私の永遠を操る術で全て破ってみせる」

 

 静かに響き渡る、輝夜の声。そして、急速に落ちる月。彼女が、こんな力を持っているなんて、知らなかった。

 

「夜明けはすぐそこにあるはずよ」

 

 仄かに明るくなりゆく空。

 輝夜の言葉通り、夜明けは、すぐそこにある。

 

「どう?これで永夜の術は破れて、夜は明ける!」

 

 輝夜の放つ、最後の弾幕が、消える。月の影を残したままの闇に日の光が差し込み、輝夜の力によって、永い夜が、明け。

 

 そして、輝夜が一人、明けゆく空にへと落ちてゆく。

 

「輝夜!」

 

 全ての力を出し尽くしたのか、輝夜は飛ぶことも出来ずに落ちるのみ。落下する彼女を見据えながらエンジンを駆けギアを落としてアクセルを回し。全力で、落ち行く輝夜を追って飛び出す。

 疲れ果て、驚いた様子の霊夢達やてゐが遠退き、俺の体が、落ちる、落ちる。

 

「輝夜!」

 

 追い付いた彼女の体に向けて、フェムトファイバーを伸ばす。輝夜の体をしかと抱き、引き寄せ、そして。

 

「てーゐ!!」

 

 輝夜の体を、持てる限りの力で、上空へと投げ上げた。

 

「姫!」

 

 てゐが輝夜の手を掴んだのを確認し、俺は、落ち行く方向……遥か、下方を見つめる。

 明るくなり始めてもなお、底の見えない空中。この空間も、何らかの術が作り出したものなのか。もしかしたら、永遠に落ち続けるのかも知れない。しかし。

 友人を守れたならば、それは、それで。

 

「フラン様、申し訳ない。私は、帰れそうにありませぬ」

 

 俺は、駆けたままだったエンジンを止め、目を瞑る。生還を諦め、力を抜いて。

 只々、視界を閉ざしたまま、俺の体は、下降していく――

 

「待ってるって、言ったじゃない」

 

 突然声が聞こえ、目を開ければ、そこには。

 俺の体を掴んだまま宙に浮かぶ、彼女の姿。そして、彼女は、空いた右手を握り締めて。

 この空間は、壊れた。

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 紅魔館。紅い紅いこの館にもまた、満月が戻ってきていた。

 此処で暮らす住人にとっては、久方ぶりの満月。そう、この俺と、妹様を除いて。

 

「自分自身を召喚するなんて、聞いてませんよ」

「助かったんだから良かったじゃない」

 

 俺は、フランドールと共に満月を見上げる。彼女が俺に描き記したのは、自身を呼び出す為の術式。当然、既にその術式は消してある。

 

「でも、よく分かりましたね。ピンチだって」

「ずっと見てたもの。あの術式を通して」

「……覗き癖は、いけませんよ」

 

 何にせよ、助かったのであるから良いが。俺は、シートに座るフランドールから、また、満月に目線を移す。

 今宵の月は、いつにも増して強く輝いている。あの、竹林に建つ屋敷の上で。

 輝夜はあの後、屋敷に掛けられていた永遠の魔法を解き、永遠亭の存在は明るみに出た。これからは、いつでも会いに行けるのだ。

 

「……そろそろ、寝るわ」

「お早いですね」

「昨日は、あんまり寝てないから。じゃあ……」

 

 フランドールが、俺から降りる。

 去り行く彼女の背中に、俺は、言葉をかける。

 

「ありがとうございました。お休みなさい、フラン様」

「……おやすみ」

 

 くすりと笑い、彼女が暗がりに消える。俺は、館の窓辺に一台(ひとり)。輝く夜を見つめたまま、動くこともなく。

 

 紅い紅い屋敷にて、俺は、ぼんやりと月を眺め続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 





 永夜異変、完結。

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