東方単車迷走   作:地衣 卑人

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四十二 生と鉄

 

 肌寒くなってきた気温に、必要もないくしゃみを一つ。日の暮れつつある高草の群に、辺りを包む竹の香り。目前に広がる緑の檻も、かの屋敷が永遠の鎖から解き放たれてからは、月を撃ち抜かんとする天の柱に思えてくる。

 延々と続く、竹薮。竹の匂いに混じって、空を覆う暗雲が放つものなのか、雨の匂いが辺りに満ちる。

 じきに、雨が降るだろう。丁度、あの日もそうだったように。

 

「……おお」

 

 違うのは、そう。互いに、酷く歳をとってしまった事くらいか。容姿も、随分と様変わりしたものだ。

 

「……久しぶり」

「ええ。本当に」

 

 二人の、元人間が声を交わし、そして。

 竹林に、雨粒が落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 降りしきる雨と共に、夜の帳が降りてくる。雨雲に隠された空は、唯々その明るさを失って。

 雨の中、急ぐこともなければ、打ち付ける雨粒から逃げることも無く。不死と鉄、今更雫に撃ち抜かれようが、関係ない。寧ろ、その痛みこそが生の証ともなろう。そう思える程度には、生から遠ざかってしまった。

 

「……変わらぬものですね」

「まぁ、岩だからね」

 

 苔の生えた洞窟。湿っぽい土の匂いと、岩の冷たさ。あの日、この不死人と雨宿りをした洞窟である。

 洞窟の中に座り混んだ彼女が、目の前に一つの火を灯す。

 

「……変わりましたねぇ。色々と」

「貴方こそ。前は、そんなに赤かったっけ?」

「前は、ボロを纏っていましたから」

 

 白く、長い髪。あの時は、黒のおかっぱ……だっただろうか。

 

「それで、どうです。未だに後悔していますか」

「ははっ、まあね。後悔の念なんざ、そうそう消えるものでもないでしょう?」

「ええ、その通りで。でも」

 

 その目に、あの時のような淀みは無く。唯、永きを生きた者のある種の達観と、幽かな諦め、そして、強い、光。

 

「強くなられましたね。あの時よりも、ずっと」

 

 あの時の小さな体は、今や、妖怪達よりも力強いものへと変わり。

 それは、同時に、人から遠退いた事も意味して。

 

「まあ、生きてりゃ変わるものさ。貴方も、随分と……人から、遠ざかったねぇ」

「生きてりゃ、変わるものです。鉄も、永きを経れば錆びつき、重みが加われば曲がり、熱すれば溶ける。形を変えながら存在し続ける。人は」

「永きを過ごせず、打たれれば死に、燃ゆれば死に。輪廻の輪に呑み込まれれば、次の、真っ新な生を得て」

 

 不死人は、自嘲気味に微笑する。微笑したまま、その手に小さな火を灯し、それを、暗い岩肌に落とした。

 

「私は、最早鉄に近いのかな。有機物じゃなくて」

「鉄はいずれ腐るもの。貴方は、腐ることなどありますまい」

 

 俺は、不死では無い。永い時を生きるのは確かだが、いつかは、この迷走にも終わりが来る。

 彼女と同じ時を過ごすことは、到底出来ない。

 

「分かってるさ。私は、永遠に一人。あの薬を飲んでからずっと、ね」

「……不死は、貴方だけでは無いでしょう。竹林の奥深くには、月の姫がいらっしゃる」

「輝夜を、知ってるの?」

 

 少し驚いたように言う、不死人。俺としては、彼女が輝夜のことを知っていた事の方が驚きである。

 

「共に、月の使者から逃げ回った仲でして」

「……あいつも、不死なのよねぇ。未来永劫、ずっとあいつだけは存在する。癪ねぇ」

 

 ……ああ、思い出した。あの時、目の前の不死人は、岩笠の名を語ったではないか。岩笠といえば、不死の薬を富士の山へと運んだ、その人で。あの時は、岩笠が誰であるかを思い出せなかったが……

 その薬を地上にもたらしたのは、他でも無い輝夜。運命というものは、本当、分からないものである。

 ならば、彼女が不死となったのは、突き詰めれば輝夜のせい……

 

「恨んで、おいでですか」

「そりゃあ、ね。未来永劫、恨み続けるだろうね」

「……感情が死ぬよりは、ましですかね」

「ずっと、ね」

 

 彼女が、そう言いつつ火を強める。夜は、始まったばかり。冷え込みも、段々と厳しくなってくるだろう。

 

「……不死、か」

 

 輝夜は、そのことをどう捉えているのだろうか。死ねないことを。生に付きまとう苦しみを、永遠に味合わねばならないこと。

 俺なら、御免であるが。

 

「……最近、さ」

「何でしょう」

「生きるってのも、案外捨てたものじゃないと感じ始めたよ。昔は、後悔してばかりだったけれど」

 

 手の中にまた、火を灯し、先ほど岩肌へと落とした火をもう片方の手で拾い上げる。

 

「ここは、いい。寿命が長い奴らが、沢山居て」

「理想郷ですから」

「確かにね。ここでなら、私も生きていけそうだよ」

「何があっても、生きていくことになるのでは?」

「生きるのと、生きながらも死んでいるのは違うでしょ?」

 

 最も、である。

 

「……私にも、少ないながら理解者が出来た。共に、永遠に殺しあえる相手も出来た。人の里を見守るなんていう、細やかな楽しみもね」

 

 嘲笑では無い笑みを以て語る彼女。そんな彼女に、一つの問いを投げかけてみる。

 何の考えも、裏も、含みも無い。唯の興味から、である。

 

「幸せ、ですか」

 

 少し、考える素振りを見せる。俺は、彼女が口を開くのを待つ。

 

 湿気った洞窟。外に目をやれば、水の林。風もあるのか、雨の音に竹のざわめきが混じって聞こえてくる。

 彼女の手に灯された二つの火は、その、両の手の中で揺れ、湿った岩の壁に指の影を映し出す。

 影は、揺れる。まるで、何かを探すかのように。

 

「……私が、幸せになって良いのかな」

 

 そう訊ねる不死の少女。その目に、迷いを湛えて。

 もし、罪に時効なんてものが本当にあるのなら、それは、彼女の為にあるのだろう。千年もの間、一人の男を殺した罪を悔い続けてきた、彼女の為に。

 俺は、その問に応える。

 

「いいんじゃ、ないですかね。少なくとも私は、貴方には幸せになって欲しいですよ」

 

 飾り気も何もあったものではない、言の葉。岩のように無骨な鉄の塊の言葉は、華は疎か、花の一つさえ持ち得ない。しかし、拙きながらも伝えたいことだけは、その言葉に宅せた筈である。

 少女は、そんな俺の言葉を聞いて微笑む。その笑顔の裏に後悔の念は残ったままだが、それでも良い。

 暗い過去の積み重なった上でもなお、人は、笑って良い筈だから。

 

「……ありがとう。とりあえず、また、生き続けてみるよ」

 

 彼女は、右手と、左手、それぞれの手に宿した火を、一つに纏めて。

 その火をそっと、燃え続ける焚き火に合わせた。

 

 

 




 岩と花の。
 

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