東方単車迷走   作:地衣 卑人

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四十三 鉄と人

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅魔館の、一室。俺に与えられた車庫の中。

 今は、丁度昼頃と言ったところか。夜通しはしゃぎ回った館の主や、仕事に疲れたメイド長、徹夜明けの図書館。更に、生活リズムの不規則な妹君までもが眠りについた、正午。

 そんな中、何故俺だけが眠りについていないのか。特に理由があるわけでは無い、ただ、目が冴えてしまっているだけである。

 

「なんで、眠れないかね……」

 

 眠れない朝。嫌な、胸騒ぎ。窓の無い車庫に、上り始めたばかりの日の光が射し込むことも無ければ、朝の香りが風に乗って入り込むこともない。あるのは、冷たく沈んだ、静寂だけ。

 妖怪の方が人間よりもずっと多い幻想郷。日の光は、眠りの合図。鳥が鳴き始めれば、それは夢への旅立ちの催促。車庫の外では日は既に上り、小鳥達は鳴き始めている。そんな中で、何故、眠れない朝は続くのか。

 

「……何処か、行くかね」

 

 寝てばかりいるのも、なんだか勿体無い気がする。何故だかは、分からない。ただ、時間を無駄にしている気がするのだ。

 エンジンを駆けずに、車輪を回し始める。扉に命じ、車庫を開き。紅魔の眠る館を抜ける。

 

「……守衛殿は、起きてらっしゃるかな」

 

 エンジンを駆けぬまま、門を目指す。美鈴の管理する花畑を眺めながら、見知った赤髪の立つ門へ。

 

「あら。お出掛け?」

「ええ。眠れなくて」

「そう……あ、門、開けるわね」

 

 少し疲れた表情の美鈴。彼女が守る門をくぐり抜け、また、彼女に向き直る。

 

「では、お疲れ様です」

「ありがとう。なら、行ってらっしゃい」

 

 行ってきます、と。彼女に、言い残し。

 俺は、エンジンを駆け静かに、ギアを落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 日の光が眩しく照らす、幻想の郷。季節外れの花が咲き始めたこの地を、二つの車輪を転がして駆け巡る。他に車も無く、道路標識さえ無いこの地を、唯々、走る。

 近頃、よく昔の事を思い出す。フランドールとの出会い、レミリアとの出会い。頭領や、退治屋達との出会い。ぬえとの出会い、水蜜との出会い。輝夜との出会い、友との出会い。太子との出会い。紅魔館、人間の里、地底、寺。そして、古き、古き日本。

 今まで出会った者たちとの記憶。そして、その、先。俺が、人間だった頃の記憶が、幽かに、その癖はっきりと浮かび上がる。

 俺は、元々人間だった。その事実は、覆りもしなければ、否定もしない。ただ、人間だった頃の記憶が蘇る度に、少し、怖くなるのだけだ。

 

「……空は、落ちない」

 

 あり得ないことだと、自分に言い聞かせる。そう、あり得ない。俺の嫌な予想は、起こり得ない。

 

 だが、しかし。もしかすると、本当は……

 

 気になるならば、試せば良い。だが、試してみる勇気が湧かないし、試す方法があるのかも分からない。ただ、しかし。

 もし、俺の予感が当たっていれば。俺は、生きていけるのか。全てが嘘なんて、俺は、受け入れることが出来るのか。

 そんなことになったら、俺は、俺は……

 

「……俺、俺と煩いな」

 

 自分の思考を吐き捨てる。幻も現も関係無い。俺は、此処にいるのだから。

 俺は、唯只管に、エンジンを吹かせ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 様々な花が咲く道。今は、冬の終わり。これらの花が咲く時期は、本来ならばまだまだ遠い。また異変が起こっているのかも知れないが、今の所実害は無いようである。

 それに、俺の胸騒ぎの原因は、この異変によるものではないことも、ぼんやりとだが分かる。

 この道を進めば、神社に辿り着く。思えば、あの神社こそが、全ての始まりであった。その思い出の地に向け、走る、走る。

 静まり返った、日の照らす道。響くのは、俺のエンジン音だけ。

 

「……着いた、か」

 

 ギアをニュートラルに入れて、エンジンを止める。車輪が地面に沈みこむが、転んでしまう程では無い。

 そんな、中途半端に柔らかい大地に、桜の花弁が舞い落ちる。薄く赤みの掛かった花弁の舞うこの神社は、幻想郷でも指折りの桜の名所である。そういえば、彼岸の塚の桜の色の所以は、最後まで分からず終いだった……

 

「……何、を」

 

 何が、『最後まで』なのか。一体、何が終わるというのか。

 終わりなど、あるものか。いつまでも、延々と……

 

「……ああ、くそ……」

 

 ……本当は、分かっている。

 全て、分かっている。唯、この幻想から離れたく無いだけなのだ。

 離れたくないという思いが強くなるにつれ、過去の記憶が蘇る。懐かしさと、そして、それ等を失うかもしれないという悲しさが、滾々と溢れだす。

 

「……輝夜」

 

 彼女と出会ったのは、ある男が俺を、輝夜に献上したからであった。あの男は、心から輝夜を好いて、好いて。笑顔を見れただけで満足だという程、彼女に陶酔していた。そんな、もう会うことも叶わない、俺の友。

 輝夜も、随分と強くなった。月の姫は、泥臭い地上の穢れに塗れてもなお、その輝きは失わず。彼女と友人になれて、本当に良かった。

 

「村紗、ぬえ……」

 

 彼女達は、今も仲良く、元気にしているだろうか。最後にあってから、随分と時間の経ってしまったが、今でも変わらず、俺を友達だと思ってくれているだろうか。

 正体不明の妖怪に、船幽霊。種族さえ、性格さえ違うというのに似通った二人。彼女達は、きっと、上手くやっていけることだろう。

 

「頭領……そして、頭領」

 

 退治屋の頭領達。最初に出会った頭領も、最後に出会った頭領も、何処か侍のようで。人里や阿礼の子を守る彼等の姿は、何処までも勇ましく、共に戦えたことが誇らしい。

 

「……フランドール……」

 

 彼女の元から離れるのが、一番、心残りで。籠の中の彼女も、少しずつ、外との関わりを持ち始めた所であった。その彼女と、もっと共に館を抜け出し、出かけて行きたかった。

 しかし、彼女ならば、俺がいなくとも大丈夫であろう。きっと、自らその籠を砕き、外へと羽ばたく日がやって来る。

 

「……そして、レミリア」

 

 紅い、紅い悪魔。運命を操る、俺の、自慢の主。彼女と契約を交わしたのは、決して間違いではなかった。

 いつまでも、いつまでも。彼女の為に走っていきたいと、そう、思っていた。

 

 

 桜が舞い落ちる地で、一人の、否、一台の鉄が思い出に沈む。離れたく、ない。この、幻想郷から。

 運命に抗うように、ギアをニュートラルに入れたまま、エンジンを掛け、吹かす。静まり返った世界に響く、爆音。俺の存在は確かにここにあるのだと、存在するのかも知れない誰かに誇示するように

 俺に涙腺があったのならば、その雫の枯れるまで泣こう。俺に声帯があったのなら、声の枯れるまで哭こう。しかし。

 

「……必ず。絶対、絶対に」

 

 泣いても、叫んでも、それでも、絶対に。

 この地を目指そう。これは、俺の短い夢。しかし、形の無い幻では無い。これが幻だなんて、思えない。

 

「必ず、絶対、に……」

 

 エンジンの鼓動が、遅くなりゆく。神社に続く階段の下、鳥居から少しだけ離れた、開けた空間で、俺の意識は遠退き始める。

 

「絶対……ぜったい……」

 

 凄まじい眠気が襲う。もう、別れの時が、すぐそこまで迫っている。

 

 俺は、一つの誓いと共に、その、薄れゆく意識を手放した――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さみぃ」

 

  目を冷ますと、辺りはもう暗かった。どうやら、本当に眠ってしまっていたらしい。とりあえず俺は、シーシーバーに引っ掛けてあったフルフェイスを被る。

 永いようで、短い夢だった。ここは、夢を忘れた幻想の外。妖怪達や、神々が恋した理想郷の、外。

 

 しかし、俺が夢の終わりにした誓いは、未だにこの胸に残っている。

 

「……幻想、郷」

 

 覚えている。確かに、その地の名を。持ち主達の名を、覚えている。それだけだと言うのに、嬉しくて堪らない。

 そして、同時に。寂しくて、堪らない。

 

「……くそ」

 

 目に涙が溜まるが、ヘルメットが邪魔をして上手く拭えない。涙に霞む視界、紅い単車や、降り積もった桜の花弁が滲む……

 

「……あ……」

 

 桜の花弁。辺りを見渡せば、そこには、花の一つもつけていない裸同然の木々が並ぶばかり。

 ならばこの、花弁は……

 

「あ、ああ……」

 

 花弁の先、ハンドルに掛かった物を、俺の目は捉える。そこに下がるのは、鉄の輪。洩矢神から貰った鉄の輪。

 幻想郷は、幻などではない。幻想郷は確かに存在し、俺は、確かにそこへと訪れたのだ。夢と言う媒介を通し、俺の体は、俺の単車は、確かに。

 

「……必ず、絶対に、幻想郷へ行く。絶対、絶対に」

 

 エンジンを駆け、無駄にアクセルを回す。自分に喝を入れるように。桜に塗れた俺の半身を、奮い起こすように。

 あの誓いは、まだ、胸の中にある。目的地の存在は確認した。手掛かりも見つけた。後は、この車輪を走らせるだけ。

 時間はかかるかもしれない。しかし、行けない距離ではないだろう。

 

 

 降り積もった桜の花弁をポケットに突っ込み、俺は、力強く、バイクのギアを蹴り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 






【完】では、ありませぬ。


 唐突……と言えば唐突ではありますが、ストック+新規の分もやっとこさ上げ終わったので、私事により少しの間連載を休止させて頂きます。
 にじファンで読んで頂いた方はご存知でしょうが、集中せねばならないためでございます。
 数ヶ月程ではありますが、その間は感想への返事も出来ませんので、次に更新する時に返事を書かせて頂きます。

 では。いずれ、また。

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