東方単車迷走   作:地衣 卑人

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単車現走
四十四 幻と鉱


 

 一つ、二つと。

 数えるのも馬鹿らしい程の時を、あの日、幻想の世界から弾き出された後に過ごしてきた。

 

 俺は、未だ……彼の楽園には、辿り着いてはいない。主との再開は、果たせていない。

 

 黴臭い物置の中で一台(ひとり)永い、永い沈黙に沈む。

 人の体は、とうの昔に限界を迎え。俺は、幻想を求めてこの心を、意思を、単車に乗り移らせても尚、この生にしがみついている。

 

 

 また、眠りにつくとしよう。あの日、幻想郷を求めて走り出した時の事を、思い出しながら――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――地を、踏みしめる。

 

 二本の足は紅い単車から離れ、黒く湿ったコンクリートの上へと降り立った。エンジンを切ったばかりの我が半身は、その熱を以って小さな陽炎を作り出し。地面は揺らぎ、大気は歪み。先程買った、微かに熱を残した缶飲料をちびちびと流し込んでは、白く染まった息を吐き出す。

 幻想郷から弾き出されてから、もう数ヶ月も経てば一年となる。幻想郷にへと戻る為の情報は、未だに見つかっておらず。感じる焦りは、輝夜と共に幻想郷を探したあの日々を思い起こさせてまた、更なる焦りを生じさせて。

 しかし、妖怪として生きた時間が長すぎたせいで忘れていたが、人間だった頃の……つまり、今の俺は、学徒の身であり。半身たる単車があるとは言え、そうそう遠くまで出かけることも出来ず。高校三年という、最も忙しいであろう時期を、焦燥感の中で過ごした次第である。

 しかし、そんな日々ももう、終わり。やっと訪れた冬休みを機に、遂に俺は幻想郷を探すために走り出したのだ。

 

「……諏訪、かね。まずは」

「八坂様と、洩矢様ですね」

「おう。まだこっちにいるとは思うがね……多分」

 

 傍らに停まる、紅い単車と言葉を交わす。自分の半身である単車と会話すると言うのも不思議な気分であるが。意思も記憶も共有してはいるものの、一人旅とは寂しいもので。こうしてもう一人の自分と会話をすることで、そんな肌寒い感傷を紛らわしている。

 

「行くか」

「了解」

 

 少しばかりの休憩を終え、ヘルメットを被る。そのまま単車に跨って、エンジンを掛け。

 飲み干したばかりの空き缶を上着のポケットに突っ込み、俺は、静かにギアを蹴り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い煙、白い煙。濁った水、透き通った水。汚れた空気、澄んだ空気。この世界に、後者はもう、殆ど残されていない。あるのは前者、目を背けたくなるような過ちの歴史が満ち満ちるのみ。

 

 未知を忘れた、舗装道路。

 想像を忘れた、鉄筋建築の群。

 夢を忘れた、人形の森。

 冷たい鉄、淀んだ川、灰色の塔……

 辺りに満ちた、人の匂い。

 

 幻想郷を知らない、現実と呼ばれた世界。人は神ではなく、科学を信仰するようになってもう、久しい世界。

 そんな世界でもなお、人形達は生き続ける。流されるように。追われるように。何処へ向かうのかも分からず、夢を一つ、また一つと消していきながら収縮する、世界。

 

 俺が今いるのは、そんな、幻想を忘れてしまった世界。俺の生まれた、幻想の外。

 この星に広がるそれは、コンクリートの森、アスファルトの大地。オイルの海、デブリの宇宙(そら)

 人の作り出したるそれ等は、作り出した張本人たる人間にさえも疎まれて。溢れかえった物たちは、行き場を無くしてツミ重なり。

 人は道具を、技術を信仰しておきながらも……それは、かつて全ての神々を否定したように……壊れた物を、或いは時代に乗り遅れた道具を捨て去っていく。

 汚染された世界。いや、これからも尚、汚染され続けられる世界。元人間たる俺が、そんな世界のことを憂うことは許されはしないことは分かっているし、今更悪びれるつもりもない。唯。

 境界を隔て、この世界から消えゆく幻想の集いし彼の地へ。少しでも早く、幻想郷にへと帰りたい。

 人類の一として見れば、逃げに当たるのだろう。事実、俺はこの世界から逃げ出さんと、幻想の世界へと続く道を探して彷徨い続けている。

 逃げ出すものが、声を大にして咎めることなど出来はしない。そんな、権利は無い。

 

「……気にしても仕方がないと思いますよ」

「分かってる。けど、な」

 

 一度意識を向ければ、目を背けるのも難しくて。何一つ出来ることなど有りはしないというのに、罪悪感ばかりが積み上げられる。

 

「……貴方は……私は、もう人間じゃないのだから」

「分かってる。大丈夫、行ける」

 

 神々や妖怪が現世を捨て、幻想郷にへと向かう時というのは、このような心持ちなのだろうか、なんて。免罪符じみた思考に沈む内に、街の外れ、緑の多くなりつつあるその場所に、一軒の建物が見えてくる。

 

「……廃墟、か?」

「ですねぇ……おろ?」

 

 アスファルトの地面を駆け、その建造物を前方に見据えながら、半身と共に何かの気配を感じ取る。

 

「……なんだ? 人間……か?」

「妖怪っぽくなかったですか?」

 

 食い違う意見……否。人間の体も、単車の体も、両方俺自身なのだから意見が別れたりなどはしない。つまり、俺達が感じ取った気配の正体は……

 

「行くぞ。同類やもしれん」

「了解」

 

 人と妖の境界。そんな不安定な存在に他ならない。

 幽かに感じた気配を辿り、俺は、半ば崩れたその建物へと、走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――がらんどう、と言ったところか。灰色の壁に囲まれ、崩れた天井から、紅く染まりつつある木漏れ日が差しむ其処は、外界から隔離されたがごとく静まり返った、冥い様相を示している。

 何処かから吹き込む風は、この世の風ではない。どれだけ身構えようが、否応無しに襲いくる悪寒……全ての生きる者が最も直視したくない事象が形を成し、辺り一面に漂う光景。

 幽霊。それも、無数の幽霊達の犇く空間。こんな場所が、外の世界にあったなんて。

 

『幽霊……でも、先の気配は……』

「……何処に行った?」

『微かに、匂いますね。そっちです』

 

 ヘルメットを着けたまま廃墟へと入り込んだ俺に、半身が語りかける。先程感じた気配は、幽霊達のものではない。何のものかも知れぬ匂いを追い、慎重に歩を重ね、その姿を探し……

 

「そこか!」

 

 振り向いた途端、刹那に感じた気配は霧散し。

 

『右!』

 

 ゆらりと揺れては、吹き消された蝋燭の火のように虚空に溶け。ふらふらと移動する気配を捉えんと、辺りを警戒し、感覚を研ぎ澄ます。

 正体不明のそれは、廃墟の奥へ、奥へ。幽かに感じる妖気と、人間の気質を追って、俺の足も奥へ、奥へと歩を染める。

 爪先は、コンクリートの破片を蹴り、埃の積もった床に歩みの印を記し。吐く息は、ヘルメットの中を曇らせるに飽き足らず、外へと漏れ出ては視界を覆い。現れては消える目標を追い、遂には二本の足で走り出す。

 

『深追いは……』

「もしかしたら、幻想郷への手掛かりになるかもしれない! 今は許せ!」

 

 半身の意思は、俺の思考の一端。自身の中での、自制の心。単車と分離してからは、どうも突っ走りやすくなっていけない。そう思いつつも速度を落とさない自分に自嘲しつつ、走る、走る。

 

『ああ、もう……その突き当たり、右!』

「すまん! 助かる!」

 

 壁紙の剥がれた廊下を駆け抜け、体の行方を自身の助言にへと委ね、幽霊達を避け、掻き分け、押し退けて。近付く気配にへ向け全力で疾走する。

 ぼろぼろの廊下の行き止まり、ゆっくりと閉まりゆく扉。気配は、もう、すぐ其処に在って。

 

「見つけ、た!」

 

 半ば体当たりするように扉を穿ち、部屋に転がり込む。其処には、紫色の裂け目へと消える……恐らくは少女の……後ろ姿。

 必死に手を伸ばそうとも、もう遅い。消える姿と、閉じゆく亀裂には到底届かず。只々、人気の無い廃屋に一人の男が取り残されるのみ。

 

「ッ……くそッ!」

 

 肩で息をしながら悪態を吐く。吐き出した言葉は、あと僅かで及ばなかった自分に対する戒めと、自分の思い通りにならない世界の不条理さに対するもの。あと、少し。あと、本の少しでも早く追い付いたならば、彼女の手を掴むことも出来たかも知れないと言うのに。徐々に落ち着き始めた耳触りな鼓動に呼吸を合わせつつ、その場に座り込む。

 

『……先の少女は……』

 

 遠く離れた半身が、有りもしない口を開く。その言葉はヘルメットを通して、俺の鼓膜を震わせた。

 

「……はあ……分かってる……当たり前だけど」

 

 他でも無い自分自身による問題提起である。その答えを、俺が知らない筈はない。

 たった今、一目見た彼女の姿。それは、見覚えが無いと言うには、記憶の中の人物と似通い過ぎていて。

 

「……紫殿、だったのか?」

 

 しかし、彼女が紫本人であるならば、俺に気付かない等ということが、有り得るのだろうか。それに第一、俺が感じた気質は、どちらかと言えば人間よりのもの。八雲紫は、言うまでもなく妖怪であり、そこに人の気質が加わるなど、ある筈がない。

 ならば、あれは紫ではなかったのか。いや、しかし……

 

 

 纏まらない思考。部屋の中には最早、先に起こった出来事の名残の一つさえ残っていない。目に映るのは更に深く、紅く色付く窓硝子が、静まり返った闇の中に浮かぶ光景のみ。

 

 世界は、俺の心情なんてものに頓着などはせず。誰に対しても公平に、機械的に秒針を進め、無情にも俺を置き去りにしていく。

 

『……もう、行きましょう。あまり、長いするわけにはいきません』

 

 半身が、告げる。

 

「……そう、だな」

 

 被りっぱなしだったヘルメットを開き、一つ、真白い息を吐き出し。

 埃塗れの体を床から離し、幽かに残る光に背を向けて、俺は。

 

 置いてけぼりの妖怪は、一人、その身を暗い、闇に溶かした。

 

 

 

 

 

 

 





 とりあえず、受験やらなんやらが片付いたので更新をば。
 大学生になれそうです。多分。きっと。

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