東方単車迷走   作:地衣 卑人

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四十六 弔と鉱

 

 

 主は、今でも笑顔でいてくれているだろうか。友は、今でも元気にしているだろうか。

 

 俺の体はもう、自分の力では動かすことも出来ない。動かす為の妖気が、全く足りないのだ。

 今思えば、俺の体に溜まっていた妖気は、俺に乗った妖怪や、人を超えた力を持った者達から無意識の内に少しずつ、吸収してきたものだったのだろう。本の僅かに残った妖気は全て、この体が、ガソリンが、腐ってしまわぬ為だけに使っている。

 じきに、それも叶わなくなるのだろう。俺は此処で朽ち果て、永い永い迷走にも、終焉が訪れる……

 

 涙など、最早流れはしない。嗚咽の一つさえも、吐き出せはしない。唯々静かに、自身の意識の途絶えるその日を待つだけの生。陰鬱とした暗闇の中で、自慢の紅い体躯は、その色を失い。

 

 しかし。

 俺は、未だに信じている。いつかこの扉が開き、また、幻想郷へと向けて走り出せる日がくる事を。薄暗い倉庫の中で、その日を待ち続けている。

 

 その時、であった。

 

 物置の扉が揺れ、俺の体を、一筋の光が照らしたのは――

 

 

 

 

 

 

 

 紅い車輪も今や、社会を回す歯車の一。安物のスーツに身を包んだ俺は、今日も今日とて深夜の山道を走り抜ける。

 後部座席に座り、俺の腰に手を回すのは一人の少女。その背には、小さな一対の翼。

 

「しっかり捕まってろよ!」

 

 目的地は、もう、目と鼻の先。鬱蒼と夜空を覆う木々に囲まれ、静かにその存在を浮かび上がらせる一つの社。

 鳥居に刻まれた文字は、読むことさえ叶わぬほどに汚れ、摩耗し、その神社が人々に忘れ去られた物であることが見て取れる。

 しかし。俺は、知っている。この社の名を。そして、この社がどんな役目を担っているかを。

 

「着きました、ね」

 

 半身の言葉を聞きながら、鳥居の目の前に半身を停め、ギアをニュートラルに入れる。サイドスタンドを立てた所で、後ろの少女が飛び降りた。

 

「ここ……?」

 

 赤み掛かった瞳は、不安げに俺を見つめ。その不自然な程に白い肌は、人間の持つそれとは違う。

 彼女は、妖怪。幻想郷の外で生まれ、時代の流れに取り残された……俺と同じ、妖怪。

 今までたった一人で生きてきた少女。他の妖怪と会ったこともなければ、誰かと話しをしたことさえ無い。

 幻想郷を知らない世代の妖怪。今の俺は、そんな妖怪を探し、幻想郷について教え、彼等が移住を望んだならば幻想郷にへと送り届ける……そんな、足として動いている。

 

「……お兄さん?」

「ああ、すまない。此処から、幻想郷に入ることが出来る」

 

 この子と出逢って数ヶ月程。初めの内は、この子の警戒心を解き、隠れ家から引っ張り出すことから始まり……やっとのことで、こうして幻想郷の入口まで送り届けることが出来た。

 

「境界を越えろ。お前ならば、それが出来る」

「お兄さんは……?」

 

 消え入るような声。しかし、俺は、彼女の望んだ答えなど持ちはしない。

 俺には、境界を越える資格が無いのだ。此処からは、彼女一人で進まねばならない。

 

「俺は、越えられないんだ。だから」

 

 強く、生きて欲しい。出逢ってから半年にも満たない俺が言えた口では無いが、それでも。

 

「お前なら、大丈夫だ。あっちでの遊びにもついていけるさ。怖い妖怪を見たら人里まで逃げろ。人間の里は、人と妖怪が共存出来る場所だから」

 

 伝えねばならないことは、もう無い。後は、全て、彼女次第。

 危険が増える事を承知で、幻想郷に行くことを……自由を選んだ彼女である。きっと、強かに生きていけることだろう。

 

「……もう、会えないの?」

 

 その姿が、あの時の、月の姫の姿と重なる。小さな驚きと、幽かな感傷は、フルフェイスの下に隠されたまま。俺の動揺などで、彼女の心を揺さぶる必要などは無い。

 

「……会えるさ。だから、元気にして待ってろよ?」

「……うん!」

 

 嘘、になるのだろうか、これは。俺が幻想郷に行く目処などは立ってもいないし、行ける可能性は、限りなく低い。

 しかし、この小さな嘘で彼女が前へと進むならば、それでいいのだろう、なんて。

 鬼に聞かれれば、只ではすまないであろう呟きを、胸の奥に押し込んで。

 

「さあ……行きな。巫女によろしくな」

「うん……またね、お兄さんっ」

 

 少女は、鳥居を、この世界と彼の楽園とを隔てる境界を越える。

 

「……また、な」

 

 その声は、誰かに届くことも無く。誰もいない神社、その目の前に取り残された俺は、一人。博麗の社に、背を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、今。

 安いボロアパート、散らかり切った一室で、ベッドの上に寝転がり、読み古した本で視界を塞いで寝息を立てる様を、窓の外から眺める。

 我が半身も、いつの間にやら随分と老けたものである。見た目はまだ『お兄さん』かも知れないが、その内面はどう見ても『おっさん』である。俺と分離してからというもの、その傾向が顕著に現れている。

 

「まあ、仕方がないのだろうけれど」

 

 妖怪と言えど、我が半身は紛う事無く人間で。妖としての力も幻想郷の外では殆ど残っておらず、歳だって普通の人間と同じように取る。変わらぬままでいる、なんてことが叶うはずがないのだ。

 この生が続く間に、幻想郷にへと辿り着くことが出来るのか。俺にあるというこの世界に対する未練を、晴らすことは出来るのか。

 その未練が何なのかも分からないまま。こうして逡巡の中で立ち止まってしまっている。

 

 申し訳程度に立った街路樹が、風に揺れてざわめき。駆り立てられる焦燥感が、俺の心を苛む。

 

 幻想郷に行けない俺が選んだのは、せめてこの地で幻想を見付け、彼等の生きる術を模索するために動く日々。余計なお世話かも知れない。そして、はっきりと言えば、これは俺のエゴに他ならないのである。

 幻想の消えゆく世界で、俺に出来る事を探した結果。それが、本当に俺が為すべき事なのかも分かりはせず。考えた所で答えなど見つかりもせず。

 自問自答の渦に呑まれたまま。迷走は極まり、迷い、迷い……

 

「ちょっと、よろしいですか?」

 

 不意に、声が掛かる。それは、脳髄に響くような深く、澄んだ女性の声……

 

「こんにちは、単車さん。お久しぶりですわ」

 

 幻想郷の根幹。境界の妖。

 八雲紫は、幻想の外に確かに、いた。

 

 

 

 

 

 

 半身に叩き起こされ、記憶を辿ればそこに、懐かしの妖怪の姿があって。アパートから転がり出れば、其処には彼女が、微笑みを湛えながら立っていて。

 八雲、紫。幻想郷の賢者。彼女が、俺の元に訪れてくれるなんて。感極まる余りに、口元が綻ぶ。

 

「紫殿……!」

「久しぶりね……えっと……」

「単車で構いませんよ。お久しぶりです」

 

 最後にあったのは、いつのことか。彼女の胡散臭さが、妙に心地良い。

 

「所で、何体かの妖怪が、貴方らしき人のことを語っていましたけど……」

「多分、私の事ですね。何か、出来る事は無いかと探した結果……です」

 

 俺に出来ることなど、そのくらいのものだったのだ。まさか、拙いことであったかと身構える俺に、八雲紫は微笑みかける。

 

「大丈夫よ。寧ろ、此方に取り残された仲間たちを案内してくれて、感謝したいくらいですわ……それで、故郷での暮らしはどうかしら? 此方は科学が進んでいるから、幻想郷とは勝手が違うでしょうけど」

 

 その言葉に胸を撫で下ろし、その言葉へと返事を返す。何も変わった事などない。為すことは人を、妖怪を乗せては走るだけ。

 

「まあ……変わりない、ですよ。出来るならば、其方に戻りたいですがね」

 

 言葉には、幽かな希望を乗せて。彼女ならば、この願いを叶える事も出来るだろう。しかし、俺自身はこの望みが叶うとは思っていない。

 まだ、足りないのだ。俺は、この世界で為すべきことを為していない。

 

「ふふっ、そう思いつめないでよろしくてよ。いずれ、時が来れば貴方は幻想郷にへと訪れる……まだ、その時が来ていないだけ。だから」

 

 今は、自分のしたいように。そう、俺に投げかけて紫は背後にスキマを開く。

 境界の向こう。映るのは、やけに緑が多い世界……そして、その中で一際異彩を放つ、紅。

 俺の変えるべき場所。

 

「また、会いましょう。今度は幻想の淵で……あと」

 

 一拍の間。その沈黙も、永くは続かず。

 

「私を、よろしくね」

 

 言い残した言葉は、アスファルトの上に転がり。俺がその意味を理解する間も無く、幻想の妖怪は、境界に呑まれて。

 

 人けのない世界。残された俺は空を仰ぎ、一つ、息を吐く。吐いた溜息は、諦めや絶望によるものではない。これは、次に進むための小休止。これからアクセルを開き、地を駆ける為の予備動作。

 また、走ってゆける。幻想に呼ばれるその日まで、俺は、この世界で生きていける。この世界に対する未練を晴らし、また、楽園へと。

 

 冷め切らぬ心の昂ぶりをそのままに、俺はヘルメットを被り。

 半身たる単車に乗り込み、力強くエンジンを掛けた。

 

 

 

 

 







 短いながらも。

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