東方単車迷走   作:地衣 卑人

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四十七 秘と鉄

 

 

 血色の良い小太りの男性が、物置の扉を強引に開く。随分と長い間、開かずの間と化してしまっていたらしい小屋の中に並ぶのは、錆の回った農具や、埃を被った時代遅れな大型家電の群れ。陰鬱とした空間から溢れ出した湿気と黴臭さに顔を顰めるも、視界に飛び込んできた目当ての物を見付けて口元を綻ばせる。態々東京までやって来たかいがあった、と。

 

「綺麗……」

 

 鈍く輝く、紅色の金属。銀のメッキは所々に微かな錆が回っているものの、その輝きは失われることもなく。この、暗いガラクタ置き場には似つかわしくない様相で、そこに静かに鎮座していた。

 

「動きはしないだろうけどね。何せ、最後に乗ったのは二十年近く前な上に、相当古い車種だからな」

「まだ、直せると思う?」

「さあ。直ったら奇跡、かな」

 

 この男性……私の伯父にあたる……は、言う。なんでも、伯父さん自身もこの単車を親戚から譲り受けたらしく、その親戚もまた、別の人から貰い受け……と。何人もの人の間を巡り巡ってきたバイクとのこと。生産終了してから既に百年は経っていると言うあたり、こうして現存していること自体が奇跡に思えてくる。

 百年。言うだけならば、須臾の時。しかし、実際に流れた時間は、私の想像を、許容を遥かに越える永い、永いもの。刻まれて来た時間が生み出したドラマの数は、きっと星の数のように……なんて。

 星を見て時を知るからと言って、似合わない台詞は吐くものではない。言葉は胸の奥に仕舞ったまま。シートに積もった埃を払い、目の前に鎮まる車体にへと跨る。

 

「一応、エンジン掛けてみるね」

「バッテリーが上がってる筈だから、掛かりはしないよ」

「一応よ、一応。キーを頂戴」

 

 呆れ顏で手の中に落とされた真鍮の金属片を鍵穴に差し込み、回す。ずっと使われていなかったと言うのが嘘と思える程に安々と回る鍵。そして……

 

「……っ、え……?」

 

 呆けた声は、何方のものだったか。バッテリーが上がっている筈だと言うのに点灯した、ニュートラルランプ。緑色に輝くそれは、何処か妖しく光を放っていて。

 

「まさか……」

 

 しかし、バッテリーが上がっていないからと言って、ガソリンは既に腐ってしまっている筈で。当の昔に変質したガソリンが詰まって、不具合無く動き出すなんて筈は無い。

 意を決して私は、エンジンスターターのスイッチを強く、押し込み――

 

 

 

 

 

 ――――途端に響き渡る、爆音。

 力強い鼓動は、無機質の癖に何処か生物的な響きをもって、鼓膜を、大気を揺らす。

 

「ありえない……どうして……?」

「……実は整備しておきました、なんてオチは?」

「断じて無い」

 

 まあ、今時この東京で単車に乗る者など両手の指で数え切るほどしかいないのだろうけど。折り曲げるその指の中に、私の伯父は含まれていない筈である。

 ならば、何故。運命なんて言葉で全てを片付けてしまえるのは、魔術師くらいのもの。生憎と私はその対極に当たる物理学者にあたり。求める真理は同一のものであれど、行き着く過程は別のもの。しかし。

 ありえない。これは物理を学ぶものとしての意見と言うより、一般人たる私の常識がもたらす感想である。

 

「……本当に、貰っていいのよね」

「構わないよ。ただ……」

「大丈夫。一応、メンテナンスして貰うから」

 

 もし、何らかの条件が合わさった事でバッテリー切れが防がれたならば。そしてもし、同様にガソリンの変質が防がれたのであれば……

 そこから導き出される確率は、きっと天文学的な数字となることは間違いない。そしてそれは、完全な管理と綿密に組まれた理論の下に起こるもの。こんな、管理も何もあったものではないような物置で起こるような安っぽいものではない。

 私の目が映し出す、世界の座標とその時刻。もしかするとこの単車は、私と同じく、未だ物理学では到達していない事象を抱いた存在なのかもしれない。

 ならば、私が臆する訳にはいかないというものだろう。

 

「貰っていくわ。乗って帰りたいのだけど、ヘルメットはある?」

 

 紅い単車は、私の手に。二人だけのオカルトサークル、秘封倶楽部が部長、宇佐見蓮子の手の中に。

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

『そんなわけでメリー。バイクを手に入れたのだけど』

 

 手の中の電子機器が、彼女の肉声に限りなくに近い音を発して、私の安眠を妨害する。

 夢現、頭の中に霧のかかったような意識の中。何とか携帯に手を伸ばして彼女の声を受信することに成功するも、彼女の話を全て聞き取り、記録するだけの余裕なんてものは無く。うつらうつらと彼女の小冒険譚を聞きながら、欠伸を一つ。

 

『ちょっと、聞いてるメリー? 起きてる?』

「大丈夫……蓮子がバイクに轢かれて真っ赤になったのよね……」

『ポイントは押さえてるけど、概要はてんで駄目ね』

 

 呆れた口調で言う蓮子。呆れるのは私の方である。

 今は、朝の四時。私は日の上がらぬ内に魚を追い求めて海へ繰り出す漁師でもなければ、人々の起きる前に商品を並べるパン屋でもない。ましてや、今日は日曜日。私の安眠は何処へ消えた。

 

「……蓮子、ごめん、切っていい?」

『何その唐突な殺人予告。辻斬り?』

「もう、眠くて仕方がないの。いえ、早起きは良いことだと思うけれど、今はまだ起きる時間ではないのよ。蓮子も東京に行った直後で疲れているでしょう? また後で付き合ってあげるから、だから今は、ね」

『待っ』

 

 聞き取りにくい早口でまくしたて、通話終了のボタンを押す。蓮子には申し訳ないけれど、睡眠欲には勝てない。夢を見ては幻想の世界へと足を踏み出す私とは言え、眠らないことには体力、気力の回復は図れないのだ。

 カーテンの向こうは、未だに暗いまま。眠気も未だ、この瞼の上に乗ったまま。まだ、私の安眠は、手の届く場所に存在している。

 

「く、うぅ……おやすみ、蓮子……」

 

 布団の中で一つ、伸びをして。先程まで電話の向こうにいた蓮子に届きもしない言葉をかける。私の視界は黒に染まり、また、安楽な夢の世界へ……

 

 

 その時、であった。

 聞き慣れない駆動音が、そのけたたましい爆音を響かせながら近付いて来たのは。

 

「……ま、さか……」

 

 冗談だろう。きっと、別人に違いない。アパートの目の前で音は止まったけれども、あれは蓮子ではない。

 そんな、希望的な予測に意識を向けたまま、布団を目深に被る。このまま眠ってしまえば、私の勝利。たとえアレが蓮子であろうと、寝てしまえば後で何とでも言い訳は出来る。今は、今だけは大切な相棒と言えど、無視を決め込むのだ。

 

「メリー!」

 

 聞こえない。何も聞こえない。

 耳障りなインターホンの連打は、私をこの居心地の良い闇の中から引きずり出そうと、頭の中で反響する。大声で呼びかける声は近所迷惑など考えてもいないのであろう、私を呼び出す事だけを視界に映して吠え立てる。

 こうなれば、私も自棄だ。ここで出てしまえば、味を占めた蓮子がこれからも、明け方に襲来することになるであろうことが用意に想像出来る。そんな運命を回避する為に、私は断固として彼女に応じない。

 

「メリー! 居るのは分かってるのよ! 観念しなさい!」

 

 借金取りか、と。思わず突っ込みそうになった自身を抑えこみ、枕で耳を塞ぐ。

 いずれ、蓮子も諦める。それまではこの薄暗い室内で、敵の攻撃から身を守るのだ。地下鉄に逃げ込んだ紳士達の如く、私の安眠をこの爆撃から守り抜くのである。

 

 そんな、熾烈な防衛戦がどれだけの間続いたか。私は、一つの異変に気付く。

 

「……あれ……?」

 

 枕を抱きしめる私を他所に、あれ程激しく鳴り響いていたサイレンと、敵軍の降伏勧告が嘘のように消えていて。あるのは嵐の後のように静まり返った自室のみ。恐る恐る布団から顔を出して見ても、何の変化も訪れない。

 

「諦めたのかしら……」

 

 遂に、その攻撃が無駄なものであると言うことを悟ったのか。それとも、朝食を取りに近くのコンビニにでも向かったのか。何方にせよ、宇佐見蓮子という爆撃機は、私の部屋をその射程から外したようであった。

 

「……ふう……」

 

 漏れ出た溜息は、戦いの激しさを憂うものなのか。随分と長い戦闘に思えたが、時計を見れば五分経つか否かと言った所で。早朝から迷惑を掛けてしまった隣人には、後で謝罪の一つも入れる必要があるだろう。

 兎角、今は。蓮子との戦いの疲れを癒す為に一旦、休息を。

 再び被った布団の中で、また、意識を闇に放って。

 

「……疲れ、た……ッ……!?」

 

 

 刹那。鳴り響いたクラクションの音に、私はドアの向こうへと飛び出した。

 

 

 

 

 

 そして。したり顔でバイクに跨る蓮子を引きずり降ろしたり、早過ぎる朝食を取ったりと。一時間程の時は流れ、今、私は彼女と共に件の単車の前に立っていた。

 先に見た時は暗くてよく分からなかったが、日も登り始めた今ではそれが、鮮やかな紅色で染め上げられているのが見て取れる。

 

「随分と派手なのね」

「まあ、この単車を選んだ遠い親戚の趣味だけどね」

 

 きっと、その人の嗜好は子供っぽく、それでいて人の見る目よりも自分の好きなものを重視する人だったのだろう。それはそう、いつか見た夢の、紅い屋敷のお嬢さんのように。

 

「って、蓮子って免許持ってたのね」

「まあね。バイクなんて乗る機会が無かったから、持ち腐れだったけど」

 

 朝日に輝く紅い光沢の上で、若干眠たげな白黒は言う。なんでも、東京から京都までバイクに乗って帰って来て、荷物だけ置いて此処にやって来たとのこと。どれだけ、このバイクを私に見せたかったのか。

 

「……仮眠を取ってから来てもよかったでしょうに」

「まあ、それでも良かったのだけどね。唯、メリーの目ならこの単車から、何か見えるんじゃないかと思って」

「見える?」

 

 見えると言うことは、このバイクは何か、曰く付きの物なのか。

 

「ちょっと、不思議なの。何年も整備されずに放って置かれても安々と動くし、バッテリーすら切れてない。ガソリンの変質も無し。貴女は、これを聞いてどう思うかしら」

 

 蓮子は、言う。彼女の大好きな科学的な視点から見れば、きっとありえないことなのだろう。しかし、このバイクが現に、そういった状態にあるのであれば。

 答えるべき単語は、一つしかない。

 

「奇跡、なんじゃないの。運命的ね」

 

 聞くが早いか、分かっていたとでも言いたげな目で私を見る蓮子。技とらしい溜息が一々癇に障る。

 

「科学的にありえないものは、やっぱりありえないのよメリー。ましてや、科学で動く道具がその法則から外れて動ける筈がない。そう思わない?」

「現に動いているじゃないの、このバイク。それに、そんなことを言ったら私の目と貴女の目も同じようなものだわ」

「そう、だから」

 

 蓮子の視線は、紅い鉄の塊へと向け。私も、その視線を追った。

 

「私はこの単車が、人知を越えた力を秘めているのではないかと考えたのよ。科学ではまだ追いつけていない、だけど確かに存在する未知の力。それこそ、私たちと同じような、ね」

 

 彼女は、笑う。その瞳に湛えた輝きは、知的欲求と好奇心。まだ見ぬ未知を求めて手を伸ばす、科学者の姿。

 つまりは。彼女は私の目を使い、この単車の秘めた神秘性の向こう側を、覗き見たいということらしい。

 その為だけに、寝る間も惜しんで私の元に訪れる辺り、その欲求の強さがどれほどのものかが伺い知れる。小さな尊敬と、大きな呆れ。その二つの意味を込めて一つの、大きく溜息を吐いた。

 

「……分かったわ。ちょっと、見てみる」

「それでこそメリーだわ。終わったらちょっと、仮眠取らせてね」

「図々しいにも程があるわね……っと」

 

 会話を止め、紅い鉄塊を見つめる。

 様々な結界の境界を捉える私の瞳。その瞳を通して、このバイクが抱いた境界線を、色鮮やかに映し出すのだ。

 十秒、二十秒、と。物言わぬ鉄塊を睨み続ける私は、傍から見れば随分とおかしな人物に見えることだろう。しかし、もう少し。あと少しで、この微小な境目を暴く事が出来る。

 

「……見えそう……蓮子」

「了解」

 

 蓮子が私の右の手を取り、その目にかざす。これで、蓮子にも私の見る景色が伝わるだろう。イザナギプレートの破片を探し始めてからは、この力を使う機会も多くなった。少しずつ強まりつつある力に僅かな恐れを抱きながらも、怯むことなく鉄塊と向き合う。

 段々と視界に映り始めた、一本の紫線。それが、このバイクの内包する境界線。

 

「メリー」

「あったわね……何の境界なのかしら」

 

 紅い体躯に張り付いた、紫色の亀裂。毒々しいカラーリングは、この単車が私達の目には映らない二面性を孕んでいる証拠。それは、()が歩んで来た物語を隠し、秘密を封じた……

 

「……彼?」

「え? なんか言った?」

「いえ……何でも、ない」

 

 何故、彼という言葉が浮かんだのか。この単車は間違いなく、物。意識など無ければ、人格すらも存在しえない道具。なのに、何故。

 境界を暴くのは、言わば第六感によるものである。それは、蓮子が時刻を、座標を読み取るのも同じ。感覚的に読み取った情報こそが全てなのである。

 ならば、私が感じた……彼への人格は、何を表しているのか。この単車に隠されたそれは、一体何なのか。

 見てみたい。この、不可思議な単車の隠した幻想を。

 

「もう少し……もう、少し……」

 

 目を凝らすだけでは、境界までの距離は縮まらず。私は、空いた左手を鉄の塊へと伸ばし……

 

「ッ……!?」

 

 ばちり、と。

 冷たい鉄に触れた途端、強烈な静電気に弾かれたように、私の体はびくりと震え。思わず閉じてしまった目は、視界を黒く染め上げた。

 

「メリー!?」

 

 蓮子が、私を呼ぶ。しかし、その声は唯、この暗闇に落ちていくばかりで。

 左手に感じる無機質な感触は、たった今暴こうとしていた結界の持ち主のものか。手を離そうとしても叶わず、目を開ける事さえままならない。唯一感じ取れるのは、蓮子が握る右手の感覚のみ。しかし、それも徐々に離れゆき。

 

 暗い、暗い空間。私の意識は図らずも、境界を越えてしまったらしい。

 目が閉じているのか開いているのさえ分からず、唯々暗く、静寂に包まれた空間に一人、立ち尽くす。

 

「……蓮子ー?」

 

 声は、沈黙に呑まれて。言葉は、一つたりとて返っては来なーー

 

『…………』

「ーーえっ?」

 

 幽かに、誰かの声が耳へと届く。それは、耳鳴りや幻聴ではなく、確かに、誰かの囁く声で。

 

「誰? 誰かいるの?」

『……貴女は……』

「私? 私は、マエリベリー・ハーン。メリーで結構よ」

『メリー……?』

 

 言葉は、少なく。唯、そこに相手の意思だけは感じて。

 無機質の道具に封印されていた、境界の向こう。そこにいた彼は、一体何者なのか。

 

「貴方は、誰?」

『私は……単車』

「単車? このバイクのこと?」

 

 顔も見えない相手は、言う。いや、彼が本当にこのバイクに宿った人格ならば、顔や、姿なんて概念自体、存在しないのであろう。

 しかし。

 

『ええ……やっと、見つけましたよ…………殿……』

 

 確かに、彼は微笑んでいて。

 彼の最後の呟きは、僅かに聞き取れず。その言葉が、喜悦の情が何を意味するのかも分からないまま。

 

 私の視界は、白く、白く、染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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