東方単車迷走   作:地衣 卑人

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五 姫と鉄

 竹取の翁の屋敷にて、一人、ぼんやりと月を眺める。

 風は冷たいし、話し相手もいなくて暇な事この上ないが、それでも、気分はすこぶる良かった。

 

 今日の昼頃、俺は、俺を友人と呼んでくれた男と共にここ、竹取の翁の屋敷に参上した。翁も従者も俺を見て警戒するも、それが自分等への贈り物であると分かると喜んで男を歓迎してくれた。竹取物語の中の翁そのものな性格であったが、不思議と憎めず、男と共に苦笑しながら門を潜ったのであった。

 

 それからは、俺は庭に停められていたのでよく分からないが、庭に出た時の輝夜の表情は心なしか微笑んでいる様に見えたので、きっと上手いこと話は進んでいたのだろう。

 最後は輝夜の前で俺に乗って見せ、鳴り響くエンジン音と走る速度に目を丸くした輝夜の顔を拝んで、満足そうに帰っていった。

 終始幸せそうだった男の顔が思い浮かび、改めて、今回の謁見の成功を心の中で祝う。

 本当に、良い一日だった。と、俺が今日一日を締めくくり、いざ寝ようとしていた時であった。

 輝夜姫が障子を開き、その姿を表したのは。

 

「……やっぱり、満ちていってるのね」

 

 輝夜の視線の先には、月。半月よりも幾分膨らんだくらいのそれは、月の迎えの到来を嫌でも思い出させる。

 

「……それにしても」

 

 俺を見つめて、呟く。

 

「彼は、貴方の話し相手になってやってほしい、なんて言ってたけど……

物、よね。貴方」

 

 あいつめ、そんな事を言ってたのか。多分、俺が暇するといけないから~、なんて気を効かせたつもりなのだろう。

 そこまで気を遣う必要は無いのに、と苦笑する。あくまで、心の中で、だが。

 

「貴方、喋れたりなんてしないわよね?」

 

 しないよ。

 

「意思があったりしないわよね?」

 

 無い無い。全然あったりしない。

 

「ま、当たり前だけど」

 

 輝夜は縁側に座り、俺の体を撫で始める。

 

「……地上に、こんな技術があるなんてね」

 

 物憂げな瞳。月の光を反射する黒髪。

 見た目幼くはあるものの、確かにそれは物語で語られる輝夜姫の美しさ。無生物の身でありながら、うっかり惚れてしまいそうな程。

 

「……帰りたくなんて、無いなぁ」

 

 輝夜が、外気に冷やされた俺のタンクに額を付け、寄り掛かる。

 滑らかなボディに温かい雫が落ち、伝い、また地に落ちる。

 

 輝夜は、何も喋らない。唯、数滴の雫が落ちては伝い、また流れては落ちていく。

 数分の間、輝夜はそうして俺に体を預けていた。

 

「……眠くなってきちゃった。もう、寝ようかな」

 

 ふああ、と欠伸をしながら、輝夜が立ち上がる。その瞳に涙は既に無く、長い黒髪が彼女の動きに合わせて揺れる。一々動作に優雅さが付きまとうのは、月の民であるからか、それとも単に彼女の気質がそうなのか。

 

 彼女の欠伸が、俺にも眠気を運ぶ。俺も、そろそろ寝るとしようか。

 

「それじゃ、おやす」

「ふあぁぁ……」

 

 輝夜が固まる。しかし、視線は俺から外さない。

 曰く、欠伸はうつるという。人から犬へもうつった事例があるくらいなのだ。月人からバイクにうつっても仕方の無い事なのであろう。多分。

 そんな、言い訳にもなりそうにないようなことを考えている間も、彼女はじとりとした目付きで俺を凝視している。こわい。背筋がゾクゾクする。

 

「……貴方」

 

「…………くしゅんっ」

 

 ぱしん、と、俺のヘッドライトに輝夜姫の平手打ちが飛んだ。

 

 

 

 

 

 その後、喋れることを隠していた事について輝夜に散々説教された後、俺は彼女の話し相手と言う位置に落ち着いた。

 月の姫は喋る鉄に臆する事もなく。毎夜同じ頃に障子を開いては、俺と他愛も無い会話をし続ける。

 そんな関係が、数日の間続いた。

 

「起きてるわね」

「寝てますけど」

「よろしい」

 

 俺が起きている事を確認すると、また月を見上げて独りごちた。

 

「月の満ち欠けなんて、止まってしまえば良いのに」

 

 ひとしきり月を恨めしげに眺めたあと、俺のシートに顎を乗せて寄り掛かる。非常に、つまらなそうに。

 

「……ねえ」

「なんでしょ」

「私を乗せて、逃げ出してよ」

 

 返答に窮する。冗談か、本気か。

 ミラーで確認しても、彼女はつまらなそうに虚空を眺めるのみ。その真意は伺えない。

 

「……今の私の持ち主は貴方です。好きなように使ってくださいな」

「使う私の責任、て訳ね」

「そりゃ、貴方の命令ですし」

 

 輝夜は俺に腰をかけ、そのままシートの上で仰向けに寝転ぶ。輝夜程度の身長なら、後部座席がちょうど枕の位置にあたり具合が良いらしい。

 輝夜は俺の返答を聞いて、雲の掛かった空を見上げて溜息を零す。

 

「薄情ねぇ。私は持ち主だっていうのに」

「何、逃げろと言うなら全力で逃げましょう。それこそ、壊れるまで走りますよ」

「言わないわよ、そんな。それに、逃避行ならもう、相手がいるわ」

「駆け落ちですか。不潔です」

 

 ガン、とタンクを蹴られる。痛い。

 

「生憎、相手は女よ。何を期待してるのか知らないけど」

「同性愛……さらに不潔です」

 

 ガンガンガン、と、タンクに彼女の蹴りが幾度も繰り出される。痛い痛い痛い。

 

「誰が不潔よ、誰が」

「同性で愛の逃避行なんて、他に何と表現すればいいんですか」

「だからなんで愛の、が付くのよ。頭沸いてるんじゃないの? このカマドウマもどき」

「カマ……」

 

 確かにちょっと似てるかもしれない。納得してしまい、ひとしきり鬱になる。

 対する輝夜はふふんと鼻でせせら笑っている。悔しい。

 

「この竹の子姫……」

「何か?」

「なんでもねっす」

 

 聞こえなかったのなら、その方がいい。聞こえていたにしても、これ以上の口喧嘩は無用である。第一、俺よりも相当長生きの輝夜に口で勝てるわけが無い。

 それに、彼女が、月へ帰る前に聞かねばならないことがある。

 

 俺は、できる限り真剣な口調で、話を切り出した。

 

「ところで、姫。一つ、お尋ねしてよろしいでしょうか」

 

 輝夜は、空を見上げたまま返事を返さない。続けろ、という意味だと勝手に解釈して、俺は、輝夜に言葉をかけ続ける。

 

「彼について、どう思いますか」

 

 彼、とは、俺を友と呼んだ貴族の男のことである。そういえば、名前を聞いていなかった。

 俺は、輝夜の返答を待つ。返ってくるとも限らないが、他に話さなければならないことがあるわけでもないので、気長に待つ。

 

「……良い人だと思うわ」

 

 でも、と、話を続ける。

 

「私は、月の者。彼の思いには答えられない……貴方が聞きたかったのは、こんな答えじゃなかっただろうけど」

「それだけ聞ければ十分です」

 

 あいつなら、これで満足することを俺は、知っている。志が低い訳ではなく、彼女の記憶に残りさえすれば、本望。きっと、彼女は彼を忘れはしまい。

 そう、と小さく返事をして、また、輝夜は空を見上げる。

 

 彼女は、先の会話で逃避行と言った。そして、それを共にする相手がいるとも。どうやら輝夜は、月の迎えに応じる気は無いらしい。逃避行に及んだとして、本当に月の民から逃げられるのか。考えるのが嫌になってくる。俺がそんなことを考えたところで、何かが変わるわけではないのだけども。

 急に辺りが暗くなった。どうやら月が、雲に隠れたらしい。

 

「本当はね」

 

 おもむろに、輝夜が口を開く。俺は、何も喋らない。輝夜は話を続けた。

 

「本当は、不安で仕方ないの。私は死ぬ心配なんてないし、私の味方となってくれるその人は、月の賢者と謳われる程の天才。下手をするなんて、考えられない。私の逃避行は、必ず成功する。彼女がいて、失敗はありえない。そう、絶対に、月の使者から私達は逃げ果せる」 

 

 彼女は一旦、話すのを止める。段々と早く、強くなっていった口調を落ち着かせるように、彼女は呼吸を整えている。

 少しだけ間が空いて、また彼女が話し始める。落ち着いた、静かな声だった。

 

「……それでも、やっぱり心配なの。何か、予想外のことが起きて失敗するかも知れないって。私の想いなんて関係無く、否応無しに連れ戻されそうで」

 

 輝夜は体を起こし、俺に腰掛けた状態になる。長い黒髪が揺れ、何時の間にか顔を出した月の光を反射して、淡い紫色に光る。

 

「それに、彼女の……私の我儘で共犯にしてしまう、彼女の傷付く姿は、見たくない」

 

 輝夜の目に浮かぶのは、決意。彼女の言うそれは、きっと唱えるだけの願望ではない。それを叶えるためならば、あらゆる犠牲も厭わないとでも言わんばかりの気迫が、彼女の言葉には篭っていた。彼女の美しさは、容姿だけでは無いのだということを感じ、俺はかける言葉の一つも見つけ出せない。

 ……と、俺が見惚れていると、輝夜が、まるで力の抜けたように溜息をついた。

 

「……はぁ、貴方に話しても、仕方ないのだけどね。結局、私の問題だし……冷たっ」

 

 俺から降り、履物も履かずに冷たい大地に足を着ける。穢れ多き地上に素足で降り立つ月人は彼女位のものだろう。

 

「……もしかして、寝てる? さっきから喋らないけど」

 

「寝てますよ」

 

 くすりと笑いながら、障子に手を掛けたところで、俺は彼女の背中に声をかける。

 

「姫」

 

 彼女が首を傾げながら振り向く。

 

「おやすみなさい。また、明日」

 

 不意を打たれたように、彼女が立ち止まる。

 結局、俺には彼女にかけれるような大層な言葉を見つけることは出来なかった。

 けれど、せめて今は、安心して眠ってほしい。来るべき明日に備えて。

 俺の考えを知ってか知らずか、輝夜が微笑む。

 

「ええ、おやすみなさい……また、明日」

 

 障子が閉まるのを見届け、俺も彼女に倣い、寝ることにした。

 また明日。全ての結果は、明日になれば嫌でも分かる。それが輝夜の望むものになる事を願いつつ、俺も眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 月は、そんな俺たちを見下ろしながら今宵も、静かに、そして無慈悲に満ちていった。

 

 

 

 

 

 


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