東方単車迷走   作:地衣 卑人

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四十八 捌と鉄

 

 

 

 見慣れた天井。

 開かれた瞳は虚空を穿ち、視線は、宙を泳いで。暫くふらふらと揺れ動いた後、私の二つの眼光は、不安を湛えた我が相棒の瞳と行き逢った。

 

「メリー!」

 

 聞き慣れた声が、私を呼ぶ。いつの間に床に伏したのか、私の体はベッドの上に横たわり、私の視線は彼女のそれと比べて随分と低くて。

 開いた窓から差し込む日の光が、見下ろす彼女を黒く浮かび上がらせていた。

 

「蓮、子……」

「気がついたのね。よかった……」

 

 どうやら、境界を越えると同時に気絶していたらしい。

 彼女のその表情は逆光の所為でよく見えないが、しかし、その声に浮かび上がった安堵の色から伺うに、それなりに心配はしてくれていたらしい。

 少しばかりの気恥ずかしさを憶えながら、私の体に掛けられたブランケットを除けて、彼女の手を借りゆっくりと立ち上がる。視線は、いつも通り彼女と同じ高さに。いつも通り、彼女の傍に。

 

「……もう。一人で突っ走らないでよ。せめて、私の手の届くところにいてよね」

「……分かった。約束する」

 

 そう、二人で笑いあって。私は、自分が置かれていた状況を思い出す。

 

「あのバイクは?」

「表に停めてあるけれど……一体、何が視えたの?」

 

 ベッドに座り直しつつ、そう尋ねる蓮子を見やる。その貌から伺えるのはやはり、知的欲求による好奇心ばかりで。彼女のその気質を頼もしく思いながら、先程出会った存在のことについて口を開く。

 

「まず率直に言えば、あの単車には意思があるわ。人格が存在している」

「……それは、単車自体の人格? それとも、何か憑いているの?」

「さあ、詳しくは分からないけど……恨みとか、そういうのは感じなかったかな」

 

 怨みを抱いて死んだ者が、あのよに笑えるとは考えにくい。彼が怨霊の類ならば、境界を越えてまで接触した私は今頃、無事では済まなかっただろう。それに。

 あの単車は確かに、見つけた、と、言ったのだ。

 一体、何を見つけたというのか。それに心当たりが無いと言うほどに、私は鈍感ではないつもりである。

 

「蓮子、行くわよ」

「え、いきなりどうしたの?」

「さっきのバイク。彼は、私のことを知っているみたいなの」

 

 半ば引ったくるように上着を手に取り、蓮子の手を引くのも忘れない。

 

「貴女のことを知ってるって? そに、バイクの人格が何なのかも……」

「行けば分かるわ! ほら、早く靴を履いて」

 

 靴紐も結べぬままの蓮子。戸惑いを多分に含んだ表情から察するに、まだ、私の挙動について来ることが出来ていないと見える。いつも振り回すのは蓮子なのだから、今日くらいは私が振り回しても良いだろう。彼女の手の、届く範囲でならば。

 彼女の手を握ったまま、扉を抜け。私と蓮子は再び、紅い鉄塊の前にへと降り立った――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――境界の先。

 

 どこまでも、どこまでも白い世界。色を失った冷たさも無ければ、光に溢れた眩しさも無い、そんな世界。

 先に境目を超えた時には体の感覚さえ無かったと言うのに、今は目を開いている実感もあれば、その開いた眼で自身の手を見つめることも出来て。目覚めたばかりの赤子のような、真っ新な意識の中で私は、視界の中で掌を握り、開きを繰り返してみる。

 体に、異常はない。思考も、また。

 

「メリー」

「蓮子」

 

 今度はちゃんと、蓮子と共に。片手に加わる負荷は心地よく。そこに相棒がいるという事実は、私の心を支えるとともに強い安心感を生じさせ。

 彼女とならば、何処まででも行ける。そんな、錯覚めいた自信と共に、この世界に立つ。

 

 白い、白い世界。

 唯々、白い世界。

 

「紫殿……いえ、メリー嬢。そして……」

 

 不意に掛かる、男性の声。ユカリなんて名前は知らないが、そこには、確かに私の名も含まれていて。

 

「蓮子。宇佐見蓮子」

「はじめまして……ですね。蓮子嬢」

 

 初対面の二人。私達二人揃っての人外との遭遇は、考えてみれば初めてになるのか。トリフネで出会したキマイラを含めるならば、二度目ということになるが。

 

「……単車さん、ね」

「ええ。私は、単車の妖怪。貴女方は……」

「秘封倶楽部。この世の結界を暴き、その先を覗き見るオカルトサークルよ」

 

 何処から聞こえてくるのかも知れぬ声に返事をする。きっと、この空間自体が彼の、その人格そのものなのであろうと結論付け。何処を向いて話すべきかという逡巡を経て、結局、動くことなく真っ直ぐに前を見据えることを選んだ。

 

「……それで、貴女方は何故、私に気付いたんで? そう簡単には見つかるまい、と思っていたのですが……」

「私には、結界の境目を見る力があるの。貴方の意識が作り出した結界も、ちゃんと見えていたわ……まあ、貴方がその辺の、只の道具と違うことに気付いたのは、こっち」

「蓮子嬢……?」

「貴方の、今の持ち主よ。私みたいな気持ちの悪い目の持ち主ね。見えるものは別物だけど」

「気持ち悪いは余計よ」

 

 彼……この単車を見るようにと言い出したのは、他でもない蓮子、その人で。彼女が私と彼を引き合わせることがなければ、こうして会話をする機会も、永遠になかったであろう。

 

「そう、ですか……私はまた、良い主人と出会えたようで……」

「ええ。良い主人だと思うわ。物使いは限りなく荒いだろうけど」

 

 くすくすと笑い、釣られたように彼も笑う。むすりと遺憾の意を示す蓮子を傍に置き、笑い合う人妖。妖怪と言えども、その心情の移り変わりは人間たる私達と、さほど違いは無いらしい。

 和やかな雰囲気。しかし、その暖かな時間も長くは続かず。再び口を開いた彼が紡ぐ言葉は、何処までも真剣な口調で。

 

「……メリー嬢。少し、話があります」

「……何かしら」

 

 白い世界。その、白く染まり切った世界の中でなお、白く光を放つ人型が、私の前にふわりと降り立つ。彼の自我の形、なのだろう。

 

「まずは質問、よろしいでしょうか」

「……いいわ」

 

 落ち着いた声。静まり返った世界に響く、深く澄んだ、人を超えてしまった者の紡ぐ音色。

 

「貴女は、人間ですか?」

 

「ッ……」

 

 そんな、心の奥にまで響き渡るような声で以て投げかけられた問は、答えの分かり切ったもので。人間でなければ、私は一体何者なのか。何故か蓮子が怯んでいるが、何だというのだろう。

 

「勿論、人間よ。少しだけおかしな力は持っているけれどね」

「……左様、ですか」

 

 少しだけ、世界が、彼の姿が、灰色に曇る。きっと、この世界に満ちる色は彼の心情を表しているのだろうと推測した。精神学を学ぶ者としても、滅多に体験できない意識、そのもの。好奇心と興味深さが合わさって、目的地も見えないままの私の背中を押そうとする。

 

「……蓮子嬢、少しだけ、席を外して頂いても……?」

 

 彼の言葉に、蓮子が視線を此方に向ける。何か、彼女がいて不都合が生じるのか。

 

「……少しばかり、話があるのです。メリー嬢に」

「……話があるのならば、蓮子も一緒じゃ駄目かしら」

「……後悔することになりますよ。多分」

 

 後悔。つまり、今から語られるそれは、私と蓮子の間に溝を作り出す言葉であることに違いなく。彼が何を言うつもりかは知らないが、それを聞くことに一つの、躊躇いが生じる。

 

「私は、聞かないほうが良いと思いますよ。知らぬが仏、友情は美しきままに。きっと、貴女方の友情に終焉をもたらすでしょう」

 

 芝居掛かった口調は、私達の行く末を視て嗤うものか、それとも素か。何れにせよ、此方の神経を逆撫ですることには変わりない。

 

「……メリー」

「蓮子……聞きたいなら、聞いても良いわ。私には決めれそうにないから」

 

 暫しの逡巡。少しの間続いた彼女の戸惑いは、終わり。

 

「……分かった」

 

 

 彼女は一度、その目を閉じて。その目に有った惑いは、何処へ消えたのか。再び開いた眼には、迷いを断ち切った決意が浮かび。いつも通りの、前を見据えて突き進む宇佐見蓮子が、そこにいた。

 

「私も、その話を聞くわ。メリーだけを何処か遠くになんて、やらないんだから」

「……ありがと、蓮子」

「ん……」

 

 少しだけ気恥ずかしそうに。頬を掻く彼女の横顔を頼もしく、また、誇らしくおもいながら、白い単車の意思を見つめる。

 

「そういうことだから。蓮子にも話を聞かせて頂戴」

「……本当の本当に、聞きますか? これが、最後の戻り道ですよ」

 

 続く彼の忠告に、彼女と目配せをして。

 

「教えて。蓮子と一緒に」

「聞かせて。メリーと一緒に」

 

 重なる声に、思わず笑みが零れる。やはり、私は彼女の横が定位置のようだ、と。

 

「……止めましたからね。二度も……」

 

 諦めたような声に、曇る世界。しかし、そんな曇りも一瞬の後に晴れ渡り。

 

「ならば、お話しましょう。私がメリー嬢に伝えねばならない、そのことを」

 

 気取った口調は、小さな人間に対する妖怪の余裕か。先程まで引き止めていたというのに、いざ話すとなれば何処か愉快げなのは、人にあらざる者の性か。

 

「まずは、私の辿った軌跡の一部。少しばかり長いやもしれませぬが、一つ、掻い摘んで……」

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 くるり、くるりと。

 使い古された比喩表現の類ではなく、世界が回る。まるで東海道線のパノラマのように、彼の話に合わせて移り変わる景色。此処がどういった空間なのかは分からないけれど、相対性精神学を学ぶメリーならば、この空間がなんたるかまで見通しているのかもしれない。

 しかし、これは本の序章。彼の辿った軌跡の上映は、まだ、本題では無いはずで。

 

 ――貴女は、人間ですか?

 

 彼の言葉が、頭の中で反響する。

 あれはきっと、メリーの今の状態を表した言葉。私が日々感じていた、彼女が遠くに離れて行く感覚。それは、やはり現実のものであったのだろう。

 

 ならば、彼がメリーに伝えたいこととは、一体何か。彼女が妖怪と成り果てたとして、彼は、彼女に何を語ろうというのか。

 

「時は経ち、現代。幻想郷から弾き出された私は、幻想郷に戻るために右往左往、この外の世界を走り回り……」

 

 隣では、メリーが欠伸をしている。彼の語る口調は更に芝居掛かり、この中で焦りを感じているのが私だけだということに気付く。

 緊張感の無い雰囲気。しかし、事は着々と進んでいる。

 まさに、時間のように。誰も気に留めず、しかし、必ず刻み行く時の流れのように。東北人なみにのんびりしているメリーは騙せようと、時を見る私を欺くことなど、出来ない。させない。

 

「……それで、私は始めたので御座います……して」

 

 一拍の間。止まった時間。彼の紡ぐ言葉に見えた切れ目は、場面の転換の合図に他ならなく。

 

「覚悟は、出来ていますか? 続きを聞く、覚悟は」

 

 彼の口調が強くなる。それは、今までの序章をかなぐり捨てる開幕ベルのように。

 黙り切った私たちの反応を肯定の意と捉えたのか、彼はまた、その続きを告げ始める。

 

「私は、始めたので御座います。この世界に取り残された妖怪達……そんな妖怪達を、幻想郷に送り届ける役目を」

「……まって、それって……」

 

 ああ。

 

「ええ、貴女が想像している通りですよ、蓮子嬢」

 

 嘘。そんなの、認められるわけがない。

 

「メリー嬢」

「メリー!」

 

 未だ話について来れていない彼女の手を取り、光を放つ人型を蹴り倒す。

 

「ぐぇっ」

「蓮子!?」

「逃げるわよ、メリー! 早く、境界の外へ!」

 

 慌てふためくメリーの手を、両手で握り。彼女の瞳を視線で捉え、理解してくれる事を望み。

 

「……分かった。しっかり掴まっていて……」

 

 私とメリーが、淡い光を放ち始める。単車の人格は、何事か呻きながら私たちへと手を伸ばす。

 

「待……」

「ごめんなさい、単車さん。またいつか!」

「もう、会う事もないだろうけど!」

 

 そうして、私たちは。

 白色の世界を越え、現世へ……

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 

 

 

 やられた。

 

 俺の意識から離れた彼女達は、俺の元から離れ。逃げ去り際に放たれた蓮子の蹴りにより、車体は倒れて起き上がれない始末。本当、齢千を越えた妖怪が情けない。

 

 マエリベリー・ハーン。彼女を幻想郷にへと引きずり込む、それが、俺に与えられた仕事なのだろう。少々気は進まないが、他ならない紫からの頼みならば、断る事など出来やしまい。

 

 駆け行く二人の少女は、小さくなりゆき。世界には、俺一台(ひとり)が取り残されて。

 

 もう、時間もあまり残されていない。なけなしの妖気を以て車体を起こし、ずれたミラーの位置を調節し、滾々と黒い煙を吐き出しながら。

 

 消えた二人の後を追って……否。

 

 若かりし日の八雲紫を追って、俺は、轟々とエンジン音を響かせた。

 

 

 

 

 

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