屋敷を包み込む、月の光。
しかし、見慣れた筈のその光は、空に浮かぶ満月が放つものではない。
中空に浮かぶ、光り輝く牛車や、戦車に似た乗り物。
兵士達は、矢を構えることも出来ずに、只々呆然と立ち尽くしている。そして、俺も、神々しいにその姿に見惚れ、動けないでいた。
月の使者。俺の知る竹取物語のそれよりも、ずっと近代的な姿形。しかしその科学力も然ることながら、彼らが纏うその力は確かに、この地上には存在しないもので。月の民はどうやら、科学力と幻想の力の両方を兼ね備えた存在であるらしい。
本当に、輝夜は逃げ切るつもりなのか。人間達はおろか、妖怪である俺さえも戦慄し、目を離すことさえ出来ない、この存在から。
その時であった。
ゆっくりと高度を下げる月の民に向かって、一本の矢が飛んだのは。矢の放たれた方を見れば、なんと我が友人その人である。屋根の上、足を震わせながらも弓を構え、月の使者を睨み付けていた。
風を切る音と共に、勢い良く飛んだ矢は、しかし月の使者に届く事なく。あらぬ方向へと軌道を変え……
「あだっ」
何故か、俺に向かって落ちて来た。刺さらなかったが、鏃も鉄製なのでかなり痛い。しかし。
「すまない、すまない。我が友よ」
その痛みで我を取り戻すことが出来たのはありがたかった。そうだ、俺はあいつの分まで働かねばならないのだ。自分に活を入れ、事の行方を見守る。
「汝、幼き人――」
結局、竹取の翁の訴えなど聴き入られるはずもなく。輝夜姫は地上に蓬莱の薬を遺した後、月の使者に連れられて空高く月へ向けて上昇して行くのであった……
何故か、俺も一緒に。意味が分からない。しかも、どういうつもりか俺まで牛車に乗せられている。牛車といってもかなり大きく、戸や壁は、何か金属の様な物で張り巡らされている。まるで、宇宙船のように。
牛車の中にいるのは、俺と、輝夜と、赤と青の服を着た女性の三人だけ。
「……永琳。なんのつもり?」
輝夜が、顔に困惑の色を浮かべながら問う。答えるのは、赤と青の服を来た女性。俺を連れて行くと言い出した張本人である。
「大丈夫。ただ、私の計画に、彼はちょうど良かったから……ごめんなさいね、急に連れ出して」
永琳が俺に話し掛ける。俺が意思を持っている事に、気付いているのか、否か。とりあえず、息を殺す。
「あ、喋ってもいいわよ。永琳は味方だから」
「ああ、さいですか……」
輝夜の言葉に安心し、止めていた息を吐き出す。と、言っても口も肺も無いのであくまで気分、だが。
「はじめまして。しがない地上の普通の乗り物で御座います」
「こちらこそ、はじめまして。しがない月の使者、八意永琳よ」
簡単な自己紹介を済ませ、俺は輝夜に声をかける。
「姫、もう、言ってあるんで?」
「いいえ、まだ……」
輝夜が、悪戯を白状する子供の様にそわそわしながら、永琳と向き合う。牛車は地上からゆっくりと、しかし確実に離れて行っている。早く思いを申告しなければ、手遅れになる。
「……あのね、永琳。私……」
ちらちらと永琳の顔色を伺いながら、輝夜が続ける。やはり、言い難いのだろう。
しかし、俺と目が合った途端、意を決したように彼女は永琳の目をしっかりと見詰め、自分の思いを打ち明けた。
「私、月には帰りたくない。地上に残って、この地上の、美しい穢れと共に生きたい」
静かな牛車の中に、輝夜の声が響き渡る。
永琳は、輝夜の話を遮る事なく黙って聞いていた。
「お願い、永琳。私を、地上に住まわせて」
少しの間を置いて、永琳は口を開く。
「地上に残るとするならば、血塗れた道、茨の道を進む事になりますよ。月から隠れ、永遠に逃げ続ける……そんな道を辿る事になるのですよ。それでも」
それでも、地上に残りますか。
それでも、地上に残りたいの。
「……ふふっ」
言葉が重なり、二人は笑い出す。話は纏まったとみてよいのだろう。
「姫」
「ん」
「何処までも、お供しましょう」
「……ありがと、永琳」
笑い合う二人。逃避行の前とは思えない程に穏やかな時間。この二人なら、きっと、永遠にでも逃げ果せるに違いない。
「さて……そろそろかしら」
「そろそろってなに、あ!?」
ガタン、と、牛車が大きく揺れる。永琳が輝夜を庇って抱きしめ、俺はサイドスタンドで必死に踏ん張る。
「まさか……」
「ええ、落とすわ」
「結構高いんじゃないのか、こ、れえ!」
遂に横倒しになる俺の体。しかも、自力では起き上がれないという情けなさ。
「お、起こしてくれ……」
「また倒れても何だし、暫く我慢してなさい」
爆発音が数回聞こえ、緩やかに下降して行っているのが中からでもわかる。月人の悲鳴、喧騒。随分と大ごとになってしまったなぁと、他人事のようにその音を聞く。
「××様! ××様は!?」
「何処にもいない!」
「姫のところか!?」
「牛車の戸、外からじゃ開かない!」
名前がよく聞き取れないが、永琳を探しているのか。月の使者達が慌てふためいている。
「いいの? 永琳」
「ええ……どうせ、生かしておく訳にはいきませんし」
永琳が苦笑する。
対する輝夜は、表情が曇る。
「姫……私達が進むのは、こういう道です」
「……うん。分かってる」
外の喧騒が、更に五月蝿くなる。どうやら、もう地上に落ちる寸前らしい。
「貴方に頼みがあるの」
永琳が、俺を起こしながら話し掛ける。腰を入れ、梃子を使って車体を起こすと、俺に囁く。
「姫を連れて逃げなさい」
「…何処へ?」
「東へ。何処までも東へ。流石に、月の兵器相手に私一人じゃ、ね」
輝夜が聞いたら怒りそうな事を言う。死ぬ気だろうか。
「要は、時間を稼ぐから逃げろと」
「そう。あの子のこと、頼んだわ」
「面倒も見ろと言いますか」
「月の追っ手から逃げながらね……貴方、この時代に来てから何年?」
この時代? この時代に来、あ?
「な、なんでそのことを!?」
「地上の遅れた科学力で、自動二輪車が作れますか。月の都の物でもないし。なら、ね」
「……この時代に来て、二百年程にまります」
「妖怪としては、そこそこね。なら、大丈夫」
「……ねぇ、何を話してるの?」
存外長い内緒話に、輝夜が不安そうに訊ねる。
「姫……いえ、輝夜」
永琳が輝夜に向い直る。
「貴女は、これに乗って逃げなさい」
「――ぇ……?」
呆然と、立ち尽くす輝夜。
「永琳は……?」
「私は、ここに残って使者達を倒してから」
「なら私も」
「駄目」
永琳が、輝夜を抱きしめる。優しく、けれど、強く。
「月の使者は倒さねばならない。でも、貴女が捕まっては意味が無い」
「でも!」
「大丈夫。少し遅れるけど、必ず会えるわ」
肩を震わせる輝夜を撫でながら、永琳は言う。
「幻想郷、という場所があります。地上の賢しい妖怪が、人と妖怪の共存を望み、保護している……」
「……」
「そこで、待ち合わせ。詳しい場所は分からないけど、きっと見つけ出せる」
「絶対に、来るのね?」
「なんなら、先に着いて待ってますよ」
「……絶対に――」
輝夜の言葉を遮る様に、牛車が揺れ轟音が響く。遂に、地上に墜落したらしい。
永琳が俺に目配せする。
「姫。お乗り下さいな」
「えっと……」
輝夜が、俺の友人に教わったように乗車する。自分の教えたことが輝夜の役に立っていると聞いたら、彼奴はどんな顔をするだろうか。
「もっと足に力を込めて。体を支えるのは、手じゃなくて足です」
タンクを挟む力が強くなる。が。
「もうちょっと強くなりませんか?」
「も……もう無理……」
弱い。本当に弱い。これでは、発車しただけでも振り落とされそうな程に弱い力。
「……次に会う時には、運動しておいてくださいね、姫」
見兼ねた永琳が輝夜の体に紐をかける。足をタンクに縛り付け、ベルトの様に腰に一巻き。
ちなみに、バイクにシートベルト装着は転んだ時に脱出出来なくなるので危険である。真似してはいけない。
「フェムトファイバーの組紐です。これなら、大丈夫でしょう」
「フェムトファイバー?」
「絶対に切れない組紐よ。科学的とは言い難い構造だから、説明しても分からないと思うけど」
さあ、と、永琳が輝夜にヘルメットを被せ、牛車の扉の鍵に手をかける。俺は、いつでも飛び出せるようにエンジンを駆け、ギアをローに落とした。
「では……また」
「ええ……また」
そして永琳が鍵を開け身を引くと同時に、俺は扉を勢い良く突き破った。驚く月の使者たちを尻目に、逃げる、逃げる、逃げる。
東へ。
永琳との約束の地、幻想郷を目指して。