青い月の光に照らされた、平穏な夜。小さな宴会は終わり、みんな、思い思いの時間を過ごす、夜。
聞き慣れたエンジン音が静かな境内に響き渡る。心臓の鼓動によく似ていて、それでいて生物のそれよりもずっと早い。
走り去る鉄の塊を見送り、私は隣に座る神様を見る。
「……すまないね、連れを追っ払って」
「気にしないで。彼も、諏訪子と話したほうが楽しいだろうし」
「不思議な奴だね、アレは……物、って言ってたけど、あまりに人間臭い」
お酒を煽り、彼の居なくなった境内を眺める神奈子。私よりもずっと背が高いから、隣に座ると私が見上げる形になる。あんまり見上げると首が痛くなるので、私も彼女に倣って境内の方に顔を向ける事にした。
「彼はね、贈り物なの。私を好いてくれた人からの」
「贈り物、ね……彼奴は物、だからねぇ。意思のある者を物扱い、っていうのはちょっと気が引けるけど」
彼は自分を道具だと言うけど、私からしてみれば友達に近い。彼からしてみれば、主人と従者の関係なのだろうけど。少しだけ、寂しさを憶える。
「ま、そんなことより」
神奈子が話を変える。
「あんたは、行者と名乗ったね」
「ええ。アレと二人で、旅をしてるわ」
「月の姫が、地上の旅ね」
月の姫。私が輝夜と名乗った時点で、バレることはある程度覚悟していたけど……
それでも、わざわざ二人きりの状況を作ってから、この話題に臨む理由が分からない。何か企みが有るのでは、と勘繰ってしまう。
「安心しな、何もしやしないよ。唯、さっき思い出したからさ。かぐや姫の話。それで、気になることがあってね」
軽く笑いながら、杯を傾ける神奈子。私は拍子抜けして、深く溜息を吐いた。
「いやなに、かぐや姫は月に帰った、と聞いたけど、まだこの大地の上にいて、しかも行者の形で旅してるとなれば、誰でも興味を惹かれるだろう?」
「あんまり、面白い話じゃ無いと思うけどね。それでもいいなら、聞く?」
「よかろう。受けて立つ」
「その反応は、何か違う気がするけど……」
酔った神さまを前に、私はあの逃亡劇の事を覚えている限り話していく。月のこと、私のこと、永琳のこと。そして、贈り物をしてくれた彼のこと。普段は誰にも話せない話だけど、彼は、この神様なら話してもいいと言っていたので安心して話す。なんで話してもいいのかは……彼が説明してくれてたけど、あんまりに長かったので聞き流していた。割りと面倒臭いのよね、アレ。
ただ、人に話すのは、初めて。私のやったことは許されることじゃないし、時効なんてあるわけないのだろうけど、それでも誰かに告白したくもなる。
神奈子は静かに私の話を聞いている。手に持ったお酒にも手を付けず、唯々目を瞑って微動だにしない。もしかして寝てるんじゃないかしら。
「起きてるよ」
起きてるらしい。寧ろ、起きていたことより考えを読まれた事のほうに驚いた。
「心、読めるの?」
「多少はね。でも、今のは貴女の雰囲気から察しただけ」
「はあ。便利ねぇ」
「そうでもないよ。嫌なこともあるさ……誰々を呪いたい、とか」
「うわぁ……」
便利と思えば、不便な面もある。
なんとなく、不死の体に通じる気がする。
「ま、それはどうでもいいんだけどね……んぐ」
神奈子がお酒を一気に流しこむ。あまり飲まない私と違い、神奈子はぐいぐい飲む。ウワバミ、という表現がぴったりだと思う。
「貴女は、この地上をどう思う?」
「どうって……そりゃ、魅力的よ。そうじゃなかったら残らない」
「もっともだね」
でも、と神奈子が続ける。
「地上の歴史は戦いの歴史。血で血を洗う、そのままな歴史。殺戮を正当化して富を蓄え、その富を狙ってまた戦いが起こる。貴女が見たくも無い一面が、この地上にはある。月の御仁に、それが耐えられるかい?」
神奈子が私を見つめる。背の高くない私は、神奈子を見上げる。見下ろされる。相手は神なので、見下ろされて当然ではあるのだけど。
「私も、もう地上の者よ。汚い一面なんて見たくもないけど、それは、誰でも同じでしょう?」
ぽかん、と。神奈子の動きが止まる。あれ、何処か可笑しかった?
「貴女が、地上の者だって?」
「……認めては、貰えないのかしら」
「いや、そんな事はないけど……くく、けど!」
段々、神奈子の言葉に笑い声が混じりだす。
「高貴な月の民が、穢い地上の民になりたいだって?」
「……なによ。悪い?」
「悪いこた無いよ、全くね。ただ、月にもまだ面白いのがいるんだな、って」
笑いながら言うので、馬鹿にされてるように感じる。が、嫌味は感じない。とりあえず、拗ねた振りをしてお酒に口を付ける。
「ああ、ごめんごめん……あまりに貴女が、私の思っていた月の民とかけ離れていたもんでさ」
「いったい、どんなのを想像してたのよ……」
「傲慢で付け上がってて地上の生き物をごみ扱いしてて高飛車で慇懃無礼で全てを見下した……」
「あー……割りと当たってるかも」
月の民は、大体そんな感じだった。あの雰囲気も、嫌いだった。
「それに比べて貴女は……なんて言うか、全てを対等に見てる。この、神たる私さえも」
「気に障った?」
「いや、全然……なんか、安心したよ。貴女なら、地上でもきっとやっていける」
神奈子が私から視線を外し、月を見つめ始める。私は、やっと空になった自分の杯にお酒を少しだけ注ぐ。つもりだったのに、勢いが強過ぎてぎりぎりまで注いでしまった。零さないようにそっと口を付ける。
「……幻想郷、だっけ」
「ん」
「さっき諏訪子に言われて思い出したよ。今頃、諏訪子が貴女の連れに話してるんじゃないかね」
その時、屋根の向こうで何かが光った気がした。気のせいかも知れないけど。
「場所、わかるの?」
「うんにゃ、知らん」
「……まだまだ着くのは先になりそうね」
神奈子が笑い、お酒をぐいっと一気飲みする。私も、真似て一気に飲んでみた。
「んぐ、ん、けほっ、けほっ!」
「……なにしてんだい」
呆れた口調で神奈子がいうけど、涙で視界がぼやけて表情までは分からない。それより喉が痛い。慣れない事はするものじゃないと、今更ながら理解する。
「さぁて、そろそろ諏訪子も戻ってくるだろうし、私は寝るよ」
「ん、おやすみなさい」
のっそりと立ち上がって、廊下を歩き出す神奈子。私も立ち上がって、部屋の戸を開ける。
「輝夜」
後ろを向いたまま、神奈子が私を呼び止める。私は、半分程部屋に踏み込んだ体を神奈子に向ける。
神奈子が、私に向け何かを放り投げ、慌ててそれを掴んだ。
「困った時は、何時でも呼びな。信仰さえあれば、何処にいても助けにいけるんだから」
神奈子が投げたのは、小さなお護り。
「……ありがと」
手をひらひらさせて、神奈子はまた歩き出す。
私も、もう寝よう。
神奈子に貰ったお護りをしっかりと握り締めて、部屋に入る。
最後に月を、この地上の目線から見上げて。そして、私は戸を閉めた。