俺の部屋にくっころ女騎士が転送されてきた件について 作:Cassandra
子供の頃、自衛隊の演習を見たことがある。
祭りでの余興だったか。露店が沢山出ていた。
中でも良く覚えているのが戦車の砲撃だ。
腹の底まで響く爆音。おそらく音速を超えているが故だろう。
あんなものが人間に向けられるなんて考えたくもない。そう思った。
それを彷彿とさせるような音だった。
直径1m弱の水の砲弾は、軌道上の全てを削り取りながら夜の闇へと消えていった。
砲弾の発射までは数秒の溜めがあったため直撃はしていないものの、足が竦んで動けない。
それほどの衝撃だった。
視界の隅にアクトルに向かって走る影が見えた。ミリアだ。
疾い。先程まで俺の近くに居たのに、もうアクトルを剣の間合いに捉えている。
「──シッ!」
神速の上段切りがアクトルへと放たれる
──直前にアクトルの周辺が揺らめいた。
「無駄だよ」
陽炎のように薄い防殻にミリアの直剣は虚しく弾かれる。
ミリアの手を離れた直剣は十数メートルも飛んで、金属音を響かせながら俺の近くで転がった。
「この防殻は大砲だって簡単に弾くんだ。
そんな棒切れ、羽虫が止まったも同然だね」
全霊を載せた剣撃を弾かれたミリアの体が宙を泳ぐ。
その一瞬で、十数発の水の弾丸がミリアへと叩き込まれた。
「ミリア!」
「ぐ……がはっ……!」
血を吐きながら彼女は追撃の弾丸を回避する。
その背中は暗い赤に染まって、弾丸が容易く貫通していったことを物語っている。
休む間もなく、彼の周囲には直径一センチ程の弾丸が生成されていく。
「へえ、まだ動くんだ!すごーい!気持ち悪ーい!実際に見るのは初めてだよ!」
「……くっ」
ぱたぱたと大量の鮮血をこぼしながら、更に十数発の弾丸を躱す。
「ほらほら応久くん、お仲間が大変だよ?助けてあげなくて大丈夫なのかい?」
言葉と同時に、数発の弾頭がこちらへと向いた。
「な……くそっ!」
ギリギリで回避する。
あの『弾丸』は『糸』とは違い、少しだけ発射までに溜めがある。
十数メートル距離があれば俺でもなんとか避けられなくはない。
ミリアならば難なく回避できるだろう。
やはり『糸』を封じているのは大きいのだ。
「なかなか当たらないものだね。でも、そうやって避けているだけでは条件は好転しないよ?
このペースなら数時間は魔力が持つ。ふふっ、それまでに兵士が来ないといいね?」
……そうだ。時間は俺たちに味方しない。
先程の砲撃は俺たちを威嚇するためだけの物ではない。
まず音で異常事態を知らせ、城内の兵士を呼ぶというのが一つ。
更に外壁に大穴を開け、室内の温度を下げるというのが二つ目だ。
すでに室内の気温は真夏日程度に落ちてきている。
あと数分もすればこの部屋と外気の温度は等しくなり、 そうなればアクトルも『糸』が使用できる。
すなわち詰みだ。
現在、互いに有効な攻撃がないのはアクトルも分かっている。
彼が機関銃のように弾丸を乱射しているのはただの時間稼ぎ、暇つぶしにすぎない。
このまま部屋を少しでも加熱し、室温の低下を遅らせることしか出来ないのか。
───いや。僅かだが、まだ勝機はある。
ぜえぜえと吐く息に血が混じる。
致命傷こそ避けたが、石柱は体を擦るたび、容赦なく肉を抉り取っていった。
……血を流しすぎた。
カノープスの視界が霞む。足が言うことを聞かない。
「……何故そこまでするのだ。
貴公のちんけな複製魔法では私には勝てん。それは貴様も分かっているはずだろう」
「勝とうなんざ…思っちゃいねえよ。……俺の役目は時間稼ぎさ……良いのかい?お喋りに…付き合っちまって。願ったり叶ったりだがなあ?」
「それが分からんと言うのだ。貴公が反逆する理由はどこにも無かろう。
──貴公を粛清する予定は無かった。私達にこれまで通り従っておけば、貴様に不利益は何一つ起こらん」
「……そういう所だよ。その自分さえ良けりゃって考えた方が一番鼻持ちならねえ。
……てめえの都合で一般人を、善良に生きてきた人間を!巻き込んでいい訳がねぇだろうがあ!!」
ナイフを横薙ぎに振り抜く。
何千何万回と修練を積んだであろう、渾身の一撃。
「……やはり理解できんな」
アルドラは切っ先をその体に似合わぬ俊敏さで躱す。
「くそっ!」
後ろに下がったアルドラを追って踏み出した足並みが崩れた。
アルドラの魔法は石柱等の大規模なものに限定されてはいない。
凹凸だ。そうと言われなければ分からない程度の僅かな出っ張りが、カノープスの足を縺れさせた。
「しまっ──」
誘われた。そうカノープスが理解したときには、すでに彼は巨大な石柱に串刺しにされていた。
「……勿体の無いことだ。
このような所で使って良い命では無かろうて」
「──いいや」
アルドラの背後から声。
「なにっ──ぐあっ!」
背後から鈍器を叩きつける。
不意の一撃はアルドラの意識を容易く刈り取った。
「自分の命だ。俺が好きに使う」
立っているのは、カノープスだ。
「……よお、俺。もう少し……早く着けなかった……もんかね」
複製魔法。自分自身であれば生物でさえ複製できる、カノープスの奥の手。
自分以外にはミリアにしか見せたことのない、正真正銘最後の手段。
「済まねえな。こっちも楽じゃあなかったんだ」
立っている方のカノープスもよく見ればあちこちに血がにじみ、左足を軽く引きずっている。
腹に大穴を開けられた方と比べればまだマシではあるが、こちらも階下で激しい戦闘を行って来たのだろう。
「まあ……役割が逆じゃなくて……よかったぜ……。本体のお前がこっちの役割なら……一巻の終わりだった」
「……俺が生きて帰れるかは分かんねぇけどな」
階下が騒がしくなってきた。
先程の砲撃音を近衛隊が聞きつけたのだろう。もうすぐここへと大挙してやってくる。
「……おい、何弱気なこと…言ってやがる。
お前は…今まで死んだ『俺達』の分……全部背負って生きてやがんだ。
胸張って…最後まで生きろや…!」
彼は最期の力を振り絞り、拳を突き出した。
「……そうだな。すまない。
俺はお前らの分まで生きて、歪みのない平和な世界にする。約束だ」
「……ああ。絶対…だ…ぜ」
そう言うと彼は、光の粒となって消えた。
彼がそこにいたことを確かめるように、カノープスは光を握りしめた。
祈る間もなく、
『こっちだ!急げ!』
『反逆者を粛清しろ!』
そんな声が聞こえる。
彼の残り魔力は、分身はおろか、ナイフすら数本作り出せるかといったところ。無論、ミリアのように傷を治すことも出来やしない。
それでも彼は声を張り上げる。
「てめえら!俺ぁ第一騎士団副団長カノープス!刺されてえやつから前にでなぁ!!」
彼はそう吠えてナイフを構えた。
絶え間ない弾丸の連射。
放たれ続ける弾丸をミリアは紙一重で回避している。
──その回避が段々と危うくなってきているのは、おそらく気のせいでは無いのだろう。
発射までの溜めが短くなってきているのだ。
彼の弾丸はどんどん小型に、鋭く、ミリアを追い詰めていく。
こちらに飛んでくる弾丸は少なく、また回避も出来なくはないため、隙を着いて部屋を加熱してはいるが焼け石に水だろう。
「凄いなぁ!ここまで避けれるんだ!
ますます殺すのが惜しいけど……君が悪いんだからね?
大丈夫、僕は余計に苦しませたりせず、一思いに殺してあげる」
「──くっ!」
散弾銃のように放射状に放たれた弾丸を回避しきれず、足先に傷を負う。
ミリアは構わず、そのまま距離をとり俺の手を取った。
「……応久、悔しいが、ここは一旦退くぞ。
現状、奴の防殻を突破出来ない上、このまま続けていては『糸』が使用可能になる。
今のうちに引いて、体制を立て直すんだ」
彼女は歯噛みして言う。
「なんだい?おしゃべりかい?
時間が経つのは僕としても歓迎だから止めはしないけど、逃げられるなんて思わないでほしいな」
アクトルは酷薄に笑んで、弾丸の雨を止めだ。
「──っ、どういうことだ」
「どういうことも何も、そのままの意味だよ。僕が襲われた時点で、兵の大半は襲撃者を逃さないように配置につくようになったのさ。
まあ、この城の兵士に全員よりも僕の方が強いんだから当然だね?」
「くっ……!」
ミリアは歯を軋ませる。
「──ああ。退路なんて最初からない。
ここで決着をつける。
ミリア、俺が隙を作る。あとは頼めるか?」
回収しておいた直剣をミリアに手渡す。
相変わらず素朴な直剣だ。ミリアらしいといえばらしいが。
「!、いつの間に……!
──いや、分かった。無茶はするなよ」
「ああ。任せた。
──アクトル!」
彼に向き直り、声を張り上げる。
「なんだい?急に」
「王とは!民のために尽くすものじゃないのか!?民衆のリーダーとして、民を導くものだろう!お前は王として失格だ!」
慣れない大声を出す。
ところどころ声が裏返るが、恥ずかしがっている場合ではない。
「違うね。民が王のために尽くすんだ。
力を持つものが上に立ち、利益を得る。
当然の摂理だろう?
──僕の利にならないやつに与えてあげられる役割は一つ、死ぬことだけだ。残念だけど、君達もそうだよ」
「……そうか。思えば最初に話したときからお前はいけ好かなかったよ。
これでも!食らって!
反省やがれえええええええええ!!!!」
右の掌を前に突きだす。
次の瞬間、爆炎が部屋を包み込んだ。
豪奢なベットが、タンスが、紅蓮の焔に包まれ、焼け落ちていく。
業火の中心に居たアクトルは一瞬驚いたが、しかしすぐに安堵していた。
この程度の炎など、アクトルの水の防殻の前ではそよ風に等しい。
もし仮に応久がアクトル並みに魔法を操作でき、この炎を収束させることが出来ていたならば防殻を貫くことも出来ていただろうが、今その心配は無くなった。
「ぐ…あああああああああ!!!」
悲鳴混じりの声が聞こえる。
応久の炎が彼自身をも焼いているが故のものだ。
高度な炎の操作が出来ないことの、何よりの証拠。
僅かな負け筋ではあったが、それが消えた。
そう考えた次の瞬間、アクトルの口から笑みが消えた。
彼が見たのは、爆炎をかきわけて現れた白銀の髪。煤けた衣服。
炎を受けて煌めく、強い意志を秘めた瞳。
彼女の直剣は、超高熱の焔を宿してアクトルの防殻を切り裂いた。
俺の炎を剣に与えれば、奴の防壁を切り裂ける。
奴の気を逸らすために右腕が黒焦げになってしまったが、安いものだ。
「ああああああああああああ!!」
彼が悲鳴を上げて後退する。
「よし!」
「いや!まだだ!浅い!」
アクトルはふらふらとよろけながら防殻を再度展開した。
「熱い…!痛い…!
この僕に…こんな…こと!
絶対に……ゆるさない……!
───けしとべ」
高い天井のまで隅々までをアクトルの魔法が埋め尽くす。
ワイヤーのような糸、大小様々な弾丸、砲弾。
それらが一斉にミリアへと放たれた。
巻き上がった粉塵が視界を奪う。
「──っミリア!」
煙の薄れると同時に見えてきた人影が2つ。
アクトルは肩で息をしていた。
ミリアは前を見据え、凛と立っていた。
自分へと向かう攻撃を見極め、切り払ったのだ。
「……っ!ばかなばかなばかな!なんで!なんでそんなことができる!僕は王だっ!僕が一番強いんだっ!!」
後ろに飛び退き、更に弾丸を生成しようとするアクトルを、ミリアは逃さなかった。
下からの初太刀で防殻を切り裂き、そのまま超高速の回し蹴りがアクトルの側頭部を捉える。
「なんで、だと?
そんなもの、一人じゃないからに決まっているだろう」
その言葉を聞いたのを最後に、アクトルの意識はぷつりと絶たれた。
あれから十数人は倒しただろうか。
近衛隊の鳩尾に蹴りを叩き込み、そのままカノープスは膝から崩れ落ちる。
彼の首に容赦なく剣が振り降ろされる寸前、城内に音声が響き渡った。
『私は第一騎士団団長、ミリア・フォン・メーデルフェンである!
アクトル陛下の命は私が預かった!
担当直入に言おう!彼は我々を裏切り、敵国と内通していた!証拠も大量に存在する!
私の要求は一つ!即座の戦争の終結である!
各騎士団団長及び各大臣は速やかに陛下の寝室へ集まること!それ以外の兵員は平常時の持ち場へ戻るように!
繰り返す!私は……』
「……だってよ。お前さんらはとっとと帰るこったな。でねえと陛下が殺されちまうぜ?」
「──くそっ」
悪態をついて兵士が帰っていく。
兵士が去ったのを確認すると、カノープスは更に床に崩れ落ちた。
「……あー、もう駄目だ。指一本すら動かせやしねえ。
──けどまあ、こんなに晴れやかな気持ち、そうそうあったもんじゃねえな」
そう言うと、彼は静かに目を閉じた。
あれから2日がたった。
あっけなく戦争は終わった。
アクトル達両国の上層部の計画はこうだ。
『ダキアの作り出した生物兵器であるキメラ達にアチアの兵士や高官が次々と斃れる。
アチアはトリシューラをやむなく使用し、ダキアの街郊外を焼き尽くす。
両国共に消耗し、停戦で合意する』
このようにして反乱分子の排除と老人等の労働力となり得ない層の口減らしを行おうとしたわけだ。つまるところ何もしなくとも戦争はもうすぐ終わる予定だった。
幸か不幸か反乱分子の排除はほぼ終わっていたのだ。
しかしながら俺たちの革命に反感を持つ者ばかりであったかと言うとそうでもない。
まず王都の民衆は、その殆どが政治に不満を持っていたようで、王の悪事が新聞でバラ撒かれるとミリアを英雄と崇めた。
さらに、政府の人間にも少数派ながらアクトル達現政府に懐疑的な人間がいたようで、
その方々もダキアとの交渉に協力してくれた。
そう。俺の役目は終わった。元の生活に帰る日が来たのだ。
王城のバルコニーにて転移をする。
なんとなく活気が戻ったような廊下を歩いていると、カノープスとすれ違った。
「お疲れさま。カノープスさん。怪我はもう良いのか?」
「ああ、お陰様……ってか団長のお陰でな。
お前も団長にいろいろと治してもらったんだろ?」
ああ、とうなずく。
彼女にはあの当日の放送の後すぐに、半分炭化した右手を治してもらった。
少し跡が残ってしまったが、その程度だ。
「そういえばカノープスさん、あんたにお礼を言い忘れてたな。
言わせてくれ。ありがとう」
「なんだよ、急に改まって。礼を言われるようなこたぁしてねえよ。俺は俺の好きにやったまでさ」
「いいや、思えば最初に話したときからカノープスさんは俺を気遣ってくれたんだよな。あの時の話は意訳すると
『この国はお前が思ってるような国じゃない。見たとこお前は一般人だ。こんなところに居ていい人間じゃない。さっさと帰った方が良い』
だろ?あえて自分のこと嫌わせて、帰りたくなるよう仕向けたりなんてしてさ」
「うっ……いや!そんなことはねぇよ!あれは…ただあれだ、あんまりにも団長と親しそうだったんでちょっと嫌味を言ってみただけだ!勘違いすんな!」
彼は珍しくまくしたてる。
図星突かれたくらいでそこまで焦らなくても良さそうなものだが。
「はは、分かった。そういうことにしとくよ」
「うるせえよ。ちっ、てめえなんざさっさと帰っちまえや」
そっぽを向いて歩きだしてしまった。
もう少し話したかったが、時間も迫っている。致し方ない。
「じゃあな!元気でいろよ!」
歩く後ろ姿に声を掛ける。
「……ああ。お互いにな」
彼はそう返してくれた。もう二度と会わないだろう。
彼ともう少し違う形で会えていれば、きっといい友達になれたのにな、と思った。
ドアを開けると、気持ちのいい風が頬を抜けていった。
蒼く天まで抜けるような空。
ここからは深い森に囲まれた国が一望できる。
「やあ。待っていたよ」
ミリアだ。
「帰る前にここの景色が見たいとはな。
私も嬉しいよ」
ここに来たのは夜だったが、昼に見るとまた違った顔を見せる。
きらきらと日の光を受けて輝く川に、明るく照らされた橙色の家々。
「──綺麗だな」
自然にそんな言葉が口をつく。
「そうだろう?君が守った物だ。誇りに思っていいぞ。」
「それはミリアもだろ。むしろ俺はミリアに着いてきただけだ。
──いてっ!」
ミリアは俺の頬を指で弾いて言った。
「怒るぞ?君が居なければ何もできなかったよ。多分、今も駒の一つとして、剣を振るっていただろうな。
───ありがとう」
「なんだよ。急にあらたまって」
「……ああ。話せば話すほど別れが惜しくなってくるな。
名残惜しいが、門を開いてしまうとしよう」
「ああ。頼む」
ミリアが胸元から円筒形の水晶のようなものを取り出して、操作する。
数秒の後、紫色に光る2mほどの板が現れた。
「……どうしても帰ってしまうのか?」
「ああ」
「……私では、私では不足なのか?私は君と暮らしたい。
……一緒に生きていきたいんだ」
「……ごめんな。俺にはまだ向こうでやり残した事がある」
「……すまない。最後は笑って送り出そうって、決めたのだがな」
彼女はそう言って寂しそうに笑う。
俺はミリアの細い体を抱きしめた。
「俺は、君のことが好きだ。
君のためなら死んでもいいとさえ思った。
でもきっと、このままじゃ駄目なんだ。
ミリアみたいに、自分で考えて道を決めていかなくちゃいけないと思う。君に見合うような男に、俺はなりたいんだ。
だから今は……さよならだ」
「……分かった。すまないな。引き止めるようなことを言って」
俺は紫色の板に向き直る。
「それに、これが今生の別れってわけじゃない。生きていれば、またいつか会えるさ。」
「……絶対だぞ!
また会って、今度は他愛ない話を沢山しような。」
「ああ。きっとだ。
────じゃあな」
「───達者で」
俺はゆっくりと紫色の板を潜った。
最後に見たミリアの顔は、涙でぐちゃぐちゃにゆがんだ笑顔だった。
酩酊感と共に、歪んだ視界が徐々に元に戻ってくる。
見慣れた俺の部屋。
時計は午後8時を示している。
日付も正常で、アチア公国が浦島太郎みたいな時空で無かったことに少し安心する。
異世界に向かった時と比べてすっかり軽くなってしまったリュックを下ろす。
急に全て夢だったんじゃないかという不安にかられ、リュックをあさった。
二日目にお爺さんから買った人形を見つけ安心すると、どっと疲れが襲ってきて、座り込んでしまう。
こんなことではだめだ。ミリアにあんな啖呵を切ったんだから。
寂しさを紛らわせようと、冷蔵庫からビールを取り出してベランダに向かった。
当然だが、月は一つきりだった。
ビールを呷ると、抑えていた涙が溢れてきた。
これからも俺は日々を生きていく。
一つの国を救ったという誇りを胸に。
アチア公国、王城の廊下。
「あれ?ミリア総騎士長殿じゃないですか。随分とご機嫌っすね?」
ミリアは弾む足を止めて振り返った。
「おお、カノープス第一騎士団長殿じゃないか。そういえば久方ぶりだな?」
「ええ。暫く停戦関係の雑務でお互い忙しかったっすからねぇ。
それで?今日は何かあるんですか?」
「ああ、今日は久しぶりの非番だからな。
応久の奴のところに遊びに行くんだ」
「うえぇ!?良いんすか!?そんなことして!?」
ミリアが首を傾げる。
「何がだ?別に転送装置が使用不能になったわけじゃ無いんだから構わんだろう」
「そりゃそうですけど……あっちの予定とか」
「その心配はないさ。今日は向こうの暦だと日曜日というものらしいしな。応久のやつはほぼ休みだと思っていい」
「……そうすか。
……じゃあ気をつけて行ってきて下さいね」
「ああ!楽しみだなぁ。プレゼントも用意したんだよ。喜んでくれるだろうか」
そう言って彼女は大きな赤い包みを揺らす。
「…………びっくりするでしょうね。
──その財布?も変わったデザインっすね。向こうの世界の物ですか?」
カノープスは彼女の腰についた財布を指して言う。
「これか?これは私の命を救ってくれた、お気に入りだよ。
──おっと、もうこんな時間か。それじゃあ行ってくる。」
「……せいぜい楽しんできて下さいね」
彼女の腰元には、カエルの形をしたストラップの付いた、少し子供っぽい財布が揺れていた。
前回から期間が空いてしまい、本当に申し訳ないです。最終話です。
端末が亡くなっておりました。
読んでいただいた方が居るかどうか分かりませんが、もしこの文章をここまで読んで下さる方がいたのなら、最大限の感謝を。