腹の刺し傷から血を垂れ流しながら、赤井義明はまるで捨てられた粗大ゴミのように中庭へと落ちていく。落ちる瞬間の奴の顔は、なんともまぁ情けのないクズっぷりな表情を浮かべていた。全て自業自得なんだから、こっちの知った事じゃねぇが。
地面へ激突した瞬間、赤井は右足を抱えるようにしてうずくまった。恐らく、衝突の勢いで骨が折れたんだろう。あの体重じゃ落下速度もかなり出るだろうから、良くても粉砕骨折って所かな。とはいえ、散々守られる立場であることを自覚せず、自分が偉いと驕り高ぶり、ましてや仲間の命で弄んだ奴になど、情状酌量の余地などある訳もない。さっさと終わらせてしまおうか。
九鬼「長門さん、赤井を中庭にまで落としました。後は頼みます」ハァハァ
長門『了解。よくやってくれた…、九鬼中尉、息が荒いが、どうかしたのか?』
長門さんからの指摘で、俺は息遣いが荒くなっている事にそこで気づいた。奴へ怒りの限りをぶつけていたせいで、無意識に息遣いにまで気持ちが入ってしまったのだろう。
九鬼「すいません。かなり力が入ってしまって…」
長門『…そうか、辛い事をさせてしまったな』
九鬼「滅相もないです。長門さんや鎮守府の皆さんの方が、何百倍も辛い思いをされているんですから、憲兵の自分が、この地獄を正さないといけないんです。今の海軍の腐敗は、自分達のような若い層で潰さないと、この組織は崩壊に向かうだけですから」
長門『…フッ、君のような正義に溢れた軍人が、今の日本海軍にはどれだけいるんだろうな…』
九鬼「…」
2人の間に、噛み締めるような、少し悔しさの滲む沈黙が流れる。
長門『すまない、任務中だったな。よし、これより中庭へ砲撃を実行する。付近にもし艦娘がいるなら、窓からは離れた位置に誘導してくれ。多少なりとも爆風が及ぶだろうからな』
九鬼「了解です。では、お願いします!」
長門『15秒後に着弾する。それまでに、君も安全な場所に移動してくれ』
九鬼「は!」
無線を切り、辺りを見回す。扉の向こうでは榛名が体操座りでこちらをボーッと見ている。大丈夫、容体は悪化していないようだ。
榛名の無事を確認した後に、無駄に広い執務室を見回してみる。辺りに艦娘はいないだろうか。赤井のことだから、少なくとも1人は執務室に、イジメの対象として侍らせてそうだが…
そうして焦る気持ちを胸に、部屋をぐるりと一周すると、部屋の隅でこれまた榛名のように倒れている艦娘を見つけた。榛名と似通った制服を身につけて、ロングの髪の毛。ロングヘアーの髪型は、金剛型では榛名と長女の『金剛』のみであるから、おそらくこの娘は1番艦の金剛で間違いはないだろう。
近寄って見てみると、身動きは取らないが、まだ息はある。気絶しているだけなのだろうか。しかし、考えている暇はない。すぐに担ぎ上げて執務室を後にする。そして、扉を閉めたと同時に、中庭からとてつもない爆音が響き渡る。
九鬼「榛名さん、伏せて!!!」
扉を閉めたと同時に俺は座り込む榛名にそう叫んだ。少しでも低い姿勢を保たねば、重傷を負いかねない。
榛名「う、うぅ…」
ダメだ。榛名の体はもうボロボロで、呼吸をするだけでもきつそうな彼女には、もう体を瞬時に屈めさせる力が残っていない。
この際仕方がない。俺が覆いかぶさるしか…
九鬼「くそ!」
俺は金剛から手を離し、咄嗟に榛名の体を衝撃から庇う。扉から離れた所まで彼女を抱えて滑り込んで、回避を試みた。すると、案の定デカデカとした扉は爆風で吹き飛び榛名のいた場所は粉々となってしまった。あそこに居たらどうなっていたのか。想像に難くない。
しかし、俺が安心したのも束の間。榛名は俺の腕の中でフルフルと震え出した。
九鬼「は、榛名さん?どうしましたか?」
榛名「…触らないで」ボソッ
九鬼「…え?」
榛名「触らないで!!」ツキトバシ
九鬼「うわ!」ドサッ
榛名「!!、す、すみません!!」
我に返ったのか、突き飛ばして俺の尻もちの音を聞いた瞬間に榛名は即謝罪をしてきた。そんな榛名の目には、みるみる内に涙が溜まっていく。そして、ガタガタと歯を震わせて、小さく縮こまってしまった。
榛名「お願いします……痛くしないで…ごめんなさい…」ガタガタ
「は、榛名何でもします….だから、だからもうお姉様を傷つけないで……」ポロポロ
九鬼「…」
なるほど…これがこの鎮守府の実態か…赤井を殺すまではただの廃れた鎮守府と思っていたが、これは本当に地獄だな。そして、あの言い方はもう完全にトラウマと化してしまっている言い方だ。榛名以上に金剛がボロボロなのも、姉として榛名の分まで辱めを受けてきた証拠なのだろう。
九鬼「…」ギリッ
改めて赤井の汚さに怒りが湧く。今すぐにでも執務室のアイツの身の回りの物をぶち壊してやりたかったが、今は榛名を落ち着かせるのが優先とすべきといったところか。
とはいえ、今は彼女達を治療できる物は何もない。一度菅野教官に合流せねば。
バサッ
九鬼「おっと、いけな…ん?」
ポケットからうっかり落としてしまったものに目が留まる。それは、突入前に菅野教官から手渡された薬だったのだが、そこには教官の直筆メッセージが書いてあった。
九鬼「…!これは…」
「」チラッ
なるほど。これはよく考えられた物だ。その薬のメッセージには、何度も菅野教官らしい言葉が乗っかっていた。これなら、パニック気味の榛名でも収まるかもしれない。
俺は、榛名の前にもう一度屈んで薬を渡す。
九鬼「榛名さん」
榛名「ヒッ!」ビクッ
九鬼「…信じてもらえないかもしれません。ですが、私達は必ずあなた達の顔に笑顔を取り戻して見せます。これまでの赤井の愚行を、海軍のあなた達への行いに許しを乞うなんてことも、更々できない。ですが、最後に私と菅野教官を信じてほしい。それでもダメなら…」
九鬼「それでもダメなら、この国に喧嘩を売っても構わない。だから、私たちを最後に信じてほしい。」
榛名「!!」
もしかしたら、榛名はびっくりしてくれているのかもしれない。なんてたって、艦娘に土下座する海軍将校なんてこの世にはそうそういないから。
でも、菅野教官は彼女たちを全力で支えようとしている。この娘達と面識のない俺が信頼を勝ち取るには、これしかない。彼女たちの為になるなら、海軍軍人としてプライドなんて、日本海に捨ててやる。喜んで捨てる。その代償が、彼女達の笑顔なら。
榛名「…えっと、憲兵さん…?」
九鬼「」
榛名「ど、どうか、頭を上げてください…」
榛名「私たちが赤井提督の行いに憎しみを持っているのは事実です。海軍の行いにも憤りを感じます。」
九鬼「」
榛名「でも、榛名は…あくまでも私個人は、提督とあなたを信じてみたいです。艦娘に初見で土下座する将校さんなんて、榛名は出会ったことありませんでしたから」フフッ
榛名「はじめは…その…正直に申しますと、疑っていました。また上手く口車に乗せて榛名達に痛い目を見させようなんて事を考えているんじゃないかと。でも、さっきあなたが私を庇った際に、一瞬の判断だったのにも関わらず金剛お姉様を優しく地面に寝かせたのを見て、思ったんです。『この人なら、私達を大切に扱ってくれるかもしれない』って」
榛名「私はこの世界に生きる上で、最後の信頼をあなたと提督に預けてみようと思います。この6年間で、榛名達はあまりにも多くの仲間を失いました。たった6年の間でです。もう、以前の榛名達には戻れない。だから、あなた方が最後の希望なんです。」
榛名「ですから、顔を上げてください。憲兵さん」
この6年間、死んだ方がマシな生活を送ってきたのにも関わらず、俺を信頼してくれるというのか。土下座した瞬間、殴られ蹴られを覚悟していたが、それすらすぐもせず、『信じます』と言ってくれた、こんなにも純粋で真っ直ぐな彼女が、どうして酷い理不尽を被らねばならないんだ。そんな中でも声色を必死に和らげ、目の前の、側からみれば憎き海軍将校に信用を寄せてくれる。彼女たち艦娘は、本来はこういう模範中の模範である性格なのに、なぜその性格を歪めねばならないんだ。俺は彼女たちのことを自分なりに考えて見ただけで、目頭が熱くなる。
九鬼「グスッ…ごめんなさい……ごめんなさい…」
俺はただ、謝ることしかできない。同じ海軍の人間としての申し訳なさと、憲兵でありながらこの娘達を長く苦しめてしまった自責の念で、涙が止まらなくなる。
九鬼「グスッ…うわぁ…あぁあ…」ポロポロ
榛名(艦娘の為にここまで泣いてくれる…やっぱり、この人なら、変えてくれるかもしれない…)
ーーー5分後ーーー
ひとしきり泣いてしまったこと、救うはずの身なのにこんな醜態を晒した事が今になって恥ずかしくなってきてしまう。
九鬼「申し訳ありません…情けないところを見せてしまって…」
榛名「フフッ、今までの残虐な将校達と違って、すごく人間味溢れる方ですね」
心なしか、少し馬鹿にされた気がする。まぁでも、笑顔になってくれたなら良いか。そこで用事を思い出す。薬を渡すんだった。
九鬼「榛名さん、実は渡したいものがありまして…」
九鬼「このお薬を飲んでくださいませんか?」テワタシ
榛名「これは…?」クビカシゲ
九鬼「この薬は、緊急時に飲むと体の疲労と傷を取り除いてくれる薬です」
榛名「…」
眉を寄せためらい気味に受け取る。まだ出会ってまもない、それも赤井と同じく海軍の人間からの薬なんて虐待を受け続けた榛名からしたら飲みたくないよな。
九鬼「私からではありませんよ。それは、菅野中将からのものです」
榛名「提督からの…」ウケトリ
恐る恐る薬を眺める榛名。そのうち、その表情は驚きのものへと変わる。そこには、菅野教官からの温かいメッセージ。
『久しぶりだな!!
今まで助けてやれず、本当にすまなかった。許してくれとは言わないが、俺達海軍は近いうちに、必ず信頼できる司令官を呉に送る。だから、その時までどうか耐えてくれ。これは、お前たち艦娘の傷を治してくれる錠剤だ。今はこれくらいしかできないけど、少しでも役に立てばいいと思ってる。必ず救い出す。だからもう少しだけ、我慢してくれ。 菅野より』
手紙を読み終えた榛名は、少し下を向き、その手紙を大切に抱え込んで胸の前で握りしめる。
榛名「う、うぅ…提督………榛名は辛かったです…だ、大丈夫じゃないです…」ポロポロ
顔をくしゃくしゃにして泣く榛名に、俺はどうすることも出来なかった。今の俺には、この娘の心の傷も体の傷も癒せない。そんな自分に、目の前で起きている理不尽すら解決できない自分に、憤りを覚え腕につけている部隊マークの腕章を強く握りしめた。
ひとしきり泣いた榛名は、その涙を拭って薬の袋を開ける。どうやら菅野教官からのものだと分かって覚悟を決めたようだ。
榛名「で、では…いただきます!」ゴクッ
勢いのままに榛名は薬を口に放り込んで、そのまま飲み込んだ。
どんな変化が起こるのだろうかと注意して様子を見ていると、驚いた事に、榛名の全身のあざと傷が消え失せ、気力の抜けた疲労感満載の顔も、手入れの行き届いてない髪の毛も、元通りの艶のあるものへと戻っていった。
榛名「こ、これは…!」
九鬼「すごい…一気に回復した…」
2人して唖然としていると、無線から連絡が入った。
菅野『おうおう、お二人さん!薬の効果はどうだったかー?』
九鬼「!、教官!」
榛名「え!?て、提督!?」
九鬼「すごいですよ教官!榛名さん、本当にボロボロだったのが、一瞬で元に戻りました!まぁ、衣服はまだボロいんですけど…」
菅野『ハハ、まぁ、服は我慢してくれや!その薬はなぁ、横須賀の山本元帥のトコの明石が作ってくれた薬だ。死んでさえいなけりゃ、どんな怪我の傷も疲労もたちどころに良くなるからなぁ!』
九鬼「な、なるほど…それで…」
榛名「け、憲兵さん!私も、提督とお話をさせてください!」
元気になった榛名は俺に迫り、急かすようにお願いをした。彼女の目に映っていたのは、教官の笑顔のようにも思えた。
九鬼「は、はい、少し待ってくださいね…よし、これを耳につけてお話ししてください」サシダシ
榛名「は、はい」ソウチャク
そして、胸に手を置き、一息吸ってから、言葉をイヤホンに落とし始める。
榛名「…提督?き、聞こえますか?私です。は、榛名です」ソワソワ
菅野『…久しぶりだな、榛名』
榛名「…!!」
菅野教官からの声が聞こえたのだろうか。榛名は目を綻ばせ右手でその口を抑える。必死に嗚咽を抑えながら、涙をハラハラと零し耳を必死に傾けて、その懐かしいであろう声を、6年ぶりの彼の声を、その頭に染み渡らせているように感じた。
榛名「は、榛名の事、覚えてくれていますか?わ、わた、しは…ずっと、あなたを…待っていたんですよ…?」グスッ
菅野『…すまない。本当に待たせたな、榛名。その、辛かったな』
榛名「榛名は、榛名は…」
菅野『…皆のことを守ってくれて、本当にありがとう、榛名。お前は、俺の誇りだ』
榛名「あぁ…」ポロポロ
「うわぁぁあぁん!!」オオナキ
菅野『…榛名…』
榛名「寂しかったです!私、でいどくの声がずっとぎぎだかっだですぅぅ!!」オオナキ
膝から崩れ落ちて子供のようにワンワンと榛名は泣く。吹雪同様、ダムが崩れるかのように、溜まっていた感情を吐き出していく。
榛名「ていどぐぅ〜!」ゴウキュウ
ーー榛名はそれから壁にもたれかかってひとしきり泣いた。提督というワードを連呼して泣きに泣いた。やはり、この鎮守府は艦娘達の純粋で真っ直ぐな心が耐えられるような場所ではなかった。榛名といい、吹雪といい、こんな理不尽を被って日々を生き抜いた事が、どれだけの苦痛だったのかと、俺は改めて感じた。やはり、今の海軍は正さねばならない。国を守ってくれる彼女達がこんな事になるような世界を変えなければならない。
それからしばらくして、榛名はゆっくりと泣き止んだ。やはり麗しい乙女の、傷心した涙は心にくるものがある。
九鬼「 …落ち着きましたか?」
榛名「…グスッ…はい」
九鬼「…榛名さん、その、申し訳ないのですが、そろそろ行かなければなりません」
榛名「え…?」
九鬼「これからこの鎮守府の施設の状態を調査して、それを菅野中将、引いては横須賀の山本元帥にご報告をせねばならないんです」
榛名「そうなんですか…」
九鬼「これから新しくやってくる司令官に、どのような支援が必要なのか、そして皆さんに必要なケアなんかも検討をする必要があります」
榛名「その、新しい提督はいつ頃来られるんですか?」
九鬼「すみません、それが、具体的な時期はまだ未定なんです。ただ、近いうちに必ず赴任します」
榛名「…そうですか」シュン
九鬼(…とはいえ、もうこの鎮守府は、菅野教官でないと治めきれない気がする。榛名さんだったからなんとか打ち解けられたけど、それ以外の艦娘だったら今よりも酷い状態になりそうだ…)
九鬼(適任者なんて、本当にいるのか…?)
榛名「…あの、」
九鬼「なんでしょうか?」
榛名「これは、榛名の勝手なわがままなのですが、その…」
歯切れの悪さを目立たせながら、モゴモゴと言葉を並べる。
榛名「できれば、憲兵さんが着任してほしいです」チラッ
九鬼「…へ?」
榛名「その、これまでのお話なんかを聞いて、貴方なら私たちを大切にしてくれると感じました。その真っ直ぐな瞳は、初対面でしたけどなんだか安心できたんです。正義感に溢れていて、それでいて人に寄り添える目をしています。まるで、菅野提督その人を彷彿とさせていますよ」フフッ
九鬼「…俺が、ですか」
榛名「ええ、是非ともこのお話を、菅野提督にお伝えください」ニコッ
九鬼「…わかりました。榛名さんが私を信じてくれるなら、私も貴方の言葉を信じます」
九鬼(提督か…一憲兵の俺に務まるものかはわからないけど、榛名さんがそう言ってくれるなら、やるだけやってみようかな…)
その時、イヤホンから聴き慣れた声が聞こえる。
菅野『九鬼、聞こえるか?これから鎮守府の調査を実施しろ。提督執務室はじめ、徹底的に調べ上げてくれ』
どうやら、任務に戻らねばならないらしい。少し名残惜しいが、榛名さんとはここでお別れだ。
九鬼「教官、流石にボロボロの榛名さん達を取り残すことはできません。なんとかできないでしょうか?」
菅野『分かってるよ。今、呉の本館から飯を積んだトラックが向かってる。半年分はあるから、大丈夫だろう』
九鬼「…了解です。ではこれより立ち入り調査を開始します」
菅野『あぁ、頼んだぞ』
九鬼「では、榛名さん。そろそろ行きます。今、呉の本館から食糧を乗せたトラックが向かってます。半年分の量はありますから、なんとか持ち堪えてください」
榛名「わかりました。では、一時のお別れですね」
九鬼「良い結果を、期待していてください」ケイレイ
榛名「…待っていますね」ニコッ
榛名さんの笑顔を横目に、鎮守府内の調査に向かう。優しい陽の光が、廃墟と化した鎮守府の廊下を不気味なまでに美しく照らしていた。
今後とも宜しくお願いいたします。