護衛艦はぐろが混成艦隊の陣形から離脱し、中国海軍の将兵救助へと向かった時、艦隊司令部では撤退への準備を進めていた。
かが艦長「よし、ではこれより我々は佐世保へ向けて帰投する。対空、対潜警戒は緩めるな。」
かが幹部「艦長、救助ははぐろ1隻のみで大丈夫でしょうか…?」
CIC内の2等海尉が心配そうな表情で艦長に問いかける。
しかし、その心配は艦長もまた同様であったのだ。
艦長「当該海域の敵艦艇は全て戦闘能力を喪失していると、付近の潜水艦隊から打電があったが…」
艦長の彼は底知れぬ不安を感じていた。
『窮鼠猫を噛む』という言葉があるように、追い詰められた敵が何かとんでもない行動に出るのではないのかという考えが頭から離れなかった。
しかし、第4護衛隊群の司令部の命令には、いくら彼でも逆らえない。渋々帰投を選択する以外になかったのである。
艦長「仕方があるまい。明確な根拠なしに、司令部の命令に逆らうことは出来ん。ここは、大人しく帰投しよう。」
周りを見回し、艦長は言った。
艦長「副長、はぐろ以外の全艦に打電。『佐世保ニ帰投セヨ』。また、はぐろにも『貴艦ノ安全ヲ祈ル』と送れ。」
ー護衛艦はぐろ艦内ー
艦隊が佐世保へ帰投を始めた頃、はぐろのCIC内の九鬼、橋本、そして副長の美山の3人は、付近のモニターを見ながら話し合いをしていた。
九鬼「…『貴艦ノ安全ヲ祈ル』か…敵に道徳が有ってくれたら良いんだけどな。」
美山「実際、そこの所は我々ではどうしようもできんからな。ある種、祈るしかあるまい。」
橋本「正直、彼らが大人しくこちらの言う事を聞いてくれるとは思いませんが…」
九鬼「だけど、もう戦闘は終わったんだ。俺達は自衛隊として、1人でも多くの命を救わなくちゃならない。たとえそれが、さっきまで殺し合った敵だとしてもだ。」
しかし、橋本はいまいち納得のできない顔をしていた。
というより、彼は中国兵からの戦闘行動時以外での攻撃を恐れていた。こちらが死んでしまっては本末転倒。彼の中での戦闘はまだ終わってはいないのだ。
橋本「…この艦だと、収容できる人数は50人が限界です。恐らく、敵兵は少なくとも500人はいます。とても、この船だけで対処できる問題では…」
美山「そのために、先程『こんごう』、『ちょうかい』、『いせ』から内火艇を借りたんじゃないか。」
橋本「それはそうですが…」
九鬼「橋本。悪いが、『見捨てる』なんて選択肢は、更々無いぞ。」
歯切れの悪い受け答えを繰り返す橋本に、九鬼は切り込む。
3年間連れ添った部下の彼が、内心で考えていることなど容易に理解できるのだ。
橋本「!それは!」
核心をつかれた彼は、慌てて食い下がる。
九鬼「…さっきも言ったが、もう戦闘は終わった。不安が消えないのは皆同じさ。」
九鬼「でもな、橋本。俺達が敵対心剥き出しで彼らにあたってみろ。そんなの、すぐに勘付かれるぜ?彼らと少しでも穏便に事を済ます。それを今は優先して考えるべきだ。」
橋本「しかし…」
美山「橋本3曹、司令部も、就役して10年ちょっとのイージス艦をのこのこ敵前に晒すような馬鹿な真似はせん。艦長の判断を安全と判断したからこそ、この作戦を了承したんだ。」
美山「不安なのは皆同じさ。やるしかないんだ。」
橋本「…了解です。取り乱してしまい、申し訳ありません。」
その後、橋本の素直な謝罪でその場は収まった。
だか、九鬼自身は、橋本にそう返しつつも、今まで見たこともない相棒の必死さに不安を覚えていた。
それには明確な根拠はない。ただただ、本能に訴えかけてくる、漠然とした『何か』なのだ。
ー1時間後、現場海域にてー
はぐろは対潜警戒を厳にしつつ、25ノットで当該海域に到着した。
しかし、そこには見るに耐えない惨状が広がっていた。
まず、その海域にはフリゲートが3隻、駆逐艦が1隻、いずれも損傷した状態で漂っていた。
中でも酷い状態なのは、1隻の駆逐艦。この艦は大破状態であったが、驚いたことに、艦橋の構造物が存在していなかった。
その艦ははぐろと同じ防空特化の艦艇で、海自艦隊の初撃のJトマホークミサイルの攻撃を真っ先に食らった前衛艦隊の内の1隻であった。その為、艦の左舷から艦橋の付け根にかけて、大きな破孔が確認できる。恐らく、この破孔が艦橋を消し飛ばした原因だろう。
その様子をカメラで確認した九鬼たちは、改めて戦闘の激しさを痛感した。そして、自分等の攻撃は、現実として敵の艦艇を消し飛ばした事もその目で認識した。
九鬼「こりゃ、生存者はいるのか……?」
目を見開いたまま九鬼は言葉をこぼす。それは、艦長を含めて全員が同様であった。
艦長「とにかく、まずは海面上の生存者を確認しよう。その中に士官がいれば、その者に詳細を聞けばよい。」
美山「CICから艦橋へ、艦橋要員は全力を上げて敵の生存者を捜索せよ。どんな手段を使っても探し出せ。」
航海長『こちら艦橋。了解した。』
艦長「内火艇も出せ。全てだ。できるだけ多くの兵士を救出する。」
その後、はぐろは内火艇と艦橋からの2つで生存者の捜索を開始。幸いにも海面は穏やかであったので、救助活動は難なく進んでいった。
しかし、海面上の漂流中の敵兵の容態は、間近で救助を進める自衛官達の心を削ぐなんとも痛ましいものであった。
例を挙げると、彼等が生存者だと思って引き上げた兵士が上半身のみだったり、引き上げられたことに安心して内火艇の中で絶命したり、その内火艇の中でPTSDを発症して自衛官に暴行を加えたりと、様々であった。
その中で健康的で精神も病んでいない人間はおよそ300人の生存者の中で、50名にも満たない悲惨な状況だった。
そんな中、内火艇にて生存者を救出していく中で、有る者がはぐろの艦長の耳に入った。
艦長「…何?少佐の階級の者がいたのか?」
その有る者とは、敵の大破した駆逐艦の砲雷長の士官だと言う。
この人物なら、現在の中国艦隊の状況をある程度把握している、そう判断した艦長は、その者を応接室に呼ぶよう命じた。
ー20分後、はぐろ応接室にてー
コンコンコン「艦長、中国海軍の少佐をお連れしました。」
艦長「入れ。」
ガチャ「失礼します。」
お目当ての士官と、その引率の3等海尉、そして、警衛の為に武装した自衛官2名、翻訳のできる1等海尉が入室した。
3尉「艦長、こちらがその少佐の方です。」
艦長は椅子から立ち上がり、その者に近づく。
艦長「初めまして、私は、海上自衛隊、護衛艦はぐろの艦長を務めております。松永1等海佐です」
凛とした顔で艦長は無駄のない敬礼を送る。
それに対して、中国の士官は、答礼を返した。
士官「艦長直々のご挨拶、感謝致します。私は、中国人民解放軍海軍所属、駆逐艦成都の砲雷長、林(リン)海軍少佐です。どうぞ宜しく。」
林と語るその男は、身長160センチ前後、体系も痩せ型とかなり小柄で、見たところの年齢は40〜45歳あたりだろうか。少々頭髪が後退し、さながら猿のような偏屈な表情を浮かべた人物であった。
艦長「林少佐、どうぞお掛けになってください」
笑顔で松永は席を薦める。
林「これはこれは、ありがとうございます」ニコッ
艦長「まず、少佐にこちらに来ていただいた経緯をご説明いたします」
それから、松永はこの艦は負傷兵の救助の為に駆けつけたこと、自衛隊として敵味方関係なく救える命は全て救いたいということ、そして当然ながら、攻撃の意志は全く無いことを林に説明した。
林「なるほど…では、我々は皆様のご厚意にあやかってもよいのですか?」
艦長「勿論です。皆様を、我々は海上自衛隊のゲストとして歓迎いたします」ニコッ
林「ありがとうございます。短い間ですが、どうかよろしくお願いいたします」ニヤ
一瞬浮かべた林の不気味な笑みに多少不安を覚えた松永であったが、大して気にもせず差し出された手を握った。
林「艦長殿、さっそくお願いがあるのですが」
艦長「?なんでしょうか?」
林「私を、艦橋に連れて行っていただきたいのです」
艦長「艦橋?それは、どうして?」
林「なに、変なことではございません。ただ、艦橋からの方が負傷者が探しやすいと思いまして」
艦長「それであれば、現場の者に任せていただいて結構ですよ。少佐もお疲れでしょうから、案内するお部屋でお休み下さい」
林「実は、そういう訳にもいかなくてですなぁ…」
林がニヤけながらおずおずとそう答える。
艦長「と、言いますと?」
林「実は、あの海面のどこかに私の所属艦の艦長の男がおるのですよ」ニヤニヤ
まるで江戸時代の悪代官のような笑みで答える。
艦長(な、なんなんださっきから…気味の悪い男だな…)
艦長「そういうことでしたか、分かりました。より上の階級の方がおられるのなら、こちらからもご協力の程お願いしたいです」
林「ありがとうございます♪」ニヤ
艦長「少佐を艦橋に案内するぞ」
3等海尉「は!」
ー艦橋へ移動中ー
艦長「しかし、少佐、お怪我の方は大丈夫なのですか?」
林「えぇ、私は幸いにも被弾箇所から離れた所におりましたので、特には。」
艦長「そうですか…」
林「…艦長殿は、我々の心配をしてくださるのですか?」
艦長「えぇ、同じ人間なので、我々がどれほどの命を奪ってしまったのかと思うと…」
松永は、苦虫を噛み潰したような顔つきで答える。そんな彼からは、軍人としてよりも、1人の優しき男としての影しか読み取れなかった。
林「やはり、自衛隊というのは優しい方々なのですね。あなたを見ていると、それがひしひしと伝わってくる。」
艦長「…」
林「確か、かつての帝国海軍の駆逐艦『雷』の艦長殿の、工藤中佐もあなた方のように、危険を顧みず英兵を助けたという話を聞いたことがあります。」
艦長「…スラバヤ沖海戦のことですな。しかし、よくご存知で」
林「日本海軍はこの東亜の海軍の元祖とも言うべき存在ですからね。武士道に富んだこのエピソードは、私も好きなお話ですよ」ニヤ
林「ですが、戦場において情けは時に命取りとなる。あなた方の厚意には感謝しかありませんが、それはあなたも頭に入れておいた方がよいでしょうな」
艦長「…はい。ご助言、感謝致します」ニッ
林「…私のような、いわゆる『卑怯』な人間もおりますので」ニヤッ
ここにきて、対面当初から松永が感じていたこの男への不信感が、とうとう確信へと変わった。
その瞬間、男はズボンのポケットから何やらボタンのような装置を取り出す。
刹那、松永は自らの警戒心の緩さを後悔した。
この男の乗艦していた最新鋭駆逐艦は、もし敵に捕虜とされても、超遠隔から主砲射撃を行えるリモコンが装備されており、その主砲もCICとのデータリンクを介さない仕組みでも射撃できる為、現在大破航行不能の駆逐艦『成都』でも射撃できるのだ。
そして現在、はぐろと成都の位置関係は同航状態。そして距離は僅かに150メートルしか離れていなかった。
その距離から正確無二な砲撃を喰らえば、装甲のないイージス艦など木っ端微塵に吹き飛ぶ。
松永「…!コイツを殺せ!!撃て!」
松永はすかさず隣の武装自衛官に射殺を命じた。
しかし、自衛官は一瞬躊躇してしまった。その訳は簡単。
彼が『自衛隊』であったからだ。
その時、松永の中の世界は、とてもゆっくりと動いていた。林が装置に手をかける瞬間も、自衛官が小銃を一瞬待ってから射撃した瞬間も、全てだ。
松永は、自身の判断と、自らが『軍人』になれていない事に後悔した。彼は、駆逐艦雷の艦長、工藤中佐のような高貴な武士道に一瞬憧れを抱いてしまったが為に今回の救助作戦を立案した節があった。しかし、相手を見極めず誰でも彼でも言うことを聞いてくれるはずなどない。あの時工藤中佐が救ったロイヤルネイビーと、中国海軍とでは話が違うことを、彼は私情に邪魔されて忘れていたのだ。
そして、次の瞬間に聞こえたつんざくような射撃音が、松永が聞いた最期の音だった。
それから、5分後、護衛艦はぐろは、真っ黒な黒煙と半分欠損した悲惨な艦橋を晒して傾斜を始めていた。勿論直撃弾を受けた艦橋の自衛官は全員が即死。吹っ飛ばされた艦橋ごと、跡形もなく消し飛んだ。
被害はそれだけに留まらず、はぐろの心臓部であるCIC内にまで爆風は及び、めちゃくちゃに破壊されてしまっていた。
まるで映画のセットのような、瓦礫まみれのはぐろCIC内は死体で溢れ、先ほどまで救助に全力を尽くしていた彼等が、瞬き一つもしない内に亡骸へと変わり果てた。
瓦礫に押しつぶされ圧死した者、衝撃のせいで頭を強打し死亡した者、様々である。
しかしながら、ある男だけは絶命寸前で息をしていた。
それこそが九鬼なのである。
ーふと目を覚ますと、そこは地獄の光景だった。
正直、何が起こったのかはまだ整理がつかない。しかしながら、自分はまだ何とか生きているという事だけは理解ができた。
血生臭く、それでいて辺り一帯に立ち込めるこの煙の匂いが、激痛の響く鼻にツンとくる。恐らく、鼻の骨、そして頭蓋骨の一部が折れているんだろう。脳みそを直接殴られているような、感じたこともない激痛を伴いながら何とか目を開ける。
その時見た光景に、俺はただただ絶望をするしか無かった。
九鬼「あ、あぁ…」
床に突っ伏しながら見たその景色は、色に例えると赤黒かった。
CIC内ではあちらこちらから火の手が上がり、電気回路は勿論全滅、室内のモニターやその他の電子機器は床に惨めに原型を失って散乱し、それが包むように同僚たちに覆いかぶさっていた。
彼らを間近で見てはいないが、恐らくもう手遅れ。積み重なるように倒れる彼らは、見るに耐えない有様で、損傷の激しい者ばかりだ。
混乱と怒り、そして色々な感情が一度に押し寄せてきた俺は、激しい吐き気を覚えた。
九鬼「ウ…オェ……」ビチャビチャ
九鬼「…!」
吐瀉物は、胃の内容物ではない。血だった。
そこで自分の今の姿を見渡すと、何とか瓦礫に押し潰されるのは回避していたが、全身からの出血が著しく、右腕の肘から下が見当たらなかった。
だが、もはや絶望はしない。もうそんなことをする気力も、痛みに悶える力ももう残されていなかった。恐らく、俺ももうすぐ死ぬんだろう。
腹の方に目をやると、何やら場に似合わないピンク色の細長い管のようなものが伸びていた。
九鬼「まさか…」
恐る恐る触ってみると、そいつは腸だった。そして、運の悪い事にまだ神経回路が繋がっている。
九鬼「痛ってぇ…!」
これまた激痛だが、悶える体力ももうない。
ボヤける頭で考えついたのは、相棒の安否だ。橋本はどうなったんだろうか?まだ生きているのかもしれない。
そんな淡い期待を抱いていたのも束の間、隣にいたはずの橋本は、どこにも見当たらない。
九鬼「ぐっ‥橋本、どこだ…?」ハァ、ハァ
その時、瓦礫の山の中の端に手のひらが映った。そして、その手のひらの、野球部にだけできる特徴的なマメを見て、それが誰の手なのかがはっきりした。
橋本だ。
3年間の高校野球生活で、血反吐を吐くほどバットを振り続けたその努力の爪痕が任官してからも残っていたアイツの手は、もう動く気配を見せない。
同じ元高校球児として、お互いの現役時代の話に花を咲かせ、時には仕事終わりに飲みに行き、趣味の艦これの話に没頭しすぎて若干引かれたり、共に協力して、リムパックで優秀賞を獲得し抱き合ったり、そんな相棒が何がなんだか分からないまま絶命している。そんなの、いくら何でも酷すぎる。
九鬼「お、おい…橋本、なぁって、ヘッチャラだよな?このくらい、早実の練習の方がきついだろ?おい、起きろよ…起きろって…」
だが、反応などあるはずもない。
九鬼「う…グスッ…橋本ぉ…」ポロポロ…
何でだろう。頭も体も、全身の激痛には涙が出ないのに、こいつの死には間髪入れずに涙が出た。こいつはしばしば上官の俺にズバズバとモノを言うすごい論理的な奴で、ストレスが溜まっている時なんかはこいつに嫌悪感を覚える時だってあった。でも、もうそんなコイツの声も聞けない。
相棒を失った、深い絶望感に襲われると共に全身が深い眠気に襲われる。それと同時に、今まで感じていたこの激痛も、段々と和らぎ穏やかな感覚に包まれていく。
人は死ぬ時に脳が大量の癒し成分を放出するという。そして、恐らくこれがそうなんだろう。
死後の世界というのはどういった物なんだろうか?最近、意味もなく考えることの多かった質問の答え合わせが、まさかこういった形でできるようになるとは。
段々瞼が重くなる。外からとてつもない爆発音が近付いてくる。多分、この船も、俺と共に力尽きる。
深い深い慟哭の暗闇に落ちていく俺がかろうじて最後の見たものは、真っ赤に燃える炎が迫ってくる、地獄の景色。全身を灼熱の業火に焼かれる感覚と共に、はぐろが海の底へと沈むのと時を同じくして、俺は意識を落とした。
ー護衛艦はぐろ、轟沈 戦死者202名ー
次回から本編をリメイクしながら展開していきます。拙い文書でしたが、読んでいただきありがとうございました。これからもお願いいたします。