これは、有史以来、いや、人間という生物がこの世に誕生した時からの最大の謎である。
しかし、その答えを知る者は現世にはいない。その理由は簡単。死んだ者は還ってこないから。臨死体験などの話も多々あるにはあるが、所詮は仮死状態である為に本当の死後の世界は誰も知らない。
そう、死んだ者にしか分からない。そして対馬沖にて壮絶な戦死を遂げた、九鬼駿斗2等海尉はその未知の世界を知ることとなる………
ーー先程まで聞こえていた業火が沸る音も、灼熱の熱さも、全身を駆け巡っていた痛みも感じない。ただ、自分が存在しているという感覚は確かにある。俺は、どうなったのだろうか?
あの時、確かに俺は死んだ。腕が吹っ飛ばされて、腸を腹からこぼし、全身から血を流して無惨に死んだ。それは確かなはず。
しかし、はっきり身体の存在を感じる。体中を駆け巡る血潮と一定で弾む心臓。四肢も確かについている。そして何より、外から光を感じられる…
恐る恐る目を開く。そこに広がっていた光景は、あの時見た悲惨なCICではなかった。
雲一つない満天の夜空。それが、俺が見た景色だった。うっすらと東の空がオレンジ色に染まっていることから、時間帯的には日の出前、暁の頃だろうか。
そして、俺は今分かったことだがどうやら仰向けで寝ているらしい。しかし、生きていたとしてもそれは洋上。ここは、確かな地面の感触を感じられる。
だとしたら、どこかの島に漂着した?しかし、背中に感じられる感触はコンクリートだし、長い間波に攫われていたんだから体もびしょ濡れのはずなのに、風呂上がりのようにすっきりとしている。
更に、視界に僅かに入っているが、俺は制帽を被っている。そして、体に纏っている衣服も感覚からして制服だ。なぜだ?さっきまで着ていたのは戦闘服のはず…
体に気を遣ってゆっくり上半身を起こす。やはり、傷の痛みは感じない。なんなら、身体の具合は絶好調だ。そして、体を見てみると、やはり無傷。そして、予想通り海自の制服姿だった。
全く訳が分からない。これじゃまるで違う世界に飛ばされたみたいじゃないか。
九鬼「…たく、一体何がどうなってる…ん?」
そう一言こぼしながら辺りを見回すと、そこは予想だにしない場所である事に気づく。俺はその光景に、ただただ唖然とするしか無かった。
左に見えるのは、複雑なクレーンと大きな入渠ドックが複数、ジャパンマリンユナイテッドの施設が多く見える。そして、海へと伸びるいくつもの桟橋を左右から挟むように停泊する軍艦たち。
その背後には小高い山々、そして、右には穏やかな海を挟んで点々と島々が浮かぶ。真後ろには、見覚えのある、れんが造りの建物が見える。
それは、『大和ミュージアム』。かつての帝国海軍の歴史を物語り、世界最強の戦艦、大和を知ることのできる博物館だ。
これで確信した。ここは、海上自衛隊最大の基地、広島県呉基地の周辺。そして、俺がいるこの場所は位置からして大和波止場ということになる。
どういうことだ?何が起こった??俺は、呉からははるか彼方の対馬沖で死んだはずだぞ?
困惑し冷や汗をかく俺の首筋を、海から吹く穏やかな風が冷やす。そして、遠方にかすかに見える商船の灯り。
九鬼「…懐かしいな」
確かにここは呉なんだ。吹く風も、周囲から感じられるこの匂いも、幹部候補生だった頃に感じていたものと全く同じだ。懐かしさを感じる。この海風が、俺を呉に誘ったようにも思われるほどに、幻影などではなく、確かに存在する物だった。
取り敢えず、まずは周囲を散策してみる事にする。まずは何がどうなって呉に飛ばされたのか、そして、本当にここはリアルな世界なのか、それとも黄泉の国なのか、それを確かねばならない。
ゆっくりと立ち上がってみる。少し心配であったが、驚くほどに体は無傷だった。足を動かしても、違和感すら感じない。これじゃまるで異世界に飛ばされたみたいじゃないか…
一歩一歩足を進めていく中で感じるこの街は、確かに呉だった。4年前、幹部候補生の時に何度も訪れたこの街は、思い出に溢れている。休日に外出した時は、大和ミュージアムの近くで海自好きの子供と写真を撮ったり、同期の奴らと大した目的もなく気ままに散策したり、日々の訓練と勉学で疲れた心を癒してくれたあの頃の記憶が続々と蘇ってくる。
物思いにふけっていたその時、大和ミュージアム前の橋頭にたたずむ1人の自衛官が見えた。
なにも感じない、人っ子1人いない奇妙なこの空間にポツンと立つその男、遠目からでも感じられるその親近感の湧く背中に、俺は思わず叫んだ。
九鬼「…!橋本!!」
40メートル程離れたところから確認したその自衛官は、他でもない橋本だった。
あの時瓦礫に埋もれて圧死した橋本も、どういうわけかこの異空間に存在していた。
橋本はこちらをゆっくりと振り返り、初めはボーッとしていたその顔が、段々と驚きの顔に変わっていく。やはり、顔立ちは端正だ。その橋本が、あんな無惨な死に方をするなんて、考えただけで鳥肌が止まらない。
橋本「2尉、また会えましたね!」
彼ははにかんでそう答える。その顔と、あの瓦礫に埋もれた中から見えた、血まみれの手の記憶が交錯する。
九鬼「そ、そうだな!」
橋本「無事だったんですね!良かったです!」
クールな橋本が珍しく浮かべたその笑顔が、今の俺には辛かった。
一瞬、俺はあの時の記憶のフラッシュバックのせいで、顔を歪めたのだと思う。橋本にそれを指摘された。
橋本「?、2尉、どうしたんですか?変な顔をして」
九鬼「…いや、その…」
余りにも純粋にそう聞く橋本に思わず言葉を濁してしまう。コイツは、自分が死んだ自覚が無いのだろうか?それとも、即死すぎて、記憶が混同しているのか。
あるいは、そもそもあの海戦の記憶すら無く、これは死んだ俺が見ている幻影なのか……
やはり、まだまだ心がこの異常事態に追いつかない。俺の中の本能がこの世界自体に警鐘を鳴らしているように思えてならない。
橋本「もしかして、俺が本当に死んだ身なのか怪しでるんですか?」
クールな顔に戻って俺にそう問いかける。
橋本「分かっていますよ。俺は確かにあの時死にました。はっきりと覚えています。何が起こったかを理解する前に、大量の瓦礫が倒れてきて、全身の骨がひしゃげる感覚があって……」
橋本「それ以上は、ちょっと言いたくないです。」
九鬼「…そうか」
九鬼「俺も、内臓がボロボロになって、腕もすっ飛んだ状態で事切れたから、お互いにむごい死に方したってことだな…」
橋本「……」
唇を噛みながら、お互いに顔を歪めて答える。俺も、橋本も、そして残りのはぐろの乗員もあの場で皆死んでいた事がこれではっきりした。
2人にしばしの沈黙が流れた後に、橋本が切り込む。
橋本「2尉、ここは、呉ですよね?」
九鬼「と、いうと?」
橋本「自分も呉にははぐろの寄港時に一度来た記憶があります。その時の記憶を辿って、呉の街並みを見てみようと思ったのですが…」
橋本「…何というか、全てが異様に感じるんです。この街は本当に生きているんだろうか、本当に自分達の知る呉、いや、自分達の知る日本なのかと」
橋本が麗しい目を細めて呟く。こんな状況でも映える橋本が、羨ましい。
九鬼「…俺も正直まだ混乱してる。何となくだが、この空も、空気も、風景も、そして海も、全く同じのように見えて全くの別物に感じてしょうがない」
その時、俺達の間をさぁっと風が吹き抜ける。乾いたその風は、まさにゴーストタウンに吹くような匂いを孕んでいる。途方に暮れるという言葉が、今の俺達にはぴったりだ。
九鬼「そういえば、お前も制服なんだな」
思い詰めていて気付かなかったが、橋本も黒のスーツ型の制服である冬用の制服を着用している。俺も現在はそうだが、やはりこの現在の状況と関係があるのだろうか…
しかし、同性の俺から見ても、コイツほど海上自衛隊の制服が似合う男はいないんじゃないのか?程よくつり上がった形の整った目に、シュッとした鼻、芸能界にいても遜色ない顔面偏差値だ。
そう思い橋本を頭からつま先まで見ていると、とある違和感に気づいた。
九鬼「ん?あれ?橋本、お前なんで幹部の制服を着ているんだ?」
そう、コイツは海自の制服こそ着ているが、いつも着用している海曹の制服ではなく、俺が着用している尉官の格好だった。
袖に引かれた特徴的な2本の金色のライン、内1本は太線で、もう片方は細い線。俺の階級の2等海尉の物だ。
九鬼(もしかして、俺の制服なのかな?)
首をかしげてそうも思ったが、俺は身長は165未満、橋本は180センチ近くはある。そもそも着れるサイズではない。やっぱ、何かおかしい。
橋本「…あ、本当ですね。でも、2尉もいつもと制服が違いますが…」
橋本も俺にそう返す。
よくよく見てみてると、俺も俺とて階級の異なる制服を着ている。
俺が着ていたのは、1本の細い金色のラインを2本の太線が挟むデザインの物。すなわち、3等海佐のものだった。
俺も橋本も、いずれもが進んだ階級の制服を着ている事が、ますます混乱を深める。
九鬼「本当に、ここはどこなんだ?まるで別物の世界線じゃないか……」
橋本「…2尉の仰るように、ここは恐らく別の世界なんじゃないでしょうか?」
橋本が、全てを理解した、凛とした顔で答える。
橋本「お互いに損傷が激しい状態で死んだのに、無傷で、それも完全回復した状態で意識を取り戻して、そして着ている被服も別物、挙句の果てには対馬沖から遥か彼方の呉に俺達は居る。着ている制服も階級もバラバラ…」
九鬼「…つまり?」
橋本「俺達は、『異世界転生』したんでしょうね」
大真面目な顔で、だいぶオタクチックな事をいう。普段ならここで即座にツッコミが入るが、この何もかもがおかしい状況では御名答という他にない。
九鬼「異世界転生ね…俺はそういうの大好きだけど、こんな形ではしたくなかったな…」
ーー異世界転生か、中々に面白い例えをするね。
俺達2人の背後から、突如として男性の声が聞こえる。
驚いて振り返った俺達の後ろには、身長にして155前後の、初老の男が立っていた。
九・橋「……!」
暁の灯りが照らし出すその男は、俺たちと同じく海自の幹部自衛官の制服を着ていた。
そして、うっすらとした灯りが照らす、その男の袖の金のラインの数が示す階級に、俺たち2人は、絶句した。
九・橋(海上幕僚長……!!)
佐官を示す太線よりも更に太いラインに、佐官と同じ太さのラインが3本、日本にただ1人しかいない、海上自衛隊のトップを担う者を象徴するものである。
たった2人だけの静かな世界の歯車を動かすように現れた男に、もう何が何だか分からないが、とにかく海自の最高指揮官を眼前に収めた俺は本能的に敬礼をする。
九鬼「幕僚長、お疲れ様です!!」(`・ω・´)ゞ
橋本「お疲れ様です!!」(`・ω・´)ゞ
2人して無駄のない敬礼を送ると、その男はゆっくりと答礼しながら答える。
男「…幕僚長??なんだいその役職は?」
九鬼「…え?」
俺は、困惑した。何を言っているんだ?その階級は間違いなく幕僚長じゃないか。もしかして、コイツも混同してるのか?
隣の橋本も、口をポカンと開けている。イケメンが台無しだ。
男「あぁ、そうか君達の世界ではその階級の者が海軍組織のトップなのか」
納得したようにその男は頷く。何を言っているかはさっぱりだ。
男「そういえば、戦後に帝国海軍は解体されて、およそ10年後に『海上自衛隊』として事実上海軍が復活したと、『雪風』が言っていたなぁ…懐かしいものだねぇ…」
1人で理由のわからんことを呟く。『戦後』?まるで、その歴史を傍観しているような立場で言うじゃないか。
それに『雪風』から聞いたって何なんだ?あの、陽炎型駆逐艦の8番艦の『雪風』の事だろうか。そんな艦これをしているわけでもあるまいし、働き過ぎで頭がおかしくなったんだろうか?それとも、ただの幽霊なのか?
俺と橋本がポカンとしているのに気付き、その男は思い出したかのように笑いながら言葉を続ける。
男「おぉっと、すまんすまん!まだ自己紹介をしていなかったね。急に現れてビックリしたろう、悪かったね」ハハハ
男「私は、日本国国防海軍、元帥海軍大将の山本五十六だ。宜しくね、九鬼『少佐』、橋本『中尉』」
さぁ、山本長官がまさかの現代に登場です。次回は、連合艦隊旗艦を務めた、あの艦娘が最初に登場です。どうか気長にお待ちいただければ嬉しいです。