こんにちは。もしくははじめまして。
目次ページにも書きましたが、本作は筆者の過去作『萌え声人類種の天敵系ロリっ娘リコリス vs 俺たちのちさたき vs ダークライ』の番外編として投稿していた『#-100? Long,Long Ago』を再編集し、個別に投稿し直したものとなります。ご了承ください。
その一円に足を踏み入れた時、彼は遠方に見えるあの建物を
日比谷第一生命館は、かの米国の大統領府であるという
かつて帝都に満ちていた文明の喧騒は最早遠く、道行く人影はどうにも
誰もが何かに怯え、
それは、九月も半ばに入って唐突に冷たくなった秋風の
肩掛け鞄の中に入った
行き交う人々の内、その青年だけが俯くこと無く顔を上げていた。進駐軍の英米人を除けば。
我が物顔で帝都を練り歩く異人に対し、内心忸怩たる思いを募らせながら、青年はあくまで厳粛な態度で歩いた。
───ふと、物陰の隘路に目が留まる。あの空襲を焼け残った、背の低い建物に挟まれたその暗がりには、ひとりの少女がぽつんと座り込んでいた。
糸のように細められた双眸。夕焼けめいた、もしくは血液にも似た臙脂色の和装。
一見すれば良家の子女の如き佇まいだが、その表情は恐ろしく暗い。何かよほど
年の頃は十六、七あたりだろうか。若く美人でこそあるものの、明らかに尋常ではない様子で、不逞の輩とて易々とは近づけまい。
さしもの青年も気味悪く思い、そもそも今は斯様な些事に
足早に、通り過ぎようとして─────。
「……かふっ」
奇妙な咳と共に、少女がその場に
胸を押さえて浅い呼吸を繰り返す少女を見て、青年はひどく動揺した。それが、南方諸島戦線の地獄において、疫病に侵された小隊の仲間たちの姿と重なったからだ。
「おい、君」
青年は意を決して少女に近づき、声をかけた。
己が靖国に往くのが数刻遅れたところで帝国の行く末は変わるまいが、彼女の病状は数刻の遅れが命取りになる。
天涯孤独の敗残兵たる青年とて───
「こっほ……。……こほ。どなたか……そこに、いらっしゃるのですか……?」
「君……そうか、目が。案ずるな、いま助けを呼んでやる。いや……それよりも、俺が医者に連れて行こう。立てるか?」
「お若い……ですのね。兵隊さん、ですか?」
「そうだ。……立てないなら無理をするな、負ぶって行ってやろう。体力には自信がある」
「まぁ……、こほっ。でしたら、すみませんが……お言葉に甘えて……」
───青年は、少女を助け起こし、跪き、背を向けた。
もうずいぶん前の話だが、彼には歳の離れた弟妹が居た。兵役で培った体力を抜きにしても、この程度は慣れたものだ。
少女の柔らかな手が首に回され、背中に体重がかかり、そして。
「御免」
肩口に異様な冷感を覚えた一秒後、すべては終わっていた。
鉄火場で鍛え上げられた兵士の本能は、混乱の最中にあってなお唐突な暴力に対処しようと
「…………」
細長い
「……、やれやれ。この国はどこまで物騒になるやら」
昼間でも仄暗い横道に、静かな呟きと哀れな屍を残し、少女はさらなる闇の奥に消えた。
◇ ◆ ◇ ◆
─────大日本帝国・国家安全保障調査局。
古くは明治政府の樹立以前、日ノ本の枢要にて創始された影の衆『
国体を脅かす犯罪者、あるいは悪逆の兆候を闇の中で討ち、以て平和の礎と為す秩序の剣。
かの組織によって各地から集められた
陰謀と流血の荒野に拠って立ち、世に蔓延る悪意を人知れず誅殺せしめる憂国の烈士。
陽の当たらぬ裏社会にて、彼女たちはこう呼ばれていた。
罪人の魂を、冥土へと流し渡す───
◇ ◆ ◇ ◆
皇紀弐千六百五年───昭和二〇年、或いは西暦一九四五年。
後に第二次世界大戦と呼ばれる戦禍と狂乱の時代が終わりを告げ、
あの八月十五日の
極東の小さな島国の身には余る野望。その
─────さて。
余人はともあれ、私個人はこれをどのように受け止めたのかと問われれば……存外、さして深刻に思ったわけでもない。
無論、相応の苦悩と悲嘆はあったが、それ以上驚くことも憂うことも無かった。
それどころか、
◇ ◆ ◇ ◆
秘匿組織『八咫烏』───今上の世での名を、大日本帝国・国家安全保障調査局という。
古くは明治政府の樹立以前、日本の枢要にて創始された影の衆であり、起源を辿れば
国体を脅かす犯罪者、あるいは悪逆の兆候を闇の中で討ち、以て平和の礎と為す秩序の剣である。
平和で安全、美しき日本。国民はみな規範意識に長け、心優しく温厚。
社会を乱す者の存在を許してはならない。存在していた痕跡も残さない。
消して、消して、消して、綺麗にする。危険は元々無かった。
今日の泰平と繁栄は、我ら日本国民の気質によって成り立っているのだ。
そう思えることが一番の幸福。それを作るのが、私たち影の衆の役目───であったのも、しばらく前までのこと。
『八咫烏』麾下、国家安全保障調査局には『
一つ。『鴉』が率い、男児を中心として構成される重装備兵団『
一つ。『雅』が率い、女児を中心として構成される暗殺者集団『
一つ。『
この内、『君影草』は開戦早々に軍部へと迎合し、一億玉砕の尖兵と成り果てた。
『八咫烏』は無分別な肉切り包丁に
『花菱』はそんな血の気の多い連中の抑えに回っていたが、軍閥の一員を任じながら戦地にも赴かず、政治闘争に明け暮れる
彼らはこの国の中枢たる皇家との
歴史を紐解けば、『花菱』は元々、幕府や政府の要人の影武者として働く滅私奉公の部隊だったそうだ。それが今や、命を賭してでも守るべき主人の立場を脅かしているとは、何と皮肉な話だろう。
では、斯様な時世の中で、残る『彼岸花』は何をしていたのかというと─────。
◇ ◆ ◇ ◆
東京都本所区は錦糸町の一角、先の大空襲の傷痕も癒えぬままの界隈に、奇跡的にも焼失を免れた建物がある。
戦前は昔ながらの茶屋を営んでいたという以外は、これといった特徴も無い古民家。───この吹けば飛びそうな
信じ
「只今戻りました」
前線拠点とは言っても、ここに詰めている
……というより。マコトと
「───あぁ。戻ったか、
引き戸を開けつつ条件反射で呟いた私に、奥でふんぞり返っている女が返事を寄越す。
この日本人離れした長身の美人は、現在の『彼岸花』司令官・
偶然ながら、私が組織に勧誘される……つまり視力を失う以前から近所に住んでいたので、人相は記憶している。沖縄出身らしくやや色黒で、これまた日本人離れした赤毛の持ち主だ。事務仕事の時は眼鏡をかける。
元々は『花菱』に属する外交官であり、また利害調整部門として『八咫烏』全体の動向を監査する裁定者でもあった。
しかし、その古巣が軍部との
前任の『彼岸花』司令官を
こうして政府の空洞化を達成した後、停戦派が結束するのを陰ながら支援して
連合国側との戦後交渉に際しては、日本が占領した外地のみならず
結果だけ見れば救国の英雄と讃えられてもおかしくはないが、その業績は敵対者を文字通り
しかもそれらの所業を、愛国心からというより半ば趣味で遂行している節があり───つまるところこの女は、人狩りと権謀術数を
「この頃にしては楽な仕事でしたね。吹上と替わってあげたいくらいです」
で、こちらが私こと
幼い頃、流行り病によって両親を亡くし、自身も高熱で死にかけていたところを『彼岸花』に拾われ、治療と暗殺者になる教育を受けて育った。
この開かぬ目と若白髪は、そのとき患ったものだ。幸いにして
「お前には簡単過ぎる相手だったな。まぁ、この程度は朝飯前に
「あら、ということは次が本命ですか。今度は一体、どんな厄介な仕事を押し付けてくれるんです?」
「その前に……紹介しておきたい者が居る」
ほう? 二階から聞き慣れぬ足音がするとは思っていたが、御蔵座に報復するためやってきた『君影草』の兵士ではなかったのか。いや、もし奴らであったならば、とうに目の前の司令官殿が叩き殺しているか。
「ゆきな!」
「───はいっ、はい、はーい!!」
どたどた、ぴょこぴょこ。
昨今なかなか聞くことの無い元気な、悪く言えば阿呆のような女の声が響き渡った。
背丈は私と同じくらいだろうか。人間の体格など、直接見て取るには及ばない。声や足音から頭と脚の位置を割り出せば容易く知れる。
「彼女は?」
「えへへ……はじめまして!
確認を取るまでもなく、その少女───ゆきなは、進んで自己紹介をしてくれた。
「階級は乙号、出張中の花火との交換で京都から呼び寄せた。扱い
「ん、そういうことっ。よろしく相棒〜!!」
「あぁ、どうも。百束海里です」
普通に握手しようとしたところ、こちらの五指を
……筋肉こそしなやかだが、手の皮が厚く硬くなっている。
乙号と言えば、甲号に次ぐ優秀な
「ももつかみさと! 良いお名前だね。生まれはどの辺り?」
「生まれも育ちも東京です。そういう
「私は生まれも育ちも京都だよ〜。あ、失礼かもだけど歳はお幾つ?」
「十七ですけど……」
「わ~!? 私より一個お姉さんじゃん! 海里お姉様って呼んだ方がいい?」
「いえ、結構です。そこの司令官殿曰く、年功序列なんて悪習は豚にでも食わせた方が建設的らしいので」
「そっかぁ! 良いこと言うね木綿喜さん!」
あと近い。顔が近い。見えてなくても息と体温でわかるからなそういうの。
「顔合わせは済んだな。では、これより任務を下命する」
そしてこの人はこの人で、きっと心臓が
おまけに、友人を茶会に誘うが如く政府要人を暗殺してこいと
「百束海里、滝川ゆきな。諸君等に行方不明の元・陸軍少佐、
◇ ◆ ◇ ◆
会談の場所を建物二階に移す。
一階は御蔵座の
「松下蘭堂男爵───松下家第十四代当主、日露戦争で急増した戦功叙爵者の一人ですね。名古屋
波打つような焦茶(らしい)の癖毛と、やや舌っ足らずな声音が特徴の少女───御蔵座が既に死に体の
私やゆきなより七つか八つは年下の童女だが、若輩ながらにその見識眼の冴えは隔絶しており、御蔵座の豪腕と彼女の情報蒐集能力無くして『彼岸花』の活動は有り得ない。
「医学者なのに陸軍将校? 軍医として出征したならわかりますが」
「えぇ、実際に初めて軍役に就いた時はそうでした。戦場を経験して考え方が変わったんでしょう。軍医時代に培った人脈を活かして将官に転向した、異色の経歴の持ち主ですよ。
「ですわ~」
ゆきなが胡桃の語尾を繰り返す。どうも話に着いて来れていない様子だ。
まぁ、私だって所詮は組織に属する手足の一つであり、政治や戦略の方面に明るいわけではない。そんな面倒なものは御蔵座に任せておけばいい。
「しかし、どうして今更、退役済みの老人などを追わねばならないのです? 評判を聞く限り──確かに、現場の兵卒には顔が利くでしょうが──軍部の中枢に食い込んでいるという風情でもない」
「出世欲の有無なんて結局は当人の胸三寸ですから、図抜けた戦功と下々からの人気を兼ね備えた
「で、その水面下で手を組んでいた相手が問題だと」
「はい。現状、退役後の松下男爵の動静は
「とはいえこのご時世、軍部お抱えの暗部組織など『君影草』を筆頭に数十は下りません。特定できるのですか?」
「そこで、海里さんとゆきなさんの出番ですわっ」
「出番!」
人型の漬物石と化していたゆきなが跳ね起きる。私は未だ
「幾ら紙の資料を葬れても、人の記憶は容易く消し去ることが出来ません。お二人には市民の皆さんから直接話を聞き、男爵の足跡を辿っていただきます!」
「おー!!」
「……その途中で何らかの
大抵の下調べは胡桃と御蔵座が
何より、それらの負担が非戦闘員の二名に集中しているのは
「委細承知しました。では、行ってきます」
「胡桃ちゃん、色々説明ありがとー。行ってきまーす!」
……ところで、