地獄華異聞・皇紀弐千六百五年   作:ごまぬん。

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#2 Rome was not built in a day

 

 さて。意気揚々と拠点を飛び出してきたはいいが、これからどうしたものか。

 正直に言って、密使(スパイ)の仕事はあまり経験が無い。国全体が欧州列強との大戦(おおいく)さの渦中という特殊な時分に育った私たちの世代は、実は『彼岸花』としては促成栽培も良いところなのだ。

 お(かげ)で拳闘やら銃やら殺人の手管ばかり叩き込まれ、暗殺稼業に必要最低限の隠形(おんぎょう)を除けば、諜報の術など素人に毛が生えた程度しか身に着いていない───。

 

「えいやっ!!」

 

 ……などと、先行きを憂いていたのだけれど。

 

「うぅん、何度見ても豪快な円匙(シャベル)捌きだ。これは男だの女だの言ってられなくなる時代も近いやも知れん」

 

「あぁ……はい」

 

 件の松下元少佐、あるいは男爵の足跡を辿ること数日。

 人探しならまずは家探し、ということで我々が足を運んだのは、松下家の邸宅が所在するという杉並区の一角だ。

 帝都・東京を執拗に苛んだ連合軍による空襲も、実際のところ被害規模はまちまちであり、ここは比較的()()な部類で済んだ界隈と言える。見渡す限りが焼け野原の更地になっていないだけ、という意味では。

 

 とはいえ、我々が追い求める松下邸は──よりにもよって──世田谷区と隣接する南端の地域に位置しており、物の見事に焼夷弾の餌食となっていた。

 明治期よりその威容で知られ、長く激動の時代を見守ってきた和洋折衷建築とて、この通り燃え朽ちてしまえば形無しだ。

 

 市井の人々の話によれば、邸宅の主である松下とその妻もまた、三月十日の東京大焼殺にて屋敷と共に没したと推察されている。

 夫妻には二人の息子と一人の娘、長男一家の孫が一人居たというが、彼ら松下家所縁(ゆかり)の者が様子を見に来るようなことも無かった。

 さりとて、この国難の時代である。焼け残りとはいえ広大且つ()()()()な土地を腐らせておくのも勿体ないとばかりに、最初は命知らずの夜盗だか乞食だかが(ねぐら)にし、それが追い出されてからは近隣住民の農作地として勝手に利用されていたそうだ。

 

「───実は、小生の父と少佐殿……松下男爵は、長く戦地で共に過ごした間柄でしてな。小生も多少なり縁があるということで、復員早々ここらに派遣される運びとなったのです」

 

「なるほど。こちらには、作業が終われば何か建つのですか?」

 

「そうですなぁ。このまま不発弾でも見つからん限りは、進駐軍の事務所……いえ、この広さなら寄宿舎か、車の修理所にでもなるのでしょう。既に出来上がっている畑を掘り返すのも忍びないので、そこは上と話し合うつもりでありますが」

 

 並みの軍務より骨が折れる仕事です───と、肩幅の広い国民服姿の()()が苦笑する。今は役所の管財課辺りから来た責任者という名目で、一帯の土地(焼跡)の整理を任されている男だ。

 田舎での暮らしも愈々(いよいよ)困窮し、遠縁の親戚たる松下を頼って上京した女学生……という(てい)を装い、私たちがこの飯場に潜り込んで三日が経った。

 今は、まず棟梁率いる役人の一団が瓦礫の山を(あらた)め、危険が無いことを確認してから、円匙だのを使って撤去する作業を手伝っている。

 

「棟梁ー! これはどっちに置いてくればいいですかー?」

 

「あぁ、今の時間なら回収担当は北の方ですよ! 一人で運べますか?」

 

「全然平気ですっ! 私、力持ちなのでー!」

 

 男所帯の力仕事に年若い女子が二人、それも片方は(めしい)で戦力外とくれば白い目で見られもしたけれど、そこでこの滝川ゆきなの出番である。

 元より組織の彼岸花(暗殺者)は女だてらに血反吐を吐くような鍛錬を重ね、相応の身体能力を得ているが───ゆきなは、その中でもさらに桁が違う。

 素手で林檎(りんご)を握り潰し、大の男が三人がかりで運ぶような小岩をひょいと放り投げ、円匙を振るえば荒れ放題の焼跡が瞬く間に()()される。

 おまけに人当たりは良くて美人(私はそのご尊顔を拝んだ試しは無いが)ともなれば、やや残念な脳味噌の出来を差し引いてもお釣りが来るほどの優良物件だ。

 

「しかし、少佐殿にこのようなご親戚が居られたとは知りませなんだ。小生も子供の時分には、坊ちゃまやお嬢様とはよく遊んでおりましたが」

 

「いえ、()()()()の身の上ですから。両親が私を(おもんばか)って、医者以外の人間に会わせたがらなかったのです。ゆきなも、慣れぬ親戚付き合いよりは、私の世話を焼く方が性に合っていたようで」

 

「なんと……左様ですか。お察しします」

 

 いえいえ、と応じる。無辜の市民を騙すのは気が引けるが、これも仕事だ。

 大戦が終わり、御蔵座による政府内の大粛清も完遂された今後、『彼岸花』の活動はより注意深く隠匿されたものになるだろう。……進駐軍の気が変わって、一時期の独逸(ドイツ)や北方での蘇聯(ソヴィエト)のような狼藉を働かない限りは。

 そのために必要な予行演習と思えば、否やとは唱えられまい。

 

「それより。蘭堂のおじ様には、お子さんやお孫さんが居るという話でしたね?」

 

「えぇ、まぁ。ご長男とご次男は少佐殿と同じく陸軍で勤め、立派に役割を果たされましたが……確か、三男の彌太郎(やたろう)君が──存命かはともかく──神奈川の田舎の方に居るはずです。少佐殿が特に勇猛苛烈であったことを差し引いても、軍人の一家に生まれたとは思えぬほど穏やかな青年でしたから、いつぞやに()()()仲違いをしてそれきりだったようです」

 

 ずいぶん鼻の利く男だ。七十を超すであろう老人(松下蘭堂)の子世代なら、日本がまだ焼夷弾を落とされるのではなく落とす側だった時代に生まれたはず……などと思ってしまうのは、いささか意地が悪いだろうか。

 ───とはいえ、ここに来て新しい情報が拾えた。ようやく明確な進展だ、この機を逃す手は無い。

 

「ありがとうございます。貴重なお話を聞かせていただいて」

 

「なんの、ご親族の頼みとあれば当然のことですとも───おっと。撤収の時間ですな」

 

 懐中時計で刻限を確認した棟梁が方々に声をかけ、集まってきた作業員や現場監督から書類を受け取ったり、何かを書き込んだり、回し合ったりする。それが一通り済めば日当の支給だ。

 

「はいどうぞ」

 

「ありがとうございますー!!」

 

「ゆきなさんの働きぶりと海里さんのことを思えば、本当は三人分でも五人分でもお渡しすべきなのですが。これも決まりですので……いやはや、申し訳ない」

 

「とんでもございません。突然上がり込んできた私たちに、真っ当な額をくださるだけでも有難いですよ」

 

「おいおい、お前さんら! 華盛りのお嬢さんが男に混じって泥仕事たァ、並大抵の苦労じゃねェだろう。そう遠慮してちゃあいかん、今日もうちでメシ食ってけ!」

 

「そうですよ棟梁! ゆきなの姐さんの給料がこれっぽっちなんて有り得ないでしょっ。せめて食い物でくらい恩返ししないと!」

 

「え~!? いいんですか? じゃあっ」

 

「こら。ありがとう皆さん───ですが結構。今夜は連絡のついた友人の家に邪魔するつもりなのです。お気遣いだけ受け取っておきますね」

 

 危ない危ない、うちの優秀な猟犬を取られるところだった。

 まったく粗野な男どもで困るけれど……まぁ、焼け野原の上でも懸命に生きる気骨(タフネス)と陽気さは評価したい。

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 帰路、と呼ぶにはまだまだ馴染みの無い街道を行く。

 内地勤めの兵士が復員したこともあるが、杉並(ここら)には戦火で住処を追われた人口が多く流入したため、表通りは率直に言って意外なほどの活気で満ちていた。

 

「あー。今日もよく働いたなぁ」

 

「ご苦労様です」

 

 その一角で立ち止まり、()()()と引き戸を開け中に入る。

 創立はなんと文久二年、小規模ながら実に由緒正しき旅籠屋(はたごや)───要は旅館だ。

 

 国家安全保障調査局は強大な組織である。『君影草』と『花菱』が骨抜きとなり、事実上半壊してさえもそれは変わらない。

 ……御蔵座の眼鏡に適わなかった者、つまり職務と組織の大義に忠実でない人間は全員粛清された、というだけの話ではあるにせよ。

 

 この旅館で起きた立て籠もり事件を『彼岸花』が解決したのは四半世紀以上も前のことだが、爾来(じらい)、店主はずっと組織との裏取引を続けている。

 調査局はこうやって、日本の津々浦々に勢力を拡大してきた。嘘偽りが常道の組織が、最後に頼るのが人の恩とは、まったく皮肉な話だ。

 まぁ、食う物と潜伏拠点に困らないのは素直に有り難い。

 

 夕食と入浴を終えて夜更け。

 幸か不幸か、今日も出番の無かった()()()()の手入れをする。明日以降はどう転がるかわからない。

 

「それなに?」

 

 と、ゆきな。

 私からすれば、昭和の時世にもなって()()()()()などを得物にしている彼岸花の方が珍しいのだが。隠して持ち歩くにも一苦労だろうに。

 

「先代の使い手は『雀蜂(スズメバチ)』と呼んでいました。この硬度で細く、且つ長い錐……というか針を作れるのは、調査局お抱えの職人と工廠だけだそうです」

 

「へぇ〜。じゃあこっちは?」

 

「見ての通り手裏剣です。よく切れるので触っちゃ駄目ですよ」

 

「こっちは?」

 

「吹き矢ですね。先端の黒く濡れてる部分は毒で、触ると死にます」

 

「これは?」

 

「『虎爪(バグ・ナク)』と言います。印度(インド)伝来の暗器で、(てのひら)に隠して使うんです。これは鉤爪に圧力が掛かると毒の棘が飛び出す改良型ですから、くれぐれも触れないように」

 

「こっちは」

 

「『雷鳴(ウルミ)』。鞭のようにしなる刀剣ですね、これも印度伝来の武器を調査局の技術で改良したものです。扱いが難しいので、慣れない内は触れるべきではありません」

 

「それとこれ……」

 

「九四式拳銃を見るのは初めてですか? 素人が下手に触ると爆発します。気をつけて」

 

「……節操ないね」

 

「余計なお世話です」

 

 ちなみに同期の彼岸花の中なら、私などはまだまだ可愛い方だ。

 吹上の奴は懐に拳銃を八丁忍ばせているし、結華に至っては軍用の鋼鉄線(ワイヤー)で敵を絞め殺したり斬り飛ばしたりする。ああいう死に方だけはしたくない。

 

「それより、今日のところは早く休みましょう。明日の内に本部へ戻って報告を済ませて、神奈川行きの列車を手配してもらわなければなりません」

 

「はーい」

 

 暗器の整備を済ませ、電灯の明かりを落とす。

 さっさと布団に入って目を閉じる……おっと、目はずっと閉じているんだった。

 

「むんっ」

 

 ……、ゆきなが私の布団に潜り込んできた。何を考えている?

 

「何ですか急に」

 

「えへへー。このお宿も今夜までなんだよね? 最後にほら、ちょっとした思い出作りだよ。あと寒いし」

 

「そっちが本音か」

 

 言われてみれば、九月も半ばを過ぎて大いに肌寒くなってきていた。

 だから何だという話ではあるのだが、この穏やかで緩み切った心臓の音と、明らかに私より高い体温を足蹴にするのは……。

 

「───おやすみなさい」

 

「おやすみぃ。んふふ……くぅ」

 

 寝入るの早っ。

 

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