三保鉱山に踏み入ろうとしていた、謎の軍人連中を叩きのめしてからしばし経つ。
乱闘現場の事後処理を御蔵座の奴隷……もとい調査局の同胞に任せ、東京へ帰るのに一日。我らが司令殿と情報官の胡桃に得た情報を渡し、吟味、検討してもらうこと二週間。
「それでは、海里さんたちのおかげで判明したことをお伝えしますわ!」
ようやっと骨のある仕事だ。この二週間はゆきなと一緒に任務に出ていたが、私が出張るまでも無く彼女が全部斬り捨ててしまうので暇で仕方なかった。
たまに危ない場面が来た時は助け舟を出してやっていたから、断じて
「海里さんが捕らえた下士官からの証言を基に、松下男爵の動向を洗い直しました。新たに御蔵座司令が接収してきた機密文書によると、男爵は終戦直前のわずかな間、陸軍の防疫研究機関へと招かれていた時期があったようです」
「防疫研究というと、満州の」
───『関東軍防疫給水部本部』、秘匿通称号『七三一部隊』。
大陸は満州に拠点を置き、兵士の感染症予防と、それに付随して衛生的な水資源の確保・供給について研究していた部隊だ。
その看板に偽りこそ無かったものの、彼らは設立時点で既に戦争の狂気に侵されており、非人道的な人体実験や細菌兵器の開発に手を染めていたという。
本隊が外地に在るが故に調査局の手も簡単には届かず、今年の春に御蔵座の大粛清が始まってからも
必ずしも人を人とも思わぬ下劣畜生ばかりが殺人を犯すわけではないが、それでも越えてはならない一線というものがある……
「正確にはその弟分ですわね。通称号は『六一六部隊』───有事に際して研究資料を保存、移転するための予備組織のような趣でしたが、派閥争いの結果として双方の連帯感は皆無だったとのこと。敗戦の気配を察知するや否や、本隊より一年以上早く満州の施設を引き払い、研究成果を持ち逃げしています。内地に戻ってからは程なくして解隊……尤もこれは計画的なものだったようで、構成員は保有していた資産ごと各地に散らばりました」
「ふーん……? じゃあ、私たちが静岡でやっつけたのが、その悪い人たちなの?」
「えぇ。死体の中に、我々調査局の要警戒
胡桃がぱらぱらと紙をめくる音がする。
ちなみに完全な余談だが、彼女の書類を手繰る速度は御蔵座とほぼ同じである。随分と可愛がられてきたものと見える。
「しかし、その六一六部隊とやらと彌太郎氏の関係が解せませんね。彼らが男爵の薫陶を受けていたであろうことは想像がつきますが、軍部から距離を置いていたご子息と接触して何になるのでしょうか」
「そこが大事なのです。静岡のお屋敷は放棄されてはいましたけれど、本職の諜報組織ほど完璧な隠滅ではありませんでした。残っていたいくつかの私信と、ゆきなさんが坑道で見つけた資料を分析したところ……」
部屋の壁際に置かれた黒板まで移動し、何か大きな紙面を広げようとする胡桃。
背丈が低いので苦労しているようだ。ゆきなが手伝って事なきを得た。
「松下男爵が私兵を率いて、何らかの『計画』を進めていることがわかりましたの! 彌太郎氏は、父親の凶行を止めるために情報を集めていたらしく、彼らの拠点と思しき場所がいくつか炙り出せましたのよっ」
「で、その件についてだ」
うおっびっくりした。いきなり襖を開けて入ってきたのは、我らが御蔵座司令だ。
普段の司令殿は多忙ゆえ、一方的に任務を下達しては詳しい説明を胡桃に放り投げることが多いのだが、これは一体どういう風の吹き回しだ?
「実を言えば、今回の案件自体はお前たちを招集する前から動き始めていてな。敵の拠点にはいくらか見当がついていた。故にこの度、改めて手空きの彼岸花を偵察に送り込んだわけだが……何故か明らかに警備が厳しくなっていて、迂闊に近寄れなかったらしい。一部では衛兵に直接
「どういうことです? 調査局が昨今苦しい状況にあるのは周知の事実ですけれど、まさか
「我々はあくまで暗部組織だ、この国の営みすべてを差配しているわけではない。物資や伝令の流れを読み、先んじて網を張っていた輩が居るようだ。組織の浄化には必要な行いだったとはいえ、いささか派手に動き過ぎたやも知れん」
「あぁ、例の大粛清で警戒されてる自覚はあったんですか。つまるところ司令のせいでは?」
「謝らんぞ。私の命令を真に受けて唯々諾々と殺しまくったお前も同罪だ」
「ゆきな、この女今すぐ斬り捨てていいですよ。今この国で
「えぇ!? う……で、でも、木綿喜さんってばすごく優しいんだよ? お仕事がんばったら褒めてくれるし、おやつだってくれるし、私は悪い人じゃないと思うな……」
「おやゆきな、嬉しいことを言ってくれるじゃないか。そんなお前には特別にこの
「何が特別ですか私と胡桃にも寄越しやがれください」
もぐもぐ。まったくこのご時世に最中など、一体どこで手に入れてきたのやら。ごくん。おいしい。
小腹も満たされたところで、お茶を啜りながら作戦会議を続ける。
「彌太郎氏の足跡は掴めていないので? 情報提供者として協力してもらえるかも」
「残念だがもう不可能だ。三日前、逗子の田越川で上がった変死体の身元に調べがついた。身につけていた装飾品と歯の治療痕から、件の松下彌太郎で間違いないらしい。つい今朝方の報告だ」
思わず舌打ちが漏れた。ゆきなと胡桃が息を呑む音が聞こえる。……そんなに怖い顔をしていたか?
「私の粛清を免れるほど頭の回る軍部組織なら、人一人隠れて消す程度のことは造作もない。お前たちがあの襲撃に居合わせただけでも僥倖だった」
「首の皮一枚繋がったということですね。というか───そもそも」
何となくずっと話す機会が無かったけれど、そういえば一番肝心な部分を聞いていなかった。
国家安全保障調査局は無分別な肉切り包丁ではない。我らは日本の泰平のため、真に俗悪なる者のみに喰らいつく賢しき猟犬であらねばならぬ。
「結局、松下男爵とは何者なんですか?」
話し声が止まる。閉じた目では他人の顔色など窺えたものではないが、御蔵座は随分と微妙な表情をしているのだと思う。呼吸と心音を聞いていればわかる。
やがて司令殿は深く嘆息し、たっぷり間を置いてからようやく口を開いた。
「間諜の真似事までさせておいて、事の次第を隠そうというのは無理があるだろうな」
肺を病む種類の煙草は部下の子供たちに嫌われるため、『彼岸花』の司令官に就任してから
「───『PX作戦』。陸海軍部共同の極秘計画だ。
「疫学研究の
「その、計画を……松下男爵と六一六部隊が、今になって強行しようと動いている?」
「あぁ。私も
ここまで聞かせたからには敢えて言おう、半端な気持ちで居られても困る、と御蔵座は付け加えた。
「この任務は、我が国の安寧を護持すると共に、これからの世界の有り様を決めるための戦いだ。我々の手で流血と怨讐の連鎖を断ち切り、より永く、より善き人の世を築くためのな」
◇ ◆ ◇ ◆
二日後、我々は神奈川県は横須賀市観音崎沖───大日本帝国第三
『海堡』とは明治から大正にかけて建設された海上要塞のことであり、人工島の造成を伴うその計画は、当時の最新技術の粋を集めた一大事業であった。
この第三海堡も
同じく震災に遭いながら後年になって再利用された第一、第二海堡とは異なり、波浪による浸食も著しく、現在は事実上の漁礁あるいは暗礁と化した。
戦後にやって来た連合国の進駐軍も大した価値を認めず、精々が海上交通の邪魔になるという程度の指摘しかされていなかったわけだが───ここに来て事情が変わった。
震災で崩落して危険地帯とされ、まともな調査も
しかもその上、未確認の伊四○○型潜水艦──呉海軍工廠で起工されつつも直後に建造中止、解体されたはずの第五二三八号艦『伊四〇七』を基にしているらしい──までもが秘密裏に建造されつつあり、ほとんど潜水艦基地の様相を呈しているという。
我ら国家安全保障調査局が万全であれば絶対に見逃しようも無かった暴挙だが、何とも空恐ろしい話だ。
戦争が終わっても、世情が安定するまではこんな仕事ばかりかと思うと気が滅入る。先日の御蔵座の台詞は決して、脅しや誇張で済むものではない。
「しかし、それにしても壮観ですね。この面子が揃うの、去年の九月以来でしたか?」
一般の漁船に扮して海路を行く調査局保有の揚陸艇には、私とゆきなを含め都合六名の彼岸花が乗り込んでいる。今回の突入にあたって御蔵座が呼び戻した、臨時東京支部の同僚たちだ。
「
紅い和装(たぶん)の小柄な女───私と同じ甲号の彼岸花、
粗野で怒りっぽい一方で情には厚い、典型的な任侠者の類だ。揶揄うと面白いので嫌いなわけではないが、生真面目で規律にうるさい堅物なのでそこは嫌い。
甲号に昇進したのは私の方が先だったから、向こうも向こうでこっちを敵視している。自分で見えもしない服の色のことで突っかかられる私の身にもなって欲しい。言わないけど。
「確かに久々っすね! 一人見慣れない奴も居ますけど~」
青い和装(のはず)の乙号彼岸花、
私や吹上の後輩で銃の扱いに長ける。銃を拳の延長くらいにしか思っていない吹上とは違い、ちゃんと適正距離から狙って撃つ。体術も並み程度には出来る。
良くも悪くも素直で調子に乗りやすいのが玉に瑕だけれど、そこは吹上が手綱を握ることで補っているようだ。
「ゆきなって言ったか。あたしの出張と交換で東京に来たんだよな? ご苦労さん!
『よろしく~!』と喜色ばむゆきなと握手を交わす、背の高い彼女が花火。
何かと気風の良い姐さん気質で、階級こそ乙号ながら、御蔵座や吹上にも臆せず物を申す胆力がある。臨時東京支部における縁の下の力持ちと言ってもいい。
実力の面でも、小銃を用いた狙撃の精度はマコトを上回り、至近距離では達人級の銃剣術を振るう傑物だ。
「ぁ……え、えっと、
で、こっちの小動物みたいにもじもじしている乙号彼岸花が結華。
虫も殺せなさそうな控えめな言動とは裏腹に、仕事の時は軍用
手数だけなら私の方が多いものの、隠密に人を殺して証拠を残さない──あの極細の『糸』による殺しは、絡繰りを知らなければ妖怪変化の仕業にしか見えない──という
「さて。挨拶も済んだところで、作戦はどのように?」
この手の頭脳労働は吹上の仕事だ。前線指揮は上位者の、つまり甲号彼岸花の務めである。
なお私は甲号でも鉄砲玉専門なので、後のことは吹上にお任せ。一番いい作戦を頼む。
「陽動に二人、細菌兵器の奪取もしくは破壊に二人、松下の抹殺に二人だな。屋外は銃撃戦になる。花火、マコト、矢面に立つのは頼んだぞ」
「了解。精々派手に暴れるさね」
「押忍! ぶっ殺しまくってやりますよ!」
「結華は私と来い、細菌兵器を押さえる。お前の『糸』は敵を殺さず捕らえるのに都合が良い。百束、司令から預かってる尋問の道具寄越せ」
「う、うん。頑張る……ね」
「え? これ結構気に入ってるんですけど……あぁはいはい、そんな怖い顔しないで。いま渡しますから」
ふむ。花火とマコトが陽動、結華と吹上が細菌兵器の担当か。
すると、必然的に……。
「では、私たちが松下男爵の排除ですね」
「いよッ、現役最強! 何のかんの言って蒔恵先輩も素直じゃない……あいでっ!? ちょ、殴ること無いじゃないっすかぁ~!」
「松下さん……一番悪い人、だよね。わかった。絶対にやっつけてくるよ!」
大役だ。まったく頭が痛い。嫌がらせなのか何なのか知らないが、吹上に作戦立案を任せると毎度こうなる。やはり同じ甲号として口を出しておくべきだった。
さりとて、今更あれこれと
「……あ。そういえば私たち、肝心の松下の人相を知りませんよ」
「最近の写真が一枚ある、司令から預かってきた。それと……司令によれば、奴の後ろに居るのは
「初耳なんですけど?」
あの糞司令官、またぞろ肝心なことを黙っていやがったな……!
畜生。これは文句の一つや二つや百八つ言ってやらないと気が済まない。
「伝達事項は以上だ。各自、任務に従い最善を尽くせ。───生きて帰るぞ。全員でな」
吹上の言葉を皆が噛み締めたのと同時、揚陸艇が岸辺に到着した。