秦・恋姫†無双   作:aly

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原案は作成したものの詳細なプロットは途中です。展開は執筆するたびに変更しています。当時の漢やローマ、パルティアなどの文献をチェックしながらですので完結まで相当時間はかかりそうです。
同時代の異邦人を登場させるストーリーに需要があるか確認のため序盤だけ投稿します。
感想お待ちしています。


胡商

 燭台に火が灯されて、ようやくそこが明らかになった。砂壁に囲まれた部屋には明り取り一つなく、それまで暗闇だったためにそこにいる者共は顔をしかめて目を反らしている。人の姿は三つあった。

 一人の男が懐から竹簡を取り出す。腕を振るって束を広げた竹の一枚一枚に里の名と人物の名が刻まれている。里の名は北地郡、廉県、奉凌衛などがあり、官職まで刻まれている者も、侠客と覚しき人名も並んでいる。異様な名簿だ。

 

「この者共は今日の刺史の不徳に苦しむ者。義憤を抱いている者で、我らの決起に賛同すると約を得た者共です」

 

 男は唾を散らし、赤ら顔で力説する。

 

「ご懸念は察します。しかしいざとなった時、このうちの二割から三割は何の役に立たぬばかりか、日和る者もありましょう」

「なんだと!」 

 

 もう一人の男が批判すると、赤ら顔の男はますます顔を赤くして、ついに耳まで真っ赤になってしまった。

 

「しかしご心配ありません。革の鎧が百、馬が二十、丈夫な矛と戈は十分にあります。並の軍にも劣らぬ百の兵が出来ます。それらが行軍する姿を見れば、同じ境遇に苦しむ者たちもたちまち集まるでしょう」

 

 これらの物資は、今は男に親しい者たちの家に保管され、馬も何箇所かに分けて農業用の馬に扮しているという。男の背筋は反り返んばかりに伸び、己の知略に酔っていた。いっときは怒りに震えていた赤ら顔の男もこれには唸り、ますます声を大にして上座の男に詰め寄った。

 

「如何です。これほどの用意があれば城は無理でも砦の一つや二つは落とせます。あるいは査察中を狙えば一気に奴を殺せるでしょう」

「その通りです。事は熱が冷めぬうちに行わねばならぬというではありませんか」

「どうかご決断を」

 

 さて、上座にある男は二人の熱を前にして、一見話をよく聞くような態度を見せながらも、思考はまったく別のところにあった。

 髭を左手で弄んでいたのを止めて、彼――北宮伯玉は固い口を開いた。

 

「この戦は拙速に事を成さねばならぬ。刺史に援軍が来ては大いに不利だ。したがって、悠長に砦を攻めていくのは下策だろう。兵力をより増やし、拙速に刺史府を落とすような大胆な戦略が必要だ。今、他県のこれはという人物に声をかけているから、これを待てば兵は何倍にも膨れ上がる。そうすれば刺史府に味方する太守は寡兵で対することになるから寝返るやもしれない」

 

 北宮伯玉は羌族で、騎兵を束ねる立場にあった。ゆえに漢の兵法にもいくらか通じている。話を聞く男たちは、すっかり熱も冷めてなんとか理解しようと努めた。彼らも羌族で漢に暮らす異民である。

 

「しかし最も肝要なのは、我々がいくら義によって立っても、漢はそう受け取らないだろうということだ。朝廷にとって我々は未だ異民族。ただの羌の暴動と見るに違いない」

 

 男たちはまた顔色をさっと変えた。

 

「そんなことがあっていいものか」

「然り。我々は何代も漢に住んでいる。北宮湟中義従殿は考えすぎです」

 

 二人の猛然たる反対をうけても、北宮伯玉は微動だにしない。二人が落ち着くのを待っている。

 

「可能性がある限り、私は考えなければならない。そこで先日、妙案が浮かんだ。名士や勇将を傘下に招くのではなく、我々の盟主になっていただくのだ。私より洛陽に名の通る偉い人物であれば、ただの暴動ではなくなる。漢人であれば漢の法にのっとって裁く必要があるから早々に処罰されることもない。まず事を明らかにするために人を寄越すだろう。そこで我らの義を訴えればよい」

 

 いつしか北宮伯玉の弁にも熱がこもっていた。長く考えた末の閃きだったのだ。二人の男もこの深慮に驚嘆し、続きを聞きたくてたまらない様子である。

 

「それで、その人物というのは……」

 

 上半身をずいとせり出しながら、北宮伯玉に鋭い視線をぶつける。期待と熱のこもった視線だった。

二人の目をたっぷり交互に見て、北宮伯玉はついにその名を告げた。

 

「金城郡の名士、辺康楽殿(辺允)と韓文約殿(韓約)だ」

 

 

***

 

 

 月が雲に隠れた頃合いに、陽関を抜ける長蛇の集団があった。関を欺こうというわけではない。敦煌郡の放棄に伴い、この関も正常な機能を失っていた。

 それにも関わらず、闇夜に紛れて関所越えを企む必要があったのか。物々しい武装集団が関の漢側に展開し、一団を警護している。さらには足の早い馬に乗った数人が勢いよく偵察へと向かった。すべて五分足らずのことである。

 やがて関からは馬が現れた。驢馬や牛が続々と列を成して続き、その数は三十頭を超えている。彼らの正体は西域からやってきた商胡のキャラバンである。常ならば日が昇りきる前に関を越えて東へと進むのだが、この日は様子が違う。隊列の後部で驢馬を引く米賈は、関を抜けたところで周囲を丹念に見渡して異常を肌で感じ取った。

 静かすぎる。ふつうキャラバンが到着したとあれば、商人から庶人まで物珍しさに集ってくるが、それがない。やはり何かあると米賈は事の発端を思い返した。

 それは仕入れを済ませて、途中にある生国ミーラン(米蘭)に立ち寄ったときのこと。西域の商人は情報を集めるために漢に一族の者を住まわせている。しかし、その情報がここしばらく途絶えているという。それはチャルチャン(且末国)やローラン(楼蘭)でも同じだったようで、キャラバンは漢で何かあったと結論を下した。進むべきか待つべきかの論戦が繰り広げられる。しかし情報が寸断されている以上待つ意味はない。商品を売らねば生活も立ち行かぬ。結論はすでに決まっていたのだ。夜間の関所越えは危険を回避する策であった。

 やがて偵察隊が帰ってきた。

 

「ここより敦煌まで異常なし」

 

 敦煌は最寄りの郡都で、かつては交易の中心だった。しかし米一族はさらに先の郡県にも拠点がある。少しでも先へ進んで難を逃れたいと思うのは他の商人も同じようだった。また、罠を仕掛けるのに陽関ほど見晴らしの良い場所はない。

 

「敦煌は危険だ。夜を徹して東進しよう。酒泉と張掖を抜け、できれば武威郡まで辿り着きたい」

 

 彼らは大月氏の血をひく者たちである。かつては匈奴に追われたこともある。涼州の西端は北に匈奴、南に羌族と彼らの隊商を妨げる異民族がいる。さらに張掖郡は細く、襲撃にはもってこいの場所である。一方で武威郡は広く、逃げる先も豊富にある。キャラバンを預かる男の判断は商人たちも否定する材料がなかった。

 

「急ぎの身だが馬は降りろ。目立ってはいけない。二刻に一度偵察を行うときだけ短時間だけ騎乗しよう」

「牛や騾馬に轡は付いてるか? 鳴き声が響けば危ない」

 

 若い男たちがすぐさま牛らの器具を点検し、問題なく行進できることが分かった。

 

「では行くぞ」

 

 隊商は砂地をまっすぐに歩いた。日が出ていれば視界の開けた土地だが、宵闇にあってはどの窪地に誰が潜んでいるかも分からない。護衛の武装兵たちが隊列を巡回しながら、怪しげなところに目を凝らしていた。

 やがて敦煌に着いたが、彼らは迂回して東へ進む道を選んだ。空位の敦煌太守に絡んだ諍いがないとは言い切れないので近寄ることを避けた。

 

「何隊長」

「なんだ?」

「騾馬が疲弊しております。小休止を願いたい」

「そうか。では山に囲まれた休息地があったろう。あそこで休むとしよう。警戒させて休もう」

 

 一行の往く道は細かい砂から石を多く含む荒野に変わっていた。砂や小石の合間から岩がぽつぽつと出現するようになる。引き連れた動物が怪我をしないように足下を注視しなければならないので、偵察隊はいっそう遠方の安全に気を配る必要があった。

 やがて岩は地上に姿を現す頻度が増し、それは連なってますます大きさを増す。隊商の先頭を歩く何隊長が顔を上げれば、前方には高く巨大な岩の固まりがそびえ立っていた。

 隊商は北に迂回した。地中から現れた巨大な岩山はそれまで彼らと同じ方向に走っていた。しかしそれとは別の岩山が北西から南東にかけ、交差するようにある。十字に隆起した岩山には起伏の差が穏やかなところもある。隊商を営む一族の先人たちはそこを大岩で隠し、天然の要害にしたのだ。

 漢の領土側ではなく匈奴の住む北側に入り口があるのはさらに都合がいい。漢との関係が良いときは荒涼や街に泊まり、そうではないときに用いるのがこれから向かう岩山である。

 道の幅は馬車がなんとか通れるくらいしかない。両側の崖は二十尺(約五メートル)もあるので窮屈で仕方がない。視界が急に狭くなったので、一行は慎重に先へ進んだ。

 そこに、馬に乗った若者が前方から駆けてきた。先の安全を確認しに向かっていた偵察隊の一人だ。若者は下馬して何隊長の前まで進み出る。

 

「急休地に人はいません。急ぎ出入り口に人をやりましたが、別段人の気配はないとのこと」

「佳し、佳し。では早く休息地に向かうとしよう。人が通れるところには見張りを置くとする。それぞれ一名ずつ交代で就け」

 

 隊商の進行はぐんと早くなり、間もなく彼らは開けた平地に辿りいた。

 空き地は岩場になっていて、歩くのにも不便するよくな土地だった。しかし、隊商は代々口伝で知らされてきた平らな岩を見つけて、次々と幕を張っていく。

 岩の隙間に杭を打つ奴隷は、汗を拭くふりをして空き地の奥を様子見ている。岩壁に杭が打ち込まれ、板が渡されて人が二人並んで通れるかどうかという桟道が設けられていた。これで南西の空き地へ行くのだろう。

 隊商を囲む岩山は高さは十分にある。煙さえ気をつければ火を熾しても見つからない西域隊商の安息の地であった。

 

***

 

「眠れないのか?」

 

 折り重なって泥のように眠る奴隷たちの中、一回り体格の良い男が身を起こして耳を澄ませ始めた。同じように起きてい青年がかけた言葉は漢の言葉ではなかった。

 

「来る。誰かの下に潜り込め」

 

 空気を裂く音を男は聞き取っていた。素早く他の奴隷を持ち上げてその下に入り込む。青年も一呼吸遅れて真似する。

 それは矢が飛来する音であった。寝ずの番をしていた護衛兵も察する。

 

「盾を装備している者は馬を守れっ。他のものは南の方角の射手を斬り殺せ!」

 

 幕の中から装備も不完全な男たちがわっと現れる。剣と盾だけは握りしめて、命令に従って駆けだした。

 一方奴隷用の天幕はいくつもの穴が開き、貫通した矢が幾人かの身体を貫いている。中には絶命している者もいた。射手に剣兵が接近したことで、矢の雨は終わりを迎えた。音がやんだのでいち早く危険に気づいた男はぬっと死体から抜け出し、近くで埋もれていた青年を引きずり出した。

 

「うう……。酷い目にあった」

「生きてさえいればどうとでもなる」

「うん、そうだな。ところで敵襲があったということは隊商の動きは読まれていたということだ。包囲されている可能性が高い。敵の目的が荷駄だけであることを祈りたいね」

「ふっ……。お前も荷駄の一部だろう。俺もな」

 

 男の冗談で二人はにやりと笑った。

 

「さて、敵の布陣を見てみたい。穴があれば儲けものだ」

「お前は俺の前にでるなよ」

「わかってるさ」

 

 二人が勢いよく天幕から出て目にしたのは、幾つかの光景だった。荷車の陰に隠れる商人たち。馬を賢明に守る護衛たち。そして射手に切りかかりにいって、その前に潜んでいた敵兵と切り結ぶ羽目になった護衛である。敵兵は全身を赤い岩石に合わせて塗料で溶け込んでいたため、足下には不意をつかれたこちらの護衛の死体ばかりが横たわっている。

 

「先回りされていたのか。それもかなり用意周到だ。これじゃ前進も後退も難しいだろうな」

「地の利を活かすのはどうだ。桟道の頂上に先にたどり着ければ高地をとれる」

「いや、矛を持った兵士を並べて前進されれば退くしかない。それより荷車を転がしてやったほうがよほど効果的だ」

 

 ほとんどの射手は得物を剣に持ち替えていたので、彼らに危険は少ない。共に長い背丈を屈めて、陣の真ん中に固めて置いてある商品の影に潜んだ。

 

「荷物はどうする?」

「敵の目を眩ませられるかもしれない。邪魔になる分だけ降ろしてそのまま行こう」

 

 二人は荷車から絨毯や香辛料などを手早く降ろした。盗賊相手には宝石や象牙のような分かりやすいものが効果的だと考えた。また、ローマ産のガラスは敵の負傷を狙って高いところに積み直した。商人たちが勝手に商品を荒らす奴隷二人を鬼のような形相で睨んでいるが、二人はあまりの必死さにまったく気づいていないようだ。

 奴隷たちは走り出した。桟道まで距離があるので、特殊な行動をする二人は目立つ。そこで厚手の絨毯を被って気休めの矢除けにしていた。色とりどりの幾何学模様が戦場を駆け抜けていく様は妙なものだった。

 しばらくは矢に降られたが、やがて射程圏内を抜けたのか快速で桟道を目指す。

 

「急げ! 敵が先に頂上にたどり着けば作戦は失敗になる」

「なら俺が先に行こう。お前は荷車を落とさぬよう慎重に付いてこい」

 

 男は大柄な体つきから期待通りの力を発揮して、商品を積んだままの荷車を押し進めた。山道を登るように一歩ずつ、しかしかなりの速度で桟道を登っていく。青年は一歩に力を込めるのが精一杯で、二人の間はみるみるうちに開いていった。

 しかし間もなく男は歩みを止めて岸壁に張り付いた。桟道ももう少しで一番高い地点である。彼の目にはその先水平に設置された桟道を十は軽く超える兵が縄を片手に慎重に進んでいる姿が移っていた。

 果たしてどちらが先に頂上に着けるか。後ろを登ってくる青年の姿を見て、波状攻撃は諦めなければならないことを悟った。心音を数え、やるべきことを思考する。そして彼は俄に駆けだし、頂上まで心臓が破裂しそうな思いでたどり着くと、荷車を足で思い切り蹴り出した。

 ほどんど平坦な桟道を、荷車は少しの距離を走り倒れた。敵兵にはかなりの距離がある。それでも零れ出した宝石の煌めきは彼らの目にも留まり、我先にと速度を上げて向かってくるのが見えた。

 

「奇襲は失敗だ。しかし時間稼ぎにはなりそうだ。お前もその荷物を倒して隊商に戻るぞ」

「……そうでしたか。であれば桟道は破壊して兵の増員を妨げましょう」

 

 二人は板を留めている杭を、もしものときに運んできていた矛を使って抜いた。一枚の板は四尺(約一メートル)ほどだったので、二列ほど外せばほとんど通行は不可能となる。

 

「よし、行こう」

 

 二人は矢除けのために空にした荷車を押して駆けた。下りは早く、たちたち岩場へと戻ってくることができた。

 

「おう、待っていたぞ」

 

 しかし二人を待ちかまえていたのは、武器を手にした兵達と、彼らを束ねていると思われる偉丈夫だった。

 時を少し戻そう。二人が岩場を走り抜けていたころ、隊商が通ってきた抜け道を、馬に乗った男が兵を引き連れて進行していた。彼の耳には矢の音が聞こえる。奇襲が始まったのだ。

 

「よし。これより速度を上げて進軍する。既に包囲は成り奴らに逃げ場はない。何度も言うが目的は奴らの荷駄だ。必要以上に恨みを買うのは阿呆のやることだ。では行動開始!」

 

 偉丈夫の駆る馬に合わせて歩兵が駆ける。ほどなくして岩場にたどり着くと、兵の一人が鐘を鳴らす。岸壁に反響する金属音は隊商にも伏兵にもよく聞こえた。隊商にはなんとか持ちこたえていたところに敵の援軍があることに失意が訪れ、伏兵には待ちわびた機に奮起を抱かせる。隊商が捕縛されるのにそう時間は必要なかった。

 

「どうやら持ち出した品は見あたらぬが、桟道に置いてきたか。ならば我が兵が拾ってくるだろう」

 

 桟道は確かに包囲で最も抜けやすい道だった。二人は目の前の偉丈夫を見て確信する。しかし、それだけに計画が失敗したことが悔やまれる。

 

「これで全ての品が揃った。さて、俺たちの要求は全ての荷を受け渡すことだ。代金は貴様等の命と安息だ」

「ああ……こうなっては致し方ありません。荷駄は全てお渡しします」

「うむ。賢明だ」

「しかし代金に述べられた我々の安息とはいったい……?」

 

 何隊長はここに着いたときから随分老け込んで見えた。はるばるカシュガルから運んできた荷物を失うことは、彼の生活の破滅と同義だったからだ。だからこそ、偉丈夫の言葉に鋭敏に反応した。

 

「今涼州は悪徳なる刺史によって非漢人が多いに非道な仕打ちを受けている。それを正せば陽関は再び開く。新たな漢人も愚かであれば、俺たちが公正なる商いを約束しよう。この品々は刺史を倒すための軍資金となるのだ。もしお前たちに漢人に苦しめられた者がいるなら兵を以て集え。俺たちは何人であっても歓迎する」

 

 反乱の計画であった。それも非漢人による漢人へのクーデター。黄巾の乱と同時期に起こる、後に辺章・韓遂の乱と呼ばれるものの萌芽である。

 隊商たちは縄を解かれると散り散りに国へ帰る。暗い顔の者もいれば、目を血走らせている者もいる。その心境は一言では言い表せられない複雑さを呈していた。

 一方、岩場では商品が点検され、桟道の修復と回収できる限りの宝石などが運ばれてきていた。生き残った奴隷たちは後ろ手に縄を堅く結ばれ、一列に並ばされている。

 

「俺はお前たちを殺しはしない。戦場で働いてもらわなきゃならんからな。……あー。言葉は通じているのか?」

 

 数人が顔を見合わせた。

 

「ちっ。どれだけ遠くの奴隷だ。おい、こいつらを拠点へ連れて行く。馬車の後ろにでも繋いで走らせろ」

 

 

 檻に閉じ込められ、奪った奴隷たちは自分たちがどこへ連れて行かれるのかと不安だった。ほとんどの者は漢の言葉が分からないので、国境近くで捕われた男が彼らを運ぶ野蛮な者どもの会話を盗み聞き、羌族や匈奴の言葉に直した聞かせた。

 それは大体以下のようなものである。

 

「盟主様のいうとおりに商人から人と馬を盗ってみせたが、少し数が少なくはないだろうか」

「それよりも長城内でどれほど呼応する者があるかが肝要だ。我ら羌族で五千、匈奴で三千。敵将はともかく城は本物だ」

「うぅむ。てっとりばやく刺史の野郎だけでも殺してしまえればいいんだ。戦は頭を抑えつけるに限る」

 

 いずれも戦を匂わせるものばかりだ。刺史を殺すということは漢王朝に逆らう反乱であり、散発的な小規模な反乱ではなく戦力を集結した中規模な反乱であると言える。

 その準備の最中にわざわざ命じられて捕獲されたということは、奴隷たちは反乱軍の兵士として用いられるに相違ない。奴隷を兵に組み込む場合には定石がある。正規兵たちの槍の前に立たされ、矢の雨や騎馬への壁として用いる。檻の中の奴隷たちは意気消沈した。

 しばらく南下を続けると、剣山に囲まれた平地が現れた。天幕が幾つも張られ、陣の様相を成している。

 

「盟主様の命令に従い、西域からの荷を収奪して参りました」

「よくやった。盟主様は奥の天幕にいるはずだ」

「うむ。では荷を検めて頂いてくる」

 

 門に立つ兵士と幾つか会話をし、檻を運ぶ兵は陣の中を真っ直ぐに進んだ。このとき、すでに会話の内容を盗み聞きする気力は奴隷たちに残されておらず、ただ俯くばかりであった。

 やがて、檻を引いた馬は一番大きく立派な天幕に着いた。

 

「盟主様。王孝粲です。西域からの荷をお持ちしました」

 

 兵は王と名乗った。一際大きな声で天幕に呼びかけると、しばらくして中から、細くあるが大きな声が返ってきた。

 

「しばし待て。すぐに行く」

 

 奴隷たちは固唾を呑んで天幕を見つめた。なにせこれこらの将来を決める人物だ。

 果たして現れたのは、背が高くひょろりと細い男であった。反乱軍の首魁というよりも、都の文官にいそうな雰囲気である。

 

「馬が二十一、奴婢が十四。やはり足の遅い奴婢はあまり連れてこなかったか」

「護衛の兵どもの武器と鎧は奪っております。槍が九と革鎧が五でございます」

「うぅむ。少ないがないより良いというものか」

「それで、長城内のお味方は如何ほどに?」

「それよ。じき文候が帰ってくる。その後に軍議を開こう」

 

 この頃になると、奴婢たちは再び彼らの会話を一言も漏らすまいと集中しだしていた。脆弱そうな大将を見て、侮る気持ちが芽生えてきた。

 この大将(盟主)は白玉宮伯といい、二番目に偉いのが今平を集めている李文候という男らしい。王兵士が何度も怒りを露わに貶しているのは涼州刺史の佐昌という男で、悪徳の輩である。義のために立ったのかと言えばそうでもなく、涼州に住む羌族や匈奴ら異民族やその混血たちの重税への怒りが限界に達したというのが真実であった。

 さて、奴婢たちは逃げられぬよう兵士たちの天幕が並ぶ一角にぎゅうぎゅうに押し込まれた。しばらくは黙っていたが、やはり先程の話が気になる。故郷も民族も異なる一同は声をひそめて話し始めた。

 

「北宮白玉というのはどういう人だろう」

「俺は聞いたことがあるぞ。月氏の者だ。湟中義従胡というから湟中の酋長だ」

「漢人と混ざった奴がなぜ羌族と反乱を……? いや、混ざったからこそ悪どい刺史が憎いのか」

「では李文侯について聞いたことのある者はいるか?」

「分からんが羌族の者だろう。あるいは悪政に苦しむ漢人やもしれん」

 

 実際のところ、二人は漢に臣従した羌族の人間である。彼らを迫害し、悪政を敷く刺史佐昌を恨んで二人を旗頭に蜂起することを決めた。しかし漢は広い。涼州の一部を勝ち取ったとて近隣の軍がやってくるに相違ないし、刺史の代わりなどいくらでもいる。したがって、北宮白玉は強い指揮官と多くの兵を求めていた。

 

「せめて馬さえ与えられればいくらでも暴れられるのによう」

「こういうときは歩兵と相場が決まっているだろう」

「そもそも我々は漢と争う気はないのだ。このような事態に陥ったことが甚だ悔しい」

 

 奴隷の中には漢から離れた生まれの者もいる。彼らは漢とは交易の関係にしかない。少し漢に寄れば朝貢の関係になる。

 

「まずは出来るだけ協力をしよう。各々事情はあるだろうが、とにかく生き延びるためだ。この反乱軍が大敗すれば逃亡も可能になる」

 

 この天幕の中で一番年重らしい青年が言った。二十歳を越えた立派な青年である。名を郭豫という。元は商隊を襲った集団の頭目であったので、少しばかり腕に自信があった。彼の子分も同じ幕にいたのですぐに賛同する。西域に住まう者が多かったので、同意はすぐに得られた。

 士気が高まりつつあったとき、馬の嘶きが聞こえた。幕の中はあっという間にしんとなる。そこに入り口の布が払われ、兵士が顔を出した。

 

「北宮様が戻ってこられたゆえ、直に呼び出す。それから調練だ。最低限は使えるようになれ」

 

 

 召集はすぐに行われた。ひときわ大きな天幕には、木製の机が中央にあり、竹簡が山を成している。奥には質素な寝台があり、天幕の主の実直な性格を物語っていた。

 

「北宮様の御前である。貴様ら、被り物を取れい!!」

 

 屈強な体つきに、いかにも重厚な鎧を着た男が矛の床付を地面に叩きつけて叫ぶ。長い砂漠生活のため、奴婢の多くは布で頭を覆っていた。紐を解いて布を外していく。年齢も民族も明らかになっていく。奴婢たちも互いの詳細は知らなかった。

 

「お前は……」

 

 ぐっと椅子から腰を上げて、北宮伯玉は奴婢たちの中でも一際目立つ男たちに目を見張った。周囲の者どもも困惑から口々にその異様さを近くの者と話している。

 

「大秦国から来た。ガイウス。隣の男は漢の言葉を話せない。安息国のヘラシュク」

 

 二人とも背は高く、ガイウスは細身で利口そうなのに対し、ヘラシュクは兵士の身体をしている。どちらも小麦まのような肌をしており、鼻が高く瞳は大きい。特にヘラシュクは二十半ばに見え、手の甲まで淡い体毛で覆われていて野性の強さを感じさせた。

 

「これは屈強な兵になりそうだ。前線に出すには惜しい。本曲で親衛隊を任せたいが……言葉が分からぬのではな」

 

 北宮伯玉はひとしきり感心した後、椅子に腰掛けた。

 

「彼の言葉、私分かります。通訳できます」

「なに? 大秦のお前、それは真か?」

「安息は隣の国です。だから真実です」

「好好。それはいいことを聞いた。ならば二人まとめて我が親衛隊に来い。ただしお前は調練を人一倍成せ。そんな細い身体ではすぐに死ぬからな」

 

 かくしてガイウスとヘラシュクは最も危険な前線部隊を避けることに成功した。他の奴婢の妬みの視線はあるが、もともと二人は少し逃げられたところで郷里は遥か遠くにある。ここで活路を切り開くしかない。

 二人の処遇が決まったところで、北宮伯玉は目つきを鋭く変えて腹から声を出した。

 

「今西涼は悪徳なる刺史により民は飢えている。さらには匈奴への対策も不足し、民は恐れて里を移動すること甚だ困難。郷にあっては物も金も不足する。故に、我らは彼の者を討ち、民の不安を払う。お前たちは異邦の者だが、この西涼が清流の如く治まれば、商業も正しく行われ、郷里の者も恩恵を受けるだろう。したがって、悪徳刺史を討てばお前たちを郷里に返すことを約束しよう」

 

 見事な演説である。元々官吏であったから、教養がある。難しい言葉に戸惑っていた奴婢たちだが、連連と紡がれる自信に満ちた言葉の末に、自らの解放が告げられたので、彼らはわっと両手を上げて喜んだ。

 

「無論、途中で死したり目的を果たせなかったとあれば約束は果たせぬ。しかと調練に励み、時を待て」

「北宮様からの温情、感謝せよ。では調練に移る。刺史を討つまでそう長くはないゆえ、粉骨砕身の意気で臨めよ」

 

 北宮伯玉はすっくと立ち上がり、雑然と並ぶ奴婢の間を真っ直ぐに抜けて天幕を出た。本来の天幕に帰ったのである。北宮伯玉の足音が聞こえなくなると、兵士の一人がまたもや矛を打ち鳴らして奴婢たちの注目を集めた。

 

「貴様らはまず走り込みだ。せめて行軍について来れるようになれよ」

 

 矛を振るって天幕から追い出された奴婢たちは、陣営の周囲を走ることから始めさせられた。最後尾になった者には、馬に乗る兵士から刃を潰した矛が容赦なく襲いかかる。痛みに耐えかねて必死で前に出れば、代わりの者の背や尻が矛の餌食になる。その日の走り込みは二時間に及んだ。途中からは矛で突くペースも上がったので、奴婢たちはほとんど全力で逃げなければならなかった。




恋姫では西涼にかなりの改変が加えられていますが、本作では史実と恋姫設定の折衷案で進めます。

ちなみに主人公の名ガイウスはカエサルやアウグストゥス、グラックス兄弟の弟と同名。六男という意味でありふれた名前です。
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