秦・恋姫†無双   作:aly

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原作ではやたら圧縮されていましたが、テンポを考えると上手ですよね。
こちらでは袁紹との闘いは白馬と官渡に分けてお送りします。
袁紹に子供はいないのでその後の河北制圧は原作通りで。


官渡城の危機

 官渡城。酸棗の南に位置し、黄河の支流である官渡水を始めとした数々の河川に守られた天剣の地である。曹操はいずれ来る袁紹との戦いに向けて、かねてから防備を固めていた。そのため、曹操たちは延津からの侵攻の報せを聞いて真っ直ぐにこの城を目指した。

 緒戦は野戦が行われた。曹操の軍は彼女の本隊と警邏隊、そして合流した夏侯淵と曹洪の兵を足しても一万五千というところ。一方袁紹の軍は十万人。まともに戦えば勝ち目はないが、味方の士気を高めるために、曹操は城外に陣を敷いた。狙いは入り乱れる河川の渡河の最中である。

 局所的な攻勢はあった。夏侯姉妹や楽進の奮戦によりいくらかの敵兵は削れたものの、袁紹はここで大軍を一気に前進させる。こうなれば兵力の差を覆すことはできない。曹操は数名の敵将の首を掲げてこう言った。

 

「兵力差はあれど我が武将の質は圧倒的! この首こそ曹猛徳の臣の力の証なり!」

 

 そうして曹操は官渡城に籠城した。幸い周辺にはいくつもの味方部隊がいる。荀彧をはじめとした名軍師たちの策謀がある。そして何よりこの逆境を彼女は楽しんでいた。

 

「なんだありゃ……」

 

 城壁から一刀が見たのは、どこからか運び込まれた木材を組立て、土を塗りたくって築かれていく砦であった。その数なんと十を超える。陣営や櫓などの攻城拠点を遥かに超える敵の拠点は、攻守ともに優れた機能を有している。

 こうなると、遊軍による撹乱は難しい。砦に対して騎馬は不利だからだ。これにより、張遼の支援は敵が砦から出てきたときのみに限定された。

 さらに曹操にとって不利なことは、敵があれほどの拠点を設けたということは長期戦の構えであるということだ。すでに四方を囲まれている官渡城に兵糧の補充は難しい。曹操軍は飢えとも戦わなければならなくなった。

 

「うぅ……お腹すいたよぅ」

 

 盛大な腹の虫を鳴らしているのは許褚。曹軍きっての大食らいである。

 

「季衣、反撃のときのための食料は残しておかなきゃならない。だから今は堪えるしかないんだ。ごめんな」

 

 一刀は座り込んだ許褚の頭を撫でて少しでも現状を打開しなければならないと考えていた。現代を生きる一刀には、人間の飢餓の限界の知識がある。生存維持のリミットは三週間だ。しかしこれは水を摂取した場合の話。そこで一刀は考え、簡単なろ過装置を李典と共同して作った。臭みは残るものの、不純物はほとんど取り除ける。あとは雨が降ることを祈るばかりだった。

 一方その頃、夏侯姉妹は敵兵の迎撃作業に追われていた。顔良や張郃などの有力な将は出てこず、徒に矢の消耗を強いられる。時折奇襲に来た張遼が物資を置いていくが、それでも足りない。

 

「麗羽のやつ。私が頭を下げて負けを認めるのを待っているのね」

「そのようです。ところで風から文が届いています」

「へぇ……。さて、あの子はどんな知謀を見せてくれるのかしら?」

 

 竹簡はいつになく厚く束ねられていた。書き出しを目にした曹操の目が鋭く光る。そこに郭嘉がいるのを忘れて一心不乱に目を通す。そして全てを読み終えたとき、彼女は晴れやかな表情で天を見上げた。

 

「凛、すぐに一刀たち四人を呼んできて頂戴。この戦、勝ちは見えたわ」

「警邏隊を……? なるほど、そういうことですか。すぐに呼んで参ります」

 

 郭嘉が駆け出してすぐ、曹操は再び竹簡を開いた。かなり詳細な作戦概要が書かれているが、中でも注目したのは次の一文であった。

 

『西将軍の算術の知識により、予定は大幅に短縮された』

 

「ふふっ。やはりあの男の知識は戦場に新たな風を吹き込んだ。王秀の才、しかと確かめさせてもらったわ」

 

 ***

 

 一刀たちが呼び出されてすぐ、竹簡は李典の手に渡った。彼女がそれに釘付けになっている間に、曹操は作戦について話し始めた。

 

「桂花や真桜が兵器の開発に従事していたのは知っているわね」

「ああ、あのバカでかい……」

 

 一刀は城門から出られないほど巨大な兵器を目にしたことを思い出した。その後弱点は克服されたと思われるが、しかしそんなものがあるのなら、なぜ今まで使わなかったのだろうと不思議に思った。

 

「あれは本来野戦で使うことを目的としていたの。兵器の正体は投石機。霹靂車と名付けたわ。しかし目標に当てるには高度な訓練が必要なのよ。真桜にはもちろんその技術はあるけど、城内で用いるには不便なの。分かるわね?」

「……そうか。あれだけ大きいと城壁の上には配置できない。敵が直接見えないから当たらないんだ」

「そう。しかし我が軍はその欠点を克服したわ」

「えっ!?」

 

 一刀が驚くのも無理はない。曹操たち武将は防衛に従事していたし、真桜は城の補修に付きっきりだった。どこにそんな兵器の応用的運用を試す余地があったのか。

 考え込む一刀の横で、李典がふるふると震えだした。鼻息は荒く、竹簡を持つ手は震えている。

 

「お、おい。真桜?」

「天才や! 風様と王秀はんはめちゃくちゃすごい!」

「風と王秀?」

「せや! 長垣の支城におる間、陳留から予備の霹靂車を持ってきて城内運用を研究してくれててん!」

 

 白馬が陽動と知ったとき、程昱は最大の兵器が使えなくなったことを悟った。そして曹操が籠城で時間を稼ぐことも視野に入れ、徐晃を陳留に派遣したのだ。

 白馬の足止めを曹仁姉妹に任せてから、程昱たちは新兵器の新たな運用方法を試行錯誤した。観測手と投石機の角度調整手、そして発射手。速やかな意思疎通は音のあふれる戦場で行われる。そこで程昱はガイウスのもたらしたら手旗信号を応用した。さらに高度な数学知識を持つガイウスによって敵との距離測定や投石機の角度と落下地点の計算が行われ、その成果が曹操の下に届けられた。

 

「さ、さすがローマ人」

「隊長! ぐずぐずせんと手順を頭に叩き込むで! 兵たちにも覚えさせなアカンからな!」

 

 蒲城ではガイウスが観測手を務めた。そして程昱が彼のそばにつき、指示通りに手旗信号を送る。信号は簡単なもので、まずは右手の旗を上下に振れば仰角。左右に振れば方角の指示だ。これらは予め兵器に記した目盛りに符合する動きを決めておけばいい。何より重要なのは城壁を投石が超えるためにてこの支柱となる棒の角度と重りの計算だった。

 これらをガイウスたちは四日で終わらせた。軍師の程昱もさることながら、洛陽で官吏を勤めていた徐晃と三人揃って聡明な組み合わせだったのが幸いした。

 

「まずは兵器の改良や。三人は手旗の動きを覚えといてや!」

 

 早速李典が霹靂車の微調整を行う。肝心の手旗信号ただが彼女たちには以外なことに、一刀が一番に習得した。現代日本でもボーイスカウトなどで用いられている上に、遊びにもなっているので親しみがあったからだ。

 楽進と于禁が苦戦している間に、一刀は警邏隊の面子に手旗信号を教授する。霹靂車は一台ではないので、とにかく人手が必要なのだ。

 夜間を通して習熟する警邏隊。あとは反復練習のみとなったので、一刀はその場を離れて曹操の天幕を訪れた。

 

「華琳。今ちょっといい?」

 

 少し間を置いて、竹簡を巻くカラカラという音が聞こえる。

 

「いいわよ」

「ん。まずは報告からだけど、この調子なら明朝には仕掛けられそうだ。観測手には真桜と弓の得意なやつを起用してる。秋蘭にも手伝ってもらえれば精度は上がるんだけど……どう?」

「そうね。私から伝えておくから、それから必要な手順を伝えてちょうだい」

 

 いかにガイウスたちが試験を繰り返したとて万全を期するにこしたことはない。一刀は表情に出さないよう気をつけて安堵した。

 

「けれども作戦は明朝ではなく、私の指示を待ちなさい」

「えっ? でも皆そろそろ限界だって。季衣なんか見てて心配になるくらいだ」

 

 昨日の雨で多少の飲水は確保できた。しかし袁軍を追い返す力がいつまで残っているかは不明だ。

 

「安心なさい。桂花が私たちの追撃なしでも麗羽たちを追い返す策を献じてくれたわ。あなたたちは霹靂車で確実に敵の砦を破壊することだけ考えなさい」

 

 自信たっぷりにそう告げられた一刀だが、やはりどこか納得いかずに首を傾げながら天幕を後にした。

 彼がこの天幕を訪れる直前。曹操が読んでいた竹簡にこそその自信の源があった。『敵補給地を発見。同日に攻撃し、補給地の守兵をあえて壊滅的状況の袁本初本隊に合流させる。さすれば田元皓は撤退の判断をする』という献策に、すでに手の空いたガイウスらへ出撃の伝令を送ったことが書かれている。

 

「ふふ。私は臣に恵まれたわね。桂花は閨に招くとして、王秀には何を褒美に与えようかしら」

 

 籠城中にあって曹操はなお余裕であった。

 

***

 

「伝令を曹州牧に出したら出撃だ。風さん、策はありますか?」

「いえいえ。敵は慢心しているのか寡兵です。力押しで十分ですよ」

 

 墨が乾いた竹簡を丸めて控えていた兵に渡す。待っている間に今回の出撃に関する情報は共有し終えたし、軍師の程昱も気楽なのでガイウスも気負うこともない。

 既に徐晃によって隊列を組まされ、行軍の用意が整っている兵たちを見渡して、ガイウスは頷いた。

 

「諸君。ついに我々にも役目が与えられた。袁本初が冀州から送ってきている兵糧の貯蔵地を荀祭酒軍師が見つけられた。これよりその破壊を行う。では、出立!」

 

 門が開くと先頭を徐晃の乗った馬が歩き出す。続いて四列に並んだ兵が棍を肩にかけて行進する。兵器の調整を行っている間も欠かさず調練を行っていたからか、整然とした歩みで進んでいく。二つの大隊の間をガイウスとその股の間に座った程昱を乗せた馬が行く。

 進路は西。延津の南で官渡から東にある烏巣というところが目的である。

 

「霹靂車の運用が始まったところで決着をつけられればいいのですが……離れていても意思の疎通ができる手段が欲しいですね」

「馬を代えながら駆けるのが今一番速いのですよ。のろしはこの距離では見えませんしねー」

 

 烏巣は堀に囲まれた木柵で出来た砦であった。堀のは幅は二メートルほどで助走をつけても飛び越えるのは難しい。唯一正面だけに馬車が通行できる道がある。しかし正面は最も警備が厳しく、堀の手前と門の前、門の上の櫓に見張りが配置されている。

 ガイウスは物見櫓から見えない位置で全軍を停止させた。

 

「投擲器用意」

 

 声を抑えて命令が下される。兵たちは肩に担いでいた棍を降ろすと、先端に紐で括り付けたいた一風変わった瓶を取り外し始めた。

 それは薄い円盤のような形をしているが、中央にぽっかりと穴が空いている。円の外側には口があって液体を入れられるようになっているが、今は布を詰めて封をされている。

 兵たちはその瓶の穴を棍の先端にはめ込んで真っ直ぐに抱えた。

 

「よし。では前右大隊は二隊に別れて左右を囲め。左大隊の一隊は前方に、もう一隊はその後ろで火矢の用意を。では進軍、囲め!」

 

 先頭を駆ける徐晃のペースで、最初はゆったりと進み初め、最後には駆け足まで加速して軍は一気に烏巣の陣を取り囲んだ。

 当然途中で気が付いた敵兵が門から出てくるが、先行した徐晃が砦唯一の退路を防ぎ、その大斧でばったばったとなぎ倒していく。

 

「投擲、構え! 放て!」

 

 ガイウスの叫び声とともに旗振りが銅鑼を鳴らす。棍を持った兵たちは、それを斜め後ろに構えて思い切り振りかぶった。空洞部に引っかかっていただけの瓶は遠心力で容易に堀を飛び越えた。

 砦の周辺のあちらこちらから瓶の割れる乾いた音が木霊する。烏巣の兵は音の正体を不思議に思ったが、軽い瓶では砦に何の被害もない。安心して防御に戻ろうとした。

 

「油だ! やつら、油を投げて来やがった!」

 

 瓶の直撃を受けた兵士は、最初は痛みこそなかったが、身体から立ち上る臭いに絶叫した。

 

「火矢、放て!」

 

 瓶の投擲を終えて列を成していた兵の後ろ。人垣に隠れて密かに火を灯した矢を構えていた隊が、瓶の破片散らばる砦に一斉に矢を放った。

 堀の内側は瞬く間に火の海となった。油をかけられていない後部も木柵にすぐに燃え移り、兵糧が燃え尽きるのは時間の問題だった。

 残された兵が逃げるためには正面を突破するしかない。しかしそこには恐ろしい贅力を持つ少女が待っている。

 

「そこをどけい!」

 

 火に怯える馬を無理やり鞭打ち、将らしき男が炎の壁から飛び出してきた。淳于瓊である。燃える衣類を脱ぎ捨て、火傷を負った上半身を晒しながらの無謀な突撃であった。

 

「小娘、貴様!」

「ここから先はだめ」

 

 たった一合で、鈍い音と共に淳于瓊は落馬していた。徐晃の斧を防いだものの、馬に跨り続けることができずに堀の中に吹き飛ばされていた。堀の中には炎から逃げてきた兵が幾人も転がり落ちていて、絶命している者もいる。淳于瓊はそういう兵に足を取られながらよろよろと立ち上がったが、堀の外に並んでいた兵たちの棍に滅多打ちにされ、すぐに動かなくなった。

 

***

 

 あっという間に視界に広がる巨石にその兵は押し潰された。足元の櫓もろとも崩れ落ちる。

 

「次は左に二回。上に四回や」

 

 李典の脳内で距離が旗を振る数に変換される。それを伝えると兵が旗を振り、城壁の内側にいる于禁が目盛りに合わせて霹靂車の向きを微調整する。

 

「準備よーし。撃てーなのー!」

 

 石を積んだ網の固定が解かれる。テコの原理で打ち上げられた棒から石が飛んでいく。遠くで轟音。

 

「やった! 命中だ!」

「直接見られないのは手応えがないけど、それでも昨日までの防戦が嘘みたいなの」

「うん。でもどうして華琳はこれの使用を今日までしなかったんだろう」

 

 徹底した兵糧攻めに、外から飛んできた火矢の対処。明らかに苦戦していた。ところが今朝になって曹操は、厳重に屋内に保管されていた兵器の組立を命令。数台展開された霹靂車で敵の遠距離攻撃の要は次々と粉砕されていく。

 一つ、また一つと壊されていく櫓。官渡城の正面の一際高いそれの上で、袁紹はしばらく呆けていた。

 

「な、ななな……なんですの?」

 

 あえて袁紹の櫓を避けるように石塊が飛来する。田豊の言では官渡城の兵糧はもうすぐ底をつくはずだった。そこでいつにも増して痩せこけた曹操を高みから見下して、温情を以って降伏を促す予定だった。

 

「麗羽様ー! 早く降りないと危ないですよー!」

「あ、あら? 斗詩さん? 歩兵を率いていたんじゃありませんでしたの?」

「半数は櫓の下敷きや投石を受けて、今は後方に下がらせました。麗羽様も早くしてくださーい」

 

 倒れた櫓が巻き上げた砂埃で下の視界は悪い。それでも兵がずいぶん少なくなっているのは分かる。

 

「きぃーっ! 華琳さんったらなんて卑怯なんでしょう! いいですわ、ここは一旦退却して華麗に正面から打ち倒して差し上げますわ!」

 

 以外と身のこなしが軽い袁紹が素早く櫓から降りる。降り注ぐ石は顔良の槌で弾き落とし、二人は後方の陣にある田豊の天幕に向かった。

 

「真直さん、これはいったいどういうことですの?」

「申し訳ありません。まさか相手が発石車をあれほど城に持ち込んでいたとは予想外でした」

「あんな小娘に出し抜かれるとは……真直さん、こちらも強く美しい名門に相応しい兵器はありませんの?」

「そ、そんなのあるわけないですよぉ」

 

 今回の失態から無茶な要求を受ける田豊。もっとも彼女はいつも理不尽な要求に晒されているのだが――ともかく、そんな天幕に一人の兵士が転がり込んできた。

 

「伝令です! 烏巣の兵糧庫が攻撃を受けて焼き払われました!」

 

 田豊と顔良の顔は蒼白になる。今官渡を取り囲んでいる軍は投石を受けて被害を出しているが、大半は後方で傷ひとつないのだ。今度はこちらの軍が兵糧に悩まされることになる。

 

「麗羽様、ここは一旦冀州に退きましょう」

「そうですそうです。改めて兵糧を補充して来年攻めましょう」

 

 二人の献策は正論である。しかし袁紹は論の正悪で考える人ではない。

 

「ええい、お二人ともみっともないですわよ。ここで派手に逆転する策を――」

「伝令! 本陣後方に敵の牙門旗が三つ。張、西、徐です!」

「……これはいわゆる危機という状況では?」

 

 袁紹はくるりと手のひらを返した。

 

「皆さん、撤退しますわよ! 斗詩さんはしっかり私を守ってくださいね?」

「文ちゃん大丈夫かなぁ……」

 

***

 

 官渡城での反撃に合わせて、支城で息を潜めていた曹純、曹仁が討って出た。白馬にも烏巣の報せは届いている。郭図は兵糧の工面に追われていた。

 

「わりぃ、公則! あたいは斗詩んところへ行ってくるわ!」

「……は?」

「後は頼んだぜ!」

 

 一人馬を駆り西へ消える文醜。残されたのは指揮官のいない軍と後方支援と白馬の防衛を任された哀れな男であった。

 

「敵軍接近! 曹の牙門旗が二つです!」

 

 これまで散々南下を防いできた軍だ。その陣容は分かっている。曹仁の歩兵と曹純の特別精強な騎兵である。どう考えても武勇に優れた袁家の兵では太刀打ちできない。

 

「ええい、みな河北へ渡河せよ! 袁州牧も一度軍を退かれているに違いない。対岸から矢を射掛けて牽制だ!」

 

 慌ただしく河を渡っていく袁家の兵を見て、曹仁は不満げに唇を尖らせた。

 

「ちぇっ。逃げちゃったっすよ」

「たぶんこちらにいては虎豹騎に蹂躙されると分かっているからですよ、姉さん」

「なるほど。やっぱりるーはすごいっすね!」

「でも、しばらくは河を挟んで睨み合いを続けないと……。油断した渡河されないように」

 

 結局、郭図はこの戦を無事でなんとか冀州に逃げ延びる。すなわち、彼らの再南下は二人によって塞がれた。

 

***

 

 開け放たれた城門から、飢えた狼たちが解き放たれる。夏侯惇、夏侯淵、楽進、李典らが敗走する袁軍の最後尾をくらい尽くしていく。

 次第に散り散りに逃げていく兵たちは、袁紹までの道のりを容易にした。

 

「見えたぞ! 追えっ、追えー!!」

「皆のもの、延津には行かせるな!」

 

 夏侯惇の目はすでに二頭の馬を捉えていた。袁紹と田豊の乗る馬と、一人斜め後ろで後方を意識している顔良の馬。二人を乗せている馬と重量級の装備の顔良の馬は、徐々に夏侯惇との距離を縮めている。

 

「麗羽様、ここは私が! 必ずお逃げください!」

「斗詩さん?」

「やあああっ!」

 

 顔良は馬を転進させ、震える手を抑えつけながら夏侯惇と対峙した。

 

「ほう。主君思いの忠臣。ならば痛みもなく逝かせてやろう!」

 

 夏侯惇が大上段に大剣を構える。並の武将なら得物ごと肩から真っ二つにされてもおかしくはない。顔良は槌をやや斜め下に限界まで振りかぶった。夏侯惇の剣をかち上げるか逸らす。返す手で脚を潰せば逃げられる。

 

「ハアアッ!」

「うわあああぁ!」

 

 顔良の槌は重量を物ともせず最速で夏侯惇の大剣の横っ面を叩いた。軌道が逸れる。

 

「なんのぉ!」

 

 しかし恐るべきは夏侯惇の膂力。そして戦闘センス。大地を踏みしめて体幹を捻り、剣は再び顔良を軌道に捉える。顔良は死を覚悟した。

 

「やらせるか!」

 

 顔良の肩が割かれる寸前、別の大剣の腹が割り込んでその一撃を防いだ。

 

「文ちゃん!?」

「へへっ。あたいの斗詩への愛がここへ呼び寄せたのさ」

 

 空色のスカーフを靡かせて、文醜が大剣を肩に担いで顔良の前に立っている。夏侯惇にとっては二人とも相手にならないほど弱いが、二人なら楽しめるだろう。犬歯を剥き出しにして相手の準備が整うのを待った。

 

「いやー。律儀に待ってくれて悪いねー」

「ふん。少しは歯ごたえがないとつまらんのでな」

「そうかい。んじゃ行くぜ、斗詩」

「うん!」

 

 文醜の剣が薙ぐように振られる。その横からの一撃を防ごうと夏侯惇が剣を逆方向へ振りかぶったとき、文醜の剣がふっと下に逸れた。そして地面を掠めて夏侯惇へと振り払われる。当然、砂や石が巻き込まれて構えを取っていた夏侯惇を襲う。

 

「今だっ!」

 

 視界が奪われても魏武の大剣は鈍らない。気配を探って反撃しようとして――。

 

「は?」

 

 文醜たちの気配が遠ざかっていくのを感じた。慌てて目をこすって視力で捉えてみれば、二人は離れたところで馬に乗り終えたところである。

 

「誰が猪馬鹿と正面から打ち合うかってんだ!」

「お、おのれぇ!」

「文ちゃん! 怒らせないで早く麗羽様を追おうよ」

「がってん!」

 

 徒歩の夏侯惇に成すすべなく、逃げる二人を地団駄を踏んで見逃すのであった。

 

***

 

 袁紹の軍は河北に撤退。しかし多数の武将を失い、兵も大多数を失った。袁術は先に逃亡。その麾下の孫策の軍は青洲から船で離脱している。

 事実上組織が瓦解した河北四州は、抵抗する太守もいたものの夏侯淵と張遼の軍でわずかな期間で平定された。

 しかし袁紹と田豊、文醜、顔良の四名は河北に逃げた後の足取りはつかめていない。并州の山岳を抜けて司隸や涼州に逃げられたとすれば、捕らえるのは至難の業だろう。曹操は袁紹らの捜索を速やかに打ち切った。

 軍事的征服の後は、冀州牧にもなった曹操による人事が行われる。袁紹が活かしきれてきなかった配下の張郃、崔林、王修、高柔、辛毗ら多数の人物を公正に評価し、河北四州の要職に充てる。

 かくして曹操は中華最大の領土と人口、農作物の生産力を手中にした。中華統一はかなり近い。しかし中華には英雄劉備と孫策が、老将劉表、劉焉、馬騰が虎視眈々と曹操の隙を狙っているのであった。




ちゃんとした戦争描写は初めてかもしれません。難しい。
ところで地名がぽこぽこ出てきますけど分かりづらいでしょうか?
方角や距離の描写をしっかりするか、あるいは地図をお借りするか……。
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