あまり書き進められていませんがストックから1話放出します。
劉備が荊州を経て益州に辿り着いたのは袁紹との戦の最中だった。その報せを一番に受けたのは陳留で全体の指揮を取っていた荀彧である。
益州は保守派と好戦派に二分されていて、劉備は後者に招かれて入蜀したようである。放浪の軍だった劉備がついに土地を得た。つまり安定した軍事行動が取れるようになったのだ。
曹操は河北の人事を終えた後に陳留でその報告を聞いて、心底愉快そうに笑った。
「これでようやく貸しを返してもらえるというわけね。ああ、楽しみだわ」
甘い幻想を抱く劉備。教養のない社会的弱者なら飛びついてしまう理想。曹操にしてみれば一刀両断で否定できる夢物語だ。しかし劉備は曹操に対してその夢物語を真剣に語ってみせた。なればこそ、曹操は劉備に実現の足がかりとなる土地へ導いたのだ。
そして生半可な統治をすれば全てを喰らうとまで明言した。間違いなく劉備は自らの民のために曹操に牙を剥くだろう。己の矛盾した行いに気づかずに。
しかしそれでいいと曹操は思っている。原動力も過ちも全て内包してこの曹操に挑んでほしい。戦にて決着をつけ、自らの足元に跪かせて真の覇道による大陸の救済を教えてやろう。
「ふふふ。さて、どんな戦にしようかしら……」
彼女の手元には北荊州の地図がある。そして配下の将を模した駒。今彼女の脳内では最高のシナリオが描かれつつあった。
***
領土が広がるというのは一概に良いことではない。もちろん、人口の増加に穀物の収穫高の向上。戦略的拠点の確保など利点は多い。しかしそれは新たな領土の調査を終え、適切な人員を配置し、曹操の統治を浸透させてからのことだ。
急速な領土拡大に伴い、曹操は人員不足に常に悩まされていた。使えるものは現地で引き続き雇い、新たな土地で静観している有能な隠者を叩き起こす。それでも不足しているのだ。
そのしわ寄せは古参の将にやってくる。夏侯惇、曹仁、許褚は揚州の州境の警備を任じられ、楽進と于禁は新兵の行軍訓練。李典も陳珪と共に益州との州境の警備。張遼と郭嘉は幽州方面への遠征。冀州では夏侯淵と曹純が豪族との折衝の最中である。徐晃と曹洪もまた并州へ遠征から帰ったばかりだ。
さらに間の悪いことに洛陽の大長秋から司隸の警備という名の軍権を与えられる。これで徐晃とガイウスが陳留を離れた。ガイウスの知能である程昱は簡単な賊討伐であることと、懸念される劉備の対策のために陳留に残っている。
荀彧はじめ夏侯淵や一刀はこれが曹操の釣りであることは理解している。益州から陳留までの間で防衛を行うつもりであり、充分に援軍が間に合うと判断している。
一方益州の劉備は劉璋に間借りしている立場もあり、反逆の烙印を押されることはなんとしても避けなければならない。諸葛亮は劉備に立場の危うさを説き、魏延は曹操軍の新兵の練度不足や遠征による陳留の手薄さを説いた。
本来劉備は争わずに曹操と和平を結びたかったが、己の理想に追従してきた者たちのことを天秤にかけて……。
***
益州に派遣していた陳珪と李典が慌ただしく帰ってきたのは彼女たちが赴任してから数日後のことだった。最初は関で防備を重ねて遅延作戦を考えていたが、敵影に真紅の旗――すなわち呂布の姿を見て方針を急転換させた。わずかな時間稼ぎで失う兵は採算が合わない。陳珪は念のために関に兵を残して、李典とともに陳留に報告のために帰参していた。
「呂布の参戦により、行軍速度は想定を超えています。このままでは各地に散らばっている将を時間内に呼び戻すのは困難かと」
荀彧の分析によると、間に合うのは新兵を抱えた楽進と于禁、そしてガイウスと徐晃。少し籠城で持ちこたえれば十分な戦力を率いて夏侯淵と曹洪が帰ってこれる。
「つまり秋蘭と栄華が戻るまで耐えるのが肝というわけね。近郊の兵はどうしようかしら」
「下手に動かせば各個撃破されるのが関の山かとー」
「では援軍到着時に編入させるべきね。あるいは王秀に合流させるのも手かしら?」
「いえ。王秀は歩兵ですから陽動や奇襲に向いてません。早急に呼び戻して籠城の戦力に加えては?」
「風。兵糧は?」
「秋蘭さんたちが戻るまでの十日。今の兵数でギリギリかとー」
曹操と軍師の協議の結果、曹操の護衛隊と陳留に常駐していた兵が防衛の兵数となる。将は曹操、陳珪、李典。軍師は荀彧と程昱と敵に比べれば遥かに少ない。
「さて、戦場を移すわよ。ここは守るに困難だし、劉玄徳も本気を出せないでしょう」
陳留は平野にある。南西と東に低い山があるが、防衛には不向きだ。従って、幾つかの支城が設けられている。それぞれの山の頂や、汜水関につながる剣山のそばを通る道などにある。
曹操は一つの城を指さした。
「この許側にある城を使う。前面には平野が広がっているから、援軍が展開する土地は十分にある」
このとき、荀彧の眉がぴくりと動いた。曹操の真意を悟ってなお、主君の意向を慮った。それがこの反応だった。
***
支城でそれぞれの持場を命じられたとき、ようやく一刀にも曹操の真意が分かった。
「何も野戦をすることはないんじゃないか?」
「それは覇王の振る舞いではないわ。そうよね、桂花?」
「はい。華琳様の偉大さは亀のように縮こまってはいけません。麗しいご尊顔が陰ってしまいます。どうぞ、思うがままに」
「だそうよ」
舌戦は平行線のまま消化不良に終えたので省略する。劉備独特の思考に曹操が頭を痛める結果になり、結局戦にて全てを決することになった。
前曲に曹操、右翼に陳珪、左翼に何進、本陣に一刀という布陣とした。開戦当初は曹操が圧倒した。弓兵による一斉射撃で敵兵が二の足を踏んだところを両翼が攻める。包囲ができれば最上、両翼を押し込み左右から援護ができれば次善。数の利を奪い前曲を槍がごとく押し込めれば善し。曹操は前へ進み、劉備軍は次第に前線を後退させられていく。曹操自身が一級の頭脳と武を持つからこそ出来る戦術である。
しかし劉備には諸葛亮と龐統がいる。そして相手を上回る兵と将がある。邪魔な両翼をもぎ取り、曹操率いる前曲に将を送り込むのは困難ではない――はずであった。
「はわわっ。敵右翼に敵増援です。いったい誰が……」
土塁を築き本陣としたところで戦場を俯瞰していた諸葛亮は、左翼の趙雲の部隊が横から削られていき、気を取られたところを何進に押し込まれるところを目撃していた。
西にいる曹操の配下は目前の陳珪と李典だったはず。
「司隸!」
司隸には圧力をかけて徐晃を巡回に行かせていた。まさか任務を放り出して来たのか。いや、そもそも徐晃の手勢は多くはないはずだ。諸葛亮の頭脳が回る。その様子を隣で見ていた劉備が声をかけた。
「ねえ、朱里ちゃん。どうしたの?」
「はわっ。桃香様。おそらく司隸から援軍が来たようで……星さんの部隊が危険です」
「大変! 本陣から誰か助けに行けない?」
混戦に弓兵は出せない。張飛は右翼、前曲は関羽が担っている。麋姉妹は張飛の補佐として、魏延は関羽の補佐として出払っている。
「白蓮さんにお願いしましょう。曹孟徳さんを狙っている恋さんは動かせないので、愛紗さんに伝令を……!」
「うん! 私は伝令をお願いしてくるね! 朱里ちゃんは白蓮ちゃんをお願い」
***
突如出現した兵は想像通り司隷から来た援軍である。諸葛亮は外交を通じて司隸に徐晃を呼び出したが、彼女がいまやガイウスの副官になっていることを知らなかった。
二人は官渡の戦いでの戦功で兵を与えられていた。その数なんと八千。そして今回の司隸への招集に応じて徐晃には司隷校尉を、ガイウスは司隷校尉府の兵曹従事として軍権が与えられていた。
そして程昱である。彼女は曹操の仕掛けた釣りに対して保険を一つかけていた。それはシンプルなもの。虎牢関を抜け次第、徐晃は二千の兵で任務につき、ガイウスは六千の兵を率いて洛陽の南に位置する陽人を目指す。そうすれば東に襄城がある。陽人は司隸にあるので劉備たちの目が届きにくい。
さらにガイウスは襄城の西にある森のそばに穴を掘り、そこに潜んだ。このとき劉備軍は到着しておらず、曹操もまた援軍が近くにあるのを知らなかったのだ。
「なんだこの軍は!? どこから現れた!」
眼の前の何進の兵を槍で突いては道を拓いていた趙雲は思わず叫んだ。泥で光沢を失った盾は巨大で全て鉄で出来ているのか固く、密集しているのか隙間を縫うようにしなければ槍が通らない。しかし彼らは鎧にも鉄を仕込んでいるらしく急ごしらえの兵卒の武器では倒れはするもののしばらくすれば起き上がってくる。仕留めようにも代わりの兵がその場を埋めて、倒れた兵は安全な場所に運ばれていく。槍のほうが駄目になりそうなほどの重装備だった。盾の隙間から矛が飛び出してくる。趙雲は容易に捌くが、兵はそうはいかない。ばたばたとまた何人かが犠牲になる。
「西……知らぬ旗だ」
森の東側の小高い丘。城へと続く途中の開けた場所で、ガイウスは数人の司令部ととともに戦況をじっと眺めていた。
「第三列、左方に展開して味方右翼に食いついている敵軍の背後を仕留めろ」
ガイウスは最前列が膠着状態になったのを見ると、その後ろに控えていた軽歩兵と弓兵を動かす。角笛が高らかに戦場に鳴り響き、軍旗が一定のリズムで振られる。ガイウス軍隊の中でもとりわけ足の速い連中が一気に重装歩兵の背後から抜け出し、陳珪率いる右翼に夢中になっていた前線の兵の背に思い切り短槍を投げつけた。
「しまった! これでは左翼を保てん。愛紗たちはまだなのか!?」
趙雲は歯噛みしつつ背後を見やった。彼方で曹操の兵が宙を飛んでいる。呂布がいる。圧倒的な強さで一兵卒を蠅を払うがごとく振り払って獲物を探している。
「もう少し耐えればよいというわけだな。まったく、朱里よ。こんな相手がいるなぞ聞いていないぞ」
一方でガイウスも戦場の中央で起きている異様な光景を見て、あれが徐晃のような怪力の武将が引き起こしている惨事であると悟った。
「西将軍、陳将軍から伝令です」
「なんだ」
「味方の布陣は左翼に何進様、前曲に曹州牧様、後曲に李将軍、荀祭酒軍師様、程軍師様、北郷様です」
「そうなると私たちの役目はこんなところで留まっていることではないな。次の命令を出す。第四列の援護で第三列は敵左翼を完全に食い破れ。第一列と第二列はこれを守護して敵左翼に壁を作れ。第五列は重装歩兵の援護。騎兵隊と第六列は味方背後を通り進軍先で待機」
再び角笛の音が響く。しかしメロディは先ほどとは異なる。敵陣営で諸葛亮は符号だと気づいた。銅鑼よりバリエーションが作れることを理解し、西の旗を冠する軍の動きに注視する。
ガイウスが鳴らさせたのは複雑な命令を下す合図だった。複数の軍旗が丘の上で左右に振られ、各部隊の伝令要員がその符号を解読して部隊長に報告する。大隊は斜線陣を描く形で、軽歩兵と弓兵が前に圧をかける。最も危険な趙雲は今や後方に位置する重装歩兵が阻んでいる。危険な場面があれば第五列の投擲部隊や弩兵が重装歩兵の背後から出てきて側面を攻撃する。盛り返した陳珪軍の力もあって軽装歩兵たちの進軍を止める者はなく、ついに彼らは前曲がぶつかり合う真の最前線に到達した。
「笛を鳴らせ」
三度目の角笛の音。陣形変更の伝令であった。
再び第五列が趙雲率いる部隊に短矢や石を放つ。致命傷にはほど遠いが、わずかに生まれた隙こそが目的であった。重装歩兵が一気に動いて全曲へ移動する。そして軽装歩兵たちをぐるりと取り囲んだ。ガイウスが初めて見せた中華の戦術、竜渦の陣である。
***
前曲は最前線。既に隊列も形を為していない。蜂矢とも偃月ともとれるようで、前に辿り着いた者から敵に斬りかかる。あるいはその最前線で鎌を振るう大将の曹操を守ろうと小さな列を成して槍や矛を突き出していた。
曹操は時おり混ざってくる小者をいなしながら、魏延と相対していた。重量のある鉄の棍には無数の棘が付いていて、さしもの曹操とて一撃でも直撃すれば大怪我は免れない。
(未熟な春蘭のようね……)
このような武器を持つ武将、夏侯惇のことを考えてくすりと笑う。
「何が可笑しい!」
「あなたのことを笑ったのではないわ」
「貴っ様~~!!」
ますます大振りになる棍の軌跡に曹操は表情に出さぬよう笑った。ふつうこういう鈍重な武器を使う直情型の敵を相手取るときは、小さな傷を大量につけて出血で動きを鈍らせる。しかし兵力に劣るこちらとしては、速やかにこの魏文長なる将を倒して戦況を把握しなければならない。
さすがの膂力で縦に横に棍を振るう魏延は型は雑だが速度も力も衰えていない。ゆえに曹操は一点を狙うことにした。
(それは――腱!)
横薙ぎに振るわれた棍を避ける体で身体を深く沈め、曹操は左足を軸に右足を滑らせながら回転し、愛用の鎌である絶を魏延の足首の後ろに走らせた。
魏延はフルスイングを行いながら、曹操の一連の動きを見ていた。しかし遠心力で暴れる棍を抑えるのに精一杯で対処はできない。棍を放り出せば身軽になるが、次の曹操の一手を防ぐ自信はなかった。
そのとき、嵐のような殺意とともに、遠方から戟が高速で飛来し、絶の行く手を止めた。
「呂奉先。どうやら簡単には後退できそうにないわね」
絶と魏延の間に突き刺さったのは、この世に二つとない飛将軍の得物である方天画戟であった。既に曹操の意識は馬に乗って歩兵の戦意をその武威で折りながら近づいてくる最強にある。
「お前を討てば争いはなくなるって聞いた。だからここで――死ね」
馬上から飛び降り様に矢を同時に三射。曹操がそれを躱している間に、既に方天画戟は呂布の手にあった。曹操の手に汗がにじむ。対峙して力量の差がはっきりと分かる。
呂布は無言だった。ただとてつもなく速く繰り出された頭上からの一撃をいなして、それだけで曹操の手は痺れて感覚を半ば失っている。
(保ってあと一合。いえ、二合はなんとかなる。だけどその後はどうする? 後方からの兵の補充はどうなっている?)
思考が高速で回るが、おかまいなしに呂布は方天画戟を腰のわきに構えて、今にも連撃を繰り出そうとしている。絶をぐっと握り直したが、曹操はそれをいなせるか分からなかった。
そのとき、呂布の意識が左へ向いた。曹操も用心しながらそちらを見る。
「おおおぉぉお!」
それは竜巻だった。鉄の竜――竜渦陣を敷いたガイウスの軍が旋回しながら敵兵を寄せ付けずに接近してきていた。外縁を守る重装歩兵はいつも以上に密集してどんな攻撃も寄せ付けず、内に守られた軽歩兵たちが行く手を阻む敵へ投石や矢を降らせている。そして嵐は曹操と呂布の戦場にも到達した。
「ちょっと、一体何を……!」
曹操の困惑する声が聞こえる。同じく戸惑い動きを止めていた呂布の前から嵐が去ったときには、そこに曹操の姿はなかった。
***
「華琳!」
全ての兵を送り出した一刀は、李典とともに撤退の合図を出しに走っていた。どんな猛将と切り結んでいるのかと思うと不安でたまらない。敵には関羽や張飛、趙雲、黄忠がいるのだ。
前曲も中ほどまできたとき、ぐるぐると回転する異様な部隊が現れ、その一角からぽいと曹操が吐き出されてきた。自慢の髪も乱れ、深く呼吸を整えているところだった。
「これは……?」
「王秀の軍ね。司隸から援軍に来たのでしょうけど、詳しくは風に聞くとするわ。それにしても増援が遅いのはどういうこと?」
「増援はない。もう兵は送り尽くしたんだ。だから、撤収しよう。もともと一当てして籠城する予定だったんだ。今がそのときなんじゃないのか?」
曹操は戦場を振り返った。陳珪の右翼は増援の公孫瓚に劣勢だし、左翼は辛うじて拮抗。前曲も同じような有様だ。
「分かったわ。誰がある! 場内に撤収の合図を鳴らすよう伝えなさい!」
曹操は城門に走りながら、先程の部隊を振り返った。それはすでに前曲を通り過ぎ、敵右翼の中で猛威を振るっていた。
「孟徳様」
「王秀、あなたどこにいたの?」
「西の森に伏せていました。詳しくは風さんに。私はこのまま兵を拾って徐州へ向かいます」
「いいわ。援軍が到着するまで存分に暴れなさい」
「はい」
張飛率いる敵右翼は、予め送り込んでいた第六列の部隊によって混乱の渦中にあった。前には何進。側面には第六列。そして新たに竜渦陣の重装歩兵らが反対側の側面に現れ、包囲された形になっていた。
副将の麋竺と糜芳がそれぞれ側面に向かったが、それは何の効果ももたらさなかった。重装歩兵は特に優れた兵で構成されており、守りに徹すれば関羽や張飛でなければ突破は難しい。第六列はさらに歴戦の猛者たちで、戦局を引っくり返すための部隊だ。純粋な武官でない二人にその勢いを削ぐことはできない。
角笛の音が聞こえる。戦時からやや離れたところに馬で移動してきた司令部がいた。背後を守る幾らかの軽歩兵を除いた全ての兵は速やかにハサミの陣(中央を突出させた蜂矢の陣の類似形)に切り替えて一気に敵右翼を突破。重装歩兵を殿に、歩兵たちが順に司令部に合流していく。
「急ぎここを離れる。兵の損耗はその後に確認する。では、撤退の布陣で徐州へ向かう」
「はっ! 重歩兵を中心に縦列で急がせます」
「斥候は十分すぎるほどに行え。諸葛孔明ならかならずこちらの行き先を確認してくる。どこまで付いてこられるか我慢比べと行こうじゃないか」
***
突如現れた部隊に大きな混乱はあったが、被害は趙雲隊がほとんどで、前曲も張飛隊も勢いの割には損害は少ない。しかし、おかげで曹操を捕らえることに失敗した。呂布という切り札まで用いたのにも関わらずだ。
「西の旗、東へ戦場から離れていきます」
「そうですか。彼の目的はあくまで曹孟徳さんの救出だったみたいですね」
思わぬ伏兵があったが、徐晃に紛れて陳留を離れて近隣に潜んでいたことは明白である。付近にいるという楽進や于禁という将軍と合流されると厄介だが、ガイウスの用兵は基礎がローマ式なので一体となっての運用は難しいだろう。
ではガイウスは次にどのような行動を取るのか。一般的に籠城戦の遊撃兵は背後からの奇襲や兵站を狙う。しかし孔明の予測は次の伝令に裏切られた。
「西の旗、まっすぐ東へ向かっていきます。姿を隠す様子もなく、街道を行軍中。張将軍がこれを追撃しに出発しました」
聞けばガイウスの軍は陳留郡東部の外黄県付近まで移動しているという。装備の重量に対して恐るべき速さだ。自軍の後背を突くには離れすぎている。
任務を終えたので安全圏に避難したのかと思われ、一同の空気が遅緩する。しかし、その中で一人思考を巡らせていた諸葛亮がある可能性を導き出して目を見開いた。
「桃香様、いけません! 鈴々ちゃんにすぐに引き返すように伝えてください。敵の目的は沛か下邳を戦場にすることです」
一度捨てた拠点とはいえ、劉備は徐州の民に好かれている。そこを攻めることは彼女の名声に大きな傷をつけかねない。
諸葛亮は臍を噛んで悔しがった。斥候は出しつづけるが、敵の遊撃隊を一つ自由にしてしまうのだ。
「大秦の将軍……侮れないですね」
もちろん、これも程昱の指示である。劉備の最大の武器は民衆の心を掴むことだが、言い返せば期待を裏切る行為ができないということである。
諸葛亮は予定通り城を攻めるとともに、城内に損害を与える策を推し進めることにした。しかし、予定外のガイウス隊への警戒に兵を割くことで、城攻めはわずかに遅延することとなった。これは各地の曹操軍の帰還までに早期決着をつけたい彼女にとっては焦りを生むこととなる。
***
一方ガイウスは劉備軍の斥候を排除した後、徐州へは行かずに城から付かず離れずの位置に陣を設営していた。幅四メートルはある堀に囲まれた長方形の陣営には、中央に司令部を置いて周囲に兵舎や糧食庫が設けられている。仮に発見されても充分に戦える構えだ。
陣営からは絶えず斥候が放たれている。目的は程昱からの指示を持った伝令を確保することである。
ガイウスが司隸へ発つ前に、程昱は山道を通り城外に潜み、野戦の良い時に攻撃を仕掛けて徐州へ行くふりをすることを献策した。その後の城攻めでは必ず内部を疲弊させる策を弄じでくるのでその対処を連絡すると伝えていたのだ。
「王秀さんの大秦式の陣構築は覚えましたので、いくつか候補を挙げておきましたよー」
支城の周囲一帯の詳細な地図が広げられる。陳留近郊ともあって精度は群を抜いて高い。
「高地にあり、敵から見つかりづらく水源が近い。当てはまるのはこの二箇所です。ですから王秀さんには状況を見てどちらかに拠点を築いてもらって、伝令を待って欲しいのです」
「わかりました。それで、伝令は包囲された城からどう脱するのですか?」
「へい兄ちゃんや。お城というのは秘密の通路の一つや二つ、隠されているものなんだぜ。と宝慧が言ってます」
程昱の言葉を思い出し、ガイウスは次の指示を出す。
「程軍師が伝令を放つなら先の野戦を終えて劉軍が動き出してからだろう。どんな道を辿ってくるかは分からん。陣営の周辺を絶え間なく巡回せよ」
そういうガイウスの指示により、ほどなく伝令が伝えられた。記されていた内容は以下のようである。
『劉玄徳の軍は大軍で兵糧も不十分であり、こちらの援軍のこともあるから早期決着のつもりだ。ゆえに劉玄徳軍が取りうる指針は総攻撃による力攻めと、こちらの弱体化。士気を下げる常道は兵糧攻めが手堅く、火矢での焼き討ちや水源への攻撃が懸念される。今水路の一つが絶たれたのはまさに諸葛亮の策である』
都市あるいは城が築かれる場所の条件は第一に水源を確保できることである。最も良いのは城壁内の井戸で水を得られること。しかし防衛の観点から最上ではない場合は、水源の近隣が選ばれる。小規模な防衛拠点を経由して水源を接続することもあれば、この支城には井戸はあるが、河川からの流水も用いている。これが干上がる視覚的なダメージは確かなものだった。
***
一つの水路を埋め立てて帰参した趙雲は、いくつかの確認を関羽と行った後に、次の水路での作業に当たっていた。
「やれやれ。これではまるで工兵ではないか」
ぐるりと周囲を一望すれば、先の一戦で消耗した部隊が農具を持って水路の壁面を崩している。水流を逸らしているうちに元の水路を埋め、城内への流れを堰き止める作戦だ。
当然ながら全ての兵が工事に従事しているわけではなく、交代で警備にも当たらせている。数人の斥候もある。
まもなく斥候が戻ってくる定時になろうというころ、趙雲の耳は馬の駆ける重音とはまた異なる、何か嫌な予感を想起させる低音を捉えた。
「総員装備を切り替えよ。何か来るぞ! 周囲を観察しろ!」
城壁から離れた場所での作業。辺りは森林で見通しは悪い。しかしだからこそ騎兵による奇襲は想定しづらい。
(ならば火矢か! 曹孟徳の巨大な弩を移動させていた音か? あるいは霹靂車から火をつけた巨石でも投じて森ごと攻めるつもりか?)
否。攻撃は水だった。視界の悪い森の中、急流が迫ってくることに気づけたのは既に目と鼻の先までやってきた頃だった。
「総員退避! 流されれば曹軍の城の中だ!」
支流を作っていたものが吹き飛ばされる。水路を塞いでいたものは土砂もろとも濁流に巻き込まれ、鎧の重みに身動きも取れずに水死するか、軽装の者は城の方へとあっという間に消えていく。
趙雲はまたしても兵の大多数を失ってしまった。
「くっ……。軍師殿の策が読まれていたというわけか。皆! 間もなく敵兵が攻めてくる。私が殿を務めるゆえ、離脱せよ!」
ずぶ濡れで重い身体を引きずる兵たちが、城攻めを行っている関羽の部隊へと移動を始める。しかし時既に遅し。一人の兵がこの世の終わりの相貌で上流を指さした。
「西の旗だ。鬼が来る……」
***
遡ること二刻前。残る水路の封鎖を阻止すべく、ガイウスは川の上流へ急いだ。
これらの水路は城内の利便性を高めるために複数あるが、元を正せば一つの川に辿り着く。ガイウスは川から水路へ水を引くために工事された地点まで来た。
「斥候」
「はっ。未だ残る水路へは敵工兵は現れていません」
「よし。ならば水量を加減するよう工作せよ。急ぎ貯水池を作り、どちらの水路へも水が流れるよう細工しよう」
こうしてガイウスは簡易なダムを建設した。ローマ軍には常に工兵が軍団の中にいる上に、全員が拠点作成のためにある程度土木技術がある。曹操軍の中にあっても、彼はそうした軍団を作っていた。
「劉軍現れました。指揮官は趙子龍です」
「なんとも運のない将だ。工兵を残して総員行軍準備。ここで趙部隊を殲滅する。おそらく他部隊への合流を試みるだろう。城南への道を断つように半包囲を行う!」
趙雲の部下が目にしたのはこれから行く手を阻もうとする重装歩兵とその後ろの軽装歩兵であった。
鈍重な彼らが辿り着く前に何としても離脱せねばと鎧も盾も捨てて身軽になって走る。必死の形相で走りながら横目に敵軍を見て、彼は走るのを止めた。重装歩兵の奥から、騎兵が次々と現れて進路を塞ごうとしている。彼は守りを捨てた己の失策を悟った。
「ハイ、ハイ、ハイ!」
樹木の陰から放たれる投石を趙雲は持ち前の槍さばきでいなす。さらに背後からは弓兵による攻撃がある。生き残りの兵たちが次々と討たれていく。
さらに悪いことに、彼女の耳は関羽隊の方角に馬の音を聞き取った。
(曹孟徳を袋の鼠にしたと思ったが、追い詰められていたのは私たちのほうだったか!)
そろりと森から剣や短槍を持った兵が姿を現す。このような雑兵なら切り抜ける自信が趙雲にはある。しかし彼らの獲物は部下であり、遠距離から降り注ぐ攻撃が趙雲に集中して身動きが取れない。
「西王秀はどこにいる! 将が前線にいないとは臆病者め! 将たる資質を示したくば姿を現せ!」
趙雲の怒声が響き渡る。しかしこのときガイウスは工兵とともに水路の上流と重装歩兵、趙雲らが見渡せる中間地点にいた。
「将軍。逃げた敵は一人残らず討ちました」
「貯水池が満水です」
伝令の報告を聞いて方針を練る。それがローマ軍指揮官のあり方である。
「将軍はお忙しい。俺たちが相手だ!」
「はっ。兵卒ごとき相手になるものか。将より兵のほうが勇ましいとは聞いて呆れる、な!」
趙雲の槍が軽歩兵を襲う。円盾でなんとか軌道を逸らしたが、体勢は大きく崩れている。俊敏に槍を引き戻した趙雲はそのがら空きの胴を突く。
「うおおお!」
隣の兵が盾を差し込むが、まともに受けた盾は半壊して二人は揃ってもんどり打った。
「二突きでこれか。歯ごたえがなさすぎる。見逃してやるから西王秀を出せ」
「い、嫌だね」
「ふむ?」
趙雲の背後から別の兵が剣を振り下ろす。趙雲は即座に対応しようとして、降り注ぐ矢を交わすべく横っ飛びで回避する。
「なるほど。あれは確かに厄介だ。しかし部下もいない今なら貴様らを抜けて斬り伏せることくらい造作もない!」
射線を塞がないように軽歩兵が立っていたのが仇となる。趙雲はまっすぐに森林に潜む投擲兵と弓兵に一閃を加えようと跳躍した。
そして、その音を聞いた。
「これは、さきほどの!」
射線に誰もいないのはブラフだった。真っ直ぐに趙雲を行かせ、逃げられないように包囲するための配置だった。
「あ、あああああ!!!」
不覚を悟った趙雲の目前に、幾多の兵を屠った水流の壁が迫る。
(桃香様、御免!)
その後、ガイウスの兵が趙雲の死体を探したが、水路近辺には見当たらず、捜査は打ち切りとなる。
さらに城内からの鏑矢を契機に続々と味方が現れ、劉備軍は撤退を強いられることになった。
***
「つん、つん」
「生きてるー?」
「息はあるよー」
水路下流。糜芳と糜竺は意識不明で流れてきた趙雲を発見。保護する。
「これは貸しだね」
「うんうん。電電たちがいなかったらどこまで流されてたか分からないもんねー」
後日商人への借りに悲鳴を上げる趙雲が、ガイウスへの恨みを滾らせたのは仕方のないことである。
星ちゃんおいたわしや。風の策略によって川に流されるとは。
軍団の編成はやや古めの共和政のものがベースです。おそらく帝政期にはパルティアを降したことによって騎兵隊が強化されたでしょう。