秦・恋姫†無双   作:aly

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なんとかきりのいい西涼パートまで書き上げられました。
どうも革命シリーズの登場人物は書きづらくて遅くなりました……。


定軍山

 その戦は偶然の産物であった。一方で必然の事象でもある。これは誰の主観かで変わるものだ。戦の当事者である黄忠や夏侯淵にとっては偶然に違いない。しかし読者の皆様方を含む後世の人々には必定のことなのだ。たとえば川中島の戦いやレニャーノの戦いはその一例で、我々は当時の両軍がなぜ不意に遭遇することになり、その後の戦況と趨勢を当然のように語れる。

 雍州からの報せで西涼に馬超がいることが判明したことを受けて、曹操は援軍を派遣することを速やかに決断した。これは雍州兵が各地の監視および有事の鎮圧に労力を割いている上に、騎兵に対しては数をもって当たらなければならないことを兵法から熟知しているからだ。

 兵を率いるのは夏侯淵と副将の典韋が選ばれた。これはガイウスに夏侯惇を御しきれるかという疑問があったためだ。

 夏侯淵は速やかに行軍の支度を整えた。その手際は曹軍随一といってもいい。敬愛する主君への挨拶を済ませても、出立までの時間は十分にある。戦の前だ。日常を確かめておくのも良いかと彼女は城内をふらりと歩き始めた。

 庭園の東屋で喧騒が聞こえる。離れたところからでも聞こえるのは曹仁の元気な声だった。東屋には他にも人がいるようだったので、挨拶でもしておこうとかと歩みを進める。そこにいたのは曹仁、曹純、曹洪、一刀というやや珍しい組み合わせだった。

 話を聞いていると、合肥の戦いの反省を受けた一刀が兵法の勉強をしており、潼関の戦いで兵法に触れた曹仁が便乗。残りの二人は講師役をしているようだった。叱られないということは堪える。見放されたというわけではない。一刀自ら乗り越えられる信頼の証だと曹操を知る皆が理解した。

 彼の主君に応えようとする姿勢に緩んだ頬を引き締めて、夏侯淵は彼らの輪に加わった。

 

「お前のその意気があれば大丈夫だろう。栄華、柳琳。しっかり頼んだぞ」

 

 今の悩みを打ち明けると、存外夏侯淵は肯定的な感想を返してきた。一刀の内心にやる気がみなぎる。

 と、そこで野生の勘というべきか、夏侯淵の違和感に曹仁が気づいた。

 

「どこか行くんすか?」

「ああ。雍州に馬超の姿が散見されている。何かの策であるなら早めに潰すに限る」

「そうなのか。気を付けてな」

「なに。華琳様は雍州も見ておられると伝われば最低限の成果になる。敵の規模を把握すればなお良し。馬孟起は戦になるか謀略で退けるか……桂花の意見を聞いてからになろう」

 

 それから現れた許褚との会話に、一刀は一抹の不安を覚えたが、その正体は不明だった。

 

***

 

 それから一刀は市内を散策していると珍しい人物たちに会った。天和と地和。かつての黄巾の乱の表向きの首謀者である。今は地方公演で歌や踊りを披露しているはずだが、荊州と豫州という比較的新しい領土の慰撫を終えて帰ってきたところらしい。

 

「ねえ一刀〜。涼州にも行けるようにお願いしてくれない?」

 

 かつて計略として涼州で公演を開いたが、それは見事な盛況ぶりだった。彼女たちとしてと忘れられないのだろう。

 しかし夏侯淵が出立したように涼州は今安全とは言い切れない。

 

「悪いけど河北で我慢してくれないか。ガイウスや秋蘭が反乱勢力を抑えている最中なんだ」

「そうなんだ……あ! お腹空いたし一緒にご飯する? もう一人いるけど」

 

 その物言いに人和ではないことが分かる。さて誰だろうと思えば、それは何進だった。なんでも護衛を請け負っていたらしい。

 

「ところでそのお肉はどうしたの?」

 

 一刀は背負っていた巨大な肉が見つかってしまったことにため息を付いた。これは許褚が夏侯淵たちの帰還祝いのための試食用に買ったものだ。しかしその食べごろは数日後。だからその帰還祝いに張三姉妹に参加することになったのたが、当の偵察隊の帰還日が分からない。なにせ場所は定軍山だ。

 

(定軍山……?)

 

 聞き覚えのある地名になにか引っかかる。何進が漢中の近くにあることを教えてくれ、踏み込みすぎると劉備との諍いがあると告げる。

 そして全てのピースは繋がった。

 

(定軍山、夏侯淵、漢中……そして黄忠!)

 

「黄漢升はもう劉玄徳の配下だっけ?」

「弓の名手の黄漢升のことなら長沙にいるはずだが」

「長沙ならとっくに劉玄徳の領土だけど、何か関係があるの? 定軍山はすごく離れてるじゃない」

 

 その通りだ。しかし黄忠は劉備の将として軍を率いる立場になっている。長沙に籠もっているわけじゃない。そして史実通りなら夏侯淵は黄忠によって……。

 

「早く華琳に伝えなきゃ大変なこと……に?」

 

 一刀の視界が明滅すると、一際大きなフラッシュの後に視界が暗転する。わずかに残された聴覚から周囲の音を拾いつつ、やがて小さくなっていくそれとともに一刀の意識は途絶えた。

 それからしばらくして一刀は目を覚ました。近くには曹操。しばらく頭が働いていないようだったが、彼女の口から発せられた夏侯淵の名に全てを思い出した。

 

「華琳。秋蘭を定軍山に行かせちゃだめだ! 援軍かせめて早馬を用意してくれ!」

「はぁ? 秋蘭はもう潼関を過ぎているのよ? 頭でも強く打ったの?」

 

 一刀は次の言葉を一瞬躊躇した。先の突然の昏倒。同じ話題でさきのあれが繰り返さないとも限らない。もしも全て伝えきれなかったら。

 一瞬の逡巡の後、一刀は正史での定軍山の戦いと合肥での正史とこの世界の歴史との共通点を強く主張する。しかしその間彼を襲ったのは鈍い頭痛ばかりで、視界も発声も正常だった。

 

(いったい何だっていうんだ?)

 

***

 

 ローマでは領土外や新たに加えたばかりの領土での反乱での戦争では必ず現地の協力者を探す。彼らは水場や安全な休息地、見つかりづらい道を知っている。また、攻めやすい場所やそれから逃れる術もよく知っていた。重要なのは信の置ける者を選ぶことだ。

 雍州に夏侯淵が定軍山に偵察に行くという報せを聞いて、ガイウスはまず反馬超の思想を持つ将と山地に詳しい地元出身の兵を募った。そして彼らを陳倉で合流するように夏侯淵の下に送っていた。

 

「ふむ。これで四つの峰を確認したが、馬孟起とその一族の姿はなし。周囲の村々でもその噂は聞けず、か」

「それにしてもすごい早さで行軍できましたね」

「この現地の者を用いるというのは随分便利だな。うまく扱えば揚州や益州の攻略にも有用だろう」

 

 今回採用されたのはガイウスや程昱の監督のもと、雍州出身の官吏が推挙した者たちである。なかには彼らの親族もおり、功を立てて自らの出世を企むものもいる。しかし分かりやすい欲に動かされているものほど信が置けるというものだった。 

 定軍山というのは夏侯淵のいったように幾つもの山々が連なった総称だ。最高地点の標高は八百と低山だが、六百前後の森林が十キロにわたって続いている。通常人々はこの連峰を避けるように設けられた道を行くのだが、中には地元の人間が用いる谷間を縫って作られた山道がある。

 西涼北端で最初の目撃があった馬超だったが、程昱の調べにより漢中近郊をはじめ、涼州や雍州の各地で足跡が見つかっている。どうやら馬超以外にも供がいるらしいが全容はつかめていない。最も重要なのは、一番最近の目撃例が定軍山のわずかに北にある勉県だったということだ。北上すればガイウスたちに見つかる可能性は高い。そこで夏侯淵たちは南に抜ける道である定軍山の調査にあたることになったのだ。

 

「さて。残るは八つか。なかなかに骨が折れるな」

「でも早く戻らないと季衣がうるさいですからね。頑張ります!」

「ああ……。帰還祝いを開いてくれるのだったな。それでは早々に任務を終わらせ――」

 

 典韋と談笑していた夏侯淵の目が視界の隅を走る線を捉えた。

 苦悶の声とともに倒れる兵。それも一人や二人ではない。

 

「しまった。長くひとところに居過ぎたか!」

「将軍! こっち、こっちです」

 

 一人の男が倒れた兵の隙間を縫って夏侯淵のそばに現れた。革製の鎧に泥を顔に塗りたくった男は地元の案内人だった。

 

「あの木のほうには誰もいませんで、まずはそこから逃げなんせ」

「そうか。 皆、私について来い! 敵将を討ち取る!」

 

 弓兵を指揮していた馬超はぴりりと身構えた。視線が合った覚えはないが、曹操軍の中でも選りすぐりの名将と名高い夏侯淵が相手だ。向かってくる相手は的が小さい。集中を高めるよう兵に指示を出したところで、当の夏侯淵は明後日の方向に駆け出した。

 

「だ、騙されたーー!!」

 

 軍とも呼べない隊が幾つかの集団では包囲網に穴が空いていた。いや、あまりに木々が乏しく低い草が生い茂っているだけだったので、発見を恐れてあえて兵を配置していなかった場所だ。

 慌てて夏侯淵を追うと、その草の向こうは急な斜面となっていて、陽光によってよく育った木々によって既にその姿は完全に失われていた。

 夏侯淵間一髪の出来事だった。

 

***

 

 それからの両軍は一進一退の攻防を繰り広げた。馬超と馬岱が率いる二つの部隊は西へ西へと包囲網を馬岱が進め、時折馬超が先回りして山道を捜索した。

 夏侯淵たちは幾度も息を潜める羽目になったし、ときには遭遇戦も免れなかった。この攻防戦は一日では決着がつかず、三夜にもわたって続けられた。

 

「秋蘭様……」

「案ずるな。きっと凱烏と風が接敵に気づいているだろう。援軍が来るまで耐えるのが私たちの役目だ。それに季衣と宴会の約束をしたのだろう?」

「――はい!!」 

 

 月が雲に覆われた夜。暗がりで幼い典韋を抱き寄せて聴覚を研ぎ澄ませていた夏侯淵に予期せぬ音が舞い込んだ。

 

「これは――鏑矢か!」

 

 北の方向からだ。続けざまにもう一射。一射目は見逃していたが炎をまといながら宙を派手に舞っている。

 間違いなく程昱の策だ。素直に考えればあそこに援軍があり、合流できれば無事に帰還できる。しかし急な行軍をすれば馬超に補足されてしまって先に全滅の危機がある。

 鬼才程昱なら何を意図しているか。夏侯淵の悩みは遥か離れた山道の異常によって晴らされた。

 

「合図の下へ急げ! この夏侯将軍に続くんやー!」

 

 軍馬の音が激しく踏み鳴らされる。これではすぐに合流地点にたどり着いてしまうだろうと誰もが考えた。馬超もその一人だった。

 

「待ってたぜ! 夏侯……って誰だ!?」

「はー? 絡繰夏侯将軍率いる部隊に決まってるやん?」

「絡繰ぃ!?」

「絡繰夏侯将軍はな、腕を十二本つけたから矢を一度に六射できるんや。精度はいまいちやけど逆に避けにくくて結果めっちゃ強いんな。ほな、いくでー!」

 

 謎のとんでもない絡繰を先頭に、盾を構えた騎馬隊が一気に山道を駆け抜ける。馬超隊の矢や槍をものともしない。馬超は無防備に見える背を追って駆け出した。 

 

「将軍、将軍」

 

 遠くから聞こえる喧騒に唖然としていると、いつのまにか部隊から逸れていた現地協力者とガイウスの兵がそばに控えていた。

 

「今西が最も安全です。漢中方面まで案内します」

 

 たしかに馬超は北におびき寄せられた。残るは馬岱、馬休、馬鉄だが、いずれも馬超には劣る。であれば撤退は可能だ。

 

「しかし凱烏が動いているのなら馬孟起はここで叩いていたほうがよいのではないか?」

「無論、手はずは整っております」

 

 その手はずが何か分からぬまま、夏侯淵たちは無事に武都郡に避難した。

 

***

 

「ところで秋蘭様。さっき秋蘭様のフリをしていたのって……」

「真桜だろうな。合肥にいるはずがどうして西涼にいるのだか……。しかし助かったのは事実だ。あとで礼を言わんとな」

「はい!」

 

 李典が雍州に来たのは一刀が定軍山の戦いに気がつく遥か前のことだった。

 長城を経て西域から帰還したガイウスは来たるべき劉備馬超連合との戦いへの備えに奔走していた。

 まずは後背の備えとして北の長城の修復を行った。放牧を主に生業とする民族たちに修復事業の報酬として二十年間の間長城の南八里(約3キロメートル)を彼らの自由にしてよい土地として与えることにした。彼らが長城を十キロ修復すれば東京ドーム600個分以上の土地を放牧できることになる。

 次いで長安から渭水の北を通って天水までの街道の整備に取り掛かった。南岸に道路を整備しなかったのは敵に利用されることをできる限り防ぐためだ。

 ローマの道路は漢のものとは比べ物にならないほど手が混んでいる。かつてガイウスが休暇日に市街を訪れた兵から聞いたところによると、戦車(チャリオット)が交差できる幅があったという。

 

「ふむふむ。それほどの重さを支える道となると、かなりの石を積み重ねないといけませんねー」

「はい。しかしそれほどの道を三尺半(約四メートル)もの幅で作るわけにはいきません。そこで街の中といくつかの地点のみ三尺半とし、残りは一方通行の二尺弱にしようかと思います」

 

 今の鉄道でいう単線列車のすれ違い地点のような形だ。単純だが費用も工期も大幅に削減できる。石の採掘も一刀と作り上げた大秦石(ローマン・コンクリート)で一部補える。このためにガイウスは李典を急遽長安に招聘し、大秦石の大量生産にあたってもらっている。

 

「道が出来れば人が動く。さすれば金が動きます」

「税収ですねー。お兄さんも策士よのう」

「む。私はただこの金の使い道を相談しようかと思っているのですが」

 

 今西涼に求められているのは、一つが糧食の買付、二つが良馬の買付、三つが民の心を掴むこと。そして最後に漢中や荊州北部への救援である。

 さきの二つは既に依頼済みであるし、量は相手次第だ。民の慰撫は反乱の目を摘むことになるので、生活の向上に投資するのは重要だ。しかし州牧でありながら将軍たるガイウスにとって、真に求められているのは軍事行動の円滑化だろう。

 そこでガイウスは長安から漢中への行軍路の見直しと、漢中との連絡網の整備に着手することにした。

 長安から漢中へは現在いくつかのルートがある。西涼にある複数の都市を介して行く安全だが迂遠なルート。そして山脈に存在する複数の山道を用いるルートである。

 ガイウスは後者に着目した。

 

「水はけのよいように東側の斜面にある山道を用いましょう。いえ、斜面をくり抜いて雨天でも行軍できるようにしてもいいかもしれません」

「それは大規模な工事が必要そうですねー」

「南の情勢の変化に間に合いませんか」

「おそらくー」

 

 実際古代ローマではアーチを用いた回廊がいくつも作られている。それは街道としてだけではなく水道としても多く用いられた。また、駅伝制度を用いた郵便にも大いに役立ったという。

 とはいえ今回の場合五年は工事に必要だ。外史ゆえの凝縮された時間はそれを許さない。

 

「では第一の案でいきましょう。幅は馬車一台と人一人分でよいですか?」

「それはですねー。敵に後背をつかれたときに反転できるかどうかが問題ですね。歩兵と騎兵の混成軍などは大変では?」

「崖上に馬を寄せ付けないための柵などを設けましょう」

 

 これらの工事には主に長安を中心とした雍州全土から従事者を募った。度重なる不作にあえぐ農家の次男や三男が日当を求めて働きにやってくる。もちろん、軍の調練として兵たちにも作業に当たらせる。

 どこにでも転がっている拳大の石から数人がかりでないと運べない巨岩まで、自然に転がっている資源をガイウスは有料で買い取ることを商人に伝えた。商人はそれらを山岳地帯の男たちから買い取り、必要な場所まで運んでくる。

 この公共道路事業により、道路の完成前から雍州経済は大きく上向く。その資金は陳留に送られて曹洪によって各地に配分された。特に鼻の利く商人たちは揚州から米などの食材を多く仕入れて大いに稼いだ。

 これらの土木作業で、李典の採掘能力は曹操の配下でずば抜けている。長安で道路計画を立てるやいなや、ガイウスは彼女の配置換えを曹操に願い出た。程昱による軍事的、経済的な長期的なメリットを提示したおかげでそれはスムーズに裁可された。

 

***

 

 馬休と馬鉄の隊は明確に夏侯淵たちを捉えていた。北方から敵の合図が聞こえるやいなや飛び出そうとする姉を止めてきた馬岱を加えた三人はこれが罠であったときのことを考えた。

 そこで北への追撃を馬超が担い、やや後方で馬岱が周囲を警戒する。馬鉄は真逆の南へ向かい、馬休は天水方面を警戒して西へ向かった。

 

「間もなく安全地帯ですが、北方から敵影です。このまま走り抜けてください」

 

 相手はどの馬氏かは不明だったが、歩兵部隊のようで足はさほど早くない。しかし疲労の分でやや夏侯淵たちのほうが速度は劣っている。

 真っ先に彼女たちを捕捉したのは最も近くにいた馬休だった。いかに森林が馬の駆ける音を静めるとはいえ、十数の馬と金属製の鎧を鳴らして走る兵が出す音を馬が聞き逃すことはない。そして長く馬とともに生活してきた馬休ら西涼兵はそれを聞き逃さなかった。

 

「敵将発見! すぐに鏑矢で皆に伝達しなさい!」

「はっ!!」

 

 すでに両者ともに道なき山林を走っている。速度を出しすぎれば木々などの障害物へ追突する恐れがあったし、歩兵は慣れない地形に疲弊が蓄積している。唯一の救いはこの山の傾斜が緩いことだ。

 一方西涼兵はこういった地形での騎馬術に長けていて、夏侯淵らよりずっと速く駆けている。幸い弓矢に向かない場所であるから、両者の激突は接近したときになる。

 

「凱烏の者! いかに山を抜けたとしてこれでは敵の良い的だぞ! 砦かどこかへ向かっているのか!?」

「いえ。それでは敵が警戒します。ですので荒野へと向かえと――」

 

 しかし彼の報告は凛とした鋭く頑強な剣を矢として放ったかのような冴えわたる声に遮られた。

  

「曹軍見つけました! 突撃ーー!!」

 

 馬休である。

 

「しまった! 後ろに気を取られていた! まさか南から接近を許しているとはっ」

 

 敵味方で入り乱れる声。夏侯淵の頭脳はこの危機をいかに乗り越えるかに集中し、典韋は間近に迫ってくる馬鉄の隊への対処に思考を巡らせている。

 

(ここでは私の弓は半分も力を出せん。流琉だけで敵将二人を相手取れるか? しかしこのまま逃げをうっては間違いなく追いつかれるぞ……!)

 

 戦うか逃げるか。単純な二者択一に夏侯淵が揺れる。その彼女の耳に届いたのは救いの声だった。

 

「将軍! 先にお逃げください! 我々がわずかばかりでも足止めを致します!」

「典将軍もお早く!」

 

 ただしそれは味方の犠牲の上になる救い。すでに逃げることはままならないと確信した歩兵たちが悲痛な声を上げる。そして上官の返答を待たずして馬鉄の隊に突進した。

 最初は足並みも揃っていなかったが、やがて横一列になり両端が最期の力を振り絞って加速する。

 

「あれは――鶴翼の陣か!」

 

 中央を攻める敵に対して両翼から包囲し殲滅する防御と攻撃を兼ね備えた陣形。智将夏侯淵の兵らしき動きで馬休隊の馬が切り刻まれる。

 もちろん中央の被害は甚大ではなく、間もなく敗れて馬休が飛び出してきた。しかしその隊の足並みは先程までの勢いはない。

 

「皆、すまぬ。この一射を以って礼とする!」

 

 逃走をしていた夏侯淵が流れるような動作で弓矢を手にする。狙いは敵将馬休ただ一人だ。

 

「――ッシ!!」

 

 それは間違いなく馬休の胴――心の臓への軌道を描いていた。対する馬休も槍を振り回し面で矢を迎え撃とうと身構える。しかしそれは夏侯淵の弓術には及ばない。

 しかし運命は不思議なものだ。

 あっ、と馬休が声をあげて体勢を崩した。彼女の馬が負傷していて、ぬかるみに脚をとられたのだった。

 必殺の一矢は彼女の肩をかすめて後方へ消えていく。

 

「剛腹だがその命、今は預ける。だが我々は往かせてもらうぞ!!」

 

 再び夏侯淵らは馬を駆る。凱烏の使いと生き残った歩兵を馬に乗せ、山を抜ける。

 

「行かせません!」

 

 わずかに足並みを崩した馬休隊が体勢を整えるのに要したのはわずかのときだった。十馬身ほど後ろを追走する。その差は徐々に縮まっていく。

 そのときが訪れた。

 山を抜け、夏侯淵らの視界が広く抜けた。そのとき妙なものが足元に見えた。それが何か判別する前に馬は駆け抜けていく。彼女は身を翻して確認しようとして驚嘆した。

 そこには壁があった。壁と言ってもわずか五尺(約一メートル)ほどの土壁だ。おそらくガイウスの兵であろう者がそのうえにさらに二尺ほどの木柵を土壁の上に打ち込んでいる。

 そこへ馬休隊がなだれ込んだ。

 

「きゃあ!」

 

 驚いた馬が急静止をかける。馬休はたまらず落馬した。他の兵も似たようなものである。ときおり柵越を試みた兵もいたが失敗の末に負傷した馬から放り出されたところを仕留められている。

 偶然ではあったがこの七尺という壁は現代の障害馬術での最高難度の高さに匹敵する。その高さはここまで酷使された馬が飛び越えるのは容易ではなかった。

 

「これは……」

 

 その様子を信じられないとばかりに普段の冷静さを欠いた夏侯淵が見つめる。

 

「程軍師様の策でございます」

 

 馬休隊が絡め取られていく様を見ながら、彼女の後ろに乗せられていた使いの者が述べた。

 

「西州牧様の軍は工作に優れていることに着目した軍師様が敵に気取られないよう山全体を囲われてしまわれのです。お味方は残されたいくつかの抜け道から脱出しています」

「それはなんとも……あの二人らしい豪快な手だ」

 

 この頃、目覚めた一刀からの報告で曹軍は一斉に西に向かう。その中には一刀の姿もあった。

 

***

 

 一日にしてすべてが入れ替わった。

 追う者だった馬超たちは定軍山という檻に囚われ、いくつもの西凱軍の隊から身を潜め、脱出路を探さなければならなくなった。

 ガイウスのいる州治所の漢陽郡は冀県に数日かけ夏侯淵隊の生き残りは辿り着いた。兵には休息を与え、彼女は典韋を伴ってガイウスの執務室へ足早に訪れた。

 部屋の中にはガイウスと程昱がいた。徐晃は斥候のために街を離れているという。それはさして問題ではない。この奇天烈な策謀は必ず目の前の二人から生まれたものに違いないからだ。

 

「先の戦では助かった。二人の策だと聞いたがどのようなものなのだ?」

 

 形式上礼を述べているが、夏侯淵の視線は机の上の地図に釘付けだった。巨大な木板には定軍山を含む周囲の地形が書き込まれている。それは直接現地に足を踏み入れた彼女の記憶より精緻なものだった。

 その山の中には馬の旗が四つ刺してある。その北上にある冀県に西、程、夏侯、典の旗。その間の武都郡の南あたりに徐の旗がある。

 奇妙なのは徐晃の旗のすぐ南に朱色の墨で線が引かれていることだ。その線は定軍山をぐるりと囲んで一つの円となっている。

 

「簡単なことですよ。騎馬の戦力を貶めるには自由に動けなくしてしまえばいいと思ったのです」

 

 いつもの飴を舐めながら、程昱は本当になんてことはないというふうに答えた。

 

「ここで防壁を運びやすいよう分けて作ってしまい、いくつもの計画された地点に輸送しまして〜。それを機を見て一気に組み上げれば秋蘭ちゃんたちを包囲の外に逃がしながら馬家を柵に囲い込めるのです」

 

 策の大枠は程昱のものだが、それは工兵に優れたガイウスの隊と大秦石の存在が前提にある。

 

「それで……囲い込んだ後の策はあるのか?」

「はい〜。実はこの壁には何箇所か容易に取り外しができる場所がありましてですねー。昼夜問わず散発的に兵に侵入してもらっています」

「それは……恐ろしいな」

 

 夏侯淵の頬が引き攣る。ただでさえ逃げ場のない立地に、敵兵の動く音がする。消耗を避けるために無闇に戦闘はできないので馬超たちの神経はすり減るばかりだろう。

 

「頃合いを見て馬家の方々には上手く囲いを脱してもらいます」

「あれ? それじゃあ逃げちゃうんじゃないですか?」

「琉琉。風のいう脱出路は我々が用意するのだ。無論罠だが、相手も罠だと分かっていても誘いに乗るしかない。私達が突破口を目指したようにな」

「さすが秋蘭さまー。騎兵の突進に負けないお兄さんの歩兵に秋蘭さまの弓兵でほとんどの敵は敗れます。取りこぼしは琉琉ちゃんと真桜さんの兵にお任せするということでー」

 

 ガイウス率いる軍に本格的な反撃の狼煙が上がった。

 

***

 

 徹底的に騎馬に対策された土塁と木柵に周辺を囲まれて二週間が経つ。持参した糧食はほとんど底を尽きかけ、現地調達でしのぐ有り様だ。

 生まれ故郷を追われてから泥水を啜ってでもお家復興を誓った。しかし馬家の私兵はともかく西涼で募った兵の士気の落ち込みは酷い。

 曹猛德、いや西王秀の軍は豊富な兵を利用して散発的に奇襲を仕掛けてくるので休息もままならない。軍は岐路に立たされて来た。

 援軍は見込めない。逸れていた黄忠がいるがどれほどの戦力になるか。ここで取れる選択肢は多くない。

 一点突破で防壁を破る。敵の防備を薄くするための陽動が必要だが、必ず犠牲を要する。

 敵の奇襲隊の出どころを突き止めて対象王秀を討ち取る。しかしその危険度は桁違いだ。全滅もあり得るが涼州兵の誇りは示せるだろう。

 そして降伏。しかしこれは絶対にあり得ない。母様の誇りを汚した曹猛德に降ることは何に変えてもアタシの矜持が許さない。

 

「蒲公英、敵の奇襲隊の進入路はつかめそうか?」

「ううん。あいつらいくつも道を作ってるみたいで逃げる方向がばらばらなんだよ」

「そうか。鶸と蒼はどうだ? 手薄な防壁はあったか? その後の道が南に続いていればなお良い」

「それなら二つ。防備はそれなりですが逃走経路に優れた場所と防備は薄いですがやや遠回りが必要なニ点です」

 

 馬超は考え込んだ。

 どちらが成功率が高く、犠牲が少なくて済むのか。囮はどこへ向かわせるか。誰が担うのか。この作戦を遂げたとき、四人のうちの誰かが欠けている可能性は高い。

 

「西王秀は策士だ。だったら防備を薄く見せかけることなんて朝飯前だろうさ。最短距離を駆け抜けよう」

 

 ここまで潼関に始まりこの定軍山の囲いといい、ガイウスの智謀(正確には程昱のものだが)を馬超は身にしみて実感している。それにかつて馬家で彼を匿ってきたときですら彼は優れた頭脳を示していた。

 

「出口がバレないように守備兵は見つかりにくいようになってるけど、きっといるよね?」

「それに進めば進むほど防備は厚くなるだろう。夏侯如才がいてもおかしくない」

 

 それでもやるしかないのだ。決行は晴天の日。狩りで力を蓄えた翌日と決まった。

 

***

 

「斥候の動きが減りましたね」

「おそらく脱出路を定めたのだろう。南方への出口は二箇所あるが、凱烏はどうみる?」

「間違いなくこちらでしょう」

 

 ガイウスが示したのは馬超が選んだものであった。

 

「策の読み合いは避けるでしょう。ならば純粋に力と速さ比べとなるここが彼女らの上策です」

「あとは迫真の演技で阻みつつ、丁度よい穴を馬孟起に見つけさせれば我々の勝ちかと〜」

 

 ここで馬超を捕らえるか討つことで今後の戦況は大きく変化する。西涼の統治に影響はあるだろう。しかし劉備に公孫瓚に次ぐ騎馬戦力を与えるのは荊州での戦略の幅を広げることになる。

 程昱は扇子を広げて地図をぼんやりと眺める。

 

「馬孟起の恐ろしいところは野生の如き機敏かとー。ならばこちらは獣を狩るように追い詰めましょう」

「それはいい。狩りには多少自信があるからな」

 

 先日馬休たちにしてやられた夏侯淵がほくそ笑む。

 

「まずは斥候を増やして遭遇戦を増します。そうなれは馬孟起さんたちも脱出を早めると思いますので〜あとは追い立てる頻度を調整して機を合わせるのがよいかとー」

「秋蘭と流琉、香風の三人には壁を抜けられる頃合いには防衛の構えを整えてもらいます。最後の追い立ては真桜に率いてもらいましょう」

 

 ガイウスの脳裏に労働基準法なる不思議な言葉を叫ぶ李典の姿が見えた。彼女のおかしな言葉は一刀の影響で大概どうでもいい。

 すぐさまその案を採用すると、彼は目的の砦に馬を走らせた。

 

***

 

 馬超はここ数日増加した敵の斥候から、山狩りが本格化してきたことを悟った。雍州からの兵が続々と到着しているのだろう。

 

「蒲公英、今晩だ」

「うん。月が欠けてて雲も多い。雨の心配もなさそうだよ」

 

 馬超たちの作戦では定軍山南西にある西王秀軍の壁の穴をついて包囲を脱出。敵の手に落ちた漢中と関を避けるように進路を西に取り、桟道を通って剣閣を経由して成都に向かうというものだ。

 桟道を馬を連れて行くのは至難の業だ。多くの兵が脱落するのは目に見えているが、少なくとも自分とその愛馬や妹たちは無事だろうと確信していた。

 ただ少しでも敵の追撃に遅延を生じさせるために桟道を追うリスクが高い天候を選んだ。

 

「きっと壁を抜けた先にあいつはいる。でも日が沈みきる前に桟道へ辿り着かなきゃならない。お前たち、我慢できるな?」

「お姉様こそ」

「うんうん。一番頭に血が上りやすいんだもん」

 

 自覚しているだけに馬超は押し黙って、斥候に見つからない瀬戸際まで馬を進めることに専念した。

 そしてついに陽が遠くの山頂にたどり着いた。馬超はひらりと馬に騎乗すると後ろに居並ぶ烈士を一瞥して槍を身体の側面でくるりと振るって壁を指した。

 

「行くぞ」

 

 地滑りでも起きたのかと錯覚するような音とともにその集団はガイウス軍が守る壁面の前に現れた。

 

「蒼! 丸太隊で壁を攻撃! ひと当てしたら後ろへ回れ!」

 

 騎馬隊ならではの衝車隊である。本来何度も振りかぶって扉や壁を破るところを馬の走力が生み出す力で衝撃を与える。その攻撃が縦に並んだ兵たちによって矢継ぎ早に繰り返される。木製の柵は容易に破られ、土塁もあまりの勢いに損耗する。馬が跳躍できる高さとなった。

 

「お姉さま! 先に行きます!」

 

 馬休がまず壁を乗り越える。馬岱、馬超と続いて丸太を捨てた馬鉄が後を追う。

 平地に着くや否や、馬休は馬首を左に向けてその場を離脱した。そのまま馬を走らせながら周囲を確認する。ここはいずれかの道のようで、前方に兵がずらりと並んでいる。おそらく背後も同様だろう。自分たちが飛び出してきた山と反対側の斜面の上にも兵が弓を構えているのが見えた。

 

「包囲されています!」

 

 そうは言っても馬超たちにできることはその包囲を突破することだけだ。続いて道に現れた軍はすべてが南への道へ馬首を向けた。ただひたすら前進。背後や側面からの襲撃は片手間で向かい打つ。

 

「敵はこっちに多勢を置いてるはずだ。行くぞ!」

 

 馬超の号令を機に馬軍の騎兵が一斉に南西に進路をとる。あまり広いとは言えない山道を目一杯に使って馬を横方向に並べた。

 歩兵にとって馬は大変な脅威である。それが視界いっぱいに広がるとなれば相当の威圧感を受けるものだ。長物を構えて踏み潰しても構わないとばかりに進軍してくる様に、西軍の兵たちは後退するものや山の斜面に逃げるものも現れる始末だった。

 

「山中では遅れを取ったがこれが馬家の騎馬の力! 山道の外まで追い出すぞ!」

「わかりました!」

 

 後方からの地味な矢の牽制は馬岱が引受け、馬超たちはじわりじわりと兵を目的地へ進めていく。

 鈍重な重歩兵は不利と考えられたのか配置されていなかったことが、ますます馬超たちの兵の進軍を早めた。

 

「少し開けた地が見えた! 総員縦陣で一気に突破する! この錦馬超について来い!」

 

 既に山道に配置されていた凱羽の兵は総崩れとなっていた。後ろを顧みることもなく平野へと逃げ出している。馬超はそれらを自慢の槍を旋回させて薙ぎ倒して後続の進路を切り開く。

 平野に踏み入れた瞬間のことだった。馬超の背筋に悪寒が走る。野生の勘ともいうべきものが、何の変哲もない光景に警鐘を鳴らした。

 

「どうやらここが正念場だ! 気合い入れ直せよ!」

 

 まさに馬超が味方に喝を入れた時、眼前の地中からわっと兵が現れた。いや、正面どころか側面でも同様のことが起こっている。

 それは堀から這い出たガイウス率いる本隊だった。警戒しながら周囲を見れば曹や夏侯の旗も上がっている。馬超は曹操軍そのものに包囲されていた。

 

「これはさすがに絶体絶命だな」

「うう、姉さま…」

「心配するな、蒼。全部相手する必要はない。アタシたちは最初から敵をぶち抜いて劉玄徳のところへ行く。それだけだろ?」

 

 駆け抜ける勢いを殺すことなく、むしろさらに加速して正面の部隊に向かう。奇しくも西の旗が立つ部隊だった。

 

「猛起殿、ここで捕縛させてもらいます」

「ほざけ! アタシは西涼の錦馬超だ。馬上にあって敵うものなしなのはお前も知っているだろう。王秀!」

 

 部隊の最前列で騎馬に乗るガイウスは、馬超の想定通りの対応を確認すると傍に控える兵に合図を出した。

 重歩兵が一歩前進する。瞬く間に完成したファランクスは馬にとって脅威だ。さらに左右からは曹操軍が迫ってくる。躊躇えば圧死する。

 このとき馬超は無類の勘で進路を左にとった。今一番安全に見えたのは後退して山道を北に抜ける道だ。それだけ平野の兵は多く、その圧は凄まじいものだった。次はガイウスの兵を飛び越えて最短距離を犠牲も覚悟で突っ切る道だ。しかし彼女はそれを選ばなかった。ガイウスの守りは堅すぎたのだ。

 

「くっ……!」

 

 飛来した矢を避ける。馬超と馬休に隠された位置からの射撃に、夏侯淵は再び対面した。

 

「次は外しません」

「貴公か、黄漢升」

 

 最も疲弊した将。偶然か否か、馬超は夏侯淵率いる部隊を突き抜けることを選択した。

 矢の応酬はどちらも決定打を与えない。周囲の兵に損耗を与えるばかりだ。その間に両者の距離は近づいていく。

 読みが外れたガイウスも投擲で馬軍の馬を狙うが、数人の兵を落馬させるに留まった。

 もはや外すことも難しい距離。互いに射落とし損じることを狙う戦いになる。夏侯淵と黄忠の弓から矢が幾本も放たれる。

 達人同士の読み合いは凄まじいものだ。綺麗に互いの矢が正面から衝突し弾け飛ぶ。だが一手黄忠の方が上手だった。あるいは夏侯淵の疲労がそれを許した。

 二人の矢は衝突することなく交差し、夏侯淵の矢は馬休によって切り落とされる。しかし黄忠の矢は真っ直ぐに夏侯淵へと向かっている。

 遠方からそれを見ていた曹操は、一刀の言葉を思い出して無意識に叫んでいた。

 

「「秋蘭ッ!!」」

 

 その悲鳴に重なるようにもう一つの声。魏を守護する大剣が腹の底から出した雄叫びであった。

 夏侯惇は咄嗟に愛剣を投錨していた。彼女の馬鹿力で恐るべく巨大な剣が妹の眼前にあり得ない速度で到達する。

 矢が弾かれた。

 

「今だ! 突っ切れ!!」

 

 勝負には勝てなかった。しかし馬超は曹操軍の誰もが安堵した隙を見逃さなかった。未だ完成していなかった包囲の隙間を抜けて、彼女たちは命からがら脱出に成功した。

 後世に語り継がれる馬超の大一番である。

 

 

 時を同じくして、曹操に付いてきたものの頭痛がひどく冀県で待機していた一刀の容態が休息に回復方向に向かった。まるで何事もなかったかのように身体は快調で、本人も周囲の者もやれ妖術の仕業だったかと疑うほどだった。

 

***

 

 安全な距離を稼いだ馬超たちは、速度を緩めて成都を目指していた。

 本来は西涼の軍を伴って合流するつもりだったが全ては水の泡。悔しさはあるが近しい一族は生き残り、向かう先には同郷の者もいる。

 決して最悪ではないと前を向くことにした馬超の耳に後方から高速で接近してくる馬の足音が聞こえた。

 

「追手か!?」

 

 はっと背後を向く。

 質実剛健な鉄の鎧。オリーブを模した髪飾りの男が馬を駆っている。ガイウスであった。

 

「受け取れ!」

 

 彼は馬超らの後方二百メートルまで接近すると、ちょうど馬超のやや前方の地面に落ちるように矢を射た。馬超が引き返して斬り倒してやろうかと考えているうちに、ガイウスはそのまま馬首を返して先の戦場へと帰っていく。残ったのはガイウスが射た矢とそこに結ばれた文だけであった。

 

「蒲公英。それ拾っとけ」

「もう、お姉さまってば意地っぱりなんだから……」

「あいつは裏切り者なんだ。何が悪い」

 

 一言呟いた馬岱の一言に馬超の機嫌が下がる。もちろん馬岱も涼州を攻め雍州牧となったガイウスに思うところがないわけではない。だがからりとした性格の彼女は戦場の内外をあっさりと割り切れる。内心で藪蛇をつついたことを反省しつつ、馬岱は矢に括り付けられた文を解く。

 

「どーでもいいことなら言わなくていいからな」

 

 あいも変わらず馬超の言葉から棘は取れない。しかしなんだかんだで気にはなるのか横目で馬岱の様子を窺う。するとそこには真剣な眼差しで文を読み進める彼女がいた。

 

「……お姉さま。戻るよ」

「は?」

「いいから! これを読んで! 鶸と蒼も」

 

 

 三日後。ある標の前に馬上の男があった。剣や槍の類は持っていない。

 馬の腹を蹴りかけた馬超を馬岱は静止し、一人その男の前に馬を進めた。

 

「本当にここを知ってたんだね、王秀さん」

「寿成殿の遺言で教えて頂きました。貴君らを案内するためにと」

「そっか……。おばさまがそう決めたなら文句はないよ」

 

 ガイウスが馬を降りる。それを合図に馬超、馬休、馬鉄らもそばに寄り下馬した。相変わらず馬超の視線は鋭い。

 

「私はここに残ります。寿成殿の墓は最奥に。見れば分かるでしょう」

「罠はしかけてないだろうな」

「この一帯には私一人です。もちろん墓所に細工する真似など恩義に誓ってありません」

 

 少しの間、馬超とガイウスの二人は睨み合った。しばらくして馬超は三人に「行くぞ」と声をかけて背の高い岩で出来た道へと進んだ。

 ガイウスは標の前で門番のように立って待つ。

 

「待たせたな」

 

 やがて戻ってきた四人の目元は少し腫れぼったく涙の跡が見られたが、ガイウスは何も言わずに頷いた。

 

「立派な廟だった。敗軍の将のものとは思えないもんだ。だから……そのことについては礼を言っとく」

「主に伝えておきましょう」

「だけど次に会う時はまた敵同士だ。西涼を荒らした怨みは必ず果たす。じゃあな」

 

 馬超は言いたいだけ言うとさっと馬に乗って駆け始めた。慌てて姉妹たちが続く。

 その背中を眺めながら、ガイウスは一つの区切りがついたことを実感した。次は自らも南へ配属されるだろう。膠着している呉との戦線、蜀へ籠もった劉備たちを打ち破って中華を統一するために。




正規の魏ルートから外れ始めました。
起承転結の転の入口あたりですが書き上げられるかどうか自信がなくなってます。
応援ください(直球)
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