さて、物語はついに最終局面へ進み始めます。
ガイウスと恋姫キャラクターたちの共謀をお楽しみください。
陳留。曹操が政務の拠点としておいている魏の首都である。厳かに飾られた謁見の間で、彼女は眼下で跪いている男たちを興味深そうに見ていた。もちろん、傍目には王の貫禄をもって僅かに微笑んで頬杖をついているだけだ。
一方の使節団は慣れない礼儀作法に固くなっている。先頭にいるアルビーニウスにいたっては顔面蒼白である。
「華琳様。これらの者たちは大秦からの使節団です」
「そのようね。あなたからの報せで聞いたわ、凱羽」
「以後、私が通訳を行いますので、彼らの話をお聞きください」
「許しましょう」
曹操の承諾を得て、ガイウスはようやく使節団から二人の男を紹介した。
一人は交州の役人である。彼らを通じて子橋が魏を庇護者と選んだことを曹操は目を細めて喜んだ。
さて、もう一人こそが要の人物。
「東方の王に拝謁できて嬉しく思います。私はウィブリウス・エブルヌス・アルビーニウスと申します。ローマ帝国からの使者として参りました」
曹操は彼の口から紡がれる不思議な音におや、と思った。ガイウスがときどき漏らすラテン語と同じ調べだったからだ。
「私どもは今まで多くの国を経て交易の関係にありました。王への贈り物としてそれらを直接運んできました」
一行の背後にいくつもの木箱がある。使節団のローマ人が中から幾つかの品を取り出す。一度ガイウスが検分した後に、侍女を通して曹操の前に運ばれる。
まず目を引くのは美しいガラスの盃だ。透明なガラスに花鳥が描かれている。ほかにも深い青みを帯びた取っ手付きの瓶があった。曹操はそれを手に取ると爪で軽く弾く。高く細い音が反響し、何が面白いのか彼女はころころと笑った。
ほかにあったのは織物やワインだ。香水の入ったガラス瓶もある。
「どう、凱羽? 懐かしい?」
「私の家はそこまで裕福ではなかったので……」
「そう。でも酒は飲めるでしょう? あとで私の部屋に来なさい。あなたの意見も聞きたいわ」
「はっ」
今度は大使が驚く番だ。もちろん顔には出さない。ローマ人が異国の地で王とこれほど親密な関係を築いていることに驚愕したのだ。なにしろこの王はローマ周辺の属国の王とは格が違う。身にまとう風格が小柄な少女とは思えないからだ。
ガイウスとの約束を楽しそうに取り付けた曹操は再び使節団を目を向けた。
「それで? 大秦とは遠すぎて戦や政治の助けにはなれないけど何を求めるのかしら?」
「不躾ながら今後も海路での交易をお願いしたく。つきましては市井にローマの品を知ってもらう機会を頂きたく存じます」
「いいでしょう。凱羽と風に任せましょう。滞在中の手配も任せるわ。私は凛たちと水軍について考えないといけないから」
襄陽を手にした曹操たちが次に狙うのは荊州の要である江陵だ。そこから版図を広げるには船が必要になる。長江を降って呉を攻めるのだ。
「水軍? 彼らにはローマからはるばるやってきた水夫がいます。なにか役に立ちませんか?」
「そうね……ただの操舵者には興味はないけど、あなたの国の水軍について知るのはいい考えね」
眼の前のやりとりは全て漢語だったので使節団のアルビーニウスにはよく分からなかった。しかしローマ人の将軍が困っている様子なので声をかけるとその内容はたちまち理解できた。
「それならば私達は役に立ちます。軍人あがりの者もいますし、クシャーナで雇った水夫や水先案内人もいます」
「おお、ならばローマ軍の水軍についても詳しいのか? 私は水軍には疎いのだ」
「船の修理のために専門家も連れてきていますよ。もしこの件で役立つことができれば、東方の王からローマ皇帝への書状に私達が役立ったと一言添えてもらえるとすごく嬉しいです」
今度はラテン語で二人が会話する。
たしかに無償で協力を申し出るのはよくない。ガイウスは儒者ではないが金銭で褒美を与えるよりも故郷での名誉につながるほうがいいのかもしれない。いずれにしても曹操の許諾は必要だ。あまり長く時間をとるわけにはいかなかない。曹操は先程よりも明確に笑みを浮かべていない。
そう思考を締めくくって、彼らが役に立てそうなことを曹操に告げた。
「ふふっ。私の覇道に天までもひれ伏したということかしら」
「そうかもしれません」
「断定しないのがあなたらしいわね」
かくしてローマからの使節団は無事に曹操との謁見を終えたのだった。しかし彼らの本当の目的はこの国で何らかの利益を獲得してローマに持ち帰ること。なぜなら彼らは商人だからだ。
ちなみに彼らが曹操やガイウスの真名について反応しなかったのは、当然ながらガイウスが事前に厳重注意をしていたからである。謁見の作法も全て彼の直伝である。
そのときのやり取りで使節団は窮地を脱することができた。
「ガイウス殿。朝貢の品なのですが一部を国の人々にローマの文化を知ってもらうために分けておきたいのです」
「それはいい。ローマの産物は一部の富裕層にしか知られていないのだ」
「今後も交易を続けられればもっと広く行き渡るでしょうから、よろしいですか?」
「うむ。孟徳様に申し出てみよう」
この出来事が魏での商売を可能にした。あとはいかにして利益を最大化するかだけだ。
この話はまた別の機会に。
***
開け放たれた窓から爽やかな風が運ばれてくる。曹操の居室に足を踏み入れたガイウスは薄手の衣をまとった曹操を見てぎょっとした。
「時間ちょうどかしら? ふふ、几帳面ね」
「華琳様との約束ですから」
「まぁいいわ。向かいに掛けなさい」
既に彼女の手元にはワイングラスがあり、いくらか飲んだ形跡がある。首筋まで赤く染まっており、薄い衣が扇状的にさえ見える。
「私自らの手酌よ。ありがたく飲みなさい」
「いや、恐れ多い……」
トクトクと軽快な音を立てて瓶からグラスにワインが注がれる。懐かしい色合いにガイウスは喉を鳴らして、それを一口含んだ。表情は変わらない。いや、彼に親しいものなら少し柔和な様子が分かるかもしれない。
「良し悪しは分かりませんが、この香ばしさは間違いなく故郷の味です」
にんまりと微笑んで、曹操は両方の手で頬杖をついてガイウスを見つめた。
「帰りたくなった?」
「少し……しかしそれは華琳様の覇道を見届けてから考えます」
「いい心がけね。褒美に私が口づけたこちらの酒を飲んでいいわよ?」
「御冗談を」
どうやら慣れぬ酒に曹操は随分と酔っているらしい。ガイウスは意を決して彼女に歩み寄ると、その華奢な身体を抱き上げて寝台に運んだ。
「きやっ」
「失礼しました。私はこれにて……」
「別に閨を共にしてもいいわよ?」
「――失礼っ!!」
部屋を勢いよく呼び出したガイウスの足音が遠ざかるのを聞きながら、曹操はふとむず痒さのような違和感を覚えた。
たしかに曹孟徳は色を好む。夏侯姉妹を侍らせ、荀彧を巧みに手なづける場面はガイウスに限らずよく見るところだ。
しかし男にこのような言葉を放ったことはないし、男に懸想したことはない。あれは本当に酔いからのみ生まれた言葉だったか。
寝台で天を仰いでいる彼女はその熱をひとまず酒のせいにした。
***
翌朝、陳留の庁舎。しばしば軍師たちが集っては議論を戦わせる部屋にガイウスはいた。地図を広げられるような大きな机を囲む椅子にはアルビーニウスほか数名の使節団の人たちが座っている。
「皆さん同じ州の出というわけではないのですね」
「はい。私を含む代表以外はアエギュプトゥス州(現在のエジプト)がほとんどです。あそこは東方への海上貿易の拠点でしたから」
「たしかに地中海とその後の航路は違うでしょうし、自然な成り立ちです」
身分を偽っている商人たちは正体を見破られたくない。一方でガイウスは故郷のことを知りたい。相反する二人の立場によって、会話は最低限のものとなる。あとは船乗りらが思い思いに故郷に関する世間話をするだけの、異国でローマ人が邂逅したにしては静かな部屋だった。
「おや、皆さんもうお揃いですかー? どうやら風たちが一番最後のようですね」
「堪忍してなー。ちょっと沙和が自分も仕事さぼ……じゃなくていつもと違う仕事してみたい言うもんやから宥めんのに苦労してん」
そんな空間を救ったのは程昱と彼女と手をつないで現れた李典だった。李典はなにやら風呂敷を背負っているのが珍妙だ。
「なんや新しいもん作るんやろ? うちもいっちょ噛ましてもらわんとな!」
「というわけで後々面倒にならないようにお連れしましたー」
ガイウスはこれまでに何度も李典の世話になっている。ローマンコンクリートの制作や西方での兵器の制作に彼女の力は欠かせない。
「真桜どのが力を貸してくださるのですね。ありがたい」
「あーもう、そない固いのはやめやめ! ほんでや、まずはうちから見せたいもんがあんねん」
風呂敷がどんと机の上に置かれる。紐がほどかれる際に中から何か固いものが擦れるような音がする。やがて中身があらわになり、ガイウスは思わず感嘆した。
「おお、これは」
「ふふーん。うち特製の小型軍船や。こっちが楼船のロゥ大都督やろ? んでこっちが……」
「はいはいー。ここには外国の方もいるのでややこしい名前は胸にしまっていてくださいねー」
宝慧で顔をぎゅむっとされて李典が物理的に黙った。
しかし、とガイウスは軍船のミニチュアを見やる。木製で大きさは最も大きなもので10センチ。並べれば陣形を組むことも可能だろう。細部にまで手が届いているのは李典らしい。好事家相手なら値がつくのではないだろうか。
「この船……ガレー船に似ている?」
「そりゃどこにだって似たような船はありますよ。祖国にもクシャーナにも突撃させる船もあれば矢を射かける船。指揮官のための船もあります」
アルビーニウスの話は最もだ。実際クシャーナには丸太や葦を使った衝突船があったとされている。その名を聞いてガイウスの目が細められたが、それに気づいた者はいなかった。
「そういえば父がルソリアでパルティアの斥候とよく対峙していたと言っていたな」
「るそりあ、ですか?」
「はい。なんでも小さな船で非常に高速に動けるのだそうです。櫂を用いて動かすとも言っていましたね。そう、こんな船です」
ガイウスが程昱に示したのは走舸と呼ばれる船だった。どちらも偵察、奇襲、突撃を目的とした人力で動かす船である。ミニチュアには細長い船体にいくつもの櫂が取り付けられていた。
「それは良い着眼点だと思います。プラエトリアでは長江を渡れないかもしれません」
アルビーニウスはここに来るまでに長江を渡っている。彼曰く長江は長く湖のよう。しかしなによりも危険なのは岸辺と川の中心では川の流れが全く異なり、さらに言えば浅瀬や渦巻いている箇所もあり、彼の船員も頷いていた。
この複雑な水流と地形を持つ川という特徴が、今まで魏の南下行軍を阻んできたのだ。
「なればこそ竜骨が必要なのでは?」
「いえいえ。それには水深がネックとなってしまいます」
一同静まり返る。そこで李典が閃いたとばかりに顔を輝かせた。
「ほんなら浅瀬だけ歩けるぷら、ぷらえ船人形大将軍にしたらどうや!?」
沈黙は静寂に変わった。
「あかーん。皆の目が冷たい。風様、なんとか凱羽はんの機嫌を……あれ、風様?」
いつの間にか程昱がいなくなっている。李典は慌てているが、ガイウスはよくあることだと目の前の課題に引き続きとりかかる。
呉はこの長江に根付いた軍であり、複雑極まる水流を己がものにしている。これを同じ土俵で戦い勝利するというのは無謀というものだ。ローマ軍は自ら勝てる戦いを作らなければならない。例えば水深があり穏やかな水域にアクティウムの海戦のごとく武装したガレー船を用意する――いや、建造が間に合わないだろう。そもそもその水域を避けられるに違いない。
一方アルビーニウスの視線は卓上のミニチュアに向いている。特に楼船のものが気になるのか、ときおり手にとっては様々な方向から確認している。
「あぁー楼船はうちらにもあるけど呉の主戦力や。敵を知るのも大事やな」
「なるほど、なるほど……。いえ、この船なら十分に海洋を渡れるのではと感心していたのです」
「そうなん?」
「ええ、帆をいくつも張れば十分に風に乗れましょう」
さて、ガイウスの考えの種も尽きてきたころ、廊下からどたどたと慌ただしい足音が聞こえてきた。あまりこの会議室に男性はやってこないのだが、まさか夏侯惇でもあるまい。ガイウスが疲弊した頭でそんなことを考えると、扉が開くとともに聞こえたのは鈴の鳴るような声であった。
「皆さんおまたせしましたー」
「いや風さん!? いきなり連れてこられて説明もないなんてひどくない!?」
「兄ちゃんよぅ。それを今から説明すんだから黙ってな」
宝慧に凄まれて一刀が大人しく引き下がる。ビジュアル的には大変残念だが、相手は泣く子も黙る軍師程昱であり、彼は合肥の戦いでよく助けられた。 突飛ではあるものの成果は出す。程昱はそういう人物なのだと理解したのだ。
「一応天の御使い様らしく役立ってもらおうかと思いましてー」
「なるほどなー天の船を参考にするわけか!」
ふむ、と一刀がミニチュアを一つ手に取った。楼船だ。二艘の船の上に巨大な建造物があり、奇妙な形をしている。この建造物を取り外して帆を張ればヨットみたいだと一刀は思った。しかしヨットで戦はできない。
別のミニチュアを手に取る。露橈だ。これは観光地でよく見る遊覧船に近い。オールを持ったスタッフが船の後方にいるのもよく似ている。そこまできて一刀はふと思いついたことを口についた。
「そうか、エンジンがないんだ。」
現代のボート、漁船やクルーザーを含めた船はほとんどがエンジンを搭載している。当たり前すぎて忘れていたことだった。
「それはどんなんや!?」
「えーっと、船や車の動力になって、なんだっけ……ピストン運動がどうとか言ってたような」
「また天の言葉でごまかしよる。知らんってことやな」
一刀は思わずむっとしたが事実なのでしょげかえった。しかしもう一つ思い出したことがある。スクリューだ。エンジンの先には必ずスクリューがある。
「オール……じゃなくて櫂の代わりになるものを思い出したよ。円形の板に切り目を入れて湾曲するんだ。これを回転すると推進力が生まれてぐんぐん進むんだ。たしか香風には似たような竹とんぼを見せた気がするんだけどなぁ」
「つまりうちの槍の螺旋みたいなもん?」
「違うけど合ってる、かも」
実のところスクリューというのはローマ時代にも既に存在している。アルキメディアンスクリューといい、紀元前七世紀という驚くべき古代に誕生した。主にらせん状の刃を筒の中に入れて水などを運搬するのに用いられた。したがってガイウスにも湾曲した板や螺旋という言葉から推進力を生むということは理解できた。
「それなら実験してみましょうかー。こと兵器においては机上の空論より実践。大工さんにこの模型より大きくて簡単な船を依頼するので、真桜ちゃんはすくりゅーなる新装備を一刀さんと作ってもらえますか?」
「ええで! 任せとき!」
李典はにしし、と笑うと一刀の腕をむんずとつかんだ。
「さ、たいちょ。今からうちとらぶらぶでウキウキなすくりゅー開発や! もちろん徹夜やで!」
「う、うわあぁぁぁ!!」
重要な技術職を失った会議室には沈黙が満ちる。
「あー。それではローマ式で検討してみようか」
再びガイウスが前に出る。そもそも後漢の水軍は幾種もの船が存在しており、それらで艦隊を組んで攻撃しあうのが長江での戦闘の基本だ。旗艦である楼船に、特攻隊の役目を果たす艨衝。兵を運ぶ先登。ほかにも偵察や輸送を担当する小舟もあった。
一方ローマも同様に複数の種類の船で陣形を組んで戦った。第一次ポエニ戦争のころから発展し、ついにカルタゴやマケドニアに勝利するまでに至る。しかしガイウスをはじめローマ人たちに最も鮮烈な記憶として残っているのはアクティウムの海戦を代表とする内戦である。
先述したようにガレー船が基本であり、漢の船よりいずれも細長い形状をしている。これに二段、三段と漕ぎ手とオールが加わることで推力が増す。
ガイウスの脳内では既に長江域を進むガレー船の姿が映し出されていた。この船は十分な旋回ができるのだろうか。最大速力を出せる戦場なのか。運搬した兵は呉のどの船に攻撃をしかけられるのだろうか。
気難しそうに腕を組んでは指を一定のリズムで叩く彼の姿を、程昱は扇子の陰でにっこりと見つめていた。
***
三日後に現れた一刀の様子は焦燥しきっていた。一方の李典は元気溌剌である。
さて、陳留からほど近い川には特急で作らせた小舟が二艘浮かんでいる。一方は無人で、もう一方には兵士が乗船している。
「なぁ、ガイウス。あの人たちは? 初めて見たんだけど」
「彼らは先日の襄陽攻略の際に降ってきた蔡徳珪殿――劉氏の水軍を纏めていた人の兵だ」
「あっ、蔡瑁か」
蔡瑁は早くも劉宗を見限って曹操に頭を垂れていた。いや、実際に降伏したのはガイウスに対してであったのだが、魏に降った以上は同じことだ。降伏派であった彼は、そのタイミングを西涼を穏やかに安定されたガイウスが来たタイミングを見て決定したのだった。
「こっちの船には回転式推進器一号を棒につなげたものと、これを回すためにうちが用意した踏車を船内に設置したで。たいちょーったらどうやって回すか考えてないアホなんやから」
「ごめんってば」
「まぁその分のお駄賃はもろうたからっとと、ともかく実験や!」
まずは実験用の船に李典が(一刀を引きずりながら)乗り込み船を固定していた縄がほどかれる。
「いくでー!!」
李典と一刀が踏車を左右から勢いよく踏み込む。正確に同時に踏み込むことがコツだ。それはまるで自転車のペダルを左右の足で漕ぐように動作し、動力であるスクリューまで到達した。
踏車を回すギシギシという音が二人の耳をつく。
「けっこう、つかれ、るな!」
「いや、見てみ。隊長。水面が!!」
李典の言葉にガイウスたち岸に立つものも船尾の様子を注視する。不規則な泡が水面へと浮かび上がっているではないか。そして船は徐々にではあるが動き始め、船速を上げ始める。
「やった、やったで!」
「そうだな!」
喜ぶ二人を後目に、程昱はもう一艘の船に指示を出した。
「それじゃーそちらも漕いでくださーい」
兵士二人が巨大な櫂を鍛えられた腕力でそれぞれ左右にこぎ出す。ひと漕ぎ目はわずかに船が動いだだけであったが、一度慣性が働けば見る見るうちに速度は加速度的に上がる。やがて兵士の船は悠々と李典たちの船を追い抜いてしまった。
「な、なんでやー!?」
地団太を踏む李典。ついでに踏車が回って船が進む。
「ほんなら秘密兵器を使うしかあらへんようやな……この、回転式推進器二号『双龍』をな!!」
つまるところスクリューを二本装着しただけである。棒を通すための専用の穴も実は最初から用意されていた。踏車も二つに増え、それぞれを李典と一刀が踏むことになった。
実験という試合は仕切り直しである。再び同じ位置に揃えられた船が動き出す。もちろん漕ぎ始めは兵士の方が早い。しかし、と李典は笑みを浮かべる。一度動き出したら高い動力を持つスクリューのほうが有利に違いないと。
「なんでやー!?」
敗因は二人の息が――というか先に一刀が根を上げてしまって左右のバランスが崩れたことにあった。ならば、と登場したのはガイウスからヒントを得たらせん状の長いスクリューである。名前は回転式推進器三号『登龍』である。だがこの顛末は不要であろう。李典のツッコミが周囲に響き渡るだけであった。
「見ていて思ったのだが、やはり人力というのは馬鹿にはできない。しかし二人の発明にも利はありそうだ。そこで二人の船に船員を二名追加して初速を安定させて、相手を四人体制にして比較しないか?」
「そ、そりゃいい考えだぜ……。けどそろそろ踏車を回す役を代わってくれガイウス」
「む。そういえばそうだったな。少し涼むといい」
今度はガイウスが三人の兵を連れて船に乗り込んだ。二人は櫂を漕ぐ役で、一人はガイウスとともに踏車を回す役だ。始めの合図とともに踏車を踏む。なかなかの重さに巨体のガイウスであっても歯を食いしばるほどであった。
「次っ!」
再び踏みしめる。船体は既に櫂の漕ぎ手たちによって進みだしている。ガイウスたちが踏車を数度踏みしめてようやく車輪が明確に回転を始めた。手ごたえを感じて水面を見る。しかしまだ気泡は浮いていない。さらに踏みしめること数度、ようやく水面から気泡が上がり出した。
「よし、相手は……」
わずかに勝っている。これは期待ができるかもしれないと思ったとき、船体前方から声が上がった。
「櫂を漕いだ力が思うように伝わっていません!」
それを裏付けるかのように、あっという間に人力の船がこちらを抜き去っていく。
「異なる動力をともに働かせるというのは困難だったか。たしかに私も春蘭どのとは上手く連携がとれぬから是非もなしか」
旋回し、船はスタート地点に戻る。そこには沈痛な表情を浮かべた李典と一刀の姿があった。
「くそう。せめて鉄とかなんとか合金みたいな強い金属があればなぁ」
「うぅ。技術の敗北や……。うちはもっと基礎的な技術を磨いてなあかんかった!」
なるほど、と思う。鉄のような優れた金属が加工できたならスクリューももっと上質なものになっただろう。もしかしたら盤上をひっくり返す性能に至ったかもしれない。
沈黙する三人にそっと程昱が歩み寄った。
「まぁまぁ皆さん。大事なのはこのすくりゅーを完成させることではないのですよ。呉に勝つための船を作ることです」
「風さんは私たちを導くのが非常に上手だ。たしかにここで諦めていても仕方がない。さあ、会議室へ戻ろうか」
そして舞台は赤壁に移る。新たな船とともに。
日が暗くなるまで議論は続いた。
疲労困憊の一刀は李典に担ぎ上げられて去っていく。程昱も何か言いたげにこちらを見て、フリルのついた袖を振って去った。他のローマ人たちはいち早く宿舎に帰宅している。ここにはガイウス一人であった。
李典の作ったミニチュアを手に取る。ローマとは全く異なる概念で作られた軍船たちだ。彼はそれを卓上に並べ、一つの陣形を作った。敵側に楼船を配置し、こちらに小型船を多く配置する。ガイウスの操る船が敵船団に肉薄する。
「ここで火を放つ」
そして船は敵船のそばを離脱していく。
「私はアウグストゥス帝のように上手くやれるのだろうか……」
彼の静かな苦悩を聞くものは誰もいなかった。しかし彼には今や軍師がおり、敏腕な職人に未知の知識を持った青年がいる。ガイウスは再び手に船を取り、それを楼船の前に置いた。
ガイウスは兵に後を任せて去ろうとして動かない一刀たちに気が付いた。
「すまん、さっきの踏車で足腰が限界で……ちょっと休ませてくれ」
たしかに兵士ではない一刀が三度もあれを漕いでいたのだ。相当な苦労だっただろう。そう思って彼にちょうどいい岩かなにかないかと周囲を探していると、李典がそろりと動き出した。
「そういうことならウチが運んだるわ。な、たいちょ?」
「えぇぇぇ!?」
既に一刀は李典の腕の中にあった。精根尽きているので抗うこともできない。気恥ずかしさと今後の展開を考えて一刀は顔を青ざめさせたり赤くさせたりと忙しそうだ。
と、それを見ていたガイウスの服の袖をちょいと摘まむ気配がした。
「風も疲れたような気がします」
「いや、しかし風さんは特に運動は」
「おいおい凱羽の兄貴よう。女にこれ以上言わせるのは野暮ってもんだぜ?」
都合のいい宝慧の言葉にガイウスは二の句を継げなかった。さらに周囲の視線が妙に気になって仕方がない。それでは、と程昱の小さな体躯を抱え上げ、ガイウスは足早に川辺を去った。
二組の来訪者の邂逅。そして一刀と真桜を交えた珍妙な開発記となりました。
次回は少し視点が変わります。