秦・恋姫†無双   作:aly

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上手く最終話をきれいに締めくくれなくて四苦八苦しております。
まだ最終話を最後まで書き上げられていないのですが、その少し前のこのエピソードを投稿します。


魏国の幕開け

 赤壁の戦いから三月が経過した。

 いくつかの局地戦の後、呉が降伏。必死の抵抗を続けていた蜀もまた、積み重なる敗残兵を前にした劉備による説得により、降伏を宣言した。

 魏国がついに、長い戦乱の世を経て大陸を統一したのである。

 既に魏の域内にある冀州や涼州の民は戦乱の終幕を寿いた。一方で揚州や益州の民は今後の処置に震える日々を送っていたが、孫策や劉備の首で許されるだろうと口さがのない者もいた。周氏や陸氏、諸葛氏などは連座に処されるのでないかと荷物を纏める始末である。

 そんな折に、孫策と劉備の下に一通の書簡が届いた。

 

 陳留城にて沙汰を伝える。

 以下の者を連れて参上すること。

  諸葛孔明、関雲長、馬猛起……

 

 名は連綿と続いていた。

 彼女たちは速やかに陳留に赴くことになる。

 沙汰の日の朝、まだ劉備らが陳留で滞在する屋敷を出るよりも前。謁見の間には数多くの家臣が睥睨する曹操を前に膝をついて頭を垂れていた。

 先頭には主祭軍師の荀彧と魏の誇る大剣夏侯惇が笑みも隠そうともせずに並ぶ。最後方の若き将たちは緊張のあまり震える膝を必死に抑えようとしている。曹操はそれらの様子を見て愉快そうに足を組み替えては彼女らを焦らして楽しんでいた。

 それも当然だろう。ついに自らの覇道で中華を統一したのだ。それに尽力した忠臣たちの愛いことよ。

 曹操は最後に一角を見て、ついに声を上げた。

 

「先の戦の評定を始める。第五功、荀彧」

 

 彼女の功績は筆頭軍師としてすべての策をまとめあげて戦を勝利に導いたことである。続いて程昱、曹洪、夏侯淵の名が上がる。

 いずれも誰が聞いても納得する名前ばかりだ。奇策を用いて敵を翻弄した程昱。兵站を一手に引き受けた裏の立役者の曹洪。船上での活躍目覚ましい夏侯淵。皆誇らしげに手を重ねて曹操に礼を返す。

 

「第二功、夏侯惇」

 

 しかし第二功において彼女の名が呼ばれたとき、場は大いにざわついた。敵の総大将の孫策とも剣を交えて無双した魏武の大剣が第二功とはどういうことだろう。若い臣は戸惑いを隠せない様子だったが、当の夏侯惇はふむと納得して曹操に拱手した。

 では第一功は――。

 

「第一功、西凱。こちらへ来なさい」

 

 異国の大男の名が呼ばれる。ただ一人異例の対応で曹操の座す煌びやかな椅子の前に呼び出され、ガイウスは身を窮屈そうに下げたまま、他の臣の間を縫って歩いた。

 

「威容なる陣、敵船を穿って縫い走った新たな船。これらを築き魏を勝利に導いた神の如き業に第一功を与える。何か望みはあるかしら?」

 

 曹操はガイウスの功績をつらつらと述べながら、頬を紅潮させていく。

 ガイウスは曹操の興奮冷めやらぬままに答えを述べた。

 

「国に帰りたく思います」

「何?」

「故郷からの一団が訪れた折に主孟徳様が国をまとめたのは運命かと。私も同船して帰国したく思います。願わくば許可を」

 

 顔を上げ、真摯に見つめるガイウスの瞳を見て、拒絶の言葉を発しようとしたお曹操の目が揺れた。

 

「……熟考する。あとで私の部屋に来なさい、凱烏」

 

 その後、第六功以下の論功行賞が荀彧によって執り行われた。ともに新船の開発に携わった李典や一刀もまた高い評価が下されていた。しかし先のガイウスの願いに、二人は素直にそれを喜べずにいた。

 

 

***

 

 すべてが終わり、曹操の部屋への道すがらガイウスは夏侯惇が壁に身を預けているのを見た。

 

(私を待っているのか)

 

 そう直感して、ガイウスは瞳を閉じたままの彼女に「春蘭殿」と声をかけた。 

 

「怒っていらっしゃる。そうですね?」

「無論だ。しかしすべては華琳様が決めることだ。だから私から言えることは……私もお前を認めているのだ。だから絶対に華琳様の意に逆らうな。二度は言わんぞ? 言わんからな!」

 

 後半はまくしたてるようにして、夏侯惇は言いたいだけ言うとガイウスの肩を突き飛ばすように早足で去ってしまった。遠くから見ていた夏侯淵もまた、夏侯惇が去ると視線を外して語りかけてくる典韋に笑いかけた。

 さきにこの部屋を訪れたのはワインを酌み交わしたときだった。主の冗談に狼狽したことも記憶に新しい。その扉は錆びついた鉄のように重く見える。

 ガイウスは息を深く吸って、扉に拳をこつりと当てた。

 

「入りなさい」

 

 のそりと歩みを進めたガイウスに曹操の生花のような脚が映る。いつものように尊大に組まれているわけではなく、斜めについと流れるように添えられた仕草はガイウスも初めて見るものだった。

 

「何をやっているの。顔を上げなさい、凱烏」

「御意。華琳様」

 

 真名が部屋で響きあう。ようやく見合った曹操の目は、眉が少し垂れて、凛としながらもどこか悩ましげに見えた。

 

「大秦のことだけれど――」

 

 いきなり核心を突く曹操にガイウスの手が固く握られる。

 

「許可するわ」

 

 拍子抜けの同意にガイウスはしばし何を言われたか理解できなかった。まさか斬首とまでは行かなくとも、きつい咎めがあることは覚悟をしていたからだ。

 しかし一刻もない間に決断を降せるというのなら、なぜ評定のときに褒美をくださらなかったのかと疑問に思う。答えは曹操の物憂げな仕草にあるのかもしれない、とガイウスはまるで苦手な女心と相対することに当惑した。

 

「ただし条件があるわ」

 

 やはり。ガイウスの背に緊張が走る。

 

「大秦のことをこれから私が満足するまで聞かせなさい」

「は?」

 

 曹操の前で跪く脚がぐらりと揺れた。あまりに予想外の言葉だったからだ。

 

「はぁ……。いい加減向かいに掛けなさい。貴方ほどの長身の男が跪いては顔が近くて鬱陶しいわ」

「そ、そうですか。それでは失礼して……」

 

 深く輝く椅子の背に手をかけ、丁寧に磨き上げられた赤黒い座面に腰かける。女性の多い城のものとあって、ガイウスにはやや窮屈であったが無言でいることにした。

 

「それでは何から話しましょう」

「そうね――まずはあなたの生まれた地のことから話しなさい。国の何処で生まれたか。どのように育ったか」

「そんなことでしたらいつでも話しましたのに……」

「うるさいわね。私にはあなたほど時間がなかったのよ」

 

 いつものように脚を組みなおして、曹操は鼻息を鳴らして頬杖を突いた。目線は少しの間窓の外に向けられたが、ガイウスが未だ話し始めないので、じろりと睨みつけるように視線をやった。

 

「失礼。いささか昔のことだったので。私は大秦の東の端で生まれました。涼州のような地です。国はほとんど変わらない大きさだったかと思いますが、内に大きな海がありました」

 

 ガイウスは遠き日の記憶を記憶の底から掬い出し、ぽつぽつと語り始めた。

 

「祖先は元々奴隷でしたが、やがて市民権を得ることでシリアの地で軍人として根付きました。私が華琳様に微力ながら助力できたのもそのおかげです。幼少の頃から父や兄から剣の振り方を教わり、昔の英雄の話を聞いておりました」

 

 かつてのローマでは奴隷が市民権を得るために軍に入るというのは一般的で、ガイウスの時代――五賢貞の時代には市民が軍役で銭を稼ぐのもまた一般的だった。

 

「市民権?」

「そうですね……。いわば法の益を受けることのできる権利、とでもいいましょうか。これがなくては民は財産をなすことも婚姻を結ぶこともできません。とはいえ軍役や主人の認可によって市民権を得ることは今や随分容易いものとなっています」

 

 曹操の顔が王のものへと変貌する。始皇帝から始まる厳格な罰則を基本とする漢の法は曹操の脳にも深く刻まれている。その法の影響を受ける"権利"とはどういうことか。ローマと魏では法の概念が全く異なっているということか。覇王の好奇心がむくりと顔をもたげ始める。

 

「大秦の法について覚えていることを話しなさい」

「えっ……いや、全てと言われましても……」

 

 ガイウスはとまどいながら、朧げな記憶を辿る。

 例えばローマでは子供は父の言うこと絶対であり、財産も父のものであった。これは家父権に定められたものである。ほかに兄が結婚したとき、その妻が実家に居続けることも法で定められているものだと兄が嘆いていたことをガイウスは覚えていた。

 軍に関する法は多い。かつての市民は懲役制の下で軍役を拒めば投票権をはく奪されたとポエニ戦争について教えを請うたときに聞いたことがあった。今の兵士は志願兵であり、ガイウスもそうするつもりであった。除隊後に得られる金銭や土地は家のために重要だったし、それがアウス家の義務だと思っていたからだ。

 

「投票?」

 

 漢には存在しない言葉を何とかガイウスから意味をくみ取った後、曹操は首を傾げた。

 ガイウスはかつて機能していた共和政時代の元老院と投票制度について詳しく語った。そして帝政下では暗君と対立したり、賢帝とともに歩む元老院について、父や叔父から聞かされた話を曹操に聞かせた。

 曹操は足を組むのをやめて、ずいと前のめりになって話を聞き入った。目を閉じながら話を続けるガイウスにかなり接近していることを気が付かないくらいだ。 

 そのときだった。

 こつこつ、と扉が叩かれて荀彧の声が続いた。

 

「華琳様。孫伯符らが到着しました」

「そう。――今日は忙しい。帰しなさい」

「い、忙しい!? か、華琳様!? 凱烏!!」

「桂花、いい子だから明日出直すように伝えない。いますぐ。私の機嫌がこれ以上悪くならないうちに」

 

 ガイウスは予想外に間近にあった曹操の顔から殺意が迸っているのを感じて口を閉じる。

 扉の外の荀彧もまた、尻もちをついたまま廊下を這ってその場を立ち去るのがようやくだった。

 

「……ふう。さて、続きを話しなさい」

 

 ガイウスは曹操の鎌『絶』がつうと首に添えられている気分だったので、記憶の限りを絞りに絞って口から紡ぎ出す。曹操はそのたびに疑問を口にするので、それにもなんとか返答する。知らないと言えば曹操はぶつぶつと推論を重ねてはガイウスの存在を忘れたかのように振舞った。

 日も暮れると曹操はガイウスを寝台に招いた。柔らかな寝具の上に腰かけると、曹操は続きを促した。ガイウスに許されたのは軽食と茶ぐらいのもので、夜を通して二人は部屋にこもりっきりであった。

 ようやく日も登ろうかという頃、ようやく曹操は眠りについた。寝台の頭板に背を預け、少女然とした顔で先ほどまでの険しい様子は中空へと消え去った。ガイウスはようやく部屋を去れるかと思ったが、固く握りしめられた手にぎょっとして、それから観念して彼もまた疲労を理由に眠りについた。

 

***

 

「皆、よく集まった」

 

 謁見の間に集まったのは各地の豪族の頂点や、戦乱の世で名を上げた英雄たちである。かつては敵味方の関係であった人々が、曹操の前に一様に並んでいる。

 面持ちは様々で、彫刻の極致ように座す剛勇や生きていることが露わになった袁紹や董卓は顔ざめた顔をひれ伏し、龐統は失神寸前の有様だ。

 王座の前に立ち、瞼を閉じて沈黙を続ける曹操に誰もが注目した。

 緊張からの沈黙はやがて困惑の声の渦となり、しかし誰もがその本意を知りたいと人間の根幹たる好奇心から再び沈黙にたどり着いたとき、曹操はようやく目を開いた。

 

「――戦乱は終わった。しかし中華は疲弊し、混乱の中に未だあると言っていい」

 

 劉備は転々とした地に思いを馳せた。逃げざるを得なかった徐州、政局に巻き込まれた荊州、そして戦死者の遺族になじられた益州。安寧の地は記憶にはなかった。

 

「私が中華を統一した。大陸は秦により一つとなったが秦は分かたれた。漢もまた同じ道を辿った。私は中華を再び同じようにするつもりはない。中華は魏より始まり魏に終わる」

 

 曹操の語りは壮大だ。始皇帝の偉業をも超え、劉邦の奇跡すらなかったことにする。あまりに突飛な発言に居並ぶ豪族の中には思考がついていかない者もある。孫策はその弁のスケールの壮大さと、自分がその立場にいないことの悔しさに震えた。

 

「私は――私の子にこの国を導く地位を譲るつもりはない」

 

 困惑の声に謁見の間が波打った。

 

「暗愚な王は必要ない。唯才是挙すら生ぬるい。この国に生きる全ての民より最も優れ、人心を知る者がこの国を率いればよいと私は確信した」

 

 中華の歴史に未だかつてない思想。儒教を超え、法では纏められない人間の群れる国をどうにかしようという曹操の信念があった。覇王は大地を統べるだけではなく、統治すら覇の道を往く。

 

「故にたった一人の力に委ねてはならない。私にも欠点の一つや二つはある。我が臣が援けてくれるからこそ今があるのだと私は知っている。国もそうあらねばならない」

 

 訥々と、しかし部屋の隅々にまで滲み渡る曹操の演説。

 

「居並ぶ諸君らよ。あなたたちとその子孫は王を支える万人の代表となれ。そのためならばこれまでの戦乱の罪以外を赦そう。万人の中より最も優れ、人心を知る人を王と抱け。魏は万代繁栄、大陸に大樹を戴くだろう」

 

 恩赦の言葉に謁見の間が一気にどよめいた。とりわけ最後まで抗った呉蜀の豪族や将の驚きは大きく、孫権は甘寧の肩を借りてようやく跪することを耐えた。また、涙を浮かべる董卓や賈詡を思い浮かべ、張遼はようやく罪を赦されたような気を覚えた。

 

「この代表らを諸君らが選べ。能力に秀で、王を支え民を憂う存在であれば血は問わない。この代表は朝廷ではない。王廷でもない。中華を導く賢者の集い――集賢臺とする」

 

 その思想はいったいどこから来たのか。既に明らかだろう。それは昨晩彼女が一人の臣下から寝台で聞いた西の果ての国の共和政というあり方を中華に即した形にしたものだ。皇帝を支える集団と、集団を用いて国を富ませる皇帝。あるいは皇帝を選ぶ万民の代表――元老院に曹操は未来を見た。

 しかし元老院と王の関係は腐敗する。それはいつかは訪れるかもしれないが、対策を怠る理由にはならない。

 朝焼けにガイウスの眠る顔を見ながら、曹操はずっと国の在り方を考えた。

 

「王と集賢臺は法によって律され、民は法によって平和を興じる。これが魏の在り方よ。この法を作ることの出来る者は率先して集賢臺の会に自推なさい。董仲穎、劉玄徳、孫仲謀。聞こえているならすぐに前に出なさい。他にもまだまだ居るわよ。早くなさい」

 

 機械仕掛けの人形のように反射的に劉備は立ち上がった。董卓は万感の想いに震える賈詡に背を押されて前に進み出た。孫権は自らの足で立ち、姉の背を一瞥して歩き出した。

 その姿を見て、諸葛孔明や陸遜、田豊などの知恵者が後に続き、法正や陳群、孔融などの知識人もまたおずおずと前に進み出た。

 曹操は緩やかに形成される漢の元老院の姿に王の顔を崩さぬように三日月よりも緩やかに笑った。

 

「一刀、何をやっているの。あなたも参列なさい。天の国の知恵と血はここに参加するに足るわ」

「……孟徳様がそう言うなら。俺でいいのなら」

「私が許さなくても私の臣は許すでしょう」

 

 一刀はいくつかの視線を感じた。夏侯淵や張遼の優しいまなざし。楽進や許褚の尊敬。夏侯惇や荀彧の鋭い睨み。中華に落ちてからの全ての出来事が蘇り、一刀の背筋は伸びてローファーが石畳をこつりと打った。

 最後に曹操はガイウスに視線をやったが、彼が集賢臺に入ることは永劫にない。惜しい。だから彼女は彼に試練を与えることを考えた。

 

***

 

 再び曹操の居室。

 日が傾き、窓から赤い光が卓を照らしている。椅子に腰かける曹操の横顔がほんのりと朱色に染まり、一方で影を落とした反対側からは少しの疲れが見て取れた。

 かつて紛糾した会議よりも長い、途方もない時間だった。各州から集った有力者たちを議会が円滑に進められつつも派閥によって決定が下されづらい人数に調整して新たな議院を構成する。曹操は自推多選で名を上げた全ての候補者たちと問答し、国の在り方や経済、戦後の復興までを確認した。なにより次世代の魏については慎重に言葉から推測できる思想を確かめた。それは荀彧や程昱らとも共有され、集賢臺という中華を委ねるに相応しい人物かを選出された。

 また、陳留に呼ばれなかったものの推薦された人物も多くいた。隠居した賢者や魏から逃げた経歴のある者、若く有望だが功績のない者。曹操はそれらの人物にも書簡を用意し、後日再び会談することを決めた。鍾会や張嶷、王淩などがこれにあたる。

 集賢臺の在り方についても深く議論された。人数、出身の分布、役割。そして最も重要なのは組織の腐敗を防ぐことだ。漢が凋落したのは朝廷が外戚や派閥の力によって左右され、本来運営を行うはずの皇帝の影響が減衰してしまったことにあったからだ。

 曹操はまず推薦の限定を議題に上げた。親族を推薦する是非、引退後の推薦権の有無、民からの投票の可否。あらゆる尺度から議論は熱く高まり、荀彧と周瑜が一触即発の空気になるほどであった。孔融は当然ながら儒の視点から物事を考えたが、しばしば曹操から一刀両断されていた。劉備ですら現実に即さないと思えばいつもの尻込みする様子は消え堂々と挙手をして否を唱えた。

 疲れていないはずがない。対面するガイウスは淹れたての茶を曹操の前に置いて、彼女の思考が落ち着くのをゆったりと待った。

 二人は会議の後も再び曹操の私室で二人きりになっていた。それは会議の前に曹操からそのように指示があったからだ。

 

「帰郷するのは構わないけれど、いくつか条件があるわ。もちろん、今まで話してくれたことはその一つ。残りについてはこれからの会の後に話しましょう」

 

 どんな提案あるいは命令があるのかと緊張したものだが、曹操の様子を見ていると不安よりも心配する気持ちが勝ってしまい、ガイウスはそわそわと曹操の横顔を見つめるのだった。

 

「凱烏、穴が開いてしまうわ」

 

 曹操がふっと肩の力を抜いて、ガイウスに視線をやった。全体が陽に晒された表情は穏やかである。

 

「失礼しました」

「許すわ。私は美しいもの」

 

 冗談か本気か分からない言葉を残して、曹操はくすくすと手を口元にあてて笑う。

 それが本当に美しい絵画のようだから、ガイウスはこの人は本気でそう思っているのだろうと見当をつけた。少なくとも荀彧や夏侯姉妹が夢中になるのも無理はない、と。

 

「さて、あなたへの条件のことだったわね」

 

 本題に入る。かと思えば曹操は今朝のように険しい様子もなく、リラックスした様子で茶に手を伸ばしながら話をつづけた。

 

「まずは大秦国使節団の船に同乗することを禁ずるわ。あなたは魏で立身した将よ。堂々と凱旋なさい」

 

 曹操の第一の指示は使節団の船とは別の、魏が造船した船に乗って悠々と帰郷することだった。

 それは魏という国の威信とガイウス個人の立場を懸念する二つの考えが同居している。すぐさま理解をしたガイウスは、曹操に感謝の意を込めて椅子から降りて深く礼をした。

 

「大げさね。次の条件はこの国での心残りをすべて清算することよ。翠(馬超)や月(董卓)、他にもいろいろと積もる話はあるでしょう。あなたが再び魏に戻ってくるのならいいのだけれど――そのつもりはないでしょう?」

 

 ガイウスは曹操の瞳の最も深いところに引き寄せられ、自然と頷いていた。

 

「であれば後ろ髪を引かれるようなものはここで飲み込みなさい。魏の将校たるもの、前を向いて進み続けるのよ」

 

 公式には魏国の臣の名簿からガイウスの名は抹消されるのであろう。他国の民になるのだから当然のことだ。それでも曹操はガイウスを魏の将として扱い続けるという。

 ガイウスは幼少の頃に奴隷商に捕らわれてからというものの、ひどい扱いを受け、戦にも借り出された。漢についてからは――試練と波乱の日々と言えるだろう。その中でガイウスを最も深く認めてくれたのがこの曹操という主君だ。

 

「感謝、致します」

「いいわ。他にも条件はあるけど、こちらは今はいいということにしてあげるもの」

 

 悪戯めいた笑みを浮かべて、曹操は鈴のような音で笑った。




集賢臺=賢人を集めた台(政府機関)
台は帝の直属のイメージがあるので迷いましたが、府や院よりも適当かと思います。
今話を書いているときは華琳様がよく動いてくれて楽しかったです。
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