秦・恋姫†無双   作:aly

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いわゆる拠点フェイズ


陳留にて

 姓を西、名は凱、字を王秀。そして真名は凱烏。それはガイウスが奴隷としてではなく、漢に一人の人間として立つ名前である。

 事の発端は新たな寄る辺となった陳留の主、曹操から本名ガイウス・リキニウス・アウスの覚えづらさを指摘され、漢風の名前を用意するように命じられたことにある。

 

「異国の人は漢での姓を出身地にすることが多いです。康、安、米などは康居、安国、米国の人が漢で商いをする際に名乗る姓です。名は親から賜るもので、人に呼ばせることは滅多にありません。字は元服の際に自ら名付けるのですが、名と関連付けることが多いです。ここまではよろしいですか?」

 

 陳留までの帰路、ガイウスに合わせて徒歩で隣を行く曹純からのレクチャーもあり、姓は西と決まった。名はガイウスから取った凱。真名に相当するのではと曹純は懸念したが、記号であると説明するとこれは受け入れられた。

 字は自ら決める物なのでガイウスはしばし考えたのち、家名のアウスに似た発音の王秀とした。

 家名を字にしたことについてはローマ人の彼には特似違和感はない。なにしろローマ人の人名のバリエーションは極端に少ないので、ガイウスと町中で声を上げれば数人が振り返る有様だったからだ。したがって、彼はたいていガイウス・アウスと呼ばれていた。解放奴隷である祖先の名アウスが家名なので、これでたいていガイウス自身と判断できた。

 

「なんか格好いいっす! 凱とか王とか武将みたいな名前っすよ。ね、るーりん」

「たしかにそうですね」

「実は故郷では軍に入ろうと思っていたんです。そういう家系だったので」

 

 事実、ローマから漢までの道中に彼を守ってきたのは父や兄から教わった剣や槍の心得があったからであった。

 残る真名については、当初は馬超と馬岱が考えてくれた「凱植粛」にしようとした。しかし真名は一般的に一字か二文字が通例なので、凱の文字を取り、植ではなく烏の字を当てて人名らしく訂正した。

 名を変えたことで、ガイウスはますます故郷が遠のいてしまった気がした。しかし何の準備もなくしてローマまで帰れるとは思えない。仮に涼州軍に保護されていたとしても、馬一頭でどこまで帰れただろう。まずは漢での地盤が必要だ。金を稼ぎ、通訳や護衛を雇い隊商のごとく西へ向かう。西王秀ははじめて漢で生きる目的を見つけた。

 

***

 

 さきの黄巾の乱によって華北は大いに荒れた。農民が暮らす邑は壊滅したものも多く、黄巾賊は小中様々な市を略奪し、ときには郡治所(郡を運営する役所のある市)が戦場にもなった。これはすべて、曹操の治める兗州のことである。

 その兗州の州都、曹操がかねてから政治・経済・軍事のすべてを費やしてきたのが陳留である。中央の間は美しい彫刻が随所に施されており、華美にならないよう最先端と野暮にならない瀬戸際で演出されている。実利と伝統を弁えているという曹猛徳の人柄を一目で知らしめる意匠であった。

 背中に回された手枷から鎖のすれる音がする。意図的に部屋に割いていた意識が、正面の巨大な椅子にかける少女へと向かざるを得なくなる。

 尊大に組まれた足がまず目に入る。鎧の合間に見える足の白さに動揺する。少し目を背ければ、強い力を持った瞳が爛々と輝き彼を捉えていた。

 

「簡単なことは洛陽で聞いたわね。大秦から連れてこられた哀れな奴婢。戦に紛れて逃げようとは無謀あるいは大胆とも取れるけど、私好みね。残念ながら逃げることは叶わず私の手に落ちてしまったのだけれど」

 

 曹操は淡々と事実を告げた。しかしガイウスにとって他に道はなかったので、後悔はない。

 

「あなたがこれまでどのような扱いを受けていたのかは興味がない。知りたいのはあなたの資質。類まれなる境遇にあるなら何か役立つものを知っているでしょう。それを提供できればそれなりの待遇で我が城に迎え入れあげる。もし何も持たない愚鈍ならば……正しく奴婢として売り払われるか農地で鍬を持たせてあげる。いいわね、あなたの才を以て私の役に立ちなさい」

 

 陳留県の最も格式高い部屋に居並ぶ官僚たちから様々な声が漏れる。奴隷如きを召し抱えるのは如何か。儒の教えに反する行為である。しかし最も曹操に近しい者たちは唯才是挙を重んじる彼女の行為には慣れたもので、その方針で陳留にいる一刀もガイウスの処遇にひとまず安堵した。

 

「ところで名は決まったの?」

「西凱、字を王秀。真名を凱烏としました」

「ふぅん。個々は堅実だけど珍しい組み合わせね。真名はまだ受け取らないわ。働きを以って価値を示したとき、改めて受け取りましょう」

 

 一連のやりとりをそわそわしながら見つめていた一刀が、おずおずと挙手をした。

 

「一刀? 何かしら」

「それで、その人はどこで働くんだ? 俺のときと同じようにするのか?」

 

 才人は陳留にやってきて曹操の庇護下についてから、しばらく自堕落に生活していた。仕事をせっつかれてからは自主的に仕事を探し、いくつかの失敗の末に町の治安維持に彼の知識を用いることができている。

 

「いえ。彼は奴隷だった経緯があるし、外見は私たちとは違いすぎるから無用な苦労が生まれるでしょう。主要な部署をいくつか経験させてから判断するわ」

 

***

 

 洛陽が火の海と化し、朝廷もなく、帝すら不在となった。中には失われた要職の人物もあり、国家の運営には再建が必要である。しかしほとんどの諸侯は領地に帰っていて、お上からの通達なき今それはほとんど不可能なことだった。

 曹操はこれを見て、最低限の洛陽城門守護と、市内の治安維持、市内再建の責任者を任じた。いずれ帝が帰ってきたときのための処置といえば誰も文句は言えず、袁紹や孔融などからもわずかばかりの人足が送られた。

 同時に曹操は領内の人事も一新する。これまで以上に独自かつ迅速に物事を図らなければならないので、朝廷から定められた郡の官吏だけでは足りない。さらに言えば、彼女が抱えている人材を公に適正な職に就かせる必要があった。

 第一に、曹操は天子に関わる職を全て抹消し、天子帰還時のためとして、太常のみを名誉職として残した。

 第二に、三公に関しては帝国全土に関わる職であるから、州に与えられた地方職へと九卿より必要なものを選別することにした。すなわち、先の太常に加えて、衛尉、光禄勲、廷尉、執金吾、大司農、将作府、少府、尚書省、秘書府、御史台、都水台である。また、曹操を長とした府に軍師も帰属する。

 軍に関しては夏侯惇を頂点に置き、有事には都度武将に雑号を与えて正式な将軍とすることにした。

 

「ふう……」

 

 さらさらとここまで書き上げて、己が陣営にこの府を満たす人材がいないことを彼女は誰よりも痛感していた。まずは陳留を守備する府をどうにかしなければならない。現代でいうところの省庁、県政、市政を一つに纏める必要がある。人も足りなければ金も足りない。金庫番を受け持つ少女の負担の増加に頭痛を覚えながら添削する。

 残る職は……曹純に候補を考えてもらい、一度篩いにかける。

 

「あとはあの男のことだけ……ね」

 

 当然ガイウスのことだ。

 中枢や軍に近すぎる場所からではなく、末端かつ目の届くところから始めなければならないだろう。その後の順番は組織を新たにしてからでも遅くはあるまい。曹操の部屋の窓は遅くまで灯りが絶えなかった。そして翌朝、彼女の認めた竹簡は曹純の手元にあった。

 

***

 

 その日の午前のうちに、早速ガイウスに通達があった。昼過ぎに、伝えられた城門まで赴く。

 捕虜となった身にも関わらず、見張りがいないのは不思議な心地がする。信頼ではないだろう。自分の性分を見極められたわけでもない。何があってもどうとでもできるという自信の現れだと、曹操と側近たちの余裕から推測できた。

 集合場所の城門には四つの人影があった。男性――北郷や一刀と呼ばれていた人物と、三人の女性だ。

 

「おっ。来たな」

 

 男は随分と馴れ馴れしいようだったが、堅苦しすぎるよりはいい。

 

「ははっ。時間までに全員揃うのは珍しいな」

「もうっ。隊長ったら新人さんの前でわざわざそんなこと言うなんてひどいー!」

「せや! これは罰として仕事終わったら晩飯奢ってもらわなアカンなあ?」

「おいおい。悪かったって。謝るから勘弁してくれ……」

 

 彼らは随分と気易い関係のようだ。隊長というからには男が一番偉いのだろうが、ガイウスにはとてもそうは見えなかった。

 

「……凪? なんか静かだけどどうかした?」

「いえ。それよりも、今日の担当を説明してください」

 

 全身に傷跡の残る歴戦の戦士らしき女性は彼らの冗談に混じらず、ただガイウスを見ていた。その立ち位置は隊長の男とガイウスを遮るところにある。ガイウスもそれに気づいていたが、彼女はそのことすら察しているように思えた。

 

「貴様は私の旗下に配属となる。私は楽文謙。貴様が曹兗州牧様の為になることを願っている」

 

 他の三人がそれぞれの仕事に向かってから、彼女はガイウスと相対して告げた。他に残る面子の名と、くれぐれも一刀の真名を呼ばないことを注意して、二人は今日担当する詰め所へと向かった。

 彼女らは隊長と呼んでいるが、実は前日曹操が考えた組織によれば、陳留の城門、城壁、城内の治安を掌握する校尉という官吏になる予定だ。彼女たちにもそれぞれその属吏としての役割が与えられる。

 さて、それはともかく楽進が周囲の警邏隊史が萎縮するほど鋭い気を放っているのには理由があった。午前の仕事前に曹純に呼び出された彼女は一つの仕事を任命された。

 皆の前で今後の処遇を言い渡された男の最初の仕事が警邏だった。一刀を意識したわけではなく、ガイウスの武力を測ることができる人物がいて、かつ有益な情報を引き出せそうな働きどころだと判断されたからだ。一刀の安全のために楽進の下に預けられた。

 警邏は数名の人員を部隊長である楽進が率いる形で行われる。鋭い目つきで周囲の様子を伺い、諍いの声が届けば嵐のように飛び込み鉄拳を下す。たった四人の部隊長から成る小規模な警察組織を運営するに相応しい勤労ぶりである。ガイウスは仲裁や鉄拳を下す彼女の周囲を取り囲む防壁の一人になるほかなかった。

 活気のある街と寂れた町ほど事件は起きる、ということをガイウスはよく知っている。故郷のシリアは東西の交易で盛んだったので商売上のトラブルや窃盗などの犯罪が相次いでいた。おこぼれを預かろうとする小悪党もいた。そして漢に連れて来られるまでには戦によって人や物資が失われた町を見てきた。彼らは生きるための罪を堂々と犯した。商人が徒党を組んで移動するのも、護衛を共同で雇うためである。相手が大きくなれば強盗犯も大規模にならざるを得ないが、彼らにそれほどの力はなかった。

 さて、陳留の犯罪はというと、一番多いのは盗みのようだった。いわゆる豊かな街に集る小悪党の部類だ。次に人が増えたことによる諍い――土地の境界や水源の使用権など多岐にわたる。そして拡張整備されていく街に対応できない人々の案内。ガイウスには楽進ほどの武芸者を据える必要があるのか疑問であった。

 

「何を呆けている。先へ行くぞ」

 

 肩に手甲の冷たさを感じて、ガイウスは慌てて彼女の背を追った。悪党どもを人にらみで委縮させる人物であるのに、通りに並ぶ商店の人々からは気安く声をかけられている。清廉な人物であることの証だろう。今も彼女は野菜を押し付けられようとしているのをまなじりを下げて固辞している。

 

「楽功曹史。それほど熱心なのだからもらってあげましょう」

 

 ぬっと背後から現れた異国の男に町民は口をぽかんと開けて、いささか驚いた様子だった。

 

「それはダメだ。華琳様は賄賂を厳しく禁じておられる。彼女たちにその気がないのは分かっているが……」

「ではその野菜をお借りして、何か料理を振舞ってさしあげてはどうか。食うに困っている人もこの街の中にも一人はいましょう」

「……む。そういうことなら一応隊長にお伺いしてみる」

 

 規則に厳格だが、まったく融通が利かないわけではない。理想的な上官だ。しかしガイウスは今後他の職務を一通り経験させられることになっている。また、この警邏という仕事が向いているとは思わなかった。何せ目立ちすぎる。

 しばらくして、彼は一通りローマやその近郊の街や治安と陳留との違いを書き記した竹簡を曹純に提出した。とくに彼女が注目したのは、治安維持を司る機関が複数あり、それぞれ消防や都市計画という別の側面を持っていることだった。次いで、家屋の土台がオプス・カエメンティキウム(現代でいうコンクリート)で造られている点には大いに関心を抱いた。

 

***

 

 そのようなことから、次のガイウスの派遣先は李典のところに決まった。

 ところがここで一つ問題がある。実のところ来たる袁紹との戦に向けて彼女は新兵器の開発に忙しいのだ。そこで彼にはオプス・カエメンティキウムの試作が命じられた。しかしながら放置というわけにはいかないので、コンクリートを見たことがあるという一刀も補佐に付けられた。結局、それまでと同様に楽進と警邏を行い、それからカエメンティキウム――仮称として大秦石の試作を行うことになった。

 

「と言っても、俺が知ってるのは完成品だけなんだよなぁ」

 

 最初だから、と李典も加えた三人が机を囲っていたところ、一刀が申し訳なさそうに言った。誤魔化すように茶を啜る。

 

「ちなみにやけど陳留、というかここら辺では木枠を作って、その中に土をぎゅうぎゅうに押し固めてるんや。城壁もそうやで。で、煉瓦で囲ってから蛤を砕いた粉を撒いて白くしてあげんねん。金持ちはそこから色を付けたり飾りつけたりする」

「あれ? 天の国もちょっと似てるな。木で枠を作るのは見たことが……いや、鉄のも見たことがある。それから土台の部分にコンクリートを流し込んでた。そうだよ! コンクリートって最初は柔らかいんだ!」

 

 ガイウスは一人彼らの話を聞いて、家屋の壁が白い理由に納得した。そして故郷の家の壁が内も外も白かったこと、様々な色で絵画や幾何学模様が描かれていたことを懐かしく思っていた。

 

「蛤ですか。大秦では火山灰を用いて作られていました」

 

 一刀は教科書に描かれていたある写真を思い出して、思わず声に出しそうになった。ローマと火山といえばポンペイ遺跡を歴史の授業で習う。しかし彼はそれがいつ頃のことか思い出せなかったし、ガイウスの故郷に影響があったかも分からなかったので口をつぐんだのだ。しかし、ポンペイ遺跡が真っ白だったことは覚えていたし、遺跡になるくらい頑丈であることも確かだと思った。

 

「火山か……」

「ちょちょちょい! 自分らけったいなこと言わんといて!」

「え?」

「火山灰言うたら火山が爆発した後に残る物や。つまり凶事の名残やん!」

 

 漢に限らず、古代王朝では自然災害は凶事と考えられ、国の滅びの兆しと結び付けられることが多かった。儒教の国である漢は皇帝の不徳によるものと考えられ、帝の交代によって凶事を避けようとしてきた歴史がある。李典の顔が真っ青になるのも仕方のないことだった。

 一刀は故郷の鹿児島にある桜島のことは知っていてもそれが自然の活動であることを知っていたし、ガイウスもかつてヴェスピオ山で大噴火があったことは知っていたが生まれる前のことである。あまり実感はない。

 

「なあ真桜。火山がどこにあるかなんてことは」

「知らん知らん! 悪いこと言わんからほかの材料探しい。灰やったらええんちゃうん?」

 

 信仰――呪いとも言えるが、ローマと変わらぬ様を見て、ガイウスは少し表情を和らげた。

 

「何笑とんねんねやー!」

「いや、すまない。しかしやはり最初は慣れ親しんだ素材を探したい。書庫を当たってみよう」

「そうですかー。こればっかりはうちは手伝わんからな! あれも作らなあかんし」

 

 書庫の閲覧許可を曹操に願いにいったとき、火山と李典の下りを聞いて彼女は大いに笑った。「隣に天の人間が座っていて何を恐れているのか」ということだ。

 男二人で歴史書を紐解いてみたが、字体が異なるものも多く判読が難しい。いくつかそれらしい描写はあったが、少なくとも中原のことではない。南越以西や遼東以北らしいことは分かったが、領内になければ意味がない。

 

「日本のコンクリートに火山灰が使われてるなんて聞いたことないんだよなぁ。関東ローム層は火山灰で出来てるから素材はあるはずなのに……」

「天の国とやらでは火山が多いのですか? 祖国大秦のように」

「いや、そんなことはない。火山があるところは密集してたから、そうなると他の国では他の材料が必要だったわけだ。日本よりヨーロッパの方が先にコンクリートを使ってたはずだから間違いない」

「ということは火山灰に代用できるものは普遍的にあるか複数存在するということですね」

 

 二人の脳裏によぎったのは、李典の言っていた蛤だった。色付け以外に硬化の要素を備えている可能性がある。

 翌日、二人は蛤の殻、砂、煉瓦、川水を用意して中庭の一角に集まった。ガイウスの知識では海水を使うのだが調達が難しい。実は彼らが断念した火山灰と海水こそがローマン・コンクリートの耐久性の要なのだが、それでも原始的なコンクリートの材料は集まっていた。

 

「まずは煉瓦を砕く。大きさはまちまちでいいが、最大でも拳大になるようにします」

「うへぇ。そういうことなら誰か呼んでくればよかったな」

「警邏の長なのですから、身体を鍛えると思いましょう」

 

 それらが終わると、今度は貝殻を粉末になるまで砕き、砂と水と合わせる。次第にそれらは粘度を増していく。

 それらを木枠の中に流し込み、その上から煉瓦の破片を投入する。しばらく木の棒で押し固めてから、木の蓋をして作業は完了した。

 

「これで固まってくれれば良いのですが」

「いきなり成功ってのは難しいだろうし、明日は季衣でも呼んで煉瓦を砕いてもらおう」

 

 

 翌日、期待と不安がないまぜになりながら開いた木蓋の下で、粘土は固まっていなかった。

 

「だーっ! やっぱりダメだったかー!」

「はい。そのようです」

 

 落胆する二人の背中を見て、典韋はよく分からないという様子で声をかけた。

 

「兄ちゃんたち、これ何?」

「これはガイウスの故郷の壁を作ってたんだ。本当はこの粘土がすっごく固くなるんだけどなぁ」

「ふーん。泥団子だったらお日様で干したらすっごく固くなるよ」

「それだと壁の形にならないじゃないか」

「あ、そっか」

 

 まだほとんど典韋と話をしたことのないガイウスは二人の会話に入らずに、次の方法を模索していた。

 失敗の可能性はいくつかある。第一に蛤では全く火山灰の代用はできない。第二に火山灰の代用を蛤その他何かで行う場合は製造工程を変える必要がある。しかしとりあえず蛤でできる範囲で工夫をしてみるべきだろう。

 

「天日干しかー。貝殻って天日干ししたら何か変わるのかな?」

「いやいや。兄ちゃん。それはないよー」

「たしかにそのまま使うものではないのかもしれません。そうですね、ここは火山に倣って熱してみますか?」

「え? 灰に近づけるってこと? あ、でも確かに焼くと成分が変わるものってあるもんな」

 

 ガイウスが思いついたこの方法は、たしかに石灰を酸化させるので、セメントに近い素材になる。

 

「どういうこと?」

「肉は焼いたら美味しくなるってことさ」

「おお! 兄ちゃんたち天才!」

 

 典韋に必要な煉瓦を砕いてもらうよう約束して、二人は李典の工房へ向かった。巨大な炉がある。

 

「うーん。灰を作るんか。うちの炉は火力すっごいからどうなるか分からんで?」

「できれば何種類か温度を変えて焼いてくれると助かる。な、真桜。頼むよ」

 

 腰を低く、手を擦りあわせて拝む一刀に、ガイウスはなんとなくそれを真似てみた。調子のいい二人にため息を一つついて、李典はしぶしぶ貝殻の焼成を引き受けた。とにかく火山灰がどうのと言い出されるよりはずっとましだったからだ。

 焼きあがった貝殻は、全体的に灰色がかって見えた。砕いてすり潰してみれば、ますます灰のようになる。

 

「これは……」

「なんかいけそうな気がする、ってのは言い過ぎかな」

「いえ、とにかくやってみましょう」

 

 三人で昨日の工程を繰り返したとき、はたと一刀があることに気が付いた。

 

「これって一日で固まるものなのか? 工事現場ってどうなってたかな……なんかすごく放置してたかもしれない」

「その知識はないですが、たしかに劇場は長い時間をかけて工事していました。大変立派な造りのためと思っていましたが、もしかすると堅土が固まるのに時間がかかっていた可能性はありますね」

 

 二人は頭を抱えた。三日程度なら実験を繰り返すことができるが、十日以上となればガイウスが次の職務に移動しなければならない。二人は事の顛末を李典、そして曹操に伝えた。その結果、十日間様々な手法で試作した後、煉瓦に詳細を刻み、その後は李典が時おり確認するということで結論が出た。

 このような調子で、ガイウスはいくつかの仕事を転々とした。兵卒、将校、農務、馬の管理、会計、人事と上司はほとんど同じ顔ぶれだが、従事した職務は多岐にわたる。特に秀でていたのは将校と馬の管理と会計であった(馬の管理は馬岱に習ったものだ)。

 

「どこに配置しても面白いけれど……」

 

 各方面からの報告を眺める曹操の表情は実に楽しげであった。

 

 そしてそのころ、華北では一人の諸侯がしびれを切らしつつあった。間もなく戦が始まろうとしている。




ローマン・コンクリートの製法はかなりでっち上げです。
中流階級の子息であれば、石工の知識はほとんどないはずです。
実はガイウスは植物採集中に人攫いにあったくらいには好奇心の強い性格だったのです。
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