秦・恋姫†無双   作:aly

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恋姫小説では幽州、大体いつのまにか滅ぼされる説。


軍師たち

 漢が新たな帝を立ててから、反董卓連合に参加した諸侯たちに勲功が与えられてしばらくのことである。未だいくつかの部門で能力を量られていたガイウスは、朝議のために欠席した簿曹従事・曹洪の代理を務めていた。

 ここのところ洛陽を解放した恩賞として曹操に荊州北部の南陽郡が与えられたために仕事量が増大している。それに伴い神経を尖らせていた上司の不在に喜ぶ官吏を他所に、ガイウスは彼女が戻ってきたときの暴言を減らすべく額に汗を流して帳簿を敵のごとく睨みつけていた。

 一方朝議では反董卓連合の後処理を終えた諸侯の動向が報告されていた。大きな変化というと、第一に南蛮に近い南方の小城に呂布が居を構え、第二に袁紹が幽州を下し河北四州を手中に収めた。

 当然議題は危険度の高い袁紹が主題になる。洛陽で学んでいた頃に交流のあった曹操は彼女の気質をよく知っている。すなわち、袁紹の次なる標的は曹操の治める‎兗州・豫洲になる。それは確信に満ちた予期であった。

 

***

 

「また戦ですわ」

 

 朝議から戻ってくるなり、深く椅子に腰掛けて曹洪が心底不満げに口にした。

 

「仕事が増えますね」

「ええ。装備に糧食。兵が増えればお金はかかりますが、小勢で臨んで死者が出ればそれもよくありません。戦は金食い虫そのもの。ですがお姉様の理想に戦は不可欠ですもの」

 

 董卓の一件から中華は戦国時代に逆行したかのようであった。行方知らずの皇帝はどこかの諸侯が囲い込んでいるのは暗黙の了解だ。救出という名目で漢の高位を目指すか、あるいは知らぬふりをして新たな覇者となるかを誰もが考えているだろう。

 これから襲いかかる膨大な仕事に曹洪は空を仰いだ。

 

「憂鬱でしょうがこちらに目をお通しください」

「これは?」

「荊州の今秋の予測収穫量です。戸籍も概ね調査を終えたので、税の見込みも算出してあります」

 

 ガイウスの説明を聞いて曹洪の雰囲気が即座に変わる。一つの瑕疵でもあれば責め立てようという勢いだ。

 そもそも彼が曹洪の下についたとき、それはもう大騒動だった。曹洪の男嫌いと元奴隷という身分が相まって、ガイウスは別室で仕事をする羽目になった。ところがガイウスの仕事の速さから、いちいち竹簡を往復させる手間が煩わしくなり、最初は部屋の隅に居ることを許され、今では曹洪の右腕として机を並べて仕事をしている。

 

「合格です。これなら戦の準備に集中できそうですわね。……はぁ。もうじきあなたが次の部門に異動となってしまうのが憎らしいですわ」

 

 ガイウスの適正審査は継続している。いかに曹洪が認めていようとも、曹操の命令が優先されるのだ。

 

「それまでは豫州の収穫管理は私が担当します。戦で荒れるでしょう。それでどうかお許しください」

「私は容赦しませんわよ。成果をあげなさい。そして金庫番の補佐として正式に召し抱えてみせますわ!」

 

 曹洪は燃えていた。

 

***

 

 ところがその数日後、緊急の召集令が出された。今度はガイウスも曹洪の補佐として出席している。夜半の出来事であった。

 

「州境に本初が現れたわ。軍の規模は三万。威力偵察でしょうね」

「えらい動きが早いなあ」

「即断即決と言えば聞こえはいいけど、ようは考えなしなのよ」

 

 先日まで幽州を攻めるために兵を動員していたにも関わらず、継続して戦をしかける資源がある。これが河北四州を手にした袁紹の恐るべき力である。

 

「それで、こちらの兵はどの程度なの?」

「それが……七百、と」

 

「ななひゃくぅ!?」と絶叫する夏侯惇を背景に、荀彧はこちらが用意できる兵力を告げる。すぐに動員できるのは一万、翌日にはさらに一万。賊退治に出ている兵が帰還すればそちらも向かわせられる。

 まるでテルモピュライの戦いのようだ、とガイウスは思った。もっとも、あちらは援軍の見込みもない防衛戦だったが、兵力差はギリシャの英雄の偉業を彷彿とさせる。

 

「あの、報告には続きがありまして……援軍は不要とのことです」

「……そう。ならばそうしましょう。報告にある者は帰還後こちらに参上するように伝えなさい」

 

 放置すれば間違いなく蹂躙される兵数である。兵も大事だが砦やなにより曹操の領土が侵されることに夏侯惇をはじめ、数名の将がピリつく。しかし聡明なる曹操が良いというのだ。ガイウスも不安を覚えながらもその命令に従うことにした。

 さて、その後の顛末は要約すると次のようになる。あまりに少ない守兵にやる気を削がれた文醜と袁紹は小城を攻撃することを辞めてしまったのだ。そして見事小城の報告主の思惑通りに事が進んだ、ということになる。

 その報告主、郭嘉と程昱は荀彧に続く軍師として曹操に仕えることになった……のだが。

 

「ああ、それともう一つ。王秀はこれから桂花の下で働きなさい」

「か、華琳様ぁ!?」

 

 さきほど軍師という唯一無二の立場を奪われたことでダメージを負ったところに、曹洪よりもひどい男嫌いの荀彧に告げられた報せは地獄へ突き落とされた心地であった。

 

「い、嫌です嫌です! 軍師の下での経験ならそっちの二人でも構わないのではありませんか!?」

「お姉様! 私も反対ですわ。まだ王秀に大秦の知識を生かした仕事まで至っていません。継続して主簿として私の下に置いてくださいませ」

 

 正反対の理由で抗議する荀彧と曹洪を見て、曹操はくつくつと笑った。

 

「まさか栄華がこうも気に入るとはね。でも、王秀の簿曹としての能力は個人のものであって大秦のものではないわね? これから戦が始まる今こそ軍師や将としての力量を真に試せるというもの。違うかしら?」

「うぅ……」

 

 曹洪は項垂れて愛用しているぬいぐるみをぺたりと床に落とした。さて、今度は荀彧の番である。

 

「華琳様! それではこいつの面倒を見るのは新しい軍師二人でも秋蘭や猪でもいいということではありませんか!?」

「あら。でも酒祭軍師はあなたよね?」

「もちろんです」

「なら、あなたが直々に査定なさい。もちろん、酒祭軍師の座が要らないというのなら構わないけど……」

「あぁん。華琳さまぁ」

 

 泣く泣く、本当に涙を流しながら荀彧はガイウスを睨みつけた。恥辱に震える手で指差すと「少しでも無様なところを見せたら首ですからね!」と吠える。それで曹操も満足したのだろう。反抗的だったという名目でお仕置きを命じ、荀彧は喜んで尻尾を振った。

 

***

 

 荀彧の執務室は魔境である。彼女の部屋には他の官吏はいない。国を左右する情報で満ちているという理由もあるが、多少の才能があったところで彼女の智謀にはついていけないからだ。

 従って、荀彧の俗吏は別室で割り振られた職務を淡々とこなすことが日常である。軍師と州牧府の別駕従事の二つの役職を担う彼女は別駕従事の仕事を他者に委ねることはあっても、軍師としての仕事は一人で完結してきた。

 それこそが魔境と称される執務室を生んでいる。彼女が軍事において作戦を練るとき、最も重要視しているのは情報である。この時代の軍師は名士であるから、その人脈は計り知れない。各地にいる名士たちとの文通から世の情勢を整理し、ときには自ら名士として動いて情報を集める。そうした生きた情報が棚一面に保管されている。そこから導き出された諸侯の最新情報が中華地図に書き込まれていく。

 

「あんたには軍師は向いていない。理由は分かるわね? 分からないなら論外だからさっさと出て行って」

 

 初仕事に訪れたガイウスを待っていたのは目尻を釣り上げた荀彧の辛辣な歓迎の言葉だった。しかし彼女を観察してみれば、隈を化粧で隠しているものの、全体的に青い表情は隠せていない。自らがここに配置されたのは彼女の負担軽減も理由のひとつなのだろうとガイウスは察した。

 

「ジロジロ見るんじゃないわよ。孕んだらどうしてくれるのよ」

「失礼。先程の問いの答えは、私が中華の情報を集められる能力に欠けているからですね」

「……分かってるじゃない」

 

 今ガイウスと交友関係があるのは馬超と馬岱くらいのものだった。反董卓連合では敵対したが、袁紹との決戦に向けて後顧の憂いを断つために曹操は馬騰と友好な関係を結んでいる。時折交わす文通で、涼州の近況だけはガイウスも把握している。

 

「とはいえ華琳様の期待を裏切るわけにはいかないわ。あんたには私が集めた情報から何が出来るのかを考えてもらうわ。作戦立案と奏上も軍師の立派な仕事よ」

「わかりました」

「言っとくけど、私の査定は甘くないわよ。男だって女だって、それこそ華琳様以外なら等しく厳しく行うわ」

「心しておきます」

 

 荀彧は潁川閥に属する名士である。曹操が躍進を遂げたのは彼女が推挙した名士たちの活躍あってのものと言っても過言ではない。鍾繇や陳羣、荀攸をはじめ、北海閥の司馬懿、王朗、華歆は彼女の推挙で曹操の下に集った。さらには袁紹の下にいたときの人脈や、名士同士の複雑に絡んだ人脈は多方面に点在する。

 その彼女が集めた情報というのはすさまじく膨大なのだ。ガイウスは積み上げられた竹簡に恐怖した。各地の情勢、人材の評価。金の流れ。それだけでガイウスの背丈を超える量がある。

 

「袁本初や田元皓の分析は私も済ませたけど、あんたの考えも聞くわ。あとは近隣の諸侯も当然計算に入れなさい。本命の作戦だけではなく、あらゆる事態に対応できることが軍師の使命よ。仮に華琳様が迷われたとき、その指針となることが私達の喜び。三日あげるから、あの全身性欲男よりまともだってことを証明してみなさい」

 

***

 

 ガイウスは関連する資料を私室に運び入れて、まずは漢のおおまかな情勢を頭に描いた。

 洛陽は仮の帝の下に朝廷を開いたが、求心力は大幅に低下している。むしろ正当なる帝、劉宏と劉協の行方が知れないことから、いずれかの諸侯が隠しているという考えが浸透しており、それが諸侯同士の争いを正当化している。

 中原では曹操が領土を拡大し、劉備が徐州を得た。袁術が南にいるが、何を考えているか分からないところがある。河北では袁紹が四州を制圧している。先日曹操領を攻撃しており、今最も危険な関係だろう。涼州は李傕という男が長安を握ってからあまり良くないと聞く。荊州や益州はガイウスには馴染みがなく知識がない。

 皇家の地位が揺らいだ結果、諸侯の権勢が増して王朝が変わるという前例はある。周王朝が滅び秦王朝が建った戦国時代のことを、ガイウスは史記から学んでいた。きっと今回も漢皇室を助けるものはなく、自らが覇者となることを目論んでいる権力者ばかりがいるのだろう。あるいは劉邦のように下級役人さえ夢を見ている者がいるかも知れない。

 袁紹と戦うとき、もっとも気をつけないといけないのは背後だ。徐州の劉備、荊州の劉表、揚州の袁術から背を突かれるのは恐ろしい。いくらかの兵をそちらに置いておく必要がある。劉備へは物資の融通、劉表へは州境での外交交渉で対応ができるかもしれない。荀彧の書簡から使えそうなものを探すのにガイウスは半日以上をかけた。

 

「お兄さん、華琳様がお呼びですよ〜」

 

 夜の帳が降りた後も、ガイウスは蝋燭の灯りを頼りにいよいよ敵戦力の算出を行っていたところだった。まのびした声が扉の向こうから聞こえる。眠くなるおっとりした声の持ち主は先日幕下に加わった程昱のものだ。

 

「わかりました。伺います」

 

 書簡にかぶりついていた身体はかなり凝っていて、立ち上がるだけで軋む音がする。

 

「おおぅ。こんな時間にもお仕事とは熱心ですねぇ」

 

 扉の隙間から見えた書簡の山を見て、程昱は戯けたふうに驚いてみせた。

 

「いや。酒祭軍師殿の要求は私にはどうも難しい。大秦と漢では戦い方が違うのです」

「そうなのですか〜?」

「私達は会戦を好むのです。索敵を出し、敵を発見したらどちらが有利に布陣できるかが要となります。入念な検討の上で会戦地を決めて、その手前に陣営を設置します。敵も相対して陣営を設置し、頃合いを見て合戦が行われるのです」

「それはずいぶんと古い戦い方ですねぇ〜。中華では戦国時代に軍師という役割が生まれてからは策を用いることがずいぶん増えました。お兄さんの軍師への道のりは険しそうですね」

 

 ガイウスにとって幸いなのは、今回は相手が単純な袁紹であることだ。田豊という軍師はいても基本的にはオーソドックスな戦いを好む。

 

「大秦に軍師はいません。全て指揮官の描く作戦に沿って行動します。戦の原則は単純で、より有利な立地を会戦の地に選び敵を誘導する。そして大軍による継続的な戦闘ですり潰す。無論、名将と呼ばれる指揮官は鮮やかな知略で勝利したこともあります」

「大国の戦に小細工は不要というわけですね〜」

「はい。一度の敗北は致命傷になりません。次の戦いに活かされるのです」

 

 ガイウスは胸を張って先人を語った。ローマも寡兵で勝利を得たことはある。ゲルマニクスやスッラがその一例だ。シリア出身のガイウスには馴染みがないが、スキピオ・アフリカヌスなどはローマ史上最良とも言える名将もいる。

 

「お兄さんは軍師よりも、戦場で考える指揮官のほうが向いているかもしれませんね~。情報収集なんて軍師に丸投げして、それを理解できる知識だけあればいいと思うのですよ」

 

 ふふふ、と微笑む程昱。頭上の宝慧もまた「おめぇは顔がいいんだから言うことを聞く軍師なんてちょちょいのちょいだぜー」と無責任なことを言う。

 しかしガイウスは程昱の言葉がすとんと腑に落ちた。アウグストゥスを補佐したポンペイウスにはなれそうにないが、現地民の情報を頼りにパルティアに攻め込んだ将軍たちのようにならなれるかもしれない。それは奴隷だった頃に現地の住民から情報を得て上手く立ち振る舞った経験に似ているように思えた。

 なにより、故郷に帰るためには曹操からの信頼と実績が必要なのだ。それは派手な方がいい。

 

「分かりました。情報の収拾は誰かに頼みます。その上でできる限りの案を練りましょう」

「おうおう。良い面構えになったじゃねーか」

「と、宝慧も申しておりますー」

「ありがとう、宝慧」

 

***

 

 再び夜分に集められた将校たちに告げられたのは、袁紹が劉備の治める徐州へ侵攻したというものだった。

 

「む? なんで今わざわざ劉玄徳なのだ? 我々へ攻撃しておいて何のつもりだ?」

「これはね、春蘭。徐州を袁公路に取られるのが惜しくなったのよ」

 

 現在劉備軍の大半は揚州の袁術が侵攻してきたことへの防衛に割かれている。手薄になった北部を袁紹が黙って見ているはずもなかった。

 州牧、いや覇道を往く者として曹操はどう動くべきか。軍師たちが意見をぶつけ合っているとき、急な来客があった。それは緑を基調とした衣装で、武人らしく背筋がよく伸びた女性。なにより目を引くのは美しい黒い御髪である。

 

「美髪公……」

 

 誰かのつぶやきが室内に消えていく。

 

「我が名は関雲長。徐州を治める劉玄徳が一の家臣にして、その大業を支えるものである。急な来訪で申し訳ないが火急の用があって馬を飛ばして参った」

「そう。袁本初たちの件ね?」

 

 今の不利な戦局を考えれば関雲長来訪の目的は明白で、張遼は思わずといったふうに「助けを求めにきたんか」と声を上げた。

 

「残念だけど、少し違うようね」

 

 曹操が挑発的な目で関羽を見やる。すると室内の諸将の視線もおのずと関羽に集まった。

 

「実は……曹孟徳殿の領地の通行許可を求めに参りました」

「それってまさか……?」

「袁本初さんと袁公路さんから逃げるために私達の領を抜けて他の州に向かうということですか?」

 

 歴史を知る一刀が真っ先に気が付き、典韋もまたその意図に気づいたようだった。

 ガイウスにとって、このことは理解できないことである。ローマ帝国にとって首都ローマはなんとしてでも死守しなければならない土地だ。劉備のみならず、遷都を繰り返す中華の歴史や思想は不思議でならない。司馬遷の史記によると、中華では古代においては外敵から国を守るために五回も国土を変え、夏以降は王朝の変遷に伴って遷都が行われている。

 

「我々は益州に向かいたいのです」

「厳しい道程になりそうですね……」

「しかし、我々と徐州は同盟を組んでるわけではないでしょう」

「ええ。目的地も含めて我々の仮想敵ですわ」

 

 曹操の将が口々に意見する。劉備らに同情する者もいなくはないが、大半は無謀な作戦を非難し、援助する道理がないことを説いた。

 それらを黙って聞いていた曹操は、益州の劉璋と渡りがついていることを指摘した上で関羽もその無謀さを理解していることを言い当てた。

 

「承知の上でお願いに参りました。主の願いを叶え、我々が生き残る可能性はこれが最も高い選択なのです」

「そう。ではこれから返答のために劉徐州牧の下へ向かうわ。誰が付いてきてくれるのかしら?」

 

 結局ほとんどすべての将を引き連れて、曹操は州境へと向かった。劉備は州境から付かず離れずの位置に陣を張っているようで、関羽の案内の下に数名の護衛とともに曹操は徐州の陣へと歩みを進めた。

 

「私には領内を通過させる理由が見いだせないのですが……」

 

 領内で留守役となったガイウスが、同じく待機している荀彧に問いかけた。

 

「当たり前でしょう? 劉玄徳にはここで滅んでもらうのが一番よ。その後に袁家が束になっても私は華琳様に勝利を捧げるわ」

「む。兵力差こそ戦の基本ではないのですか?」

「孫子ね。でも将兵の質を考慮に入れなさい。致命的な兵力差でもなければやりようはあるわ。……まぁ、華琳様は戦を選んでも劉玄徳をここで滅ぼしはしないわ」

 

 ガイウスは驚いて荀彧の顔を見た。まっすぐに徐州の陣のほうを見つめている。曹操への信頼がこもる視線が、その言葉への疑いを薄れさせる。

 

「おそらく華琳様は徐州の連中の護衛を兼ねた見張りを割り振られた後、袁家を追い返す軍を編成するわ。策は私が考えるけど、あんたも一応頭を使いなさい。まさか田元皓の情報にまだ目を通してないなんてことはないでしょうね?」

「確認しました。なんとか考えてみます」

「そう。ならいいわ」

 

 恭しく応えたガイウスだったが、心の内では動揺に満ちていた。なにせ袁家の大軍に対しこちらは曹操の護衛として連れてきた数千しかいない。将校は多いが兵を割り振れば一人五百もつけられないだろう。ならば敵将のみに的を絞って討ち取るかと思ったが、この闇の中ではそれも難しい。

 

「……策を練るのは向いていない。たしかにそうかもしれない」

 

 ここに来る前に程昱に言われたことを思い出して、ガイウスは眠そうに立つ彼女に視線を送った。

 

「仲徳殿。少しいいですか?」

「……むにゃむにゃ。風は眠たくて仕方がありませんので、宝慧とお話ください〜」

「え? そ、それでは……」

 

 少女の頭上に鎮座する人形に背を屈めて話し込む男という珍妙な図はかなりおかしなものだったが、ガイウスは恥を忘れて今の課題と考えを訥々と語りかけた。

 

「闇の中だから敵がわからねぇ。そりゃ当たり前だぜ、兄ちゃんよ。当たり前すぎることだよなぁ」

「当たり前すぎる……。そうか、それはこちらに限ったことではないということですか?」

「おぅ。分かったじゃねーか。じゃあ他に夜だと困ることはなんだー?」

「それは……行軍が遅くなる。敵味方が分かりづらい。弓が当てづらい。敵を見つけるのが遅れる」

 

 指折り数えるガイウス。その真剣な表情を、程昱はうっすらと開いた目で見つめていた。

 

「あとは敵の正体、すなわち数が分からないということですよ。お兄さん」

「なるほど! ……おや? もう眠気は覚めたのですか?」

 

 彼女が起きているのは明白だったが、作られた声色ではない返事にガイウスは不思議に思った。

 

「ふふふ。お兄さんの熱気にやられてしまったのですよ。それより、さっそく風の言葉を聞いてくれているんですね」

「『機会は容易に与えられないが、容易に失われる』とは故郷の言葉です。あなたが助言を下さり、今実行できるときがある。これを失うのは愚者の行いです」

「ふ〜む。大秦の賢人も良い事を言いますねえ。そしてお兄さんも素直で風としては優を差し上げましょう」

 

 さて、と程昱はガイウスに正対してその場にしゃがみ込んだ。彼女の手招きに誘われてガイウスも膝をつく。

 

「敵将文醜は計略に弱いですが本能的な勘に優れています。顔良は考えられる人ですが文醜に流されやすい。軍師の田元皓は知識はありますが経験不足。なにせ主があれなので策が採用されないというわけです」

「夜戦となれば奇襲が常套。しかし兵力差を悟られては押しつぶされる。そこを闇を利用して騙す。数を誤魔化すのは旗を増やすのが王道ですが……」

 

 再び考えこむガイウス。程昱は想像より漢の兵法に精通していることに驚き、よく考えるこの男の性質に満足していた。鍛えればどのような鉱石に化けようか。

 

「言い忘れていましたが、敵の軍師は並大抵の策は見破ってきますよー? 桂花ちゃんと知人のようなので」

「うっ……。いや、しかしそれが袁本初に聞き入れられる可能性は低いのでは?」

「まぁそうですね。では顔良将軍だけに策を授けたとしたら?」

「それは……」

「これが軍師なんですよー」

 

 程昱が扇を広げてほ、ほ、と笑う。戦が始まる前は国力や流通などを把握すればよかった。しかし開戦間近になると現実的な資源と人の心理が複雑に絡み合う。戦の最中となれば彼女たちの頭脳はどのように働いているのかガイウスはおそろしくなった。

 

「おや、時間切れのようですよ」

「孟徳様が戻られましたか」

「お兄さんは桂花ちゃんに怒られる準備をしたほうがいいですねー」

 

 事態は荀彧の想定通りに運んだ。劉備軍の領内通行は許可され、張遼らが見張りにつく。一方追っ手へは曹操軍が対処することになった。

 

「桂花、何か策は?」

「はっ。ですがその前に……」

 

 荀彧の視線がガイウスをかすめる。曹操も察したのか、彼に目をやった。

 

「この寡兵ですから夜襲をしかける必要があります。数を悟られないために接近戦は禁じ、弓兵のみで攻撃し、近づかれる前に退きます。しかしそれだけでは田元皓もこちらの兵数に気付くでしょうから、時折全兵での接近戦を将を変えて行われてはいかがでしょうか」

「あら。思ったより考えているじゃない。桂花、よく短期間で仕込んだわね」

「い、いえ……」

 

 褒められて嬉しい反面、実際はそうではないので荀彧は凄まじい視線を寄越した。開いた扇の裏で程昱が微笑んでいることには、郭嘉だけが気づいていた。

 

「では桂花の策を聞かせてちょうだい」

「はい。こいつの策は失敗します。なぜなら文醜のことを理解していないからです。あいつは多少の矢なら突撃してきます。ですから弓兵以外にも弓を持たせて数を過たせます。そして田元皓はそれすら予測してきますから突撃を指示するでしょう。しかし文醜はきっとこれを無視します。夜襲の突撃が危険なのは将兵こそ良く知っています。しかしその我慢も数度で終わりです。疲弊した袁紹軍を叩くのは容易いかと」

 

 ガイウスは荀彧の神算に舌を巻いた。三人の敵の性格は調べていたし、程昱からも伝えられていた。しかし荀彧の説明を聞けば実際に彼女らが話し合う様や命令無視する光景がありありと想像できる。対して自分は情報を有機的に扱うことが出来ていない。

 

「よし。桂花、差配なさい。それと王秀。あとで話を聞くわ」

 

 これから一戦というときだが、曹操は余裕綽々といったふうで、にやりとガイウスに語りかけた。

 その夜、徐州から袁家の姿は消えた。北へ逃れた彼女たちは、冀州目指して青州を通過しているという。その活躍には完全に袁軍の動きを読み切った名軍師荀彧の功績があった。

 




ローマ帝国はほとんどの市民が初等教育までは受けていました。計算、読み書き、法律を学んでいたそうです。
日本では庶民が教育を受けられたのは江戸時代のことで、家庭や奉公先で学んでいました。
ポンペイ遺跡に行くとローマの日常を感じられます。私はというと犬のゆか絵に夢中でした。そう、ジョジョ5部のアレです。もったいないことをしました。
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