ふわふわタンポポ少女を救いたい!   作:true177

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010 何が善で、何が悪なのか。

「桜葉さんは、家のゴキブリをどうしてるの?」

 

 クリティカルヒットだ。白黒つけられないものに色を塗るにはこれが一番である。が、回答者にとってはどちらに転んでも追及が待っている。

 

 ここまで何の澱みもなかった優希が、初めて言葉に詰まった。思考を整えようとする深呼吸が、何度も教室から聞こえる。

 

 質問者の男子は、齟齬を見つけてはしゃいでいた。粗さがしが目的なようで、悪用しようという意図がある。

 

 優希は、逃げなかった。悪ふざけをしている言い出しっぺを真っすぐと見つめていた。厳しい目線ではないものの、見つめられた男子が後ろへ少したじろいだのが見えた。

 

「……家のゴキブリは、殺してる……」

「これはこれは、どういうことかなー? 思ってることと言ってることが、矛盾してない?」

 

 悪意のある人物というのは、どうしてこれほどまでに煽り性能も高いのだろうか。ドン引きされてしまっても気にしない図太さだけは褒めてやってもいい。

 

「やっぱり、桜葉さんは嘘つきだったんだねー」

 

 いつのまにか、退散していたはずの女子陣が戻ってきていた。ゴキブリを逃がしたという情報が、どこからか伝わったのだろう。

 

 よくよく観察していると、無理難題を吹っ掛けた男子と教室に舞い戻って来た女子会陣営が目配せをしていた。

 

 ……優希に集中砲火して、何が楽しいんだか……。

 

 一人、全員の目の前でゴキブリについての考え方を語りたかっただけの優希。それを、良く思わない陣営が攻撃し、周りも同調圧力に流される。

 

 おそらく、前の学校でも同じようなことが起こっていたのだろうと簡単に推測が出来る。クラスの中で段々とスケープゴートになっていき、批判の墓場と化していたのだろう、と。

 

『友達らしいことって、何かな?』

 

 これを言われた時は、一緒に遊ぶことくらいしか思いつかなかった。貧相なことしか捻りだせない頭は、相変わらずポンコツだ。

 

 最奥の席で観衆となっていた航生は、椅子を大きく後ろへ引いた。金属製の脚とコンクリートの床が擦れる音で、一気に注目の的となる。

 

「くだらないな……。優希が悩んでそう決めたなら、それでいいんじゃないのかよ?」

 

 バージンロードを歩くゲストのように、真っすぐ教壇へと歩んでいく。尻尾を逆立てた猫の鋭い目を感じるが、そんなものを気にしているヒマはない。

 

 心にたぎっていた熱い怒りが、洪水となって教室内を渦巻いていく。

 

「殺したら、罪のないゴキブリに申し訳ない。殺さなかったら、害がどう転ぶか分からない。こんなの、どっちを選んでも責められることじゃないのか?」

 

 はっきりと、標的を定めた。日和見で呼び捨てにすることがはばかられた航生は、追撃をかまそうとしていた男子を指差した。

 

 立ち上がられたのが想定外だったようで、明らかに口がもごもごしている。浮足立っているのを、逃す手はない。

 

 ……矛盾した選択を迫られることなんか、誰にでもあるだろうよ。

 

 いくら自然を愛していようとも、山中で熊に襲われて死ぬのが本望という人はそう多くはない。大切にするということは、盲目的に守ることに繋がらない。

 

 ゴキブリの話に戻すと、害虫でもむやみやたらに生かすのが正義ではない。不衛生から病気で入院しては確実に人生の質が下がると言うもので、確実に心は蝕まれる。一方的な殺戮ではなく、敵を排除しているようなものだ。

 

 むしろ、普通の人ならば気に留めもしないだろう『ゴキブリの命』の重さを量ろうとすること自体が自然保護意識の高さを表している。本人に生命を大切にする感覚が備わっていなければ、何も考えることなくスプレーを噴射して終わらせているのだから。

 

「……ほ、ほら、殺してるんだったら、命を粗末にしてるってことだろ……?」

「自分の健康を粗末にしろとでも?」

 

 何と何を比べているのかが、全く分かっていない。

 

 巣にエサを運んでいるアリを潰したのなら、それは無駄死にだ。アリがいることによって不利益を受けないのに殺してしまっては、無駄というものだろう。

 

 ゴキブリが害虫指定を受けているのならば、その理由は何処かにあるはずだ。人間の生活に少なからずの影響を及ぼすからに決まっている。

 

 人が自然界の生活圏に入り込む分には、自己責任だ。野山でハチに刺されるのはハチの生活圏内に侵入した人間に非があり、避ける努力をしなかった怠慢になる。

 

 逆に、野生の生き物が人間の世界に迷い込んでしまったらどうするのか。答えは簡単で、その大きな頭を使って考えて見ればいい。他の生物を凌駕する知識をフル回転させれば、追い返すのが温和な策だということに気が付くだろう。

 

 アブが部屋の中に迷い込んできたとして、大事なのは窓へと誘導することだ。刺激を与えてしまえば刺されるのは当たり前で、慌てないことが重要なのだ。

 

 ……ゴキブリも外に帰してやれば、野山に戻って行ってくれないのか……?

 

 ここは、脇にいる生物博士に尋ねてみる事にしよう。分からないことをそのままにして嘘を固める手法はいずれ失敗する。

 

「……優希、ゴキブリは野に帰してやれないのか?」

「……家に住み着くやつは、放しても戻ってきちゃう。他の家が被害を受けるだけだよ」

 

 冷静になってみれば、優希が泣く泣く始末しないといけなかった時点でその選択肢が残っているわけが無かった。

 

 ともかく、家を居住地とするゴキブリは野に帰せない。自分の家から離れたとしても、他の家に行くだけのループだ。

 

 他人にまで迷惑が広がるのなら、自分で蹴りをつけてしまうのも致し方ない。あくまで、個人の感想である。

 

「……こういう人の価値観を問うものっていうのは、答えなんてないんだ」

 

 正解が、何処かにかかれているわけではない。自分で根拠となる資料を集め、総合的に判断していかなくてはならないのだ。価値観は、機械的に基準を置けるものでは無いのである。

 

 人を罪人がそうでないかを裁くのは裁判所の役割だが、全く同じ状況の裁判というものは無いに等しい。各事件で動機や被害状況、悪質さが異なるのだ。そういったものをまとめて判決を出すのが、裁判長なのである。

 

 優希は、ただ航生を見守ってくれている。言いたいことを言えるように、無用な口出しはしてこない。

 

 友達というものは、仲良く遊ぶだけが能ではない。苦楽を共にし、絆を育む。綺麗ごとのように聞こえるかもしれないが、本質はそうなのだろう。

 

 ……今、友達の意味がやっと分かったような気がする。

 

 航生は、優希を庇うように右腕を横に真っすぐと伸ばした。

 

「答えのないものは、自分で道を切り拓いていくしかないと思う。優希は試行錯誤しながら突破してるんだから、何も悪くない」

 

 これ以上因縁をつけてくるようなら、こちらにも考えというものがある。

 

「……これでも優希をバカにするって言うなら、俺が全力でぶつかるぞ」

 

 航生の腕力は、高校生平均より劣るだろう。が、それは問題にならない。

 

 女子陣に偏りかけていた漂流する意見たちを、引き戻すことが出来た。今や、クラスの男子は一名を除いて優希たちの味方になっている。そんな雰囲気が、教室内に出来上がっていた。

 

 やられっぱなしで我慢ならなかったらしいグルの男子が、懲りずにどうでもいい質問を投げかけてきた。ヤケクソな姿は、あの日芝生で花を摘んでいた航生のようだった。

 

「……じょ、女子を名前で呼ぶなんて、気持ち悪いにもほどがある……」

 

 皆までは言えなかった。各方面から、氷の矢が降り注いでいる。冷や汗がダラダラと垂れて来ていて、無い頭を振り絞っても良い案は出てこないらしい。

 

 この愚かな男子は、あろうことか女子陣の一部をも敵に回らせてしまっていた。口は禍の元とはよく言ったものだ。

 

 ガコン、と机が押し倒された。論破されて後ろ盾を失ったその男子だ。チャイムが鳴る時刻が迫っているというのに、一目散にドアから出て行った。

 

 女子陣はすっかり静かになってしまっていた。反論する取っ掛かりを掴むこともできずに、優希を睨みつけているだけ。数の暴力には太刀打ちできないと見て、行動を起こしてくる様子はない。

 

 教室内に、拍手が巻き起こった。己を貫いた優希と、消極的な性格のはずの航生に。

 

 意欲的に創作へと取り組んだことのない航生にとって、拍手喝采の中心にいるというのは居心地が悪かった。

 

 元々、感謝されるようなことも尊敬されるようなこともしていない。優希が攻撃されることにいたたまれなくなって、静かな感情が暴走してしまっただけだ。そう言っても、祝福ムードを終わらしてはくれ無さそうだが。

 

 一通り拍手が収まり、口々に『すごい』『よくやった』との声が飛び交った。『よくやった』は、クラスにのさばってカーストトップとして支配してきた女子陣を退散させたことに対してだろうか。

 

「……航生、大丈夫? あんなことして、体ちゃんと持つ?」

 

 ……自分が攻撃されてたって言うのに、なんて人だ。

 

 慣れっこだったら反対に問題として挙がりそうだが、優希が持っている生命を大切にする力には脱帽だ。

 

「……優希は、『友達になってほしい』って言ってたよな? 友達を守るのも、役目かな、と」

 

 こんな純真な子と友達でいいのかと、まだかしこまった語尾が抜けきらない。

 

 いつもより僅かに頬を赤らめて、優希が照れ笑いをした。とろけてしまったのかと心配するほどに、頬っぺたが零れ落ちそうである。

 

「そうだったんだ……。ありがとう、航生」

 

 この言葉が聞けるだけで、十分というものだ。

 

「……桜葉先生! ゴキブリの授業の続き、よろしくお願いします!」

「桜葉先生……? ……優希のことか」

 

 自分の苗字も忘れてしまっていたようで、とろけそうになっていた顔が途端に引き締まった。

 

 生徒の一声で、残り時間少ない講義が再会された。教師としてチョークを使うことが無いので、長文を書くのには苦労している。

 

「えーっと……。そもそも、なんでゴキブリが家にいるのかと言うと……」

 

 居眠り魔も、勤勉でワークばかりをやっているような子も、全員が優希の身振り手振りに魅入られていた。『ゆきわーるど』に、クラス全体が引き込まれていく。

 

 ……生物の授業、全部優希がやってくれたらな……。

 

 高校生からでも教員免許を取れやしないかと、脳内検索エンジンを稼働させた航生なのであった。

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