「生きとし生けるもの、全部一生懸命生きてるんだよ? 敬わないなんて言う選択肢なんか、選べない」
強くたくましい、腹の底から発生されたものだった。軽々しく命を扱うなというメッセージが、架空の画面に映し出されたかのようだ。タブ表示時の警告音が、頭の中で鮮明に鳴った。
生物も植物も、力の限り這って前へと進もうとする。助かる見込みが無くとも、最後の一滴まで振り絞ろうとする。一見生にしがみついてみっともないと思われるかもしれないが、それの何が悪いのか。
スポーツで年を取ってから現役にこだわるベテランを酷評する自称評論家は数多といる。それをとやかくは言わないが、引き際が潔いものが好まれてズタボロになるまでプレーを続けるものが心無いヤジを浴びせられるのは違う。
ネズミだって、ネズミ捕りにかかって後は処分と言う道しか残っていないのに、鋼鉄の歯から脱出しようともがく。死に際のネコも、最後まで生を全うしようとする。
賢くないから、死ぬ運命が分からずにもがいているだけだ、という意見も一定数はあるかもしれない。それは正しく、人間より動物の方が劣っているというのは事実だ。
だが、賢い事が本当に良い事なのだろうか。人間は、しばしば自殺というものを考える。自分に価値が無いと決めつけて、容易に命を断とうとする。あるいは、目的なしに危害を加えようとする。
自殺という概念は、人間が作り出した。高度な思考回路を持つヒトだからこそ、行く末に不安を抱いて逃げようとしてしまう。その結果、自死が発生する。
……命を敬え、か……。
彼女が本心で語っているかは後回しにするとして、その言葉は全世界の人々に復唱してほしいものだ。
「……雑草は畑なんかに生えてると抜かれて死んじゃう。それは栽培してるものから養分を奪っちゃうから。……生えてくる場所は、選べないのにね」
公園の一面に広がる芝生を見渡して、首を落とした。
野山の斜面に芽を出していれば、除草剤で根ごと枯らされることも人の手で引っこ抜かれることも無かっただろう。悠々と土の栄養分を消費して成長していたはずだ。
それが、盛り上がった土の地面だったからと言うだけで生を奪われる。他の作物が育ちにくくなるので仕方のない範囲だが、それでも彼女にとってはこたえるらしい。
……人もだよな……。
つい先ほどまで『植物と人間を同程度のレベルに置いて考えるな』と持論を展開していた偉そうな航生は、どこかへ消えてなくなってしまっていた。
人間も同じく、生まれてくる場所は選べない。貧困層が多く国が立ちいけない地域なのか、裕福で教育が十分に受けられる地域なのか。環境によって、生育は大きく左右される。
「……優希(ゆき)はさ、自虐する人の気持ちが分からないんだ」
彼女の名前を、聞いた記憶があるような、無いような。まだクラスメートと顔を合わせてから日が浅く、ぼんやりとしか覚えていない。同じ学校かすらも、判断できない。
自虐は、主に自己の失敗談を面白おかしく加工して出荷するものだ。笑いを取って、それで緩和してしまおうという狙いである。
しかしながら、真っすぐ忠実に生きている他の生物を見ていると、どうにも曲がりくねっているようでならない。過去を掘り返して、蛇行している。
犯罪は、絶対に許されてはならない行為だ。万引きやイジメはれっきとした犯罪であり、毎年検挙されている。
一昔前は、自殺そのものが違法とされていた国があることはご存じだろうか。手伝いやそそのかすことが法に触れるということは知っていても、過去の話までは知らない人が多いのではないだろうか。
そもそも、防げない自殺は存在しない。精神的な病気でも、理論上は治すことが出来る。義務感で自らを死の淵に追いやることなど、人間にはできない。社会的な原因がそうさせているのだ。
「……どうしたの、顔色が悪いよ?」
「なんでもない」
彼女、優希は自殺というワードに触れていない。だけれども、そこまで想像させてしまうほどの重みがあった。普段はタブー視して直視しない部分に踏み込んだせいか、航生は胃もたれを起こしそうになっていた。
タンポポをちぎることなど、もう出来そうにはなかった。細い茎が緑の首に見えてきて、とてもではないが上下に断裂させようとは思えなくなったのだ。
相変わらず、芝生広場の周辺に人影は見当たらない。いるのは、航生と謎の女子である優希だけだ。
「……どーう? 優希が言いたいことも、分かってくれた……かな?」
脳内世界に没頭していて現実を確認できていなかったものが、ようやく元に戻った。一時的に現場を離れていた作業員が、定位置へと到着したようだ。
程よく眉に前髪がかからない程度の長さである髪の毛に、二次元の美少女をそのまま具現化したような目。この人、美人であった。
優希は自分の発言を汲み取ってくれたかどうかでモヤモヤが隠せていない。柵に手を乗せて身を広場へ乗り出している。
「……少なくとも、もうタンポポを折りはしないかな」
航生は、彼女と同一の考えを保持することは一生かかっても不可能だと思った。育ってきた世界が異なりすぎて、意志疎通が出来ない。給食や弁当の具材にお礼を言うこともないのだから、雑草に敬意を表するなど出来るわけがない。
雑草など、滅びて欲しいと思っている人間が何人いる事やら。悪役に捉える人が大多数を占めるだろう。
「……優希が思ってることをそのまましろ、なんて言わないけど、むやみに生きてるものを死なせないで欲しいな、ってこと!」
上手くまとめきれなかったのか、強引に締められた。
……振り返ってみたら、ストレスの発散方法なんて山ほどあるわけだしな……。
何も弱い者いじめだけが溜まっている鬱憤を晴らす唯一の手段ではない。彼女がそうしてきたようなランニングだって、十分気分転換になる。
人は、弱くなると自分より立場が下のものを見つけて徹底的に攻撃するのだそうだ。言葉が示す通り、航生も動けないタンポポに蹴りを入れていた。
「……じゃあね!」
優希はそう言うと、コンディションの悪い石ころ道をスイスイと走り去っていってしまった。駅伝のテレビ中継に映っていても見劣りしない速さだった。
名前しか分からなかった同学年くらいの女子に、物事の捉え方を教えられた。航生はショックを受けたし、今までの生き方にペケを付けられたような気分になった。
……でも、あんな人もいるんだなぁ……。
草木を大切にと掲げる人ほど大切にせずに野菜サラダを生ごみに捨てているものだが、優希は純粋に生きていたものに尊さを見出している。素晴らしい事だ。
彼女のような人は、学力が多少身に付かなくとも持ち前の性格で荒海を泳いで行ける。基礎が固まり切っているから、芯がぶれない。
前々から空を覆いつくさんとしていた灰色の雲群は、もうギッシリとあたりを囲んでいた。雨が降るとは思っていなかったので、傘を持ってきていない。
……午後から、塾か……。
大切な青春の一ページに、何を書き込んでいるのだろう。『今日は勉強ずくめ』『今日は模試があった』……。そんな箇条書きで、楽しめたとは到底言えない。
勉学に励むことは、大学進学には重要。だが、やればやるだけ良いということでもない。気力が持たなければ、その効率は滝のように急転直下してしまう。
高校の三年間はイベントも多く、高揚感を味わうならばここしかない。その期間に、誰からも引かれるような塾のハシゴで終わらせてしまっていいものか。
……いい訳ないだろ。
自分の人生は、自分で決めるもの。敷かれたレールをひた走るも一興、脱線事故を起こして森に突っ込んでいくのもまた一興。操り人形にだけは、なってはいけない。
塾代が勿体ないような気もするが、一度ストライキを敢行しようという気持ちになってきた。交渉がまとまらないのならば、実力行使で負担減少へと舵を切る要求めていくしかない。
『よし』、と決意を固めて、航生は立ち上がった。優希のように自然のありとあらゆるものに感謝……とまでは行かないが、自らがこの地点にいられることを喜ぼうと決心した。
……あの紺色のやつ、体操服のズボンの色とおんなじだったような……。
道中、そんなことが頭によぎった航生なのであった。