「……優希がウソついていい子ぶってる、なんて思ってない?」
昨日の会話だけなら、そう思っていたままだった。自然を本当の意味で大切にしている人間など都会には居ないと考えていて、いかにも『自然環境の保護をやっています』と言いたげなエセボランティアに見えていたからだ。
……優希の仕草が、わざととは思えないんだ。
この栽培園に来る途中も、通路に侵入してきている茎や葉を避けていた。お弁当で野菜を食べ終わるたびに、手を合わせて祈っていた。そして何より、タンポポへの情熱が日本列島を巻き込んでいくほどだった。
「……中学校の時は、友達が出来なかったんだ。気持ち悪いって、気味悪がられて」
黒人がクラスに転入してきたとして、気持ち悪いと否定的な感情を抱くのはれっきとした人種差別。そういったことは社会の時間でみっちり習わされるので、感情の摩擦による火災は起きづらい。
思想がすれ違う人なら、どうだろうか。食べ物の好き嫌いであれば磁石のように反発し合うことなく融和していけるが、価値観の相違はひび割れをもたらす。
……優希は、少数派だ。
多数決をすると、必ず多数派と少数派に分かれる。少数派の肩身が狭く窮屈に感じるのは、数の圧力によるものだろう。
民主主義においては少数派の意見も尊重することになっているが、現実でそれが厳正に適応されているわけがない。ただしい意見と間違った意見に分類され、間違った意見は排除されていく。
生き物全ての命の価値は同等であるとする優希の考え方は、机上の空論と一蹴されただろう。偽善者だと、レッテルを貼られたことだろう。
「……だから、高校はそんなことにならないようにしたかったのに……」
つい三十秒前まで嬉々としてタンポポの力強さを熱弁していた少女は、風船が針で刺されたかのようにしぼんでしまっていた。
余韻からひしひしと、苦し紛れの外見加工をしたことが伝わってくる。自己の信念と相反する行動を取らざるを得なかった優希の心境は、さぞかし胃の内容物が絞り出されそうなものだっただろう。
日差しが差し込まないのも、彼女の落ち込み具合を象徴しているような気がした。正午から晴れると天気予報で聞いたはずなのだが、その様子は見られない。
「……変な人だって思われて……」
優希とクラスメートの間に横たわる溝は、日本中の土砂をかき集めても到底埋まりそうには無かった。
「……」
航生は、何も発することが出来ない。
どのような理由があれ、変人扱いするのはしてはいけないことだ。アニメオタクは敬遠される傾向にあるのだが、その根底には『変わっている人』という認識があるわけであり、本来は即撤廃されなければならないことだ。
当然、思想や良心で差別することも禁止なのだが、世間の目というものは時として逸脱してしまうことがある。
例えば、冬に軽装で外に出る人。筋肉量や平熱には個人差があり、冬でも寒く感じにくい人というのは存在するのだが、彼らは総じて『季節感のおかしい人』として好奇の目にさらされる。
……俺も、そう思ったからな……。
常識を覆されることは、その人にとって嫌でしかない。今まで信じてきたものがひっくり返されるのだ、不快に思う人が多いだろう。
だからと言って、変化を柔軟に受け入れて対応していかなければ、頑固親父になってしまう。他者の意見を突っぱねてしまった時点で、さらなる発展はもう望めない。
「俺も……」
「そうだよね、航生もそうだよね……」
申し訳の無さが顔に出てしまっていたのだろう。優希の目前に垂らされていた蜘蛛の糸がぷつんと切れてしまった。
「待ってくれ、優希。昨日まではそう思ってたけど、今は違う」
過去の事実は、ノートに書いた式のように消しゴムでは消せない。隠蔽しようとしても、将来のどこかでつじつまが合わなくなる。
「……人の考えを頭ごなしに否定しないことの意味が、よく分かった」
物事に熱中している姿は、他人から見ると応援したくなるものだ。
……俺は優希の意見に合わせる気は無いし、考え方が変わるとも思えない。けど……。
みんな違って、みんないい。遺伝子も、性格も、備えている能力も、何もかもがピッタリ重なることはない。それは、不変の真理である。
それなのに、ガキ大将は偏見の激しいトップは自分に他が合わせるべきと思ってしまうのはなぜなのだろうか。それぞれのスタイルが、尊重されるべきものなのに。
……人にされて嫌なことはしてはいけない、って習ったはずなんだけどな、俺も……。
他人のやり方を強制されても構わないなら別問題だが、そんな人は希少種だ。
……客観的になって考えてみろよ。自然を愛しているだけの、優しい女の子だろ?
仕事に邁進して情熱が燃え上がっている熱血会社員や、日本各地を飛び回る鉄道ファンと、何が異なるのだろうか。都会に自然派がいて、何処が悪いのか。
「どう言われようと、優希が自分の考えを曲げることはないよ」
この言葉を航生が放っているのだから未来はどう転ぶか分からない。
学習塾のスケジュールが満杯でなければ、彼女と公園でバッタリ出くわすことは無かった。ストレスにかられて植物イジメをしようとしていなければ、会話が生まれることも無かった。
……人の気持ちを考えろ、っていう意味を教えてくれた。
文字おこしして教科書に載せただけでは、物事の上澄み液しか掬えない。絵の具の上澄みは着色が薄いのと同等に、一を聞いただけで全様が分かったと勘違いしてしまう。
そして、その誤っているか断片的な知識を物差しにして善悪判断を行ってしまう。偏見や差別が生まれるのは、そのためだ。
……差別や偏見なんて、自分がするはずないって思ってたけど……。
現に、偏った視点から優希を一時でも変人扱いしてしまった航生は存在した。無意識のうちに、彼女を遠ざけてしまっていた。
人間は、一度失敗して痛い目を見ないと覚えられない生き物なのだ。準備体操をしてから泳ぎ始めろと指示されていても、怖さを知らない子供たちはプールに飛び込んでいく。そこで足がつって初めて、準備体操の大切さに気付くのである。
一度目はそれで良いが、二度同じことを繰り返してはならない。二連続で同様の失態を犯してしまうのは、守る気が無いと思われてしまう。
恋人から注意されたことは四六時中気になっても、教科書で一夜漬けした知識はすぐ抜け落ちる。強く意識付けをしておかないと、忘れてしまうのだ。
……映像を見て理解したつもりになってても、こうなるんだなぁ……。
やってしまったことの取り返しは付かない。ならば、現在をより良く作り変えていくまでだ。
「……変だからって、気味悪がらないでくれる?」
「もうしない」
理想的な思考を忠実に実践しているだけで、区別されていい人はいない。
グイッと、視線を外して手を伸ばしてきた。付け根に力が入っておらず、掌が重力に引っ張られて下方に宙づりになっていた。
「……優希は、友達なんかいない。それで、作ってみたい」
そう彼女は首を横に振って、頭が力なく腕に抱きこまれた。
過去の軌跡を思い出して、沈んでいるようだ。下りてきたまぶたが、疲れを帯びている。運動などの単純労働ではない、精神疲労だ。
……優希は、ずっと孤独だったのかな……。
航生が一度たりとも経験したことのないであろう、大集団の中での孤立。人に囲まれているのに、全員がそっぽを向いている。話しかけても、それとなく流されるだけ。耐えがたき苦痛だ。
彼女は、そんな過酷な現実を潜り抜けてきたのだろうか。可愛らしくたんぽぽを観察していた女の子が、社会の現実を知らされるような目に遭って来たのだろうか。
「……俺なんかでいいのかどうか分からないけど、とりあえずよろしくということで」
航生は、優希の手をしっかりと握りこんだ。彼女の手は、航生のそれよりも随分温かかった。
ぽっと、優希の頬が赤くなったような気がした。
「……休み時間、もう終わっちゃうね。付き合ってもらって、ごめん」
自然と手を振り払われた。まるで煩悩を寄せ付けないためかのように大声だった。
そそくさと校舎へ逃げていくタンポポ好きのへんてこりんな女子の背中を、航生は追いかけて行った。