あるアイドルの死から3年ほどの月日が流れようとしている。
その名前は長瀬麻奈。
星見市に彗星のごとく現れた超人気アイドルだった。
天使のような歌声。
太陽のように輝く笑顔。
月のように惹きつける澄んだ瞳。
あの姿は今での脳裏に再生される。
だからこそ私はここに来た。
「私はアイドルになりたいんです!」
頭を下げ腰も90度に曲げて懇願する。
前に立つ二人の男性が困惑したような雰囲気を出す。
ここは星見プロダクション。長瀬麻奈さんがかつて活動していた事務所だ。
彼女が活動していたにしては小さな事務所だったので驚いたが、ここで間違いはなさそうだ。
「えーと……ここでアイドルとして活動したいということ?」
「はい。ここで長瀬麻奈さんのようなアイドルになりたいです」
年は20代前半ぐらいだろうか。若い男性がそう聞いてきた。
フォーマルなスーツ姿でしっかりと絞めたネクタイ姿。マネージャーだろうか?
「事務所を立ち上げて以来、アイドルになりたいと押しかけてきた子は始めただな」
その隣で座っていた男性が苦笑いをする。
恐らくあれは三枝社長。メディアでもよく取り上げられていた人だ。
私は今星見プロダクションに押しかけるように、足を踏み入れた。
私の行動はある意味前代未聞だろう。
「うちの事務所はまだ募集もしてないんだ。悪いけどまた違う機会に……」
「それじゃ駄目なんです。今すぐにアイドルとして働きたいです。そのために私はすべてを捨ててきました!」
膝を折り、土下座の態勢を作る。
額を地面に押し付け必死の思いで頼み込む。
私のその姿に戸惑いの雰囲気を感じ取れた。
「三枝さん……どうしますか?」
「……」
三枝社長は話さない。その反応に私は息を呑む。
「牧野、お茶を3人分用意してくれないか」
「……! 分かりました。すぐに用意します」
そう言うと牧野と呼ばれた男性は部屋を出ていった。
「君も立ったらどうだ? その格好じゃ面接はできないぞ」
「……っ! ありがとうございます!」
その後3人分のお茶が用意され、私も口をつける。
前には牧野さんと三枝社長。
心臓は早鐘の様に早く、手は汗でぐっしょりして気持ち悪い。
「名前は島津澪です。星見高等学校に通ってます」
私は自己紹介から軽く始める。
「まずはなぜアイドルになりたいかを聞かせてもらえないか?」
一息ついて私は前を見据えた。
「私は長瀬麻奈さんのようなアイドルになりたいんです」
「……麻奈に」
ピクリと牧野さんが反応する。
「初めて麻奈さんを見たのは星見駅の前で歌っていた姿を見たときです」
あの時の歌声は昨日のように思い出すことができる。
「私、音楽というのが大嫌いだったんです。歌というのも関心すら示したくありませんでした」
あのときの自分はもはや嫌悪に近かった。
「歌を聴いたときにおもわず泣いてしまって……そこで音楽の素晴らしさ、たかが音の羅列がここまで人の心を抱き留めるのかと感動してしまったのが始まりです」
もしあのとき星見駅を通らなければ。
もしあのとき長瀬麻奈という存在に出会わなければ。
私はきっとあのままだっただろう。
「そういうわけか……ん、どうした牧野?」
「あ、いえ……」
牧野さんはどこか違うところに視線を向けて不自然に見えた。
「つまりは麻奈に憧れてアイドルになりたいと、そういうことだな?」
「……はい」
私は麻奈さんが好きだった。憧れてはいた。だけど……。
「憧れていたのは分かった。もう一つ質問がある」
社長が私を凝視する。
「この事務所に入って、君は何がしたい。目標があれば聞かせてもらえないか」
私の目的は――ただ一つ。
「アイドルの頂点に立ちたいです」
私の言葉に三枝社長は眉を上げ、目を細める。
「私は誰よりも早く上に立ちたい。麻奈さんと競い合っていた『LizNoir』より。アイドル界の上位にいるBIG4よりも更にです」
アイドル業界は厳しい。多くの新人アイドルが涙を呑んでいるのも知っている。
私にその才があるかどうかは分からない。だけど何が何でも『LizNoir』だけには負けられない。
「アイドルの頂点か……中々思い切ったことをいう」
三枝社長は口の端をニヤッと上げる。
「牧野はどう思う?」
「え?」
不意に話しかけられ反応に遅れる牧野さん。
「えーと、アイドルの頂点に立つという志はいいこと思いますけど……」
牧野さんの言葉を横目で聞いていた三枝さんはこちらに顔を向ける。
「アイドルの頂点。それを目標にするのはいいことだ。だけどだ……」
三枝さんの鋭い視線が私を差す。
「憧れた、元気をもらったという理由であれば「麻奈のようになりたい」や「多くの人に感動を与えたい」と言うのが自然に思える」
心臓の鼓動が思わず変に跳ねる。
急に部屋の温度が下げられたようだ。
「トップに立つことが本当に君がしたいことなのか?」
「……アイドルのトップになりたいという気持ちは嘘偽りはありません」
そう――私はトップに立たなければならない。この気持ちはあの時から変わらない。
「そうか、分かった」
そう言うと三枝社長は席を立つ。
「この業界は歌やダンスが上手いから売れるというほど甘い世界じゃない」
三枝社長は背を向け窓のほうに体を向ける。
「君の実力を見せてもらおうか」
私は振り返った三枝社長に確固たる意志を伝えるように「はい」と答えた。