「澪、何回同じところを間違えるの! そこは――」
「……ごめんなさい」
何度何度もヴァイオリンを弾き直す。すでに腕は枯れ木のようで楽器を支えることも苦しい。
「……」
力なく項垂れながらお母さんを見る。
ワタシが辛そうにしているのは分かっているはずなのに。
辞めたい。
だけど逃げ出せばもっとひどいことをされる。
そうした日々を過ごす内に、いつの間にか痛みや苦しみを感じることは無くなっていた。
あの頃のワタシは――
「ここがレッスンスタジオだ」
「え……はい」
回想に耽っていた私は、三枝社長の声で思考を引き戻される。
さっきと同じで私の他に三枝社長、そして牧野さんがついて来ていた。
小さな部屋だけど3人が入るには十分な広さだ。
「アイドルというのは誰もがなれるわけがない。アイドルよりオーディションで落とされた人間のほうが多いだろう」
私はその言葉に息を呑む。
アイドルというのは競争が激しい世界だ。
デビューしてもいつの間にか消えていた人も多々いる。
わずか数年で日本中に名を轟かせた麻奈さんは異例ともいえる。
「何でもいい、歌って見せてくれ。ダンスも入れても構わない。
「はい」
アイドルのオーディションでは歌やダンス審査されることはもちろん事前に知っていた。
ここで私は何が何でも突破しなきゃならない。
「このオーディションは正規の手順で行われたものじゃない。もちろん他の子より厳しく見させてもらう」
「分かっています。飛び入りでここまでしてもらえただけでも感謝しています」
そこに温情はない。三枝社長はそういう人だと思う。
目に留まれなければ、ここで落とされるだろう。それは当然のことだ。
もし星見プロダクションに入ることができなければバンプロダクションに行くという選択肢もある。
そこでオーディションを受けて合格すればアイドルになれるかもしれない。
だけどそこじゃ私の目的は達成できない。
でもどうしてだろう。
落とされれば私の努力は無に帰すことになるかもしれないのに――
「こんなにもわくわくしてる……!」
後ろで束ねていた髪を下ろし、口の端をニヤッと上げる。
麻奈さんは別格だった。
麻奈さんこそアイドルという言葉が似合う人はいない。
あの日、駅前で麻奈さんを見たときから私の中で音は一つになった。
私の心が――島津澪が震えた。
その衝撃は私の原点として根付いている。
「何でもいいんですよね? 三枝社長」
「あ、ああ……自分の好きな曲で良い」
産声が響くように心臓が高らかに鳴り続ける。
ああ――世界は何て素晴らしいんだろうか。
「麻奈さんを象徴する曲は『First Step』ですけど……」
焼き付いて離れないもう一つの曲。
「『Precious』が一番大好きなんです。長瀬麻奈という存在を前面に出している気がして」
ライブにワクワクしながら行っていた頃を思い出す。現地で聞いた『Precious』
私はその一挙手一投足に魅入られた。
私はその場でくるっと体を一回転する。
長くなった髪が遠心力で舞い、あの時の気持ちを脳裏で再生させる。
これは私のルーティンみたいなもので気持ちのスイッチを完全にオンにするために必要なことだ。
レッスン室に来るまではうるさいほどに心臓が鳴っていたのに今は違うドキドキが心に渦巻く。
先ほどまでの緊張は遠いどこかに消え去っていた。
「聞いてください。三枝さん、牧野さん。私のすべてを!」
ここはライブ会場。観客は二人。だけど膨張するこの気持ちを受け取ってもらえるように歌い、踊る。
観客席から見た麻奈さんの姿は刻み込まれている。
あの歌唱力はどんな場所からでもきっと心に届くだろう。
だからそれをイメージするように全身全霊で、なぞるように手足を動かす。
私のために貴重な時間を割いているのであれば、決して拙いものは見せられない。
だからこそ感じ取ってほしい。私の熱を、感情を、想いを。
これが私だ、島津澪だということを!
長瀬麻奈さんは存在自体が星のような人だった。
だからこそ私は『軌跡』を辿る。
あなたの『奇跡』を永遠にするために。
歌い終わり、静寂が包む。
私は「ありがとうございました!」の言葉で絞める。
そして――。
二人の手から拍手が漏れた。
その音はしばらく続いた。
この高揚感。もしかしたら初めて麻奈さんと同じ気持ちを共有できたかもしれない。
「あの……どうでしたか?」
一心不乱だったせいかさっきまでのライブは朧気の記憶だった。
二人を見ると、何ともいえない表情をしている。
三枝社長の一声を待っていると……。
「合格だ」
「……え? ごう……」
「合格だ。今日から星見プロのアイドルだ」
ごうかく? ……合格!
「ほ、本当ですか。よ、よかっ……」
ほっとして体がよろける。
そんな様子をみたのか牧野さんが私を支えてくれた。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫じゃないけど、大丈夫です」
回らない舌でどうにか言葉を紡ぐ。
「あそこまで見せられて落とすような真似はしないさ。なあ、牧野?」
「そうですね。 麻奈を思い出すような……そんな歌でした」
麻奈さんに? 何がなんであれ合格だ。
「よかった~。本当に……」
牧野さんに支えながら脱力する。
「立てる?」
「はい、立てます」
両足を地面に吸い付けるように立つ。
「それで三枝さん。この子はグループで活動させるんですか?」
「ソロで行く。そのほうが澪は輝けるだろうからな」
「ソロ……ですか?」
牧野さんが大きく目を開けて驚いていた。
「一番近くで麻奈を見続けたお前だ。そのほうがいいと思っているだろ?」
「まあ……そうですけど」
ソロで活動するのは何か問題があるのだろうか?
「Venusプログラムでソロ活動しているアイドルはそういない。上位にいくほどそれが顕著だ」
「でも麻奈さんはずっとソロでしたけど……」
「麻奈は……奇跡みたいな存在だったから」
牧野さんは思い返すように目を細めていた。
「つまり期待してるぞってことだ。これからよろしく頼む」
「はい三枝社長!」
「三枝で良い」
「社長呼びは肩がこる」と言って苦笑する。
オーディションが終わった反動か、突然疲れがドッと湧いてきた。
再びよろけて牧野さんがもう一度、私に寄って抱くような態勢を取る。
「すみません……少しいいですか?」
「なんだい?」
牧野さんの優しい声が耳を過ぎる。
「……疲れたので、少し寝ます」
その発言に呆気にとられたのか二人は目を見開いた。
「昨日から……寝てないので……」
「お、おい!」
私は合格した安堵の中、眠りへと落ちていった。